シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

戦争

2008-08-02 | おもうこと
ここ何ヶ月かの心身への疲労、そしてこの暑さでついにヘルペスになってしまった。にもかかわらず、どうしても欠席したくなくって昨日は宴会に。3次会まで行く私はおばかでした。なので今日は一日中ゴロゴロとしておりました。

一日中ゴロゴロしていたので、暑さしのぎにテレビも結構見てました。何気なくつけたテレビがすごい番組でした。

私が見たのは、広島原爆投下した機長クロードエザリーについて。彼は戦後、炎の中逃げ惑う子供たちの夢を見つづけ、奇妙な犯罪行動を起こすのですが、その謎を追う番組でした。

しかし、実際は彼も原爆投下の1年前にも、その後にもアメリカ軍の核実験で被爆していたのでした。今までアメリカが落とした核爆弾は実験を含め1149個、55万の兵士がそれに関わり、投下後のキノコ雲に突入させ体にどんな影響が起こるかサンプルとして使われたり、要するに「人間モルモットとして使われた」と関わった退役軍人たちが言っていました。

この番組を見て、10年以上前私がアメリカに行ってすぐに通っていた英語学校で見たテレビ番組を思い出しました。それは、エザリーと同じように原爆投下したアメリカ兵がその事を広島の人々には伏せて広島を訪れるという番組でした。

私はそれを聞いたときから、なんて趣味の悪い番組を見せるのだろうと先生に対して怒りがでてきましたが、今でも忘れられない思い出になりました。

その元パイロット達は原爆ドームを見たり、原爆記念館を訪れショックを受けるのですが、そのショックの表情をズームアップするのも気分が悪かったけれど、一番いやだったのは、原爆病院を訪れたところでした。

その病院の院長さんは、彼らが元原爆投下したパイロットだと知らずに愛想よく話をします。そして途中でその事実を知らされるのです。

彼はとてもショックを受け呆然とします。そして、涙を流しながらお辞儀を何度も何度もするのです。毎日その原爆のせいで苦しんでいる患者さんに接している彼の感情、怒り、悲しさ、辛さ、やりきれなさ・・そういったものが、そういった形になってしまたのだろうと思うと、私も涙が止まりませんでした。

しかし、クラスの中は大爆笑。涙を出しながらお辞儀をするというのが様々な国から来た若い学生には滑稽に見えたのでしょう。彼らには罪はないけれど、未だにその原爆の後遺症で苦しんでいる人達が居るのを知っている私には、怒りがおさまりませんでした。その番組を教材として選んだ先生に対し猛烈に抗議をしました。

こういったセンセィティブな話題はもっと慎重に選ぶべきだと・・。アメリカは多様な文化、その分、多様な差別がある国だから、例えば黒人が居ても黒人差別の教材は選ぶだろうし、その先生もユダヤ人だったからユダヤ人ならではの差別や、そこまではいかなくても嫌な目などにも合っただろうし、全ての人が傷つかないものを選ぶというのは無理な話かもしれません。でも、今になって分かるのは、あのとき私が怒ったのは、そのパイロット達に対しても、そして被爆者やそのお医者さんに対しても、何のリスペクトも感じられなかった番組だったからだと思うのです。

実はそのテレビ番組のリアクションで怒りを通り越して一番悲しかったのは、先生に対してでなく、クラスメートの日本人の一言でした。

「何ムキになってんの? 日本が悪いことをしたんだから、笑われてもしょうがないんだよ。何をされてもしょうがないんだよ。」

私は、もう一人先生に抗議していた日本人女性と共に唖然とし、議論する力もありませんでした。私達が言う問題の本質を全く分かってない。そして、今言葉にできるのは、これが人間の尊厳というものを教えてこなかった日本の教育のサンプルだなって。確かに日本人が、アメリカ人が、xx人が・・というのを越した、人間としての誇り、尊厳、他の人間に対するリスペクトを教えてこなかったのが日本の今までの教育だったのだなって。

こういうことを書き出すと止まらないので、最後に映画「4分の1の奇跡」http://www.yonbunnoichi.net/ にもでてくる、大ちゃんこと原田大助君の詩を紹介します。私が英訳したパートは彼の詩がたくさんあり、去年の今頃は彼の詩の訳をいつも考えていたことを思い出します。

私達は愚かな人間だけど、少しずつでも平和な世の中に向かっていますように。


『戦争は手と足じゃたりなくて
心まで持っていくんやな

大好きと思ったり
いっしょにいたいと思ったり

心は大事なものやのに
みんな持っていくんやな』



『悲しくつらい気持ちです

人が人を殺してそれが正しいことなんて

いったい誰が思うんやろ』



『殺されるために生まれてこない

殺すためにも生まれてこない

戦争は大事なことを忘れている』


「さびしいときは心のかぜです」樹心社 原田大助著
「本当のことだから」三五館 山元加津子著 より


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3 コメント

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元広島県人として (らくだ)
2008-08-03 00:36:44
きっと広島の人たちは、原爆投下のパイロットを目の前にしても、怒ったり責めたりはしないだろうと思いながら読み進めていました。本当の痛みを知る人は他人を責めたりはしませんから。その番組を見ての結果に対してはかえるさんと同じく私もショックを受けました。そのような番組作りを良しとする人たち、それを見て笑ってしまう人たちや心に痛みを感じない人たちは、本当の苦しみがどういうものか知らず、それを想像する知性もない、気の毒な人たちなのでしょう。そういう人々が最高学府で学びいずれそれぞれの国を支えていくと思うと、戦争がなくならない理由がわかる気がします。国益=国民のために、ではないことも強く感じます。世界中に想像力と共感力のある人が増えますように。

ヘルペスって痛いんでしょう?どうぞお大事になさってください。
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似たような番組が (みみ)
2008-08-03 09:09:15
原爆を投下したパイロットが広島を訪れる番組を私も見た事があります。ただお互いにたいへんだったね、と慰めあい、手を握り締めていました。このパイロットも被害者で、結局手足となって動く人が犠牲になるだけのこと。戦争を決める「偉い人」が実際に戦場に出て命を危険にさらされる事はありえないわけだから。

いくら語学堪能であろうが、知識が豊富であろうが、一番大事な要になる心を持ち合わせていないと平和とか平等とかも頭でしかわからないのでしょう。

何年か前、8月6日に英会話のグループで、広島在住のアメリカ人の先生が「電車でみんなが私を見るからこの日は嫌い」と。生徒の日本人は彼を慰め、真珠湾攻撃の話に及び、結局日本が悪いんだから睨むのはおかしいと。どっちが悪いとか言ってる場合かなぁと思ったけど、やはり一番情けなかったのはそれに同調する英語力に長けた日本人生徒。

私は広島人なので原爆の日が近くなると必ず思い出し、手を合わせますが、今は原爆の事を知らない子供達が増えているみたいですね。日本の、戦前までの誇り高き精神はどこにいってしまったのか、良い悪いは別として日本人としてのアイデンティティを併せて考えてしまいます。

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Unknown (かえる)
2008-08-04 13:48:54
広島県人素晴らしい。きっと他の地域の人よりいつも戦争のことを身近に感じて生きてきたから、人事でなく生きてきたから、自分の意見を表せるんだと思います。

らくださま

想像力と共感力・・確かにそうです。今の社会にかけているもの。

一昨日見たその番組で紹介されていましたが、被爆者の女性たちを戦後、アメリカの慈善団体がアメリカに招待し治療を受けさせてたことがあるらしいのですが、その原爆乙女といわれる人達は、私たちはパイロットを責めたりはしません。その体験をもって、世界が平和になる活動をしてほしいと思います・・と言っていたのをきいて涙しました。すごいなあって。

今の私にできることは、自分の心を平和にすることかな。恐れや無価値観を少しずつ手放していくこと・・人は変えられないけど、とりあえず自分は変えることができるもんね。それが少しずつ広まっていくだろうから。


みみさま

中3のとき、修学旅行で広島原爆記念館を訪れたとき、その時来ていたアメリカ人の留学生のことを「嫌な感じ受けないかな」と遠めにみながら心配したのを思い出しました。

確かに「誰が悪い」って言っている場合じゃないよね。戦争を起こさない世界をどうやったら創っていけるかを話し合うほうがよっぽどいいと思うけど。

自分がどんな状況でも自分はそれを選択しないって決められるか・・これは、イスラエルでホロコースト博物館に行ったときに思いました。

私達はみ~んな繋がっているから、ヒットラーも毒ガスを流した人も、原爆落とした人も私の一部。それを責めて終わるよりは、自分はそれをしないでおこうって決めることがそこから学ぶべきことのように思います。

み~んな繋がっているということで、昨日の夢の主人公はみみさんでしたよ
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