ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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“本にかかわる人の交流会”に行ってきました。

2018-07-18 17:08:05 | 日記
昨日のことになりますが、「本にかかわる人の交流会」に行ってきました。

『このミス』出身作家である佐藤青南さんが主宰しておられる交流会です。ふだんは横浜のほうでやってるんですが、今回は博多での開催で、私も参加することができました。
私も一応『このミス』出身者なので、佐藤青南さんをはじめとして『このミス』の先輩方に直接お会いできたのは収穫でしたね。

この日のために、名刺も作りました。



このデザインは名刺印刷業者のテンプレから選んだんですが、黒地に白抜き文字というのは結構インパクトがあったと思います。殺人が起こりそうな不穏な感じもなかなかいいんじゃないでしょうか。
このミス関係の方の他にも、著名な作家の方、ライトノベルの賞を受賞してこれから本を出すという方もいらっしゃいました。さらには、漫画家の方、書店員の方もいて、なかなか幅の広い顔ぶれとなっていました。

こういう形で人の輪を広げられるイベントは貴重ですね。
私も、作家として今後積極的に活動していこうという、よい刺激になりました。

ロシアW杯終了

2018-07-16 16:23:54 | スポーツ
ロシアで行われていたワールドカップが終了しました。

優勝したのは、フランス。

決勝戦の終盤、ちょっとクロアチアは疲弊していたようにも思えましたが……しかし、やはりフランスが強かったということでしょう。
3位決定戦ではベルギーが得意のカウンター攻撃でイングランドを撃破してましたが、あの驚異的な破壊力をもつベルギーを倒せたのも、フランスだったからこそということなんじゃないでしょうか。
フランスは、それ以前にもウルグアイ、アルゼンチンという南米の強豪国を倒して勝ち上がってきたわけですから、文句なしに王者と呼んでいいでしょう。

私はそんなにサッカーに詳しいわけじゃないんですが、ワールドカップやユーロは結構見てます。
夜型の生活をしているため、ユーロはふつうに見られるんですね。前回の大会は地上波でほとんどやっていなかったので見てないんですが……
今回のワールドカップは、夜型の人間にとっては非常に見やすい時間帯になっていたので、決勝トーナメントの試合はずいぶん見てます。

素人なりに思うのは、勝つためにはリスクをとらなきゃいけないということですね。

たとえカットされるリスクがあっても、きわどいところを狙ってパスを入れていく。失敗することがあったとしても、成功する可能性に賭けてリスクをとる。強いチームはどこもそうしていたように思います。

“リスクをとらないのは最大のリスク”というのは、ドラッカーの言葉だったでしょうか。

10年ぐらい前のW杯での日本の試合を見ていて、私は常々そう思っていました。
パスをずっと回していて、なかなか仕掛けていかない。仕掛けるとしても、サイドのほうで上がっていってクロスを入れるというオーソドックスなパターンの繰り返しで、変化がないから簡単に跳ね返される……そんな感じだったように思います。失敗をおそれてリスクをとらないから、結局点をとることもできないという……

そこからすると、今回の大会では日本も見せ場を作りました。

前回大会ではまったくいいところがありませんでしたが、今回は、それなりの結果を残せたと思います。
やっぱり、日本のサッカーもだんだん向上していっているということなんでしょう。
これから2、3回のワールドカップで、決勝トーナメントの初戦を突破できるときもやってくるんじゃないでしょうか。

西日本豪雨

2018-07-14 15:02:38 | 時事
先日の豪雨は、西日本のあちこちに大きな爪痕を残しました。

私の住んでいる福岡県南部でも、かなりの雨量がありました。


近くの側溝やため池の水位がかつて見たことがないぐらい上昇していましたね。
広範囲にわたって、避難勧告が出されてもいました。

我が家の近所ではそれほどの被害はなかったようですが、少し東の方に行くと、昨年の豪雨で被害を受けた地域があり、そちらのほうはちょっと心配です。

気になるのは、年々こうした豪雨の被害が大きくなってきてるんじゃないかということです。
気候変動の影響でしょうが、日本の6、7月は、もはや“梅雨”ではなく“雨季”になりつつあるんじゃないかとも思えます。穏やかな湿気の季節ではなく、南アジアの荒々しい気候に近づいてきているんじゃないか……近年の日本の気候をみていると、そんなことも感じてしまいます。


もう一、つ今回の豪雨で問題なのは、政府の対応ですね。

豪雨が深刻さを増しつつある中で宴会をやっていたという……

緊張感や危機意識の欠如が露わで、さすがにこれを擁護できる人はそうそういないでしょう。

この国の制度的な部分は、もう相当に劣化し、腐蝕しつつあるんじゃないか。
そんな感想も持ちました。

九州国立博物館「ビュールレ・コレクション 至上の印象派展」に行ってきました

2018-07-11 23:50:37 | 日記
九州国立博物館で行われている、ビュールレ・コレクション展にいってきました。

印象派を中心とする絵画を集めたコレクションで、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、ドガ……といった巨匠たちの作品が含まれています。

そんなものにお前は興味があるのかといわれるかもしれませんが……音楽と絵画は結構リンクしてる部分があったりもするんです。
脳の内部でも、音楽をメインに扱う部分と絵画のそれとは近い領域にあるらしく、60年代ごろのロックミュージシャンにはアートスクールに通って絵を描いてたという人が結構たくさんいます。
日本でいうと、忌野清志郎なんか高校時代に油絵をやってました。RCサクセションに「君を呼んだのに」という歌がありますが、あれはゴッホのことを歌ってるんだそうです。

また、19世紀の絵画で起きた動きは、ロックにつながっていく音楽の世界での動きともリンクしていると私は思ってます。
以前音楽に関する記事で書きましたが、19世紀ぐらいから「権威にとらわれない新しいムーブメント」が芸術のあらゆる分野で起きていて、絵画の世界では自然主義や印象派がそれにあたるというのが私の見方です。

印象派は、出てきた当初はその斬新さゆえに画壇に相手にされなかったわけですが、そこで彼らは自分たちのグループを作り、旧来の権威とは一線を画した自分たちの展覧会、“印象派展”を開きます。まさに、パンクやハードコアのバンドが自分のレーベルを作るということと相似形だと思うんです。アートにおける中央集権の否定ですね。セザンヌなんかは、何度落選してもサロン展に応募し続け、審査員のほうが間違っていることをはっきりさせてやるといっていたそうですが、これこそまさにロックですね。

で、印象派の代表格と目すべきルノワールです。

今回の展覧会では彼の「イレーヌ」の絵が撮影可能となっていたので、撮影してきました。



印象派の絵は、もう一目見てそれまでの絵と明らかに違う感じがしますが、ルノワールは一気にそこまでいきません。
それまでの絵画の伝統を踏襲しつつ、印象派的な要素をそこに付け足します。
つまり、王道路線にちょっとだけ実験性を持ち込む、というやり方なんですね。

そしてそれは……
そう、まさにロックの世界においてビートルズがやったことなんです。

“王道にちょっとだけ実験的な要素を取り入れる”というのは、実に強いんです。その配合が絶妙であったがゆえに、ビートルズは単に“大ヒットしたバンド”ではなく、ロック史上に足跡を残すバンドになれたのです。
ビートルズは、実験的な要素の割合を次第に大きくしていき、従来のロックとそれ以降のロックの架け橋となり、ロックの流れそのものに大きな影響を与えました。
シーンが大きく動く時には、そういう存在がいるんだと思います。
そして、ルノワールこそが絵画界のビートルズだったんではないか……
今回ビュールレ・コレクションを見て、私はそんなことを考えました。

ちなみに、記事トップの画像はモネの「睡蓮の池、緑の反映」です。
これも撮影可だったので、撮ってきました。写真がボケてますが、このボケ具合はなかなか印象派っぽさをブーストしてていいなじゃないかと思います。

『エスパー魔美』

2018-07-09 16:09:59 | アニメ
今回は、アニメ記事です。

前に『笑ゥせぇるすまん』について何度か書きましたが……そこからのつながりで、今回は『エスパー魔美』という作品について書きたいと思います。

『エスパー魔美』……
原作は、藤子・F・不二雄先生。つまり、藤子不二雄つながりです。

そしてもう一つ、アニメの『エスパー魔美』と『笑ゥせぇるすまん』には共通点があります。

それはなにかというと……音楽を田中公平さんが手掛けているということですね。
以前も書きましたが、田中公平さんはアニメ音楽の世界における巨匠で、じつにさまざまなアニメに音楽を提供しています。『エスパー魔美』も、その一つなのです。


『エスパー魔美』は、主人公の佐倉魔美が、あるときふと超能力に目覚め、その力でさまざまな事件を解決する……という筋立ての物語です。
おそらく、F先生の代表作の一つといっていいでしょう。
もちろん、作品としては『ドラえもん』ほどのポピュラリティをもってはいません。しかしこの作品には、F先生の集大成のようなところがあると私は個人的に思ってます。

それは一つには、F先生がたびたび扱ってきた“力と正義”というテーマがあることですね。

力を持つものは、その力をどう使うべきなのか、という……。

「ウルトラスーパーデラックスマン」などのいわゆるSF短編では、このテーマはシニカルに描かれることが多く、人間が強大な力をもつと不幸な結果になる、というような話が多いんですが、『エスパー魔美』では、そういうふうにはなっていません。魔美はエスパーとして強大な力を持っていますが、高畑君という、とても中学生とは思えない良識的な人物に支えられ、それを人助けのために使うのです。そこには、F先生がSF短編でみせる醒めた視線とはまるで正反対の、ある種の楽観のようなものがあります。F先生の晩年の作品では、この『エスパー魔美』や『チンプイ』のように女子を主人公とするものがありますが、ひょっとすると、そういう変化も関係があるのかもしれません。

そして、この作品は一話ごとにドラマがあります。

いろいろ悪事をはたらく人も出てきますが、単純に悪人をやっつけて終わりという話にはなりません。
悪人にもなにかそれなりの事情があって、魔美や高畑君の献身的な働きかけによって、それまでの行いを悔い改めます。
『エスパー魔美』は80年代後半に放映されていたアニメですが、このあたりは時代を感じますね。
今のアニメはあまりそういう描き方はしないんじゃないかと思います。私見では、90年代ぐらいから、「悪は悪であり、更生することはなく、排除するしかない」という考え方が優勢になってきたと思うんですが、80年代ぐらいにはそうじゃなかったような気がします。そういう意味では、このブログでよくいう「今の時代にこそみてほしい」的なアニメなんですが……
しかし、このアニメ、いまの時代に放映するにはなかなか厳しいものがあります。
ここも時代の変化を感じるところですが……ローティーンの女の子がフルヌードで出てきたりする場面が結構頻繁にあって、「絵のモデル」という理由が一応あるにせよ、現在の基準に照らすとちょっと問題があるということになるでしょう。

こういう変化はどうなんだろうな、ということも考えさせられます。

80年代ぐらいのアニメにはそういう描写はふつうにあったと思うんですが、今ではちょっと難しいですね。
倫理基準がだんだん厳しくなってさまざまな“配慮”が求められるようになった結果であり、そのこと自体は結構なことかもしれません。
しかしそれが、社会の不寛容や、いわゆる“つるし上げ”と表裏一体になっているようにも思えます。そしてその厳しさは、先述した、悪を悪として切り捨てる考え方と深いところでつながっているんじゃないか。糾弾することばかりに性急で、“あそび”の部分がないというか……『エスパー魔美』というアニメを今見ると、この三十年ほどの間に社会が失ってきたものを感じさせられるような気がするのです。