今日は左手のピアニスト智内威雄さんのコンサートに行きました。彼は右手にジストニアが発症し、左手のピアニストになったのですが、聞いていたら片手とはとても思えない演奏でした。しかし、それよりも何よりも彼からピアノを通して出てくる音色が本当に優しくそして強く、私の細胞の中に光が染み渡るような感覚でした。楽器の音ってその人の人生が全てでてきますよね。素晴らしい演奏ですのでお勧めです。http://www.tchinai.com/index.html
そのコンサートへ行く途中、電車から降りたところで塾帰りの小学生の殴り合いを見てしまいました。じゃれているのかと思ったけど、一人の子が思い切りグーで頬を殴り、やられた子が殴り返そうとしていたので間に入りました。
4人の子が居て、殴り合いをしていない2人は殴った子に「お前なにすんねん」とびっくりしながらも笑いながら階段を下りつつあったのですが、殴った子は怒りが冷めないようで私を睨んでいました。「暴力はあかんよ」って言って、殴られた子に「顔みせてごらん。傷見るから」と言うとその眼鏡をかけた子は殴られた頬にかすり傷を負っていたけど、でもまあ大した傷じゃなかったので「傷はそんなないし、大丈夫。」と言うとぽろぽろ涙が出ていました。痛みや怖さや怒りが混じっていたようでした。
殴り合いした二人には「ちゃんと話しーよ」と言ったけど、他の乗客が私たちには目もくれずみんな階段を下りてしまい、私達だけになっていたので4人の子供たちは走って階段を降りていきました。
駅を出たらそれぞれに分かれて家に帰っていったけど、私が歩く少し前に殴られた眼鏡の子が涙をふきふき歩いていました。そして、かっこいい外車に乗ったパパが駅前にお迎えに来てくれていたようで、彼はパパには涙を見せず笑顔で車に乗り込みました。
5年生ぐらいだろうし、もう親に泣きつく年でもないけれど、心にも体にも痛手を負った彼がお父さんの前で笑顔を見せていた姿がなんだか心につきささりました。きっと親が頬の傷に気がついても「転んだ」とか言うんだろうな。
殴った子も殴られた子も心に傷を負ったなってその場で感じました。暴力ってふるう方もふるわれる方も傷つくというのを目の前で見せられました。
私は自分の対応がとても中途半端な気がして、一体私は何をしたかったのだろう?と一日中考えていました。
かっこちゃんの事を思い出しました。電車の中で学生を殴ったやくざを抱きしめて「怖くないよ。大丈夫だよ」と言ったらやくざさんがぽろぽろ涙を流し、そこからお友達になった話。学校で不安になると自分を傷つけたり他人や物を傷つけたりする生徒さんが居て、暴力をふるうたびに走って彼女を抱きしめていたかっこちゃんは、相手がやくざだろうが瞬間的に体が動いたのでした。
私もあの子達を抱きしめたかったのかもしれない・・でも、できなかった。
昨日の夜、「人を抱きしめる」ってことをちょうど考えていたのでした。かっこちゃんのやくざの話やアンマのことも思い出したりして。だから、こういう状況を引き寄せたのかもしれません。
昔、私は身も心もぼろぼろになって離婚し実家に帰りました。その頃「大人になるとどうしてこんなに辛いことばかり起こるのだろう・・弟や妹と楽しく遊んでいた子供のころに帰りたい」とずっと思っていました。
ある夜、母と話していて私がいつものように「子供のころに戻りたいわ」と言うと母が「これからいっぱいいいことあるから。子供のころよりももっと楽しいことがいっぱいあるから」と涙をたくさん流しながら私を抱きしめてくれました。私はぎゅっと抱きしめられながら溢れる涙を止めることができませんでした。
今から考えると私はあれで起き上がれたんだと思います。人間、ちゃんと受け止めてもらって抱きしめられると立ち上がって歩いていけるのでしょう。
一昨年いきなりお医者さんに手術するように言われ、今まで何十年にも渡って避けてきた自分の女性性を見ないといけない恐れと手術への恐怖におびえる日々を過ごしていました。もうこのまま私の存在が消えてなくなったらどれだけ楽だろう・・とまで思っていたし、その辺の人、誰でもいいから私を抱きしめて・・て思いました。
もし、今それだけの恐怖を感じることがあれば、周りの友達に「抱きしめて欲しい」と素直に頼むことができると思います。家族にもちょっと恥ずかしいけれど頼むことができると思います。
特にスキンシップの少ない日本人にとっては、抱きしめられることというのは、思っている以上に力を与えられるものだと思うし、それを体験したから、私は知っている人でも知らない人でも傷ついた人を抱きしめることのできる人になりたいな・・それが目標だな・・・そんなことを昨晩寝る前に考えていたら、殴り合いして傷つけあった子供たちが目の前にやってきました。
神様はさっそくお試しの機会をくれたのかなあ。
今はできないけど、いつかできるようになりたいな。
そして、今度同じような場面に遭遇したら私はどうしたらいいんだろう?と考えていたら、数日前友達に聞いた言葉を思い出しました。彼は自分の子供たちにただ一つ言ってきた事は「魂をけがすことをするな」のみ。私の「暴力はあかんよ」ていうよりよっぽどいいと思う。
大好きな子供たちの心の傷が一つでも少なくなりますように。
そのコンサートへ行く途中、電車から降りたところで塾帰りの小学生の殴り合いを見てしまいました。じゃれているのかと思ったけど、一人の子が思い切りグーで頬を殴り、やられた子が殴り返そうとしていたので間に入りました。
4人の子が居て、殴り合いをしていない2人は殴った子に「お前なにすんねん」とびっくりしながらも笑いながら階段を下りつつあったのですが、殴った子は怒りが冷めないようで私を睨んでいました。「暴力はあかんよ」って言って、殴られた子に「顔みせてごらん。傷見るから」と言うとその眼鏡をかけた子は殴られた頬にかすり傷を負っていたけど、でもまあ大した傷じゃなかったので「傷はそんなないし、大丈夫。」と言うとぽろぽろ涙が出ていました。痛みや怖さや怒りが混じっていたようでした。
殴り合いした二人には「ちゃんと話しーよ」と言ったけど、他の乗客が私たちには目もくれずみんな階段を下りてしまい、私達だけになっていたので4人の子供たちは走って階段を降りていきました。
駅を出たらそれぞれに分かれて家に帰っていったけど、私が歩く少し前に殴られた眼鏡の子が涙をふきふき歩いていました。そして、かっこいい外車に乗ったパパが駅前にお迎えに来てくれていたようで、彼はパパには涙を見せず笑顔で車に乗り込みました。
5年生ぐらいだろうし、もう親に泣きつく年でもないけれど、心にも体にも痛手を負った彼がお父さんの前で笑顔を見せていた姿がなんだか心につきささりました。きっと親が頬の傷に気がついても「転んだ」とか言うんだろうな。
殴った子も殴られた子も心に傷を負ったなってその場で感じました。暴力ってふるう方もふるわれる方も傷つくというのを目の前で見せられました。
私は自分の対応がとても中途半端な気がして、一体私は何をしたかったのだろう?と一日中考えていました。
かっこちゃんの事を思い出しました。電車の中で学生を殴ったやくざを抱きしめて「怖くないよ。大丈夫だよ」と言ったらやくざさんがぽろぽろ涙を流し、そこからお友達になった話。学校で不安になると自分を傷つけたり他人や物を傷つけたりする生徒さんが居て、暴力をふるうたびに走って彼女を抱きしめていたかっこちゃんは、相手がやくざだろうが瞬間的に体が動いたのでした。
私もあの子達を抱きしめたかったのかもしれない・・でも、できなかった。
昨日の夜、「人を抱きしめる」ってことをちょうど考えていたのでした。かっこちゃんのやくざの話やアンマのことも思い出したりして。だから、こういう状況を引き寄せたのかもしれません。
昔、私は身も心もぼろぼろになって離婚し実家に帰りました。その頃「大人になるとどうしてこんなに辛いことばかり起こるのだろう・・弟や妹と楽しく遊んでいた子供のころに帰りたい」とずっと思っていました。
ある夜、母と話していて私がいつものように「子供のころに戻りたいわ」と言うと母が「これからいっぱいいいことあるから。子供のころよりももっと楽しいことがいっぱいあるから」と涙をたくさん流しながら私を抱きしめてくれました。私はぎゅっと抱きしめられながら溢れる涙を止めることができませんでした。
今から考えると私はあれで起き上がれたんだと思います。人間、ちゃんと受け止めてもらって抱きしめられると立ち上がって歩いていけるのでしょう。
一昨年いきなりお医者さんに手術するように言われ、今まで何十年にも渡って避けてきた自分の女性性を見ないといけない恐れと手術への恐怖におびえる日々を過ごしていました。もうこのまま私の存在が消えてなくなったらどれだけ楽だろう・・とまで思っていたし、その辺の人、誰でもいいから私を抱きしめて・・て思いました。
もし、今それだけの恐怖を感じることがあれば、周りの友達に「抱きしめて欲しい」と素直に頼むことができると思います。家族にもちょっと恥ずかしいけれど頼むことができると思います。
特にスキンシップの少ない日本人にとっては、抱きしめられることというのは、思っている以上に力を与えられるものだと思うし、それを体験したから、私は知っている人でも知らない人でも傷ついた人を抱きしめることのできる人になりたいな・・それが目標だな・・・そんなことを昨晩寝る前に考えていたら、殴り合いして傷つけあった子供たちが目の前にやってきました。
神様はさっそくお試しの機会をくれたのかなあ。
今はできないけど、いつかできるようになりたいな。
そして、今度同じような場面に遭遇したら私はどうしたらいいんだろう?と考えていたら、数日前友達に聞いた言葉を思い出しました。彼は自分の子供たちにただ一つ言ってきた事は「魂をけがすことをするな」のみ。私の「暴力はあかんよ」ていうよりよっぽどいいと思う。
大好きな子供たちの心の傷が一つでも少なくなりますように。