ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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Radiohead - Fake Plastic Trees

2024-09-24 23:03:29 | 音楽批評


レディオヘッドが再始動にむけて動いているといいます。

オアシス再結成に触発されてということなのか……それはわかりませんが、ひさびさに新譜を発表するのではないかという噂がささやかれています。
ちょうど、最近このブログでは90年代UKロックの話をしていたところでもあるので、今回のテーマはレディオヘッドです。


レディオヘッドは、ポスト―ブリットポップのバンドともみなされる、という話を以前書きました。
その心は、ブリットポップ最盛期にはそれほどヒットせず、ブリットポップが終息したころになって頭角をあらわしはじめた、ということだったんですが……その基準でいうと、レディオヘッドは微妙なところかもしれません。デビューしたての90年代前半も、鳴かず飛ばずというわけではなく、むしろそこそこ売れていたといっていいでしょう。わけても、初期の代表曲Creepは、90年代のロックを代表する一曲といってもいいんじゃないでしょうか。

Radiohead - Creep

これはまさに、神曲です。
それは、間違いない。
しかし、この大ヒットがその後のレディオヘッドにとって、一つの足かせとなった側面は否めないようです。
セカンドアルバムを出すまでに2年の時間がかかったのも、その表れでしょう。
そこは、あるいはストーンローゼズに擬せられるかもしれません。
望外のヒットを放った第一作(といっても、レディオヘッドの場合それ以前にEP盤を出しているとか、評価されたのはほぼCREEP一曲だけ、とかいう保留がつきますが)の後の第二作は、デビュー作以上に難しくなります。へたなものを出せば、ストーンローゼズがそうだったように、一気にバンドが終焉となりかねません。
奇しくも、セカンドアルバムのプロデュースを手掛けたジョン・レッキーは、まさにローゼズのファーストアルバムを大成功に導き、セカンドアルバムが大失敗に終わる一因となった人物です。
果たしてレディオヘッドはどうなるのか、一発屋で終わってしまうのか……というところでしたが、結果からいえば、彼らの場合は、そのハードルをクリアすることができました。
セカンドアルバム『ベンズ』は商業的にもまずまずの成功をおさめ、バンドは活動を継続していきます。
そして、そのなかで方向性を模索しながら、レディオヘッドは次第に難解系ロックのほうへ向かっていくことになりました。順を追って聞いていくと、少しずつ変化しているのがわかりますが、ファーストアルバムとたとえば6thアルバムHail to the Thief を聞き比べてみたら、とても同じバンドとは思えないぐらいに変化しているのです。
この点、レディオヘッドは変化に成功したバンドといえるでしょう。
その軌跡は、ビートルズに重なるようでもあります。
デビュー初期のころからみせていたトム・ヨークの厭世的傾向は、難解系ロックとして昇華していきました。
内省的な部分をより深化させていくことによって、レディオヘッドはブリットポップの枠組みを超越することができたのではないでしょうか。


トム・ヨークの名は、正式にはトム・e・ヨークという表記になっています。
これは、e.e.カミングスという詩人にならったのもですが、イニシャル部分が小文字になっているのは、近代文明において個人が匿名化されている、個人の存在が小さいものにされてしまっている、という問題意識によるものとされています。
この問題意識は、音楽性を大幅に変化させつつも、トム・ヨークがずっと持ち続けているものでしょう。
そして、こうした問題意識こそが、レディオヘッドを特別なバンドにしているのです。前にも書きましたが、どこか能天気なブリットポップにはそういう部分が欠けていたのだと思われます。

ここで一つ注釈をつけておくと、能天気なポップロックというのは、決して悪くないのです。それがロックンロールというものの原点であり、ロックが発展してこじらせていくと、やがてその原点に戻るリバイバル運動が起きる……ブリットポップも、その一つとみなせるかもしれません。しかしやはり、能天気なだけの音楽だとみんな次第に飽きてくるので、そういったムーブメントは数年で終わり、また難解な方向へ発展していく……それを繰り返してきたのが、ロックの歴史じゃないでしょうか。
しかし、そういった振り子運動の中でも、貫かれるものがある。それが、私のいうロックンロールのグレートスピリットなのです。
レディオヘッドは、まさにその継承者でした。彼らがつねに社会にむけた視線をもって活動してきたのは、その表れといえるでしょう。そうであるがゆえに、一過性のブームに引きずられて消えてしまいはしなかったのです。
レディオヘッドのバンド名はトーキングヘッズの曲名からとられているわけですが、そのトーキングヘッズから、ジョナサン・リッチマン、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンド……というふうに影響の系譜を遡っていくこともできるでしょう。そこに並ぶ名前からも、レディオヘッドが真にリアルなロックンロールの直系であることがわかるのです。


ここで、先述のセカンドアルバム『ベンズ』について。
今回、レディオヘッドについて書こうということで、ひさびさに聴いてみたんですが……これが、実にいい。
世間的には、たぶん次作『OKコンピューター』あたりからレディオヘッドは“化けた”という認識になっていると思うんですが、実験性とポップス性のバランスということでは、『ベンズ』は結構いい塩梅になっているように私には感じられます。ビートルズでいえば、『ラバーソウル』ぐらいの……

『ベンズ』というタイトルは、“潜函症”のこと。
深いところにもぐっていたダイバーが急に水面近くに浮上すると、強い水圧で抑えられていた血管が膨張して身体に異常をきたすという症状です。
Creepのヒットで急に日の当たる場所に出たトムの当惑を表現しているともとれるでしょう。あるいは、潜在的な抑圧状態におかれた近代人のあり方というふうにもとれるかもしれません。いずれにせよ、能天気なだけのポップロックとは一線を画しているのです。

このアルバムの最後に収録されている曲が、Street Spirit(Fade Out)です。
(※ただし、日本盤ではその後にボーナストラックがあります)

Radiohead - Street Spirit (Fade Out)
 
この曲を、ピーター・ガブリエルがカバーしたという話を以前書きました。
ピーター・ガブリエルといえば、彼もまた、グレートスピリッツを高い純度で継承するアーティストの一人です。そんなピーターが、「魂を愛に浸せ」と歌われるこの歌をカバー曲集のしめくくりにもってきたというのは、やはり特別な意味合いがあったんじゃないでしょうか。

で、最後に、アルバム『ベンズ』のハイライトともいえる曲Fake Plastic Treesの動画を。トム・ヨークは村上春樹作品の愛読者としても知られますが、まさに村上春樹チックな世界観が美しく哀切に歌われます。

Radiohead - Fake Plastic Trees



DEEP PURPLE, "Burn"

2024-09-17 22:24:20 | 音楽批評


先日、クーラ・シェイカーの記事でHushという曲が出てきました。
これがディープ・パープルのデビュー曲でもあったということなんですが……ふと、そういえばこのブログでディープ・パープルについて書いたことがなかったなということに気がつきました。
だいたいこのブログの音楽記事ではロック史上に名を残した超大物アーティストをとりあげていて、主要なところはかなり抑えてるんじゃないかと思ってたんですが……意外にも、ディープ・パープルについての記事を書いたことは(
おそらく)なかったのです。
ディープ・パープルといえば、今年はいろいろと話題もありました。ということで、この機に記事を一つ書いておこうかと思います。


今さら説明するまでもないでしょうが、ディープ・パープルは英国のハードロックバンド。
1960年代に活動を開始した当初はオルガン主体のサイケデリック系ロックをやっていたのが、やがてハードロック路線に転向。ロックがその後細分化していくなかで、ハードロックというジャンルを確立するのに貢献したバンドの一つといえるでしょう。それから半世紀上にわたって、断続的ながら活動してきたレジェンドです。


今年の話題といえば、新譜の発表というのが挙げられるでしょう。
『=1』というアルバムを発表しています。
その中の一曲 Lazy Sod です。

Deep Purple - Lazy Sod (Official Music Video) | '=1' OUT NOW!

あらためて調べてみると、3年ぶりのニューアルバムとのこと。
3年前にも出してたんだ……というのが正直な感想です。ファンの方には失礼ながら、もはや新作を出してもあまり注目されない状態になっていることは否定できないでしょう。
ただ、今回は、新ギタリストにサイモン・マクブライドを迎えての最初のアルバムということで、いくらか注目されているようでもあります。
先代ギタリストのスティーヴ・モーズ、私は嫌いじゃないんですが、まあちょっとバンドとして惰性でやってるような感じになってた部分は否めないのかな、と……そこに、平均年齢からすれば若手といえるギタリストを迎えたことで、また新陳代謝も期待できるんじゃないでしょうか。


さらに、今年はもう一つ大きな話題として、イエスとの対バンツアーというのもありました。
イエスといえば、かつてフェスのトリの座をめぐってもめた挙句に機材爆破事件を起こしたという因縁もありますが……それも、今ではよき思い出といったところでしょうか。


しかしながら……どうも、ディープ・パープルのこうした活動はいまひとつぱっとしない気もします。

メンバー的には、決して悪くありません。
現在の第10期(!)ラインナップは、初期メンこそイアン・ペイス一人しか残っていませんが、イアン・ギランとロジャー・グローヴァーがいて、メンバーの半分以上は、全盛期といってよいであろう第二期のメンツをそろえています。
にもかかわらず、高揚感に欠けるというか……「あのディープ・パープルが新譜を! イエスと対バンを!」というふうになかなかなってこないのです。
それは、看板をはれるスターの不在というところでしょう。
歴代メンバーのなかでその筆頭にあげられるのは、もちろんリッチー・ブラックモアですが、ほかにあるいはグレン・ヒューズであるとか、デヴィッド・カヴァデイル、いればそれなりに重みをもったであろうジョン・ロードとか……ジョン・ロードはすでに世を去り、グレン・ヒューズはディープ・パープルに絶縁状を叩きつけているということがあるわけですが、リッチー・ブラックモアはどうなのか、と。リッチー・ブラックモアが参加してのツアーということになれば、もっと大きく盛り上がってたと思うんですが……
この点に関しては、ブラックモア自身はディープ・パープルでもう一度やりたいという気持ちはあるといいます。
しかし、十数年前にグレン・ヒューズら第三期メンバーがブラックモアに復帰の話をもちかけようとしたものの、連絡がとれずに頓挫したとか……結局、やる気があるのかないのか、どうもはっきりしないのです。そのヒューズも、現行ディープ・パープルのメンバー、特にイアン・ギランとはかなり仲が悪いらしく、先述したように絶縁状態にあります。こんなふうにメンバー同士が仲が悪いのも、それはそれでロックかもしれませんが……しかし、あのガンズ&ローゼズでオリジナルラインナップが復活し、今またオアシス再結成ということがあるわけですから、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルに復帰するぐらいのことはあってもおかしくないんじゃないかと。
残された時間は、決して多くはありません。ディープ・パープルというバンドが、最後にもう一度伝説を作るか……注視したいと思います。

……せっかくなので、ついでに動画をいくつか。

フリートウッド・マックのカバー Oh Well。

DEEP PURPLE "Oh Well”


代表曲といえば、これでしょう。
Smoke on the Water。

Deep Purple - Smoke on the Water (from Come Hell or High Water)


ローリング・ストーンズのカバー、「黒く塗れ!」。

Deep Purple - Paint It Black (from Come Hell or High Water)


クーラ・シェイカーもカバーしたデビュー曲 Hush。

この動画は、ジョン・ロードのトリビュート・イベントでの演奏。
ディープ・パープル・ファミリーとしてイアン・ペイス、ドン・エイリーが参加し、アイアンメイデンのブルース・ディキンソン、モーターヘッドのフィル・キャンベル、イエスのリック・ウェイクマンなど豪華なミュージシャンをゲストに迎えています。

DEEP PURPLE "Hush" (HD official) from "Celebrating Jon Lord"

リック・ウェイクマンを意識してか、途中でイエスのRoundabout を忍ばせるという遊び心をみせます。爆破事件の因縁がここでも……というところです。


そして最後に、同じイベントからBurn。
これも、Smoke on the Water と並ぶ代表曲でしょう。ウェイクマンやディキンソンは引き続き参加。さらにここでは、グレン・ヒューズも登場します。

Celebrating Jon Lord - The Rock Legend "Burn"



9.11とブリットポップ

2024-09-11 22:33:42 | 日記

今日は、9月11日です。

2001年、アメリカ同時多発テロが起きた日ということで、このブログでは毎年その関連記事を書いてきました。

で、今年はどういうテーマで書こうかと考えていたんですが……最近このブログでは、オアシス再結成ということで直近の記事でブリットポップの話をしてました。そこからのつながりで、ブリットポップ系アーティストと9.11以降のアメリカとの関係ということで書いてみようかと思います。大西洋を隔ててはいるものの、英米の文化的つながりは深く、同時多発テロ以降戦争へむかっていくアメリカに対して意見を表明したアーティストの中には、英国の人たちも多く含まれているのです。


まず思い出されるのは、ブラーです。

ブラーといえば、ブリットポップのはじまりと終わりにいるバンド。

ライバルであるオアシスとともにブリットポップの勃興をけん引したバンドであり、リーダーのデーモン・アルバーンは、「ブリットポップは死んだ」という言葉でムーブメントに引導を渡した人物でもあるのです。

そのデーモン・アルバーンは、9.11以後、戦争へ突き進んでいくアメリカに異を唱えました。
Massive Attack の3Dとともにイラク反戦活動にかかわったことはよく知られています。
マッシヴアタックは、9.11後にグループ名を一時「マッシヴ」に変えられたという話をこのブログでいつか書きました。attack という言葉がよくないからということでそうなったわけですが、attack という言葉がよくないといいながら他国を攻撃するというのは大きな矛盾であるようにも思え……まあ、そういうこともあってか、21世紀のアメリカの戦争を批判しており、デーモン・アルバーンもそこに合流したのでした。

イラク戦争が始まった2003年、ブラーは名盤と名高いアルバム『シンクタンク』を発表。

アルバムジャケットに使われたのは、バンクシーのグラフィティです。
バンクシーの正体はマッシヴアタックの3Dじゃないかという噂がささやかれたこともありましたが……その真偽がどうあれ、まさにバンクシーのアートワークにふさわしく、この作品は戦争に突き進んでいく世界へ抵抗の意思を示すものでした。

そういうメッセージをもっとも色濃く示す曲が、Out of Time。
この曲のMVは、戦場へ向かう兵士たちを描いていました。2016年、ブラーの中心人物であるデーモン・アルバーンがシリアのミュージシャンたちとともにこの曲を演奏した動画があります。

Damon Albarn - Out of Time (feat. The Orchestra of Syrian Musicians)

以下、歌詞の一部を抜粋しましょう。

  僕らを自由にしてくれる
  愛の歌はどこにあるんだ
  あまりにも多くの人が倒れ伏し
  何もかもが間違った方向へ進んでいく

  愛がどうあるものなのか僕にはわからない
  けれど、もし今僕らが夢見ることをやめたなら
  決して暗雲を抜け出すことはできないだろう



もう一つ、ブリットポップ系に含まれる大物バンドとして、Radioheadについて。
ブラーの『シンクタンク』と同じ2003年、レディオヘッドは Hail to the Thief というアルバムを発表しました。
アメリカで大統領が登場するときなどに使われる曲 Hail to the Chief をもじってthief(泥棒)という言葉を使ったこのタイトルは、当時のブッシュJr.米大統領にむけられたものともいわれます。
このアルバムに「2+2=5」という曲が収録されていますが、これはジョージ・オーウェルの『1984年』から引用したもの。

Radiohead - 2 + 2 = 5

レディオヘッドの中心人物であるトム・ヨークは、社会的な活動でもよく知られます。
あのDo They Know It's Christmas? の21世紀バージョンに参加しているというのが、もっとも典型的な例でしょうか。米大統領選挙についても、トランプ候補をこきおろしたりしていて、実に痛快なのです。


やっぱり、ロックというのはそういう部分が大事なんじゃないかと。

前回のクーラ・シェイカーの記事で書いたことともつながりますが、こういう外の世界への視点みたいなものを持っているから、ブラーやレディオヘッドといったバンドはブリットポップという一時的なブームの終焉に引きずられることなく活動し続けられたんじゃないか……そんなことを思いました。そしてそれこそが、一過性のブームを超越した、普遍的なロックのグレートスピリットなんじゃないでしょうか。


 

Kula Shaker - Rational Man

2024-09-04 21:36:28 | 音楽批評


前回記事で、オアシスについて書きました。

オアシス再結成の余波は、まだ業界をざわつかせているようですが……ブリットポップ系のバンドの再結成ということで、ふと、Kula Shaker というバンドのことを思い出しました。
そんなわけで、今回のテーマはクーラ・シェイカーです。


細かく区分すると、クーラ・シェイカーはポスト―ブリットポップというふうに分類されることもあるようです。

前回書いたように、オアシスのBe Here Now がバブル崩壊の引き金になったということで、90年代後半にブリットポップは失速。そして、それ以降に台頭してきたアーティストをポスト―ブリットポップと呼んで区別する見方もあります。
このへんの線引きは難しいところですが……たとえばトラヴィスやキーンといったバンドがそこに含まれます。また、もっと前からやってはいたけれど、ブリットポップ全盛のころにはそこまでヒットせず、90年代後半ぐらいから頭角を現してきたバンド……ということで、レディオヘッドやヴァーヴを含めたりもするんだとか。
レディオヘッドということで考えると、内省的な側面というか、ちょっと深いことをいう、難解なロックという部分に焦点があたっているのかなとも思えます。そういうところが、ブリットポップには欠けていたんじゃないか、逆にブラーなんかは、そういうところがもともとあったから、ブリットポップが停滞していっても凋落せずに活動を続けることができたんじゃないか……そんなことも考えます。

で、このポスト―ブリットポップ期を代表するバンドの一つが、クーラ・シェイカーです。

非常に個性的なバンドであり、曲によっては、これはブリットポップに含まれるのかと思わされるものもあり、一歩間違えればキワモノ扱いされかねない部分もあるんですが……世の中には、このクーラ・シェイカーこそがセカンド・サマー・オブ・ラブの直系であると評する人もいます。
たしかに、そうかもしれません。そしてそうだとするならば、はるか60年代のサマー・オブ・ラブにまで連なる、ロックンロールの本流に位置しているともいえるのではないでしょうか。

それを象徴する一曲が、Hush。

Kula Shaker - Hush (Official UK video)

60年代に発表された曲のカバーです。
そのあたりに詳しい人ならご存じのとおり、あのディープ・パープルのデビュー曲でもあります。初期のディープ・パープルはオルガン主体のサイケデリックバンドで、この曲をカバーしてデビュー……というふうに、ロック史において重要な一曲なのです。



クーラ・シェイカーといえば、その特徴としてよく指摘されるのは、ジミヘンの影響を色濃く感じさせるギター、そして、なんといってもインド神話の影響を強く受けた世界観、そこからくる濃厚なサイケデリック臭……ということになるでしょう。

たとえば、Govindaという曲があります。

Kula Shaker - Govinda

ジョージ・ハリスンに同タイトルの曲があります。カバーではありませんが、同じインドの神様を基にしているということです。ハリスンのGovindaは、かの浅川マキがカバーしていたりもします。そういう目のつけどころが、クーラ・シェイカーはやはり凡百のバンドと一線を画しているのです。



厳密にいえば、クーラ・シェイカーが出てきたのはブリットポップの末期であり、デビューアルバム『K』は、ブリットポップの波に乗って大ヒットしたとも評されます。そして、セカンドアルバムはそれほどの成績をあげられず、99年にバンドは解散……そう考えると、失速したブリットポップの側のバンドなのではないかとも思えます。
キーボードのジェイ・ダーリントンがオアシスのサポートをやっていたりもして、そういうところからも、前期ブリットポップの側のバンドとみなされるかもしれません。

しかし、クーラ・シェイカーは2005年に再結成しています。

オアシスが再結成に15年かかったのとは対照的です。
そこは単純にかかった時間で測れるものでもないでしょうが……あるいは、クーラ・シェイカーの場合、ブリットポップ失速の影響を受けはしたけれど、それほどのダメージは受けていなかったんじゃないかと。
比較対象として、同じぐらいの時期にデビューして大ヒットし、同じような経緯で解散したエラスティカというバンドがあるんですが、そちらのほうは今にいたるまで再結成していません。両者を比べてみると、そこには何か差があるとも思えます。
その差がなにかと考えたら、それはやはり、クーラ・シェイカーというバンドに一過性のブームではない何かがあったということなんでしょう。60年代のサマー・オブ・ラブにまでさかのぼるロックンロールの歴史を踏まえているというか……このブログでは、ロックンロールのグレートスピリッツということをよくいってますが、まさにそこに接続しているということです。

再結成バンドは、ライブはやるけど新譜は出さないというようになることもよくありますが、クーラ・シェイカーは再結成以来新譜も発表してきました。
今年も、新作を発表しています。
そのなかの一曲、Rational Man の動画を。

Kula Shaker - Rational Man (Official Visualiser)

この曲が収録されているのは、アルバムではなく両A面のシングルで、タイトルはPEACE WHEEL。そのタイトルが示すとおり、平和をテーマにしています。まさに、ラブ&ピースということであり、それがロックンロールのグレートスピリッツということなのです。そういう普遍的なテーマを根底に据えているからこそ、クーラ・シェイカーは一時のブームで消え去ることなく活動し続けているんじゃないでしょうか。