むさしの連歌会では、毎年この季節、古河の満福寺において、猪苗代兼載翁を偲び「花の下法楽連歌」を張行しています。この日は、少し風が寒いものの、よく晴れ上がった花日和。地元古河のメンバーを含む「むさしの連歌会」の総勢十数名に、お忙しいなか遠くから駆けつけて下さった鶴崎裕雄先生ほかのゲストを加え、にぎやかに連歌の集いを催すことができました。
満福寺は、室町時代後期に、時の古河公方=足利成氏(しげうじ)によって開かれた古刹。そこに、猪苗代兼載翁のお墓があります。兼載は宗祇とともに「新撰菟玖波集」の編集にかかわった人。そう申し上げれば、国文学を勉強した方ならばお分かりいただけるのではないでしょうか。
兼載は、1452年に会津の猪苗代家に生まれ、応仁の乱を避けるため関東へ来ていた心敬に、連歌を学びました。それから京に上り連歌・和歌等の研鑽を積んで、宗祇の次の北野連歌会所奉行に就任。当時の連歌界の中心にいた人です。
兼載は、もともと関東・奥州に縁が深かったのですが、古河との縁は、晩年、足利政氏のもとに身を寄せ病を養ったことで極まります。1510年に亡くなり、ここ満福寺に葬られました。兼載は、ことのほか桜の花を愛していたとか。今もその供養碑には、後の人が植え継いだ見事な桜が枝垂れかかっています。
(注)碑文「永正七庚午六月六日卒 耕閑軒法橋兼載翁墳 花散りて名のみ残るや墳桜」
連歌会は、先ずご住職の敬祷のもと、池田代表以下の参加者が、兼載翁の供養碑に線香を手向けることから始まります。それぞれ心の中で、連歌の上達、あるいはこのように楽しい連歌のつながりを築いてくれた大先輩への感謝を念じたことと思います。
そして昼食を取り、ご住職心づくしのお菓子等をいただきながら、二座に分かれて世吉を巻き上げました。今日初めて連歌を詠んだという人もいましたが、見事な付け。喝采の声が上がっていました。
それから本堂で、巻き上げた連歌を奉納しました。最後は、鶴崎先生からのご挨拶。「来年の大河ドラマは明智光秀が主人公なので、これを機会に広く連歌のことを知ってもらおうと思っている」、「現代に連歌が根付くためには新しい人の参加や各地の交流が不可欠なので、古河や鎌倉での連歌会張行はとても嬉しい」とのお言葉をいただきました。
帰路にはもう一度、山門の見事な花を眺めました。今もここに連歌会が続いていることを、兼載翁が喜んで下さったら幸いです。