ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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横溝正史「幻の女」

2018-03-31 22:00:50 | 小説
 

横溝正史の「幻の女」という作品を読みました。

横溝といえば、最近“新刊”が出て話題になってますね。
ミステリー書き、特に、本格ミステリーを書く人にとっては、レジェンド的な存在。私も、横溝作品には強く影響を受けている自覚があります。

さて、横溝正史といえば金田一が有名ですが……「幻の女」は金田一シリーズではありません。

横溝作品は、由利麟太郎という探偵役もいて、これが“由利先生”シリーズという金田一とは別のシリーズになっています。「幻の女」は、この由利先生シリーズの一作なのです。

金田一ももちろんいいんですが、私は由利先生も捨てがたいと思っています。

由利先生シリーズは主に戦前に書かれていて、話の舞台はもちろん戦前。
時代風俗や社会制度がかなり違うので、金田一シリーズとはまた違った意味で異界感があります。そこで展開される横溝ワールドがたまらないんですね。一説には、こういう草双紙趣味はその当時でも古臭いものであり、あえてそういう趣向を用いたのは、帝国化する日本に対する横溝のささやかな抵抗だったともいいますが……

ともあれ、そうした草双紙趣味は、「幻の女」でも顕著でした。

筋立てとかトリックのことを考えると、僭越ながらちょっと雑だなという部分も多々あるのですが……しかしやはり、東京を“帝都”と表現したり、“子爵”が出てきたりするところがいいわけです。

そして、この作品はヒロインがじつに素晴らしい。

あまり詳しいことを書くとネタバレになるので控えますが……このヒロインを作り出したのは、さすが横溝御大です。
猟奇殺人、忍び寄る怪しい影、そして魅力的なヒロイン、活劇……やはり、エンタメとはこうありたいものです。

Sex Pistols, Liar

2018-03-30 22:18:00 | 音楽批評
今回は、音楽記事です。

前回はグリーンデイを取り上げましたが、その流れで、パンク路線でいきましょう。うすぼんやりとした霧がかかったようなこの国にいま必要なのは、とりあえずぶっ壊すエネルギーのような気がするのです。

紹介するのは、SEX PISTOLS。
パンクの先駆者として誰でも知っているバンドですね。ピストルズがパンクの元祖といえるかどうかは微妙なところかもしれませんが、今回はその破壊力、インパクトを借りたいと思います。

 

曲は、Liar
“嘘つき”ということですね。ここでも、前回の記事の流れを引き継いでいるわけです。

例によって、歌詞を抜粋して紹介しましょう。


  嘘、嘘、嘘、嘘、嘘
  お前は嘘をついてばかり
  なぜか教えてくれよ 
  どうしてお前は嘘をつかずにいられないんだい

  お前は疑惑の渦中
  お前は嘘つき

  エゴを満たすために信用をめちゃくちゃにして
  俺の知ってることをわかってるべきだったんだ

  お前の行く場所も お前の仲間もわかってる
  お前のいうことなすこと全部俺にはわかってんだ
  だから お前が嘘をつくときは
  いつだって邪魔してやるよ
  俺はばかじゃない
  すべてわかってるのさ
  

やっぱり、これぐらいの姿勢でいかないと、いまの日本の気持ち悪い状況は突破できないんじゃないかと思います。
そんな見え見えの嘘にだまされるかよ、と……スカッと一刀両断してしまいたいもんです。

山本周五郎「わたくしです物語」…佐川前理財局長証人喚問に思う

2018-03-28 18:38:34 | 小説
昨日、佐川前理財局長の証人喚問が行われました。

それを中継で見ることはできなかったのですが、夜になって、テレビのニュースで断片的に映像をみました。

その様子を見ていて、山本周五郎の「わたくしです物語」という短編を思い出しました。

城内で起きるさまざまな不祥事を、ぜんぶ自分がやったことにして罪を背負う男の物語です。
たとえば高価な壺が割れたとか、大金がなくなったとか……そういう事件が起きると、私がやりましたといって名乗りでるのです。

本当にやったのは、角下勝太とか、沢駒太郎とかいう連中です。角下勝太は、「かくした・かつた」=「隠したかった」であり、沢駒太郎は「さわ・こまたろう」=「さあ困った」というような言葉遊びになっています。なかには、安倍幸兵衛(「あべ・こうべえ」=あべこべ)という人物も出てきます。

もう少し卑近な例でいうと、小林よしのり氏の漫画『おぼっちゃまくん』に出てくる名乗出升雄みたいなものですかね。
「名乗出升雄」と書いて「なのりでますお」。
ネーミングセンスは「わたくしです物語」に通ずるものがありますね。

名乗出升雄は“お助け軍団”の一人で、主人公の御坊茶魔がなにか粗相をすると、「私です」と名乗り出るのです。どんなにあきらかな状況であろうと関係なく、主人である茶魔がとがめられないように「私がやったのです」と名乗り出ます。

うろ覚えですが、その名乗出升雄の罪を肩代わりしようとする姿勢に心を打たれた茶魔が、みずから過ちを認める……というようなエピソードを読んだ気がします。

そんなふうになってくれないもんですかね。
まあ、現実は漫画のようにはいかないかな……

文書改ざんの背後には……

2018-03-27 17:26:52 | 時事
国会で、佐川前理財局長の証人喚問が行われました。

【速報】佐川氏「忖度は個々の内面の話、私は言えない」(朝日新聞デジタル)



肝心な部分では証言を拒否するなどして、あまり実りはなかったようですね。まあ、想定されたことではありますが……

巷では、文書の“書き換え”なんて大した問題じゃないという人もいるようですが……繰り返しいってきたとおり、私にはそうは思えません。

この問題がたいしたことじゃないという人は、2つのことを見落としていると思います。

一つは、もしこの問題がうやむやにされたら、将来もっと頻繁に似たようなことが行われ、“書き換え”の範囲も拡大していくというおそれです。
「これやって大丈夫だったんだから、これも大丈夫だろう」といって、どんどん“書き換え”の領域が拡大していく……極端なことをいえば、経済に関する統計や、選挙の結果さえ信用できなくなるかもしれないのです。

二つ目は、将来の話ではなく、現にいま同じようなことがあちこちで起きているのではないかということ。
ハインリヒの法則にしたがえば、一件の改ざんの背後には、発覚していない30件ぐらいの改ざんがあり、さらにその背後には300件ぐらいのきわどいケースがあるかもしれません。
もっと卑近な例で考えると、「ゴキブリを一匹見かけたら、その家には30匹はゴキブリがいると思っていい」というやつですね。

最近、加計学園問題のほうでもいろいろな疑惑が取りざたされていますが、じつは加計に関しても、少なくなとも一件、文書の“書き換え”が明らかになった事例があります。

問題になったのは、2015年の6月に開催された政府の「国家戦略特区ワーキンググループ」という会合です。
この会合には加計側の幹部も同席していたのですが、公表された議事要旨にはその記載がありませんでした。また、公開するかどうかをめぐるやりとりで、実際の発言と議事要旨の内容に食い違いがあることもあきらかになっています。
この件も、野党は「改ざんではないか」と追及したのですが、「通常の扱いである」とか「内容を調整した」といった言い方でうやむやにされてしまいました。

冒頭の一部が“調整”されたぐらいは大したことじゃないのかもしれません。
しかし、それが一匹のゴキブリだとしたらどうでしょう?

今回、森友に関する文書改ざんもあきらかになったわけですが……ほかにも、自衛隊の日報問題や、厚生労働省の不適切なデータ問題もありました。もしかしたらその背後に何十倍もの、改ざん、隠蔽(そういう言い方が悪いのなら、“書き換え”や“内容の調整”、“データがあることをうっかり忘れていた例”と言い換えてもいいでしょう)が隠れているのではないか……そう考えるのは、決して飛躍した想像ではないでしょう。天井裏はゴキブリたちの王国になっているかもしれないのです。

以前このブログで「国が壊れる」と書きましたが、まさにそういうことなんです。
この状態を放置していたら、国家の土台がむしばまれていきます。とうてい、うやむやにしてしまっていい問題ではないんです。

スネ夫の境遇から脱するために

2018-03-25 19:03:09 | 時事
昨日、スネ夫の国にはなりたくないという記事を投稿しました。
今回は、そこで書いた鉄鋼輸入制限の話を延長し、もっと一般的な問題としてスネ夫的なあり方について考えてみたいと思います。

重要なことは、タテの主従関係ではなく、対等な関係を持つ、あるいは、少なくとも持とうとすることだと思うんです。

いまの日本の対米関係は、どうみても対等ではありません。
こちらの主張をほとんどまったくしない。
そして、そういう態度をとることが得かといえば、そうではないというのは昨日書いた通りです。

こちらの主張をせずに相手の言い分を飲んでばかりいると、相手はこちらのことを「都合のいい相手」とみなすようになり、どんどん無法な要求をしてくるようになるんです。
だから、時には衝突するのを承知でこちらの立場を主張しないといけません。
そうしてはじめて“駆け引き”の余地が生まれるでしょう。ときに面倒なことをいうからこそ、相手も「今回は折れてやるか」とか、「ここで貸しを作ると後で面倒だからな」みたいに思うわけです。むこうのいうことをほいほいそのまま受け入れるから、相手はなんの遠慮もしなくなるんです。これはもう、ジャイアンとスネ夫の関係にほかなりません。それが、今回の輸入制限問題にはっきりと表れています。

そして、やはり昨日の記事で書いたように、そのことは政府と国民の関係にも敷衍することができるでしょう。

国民が政府のやることに文句をいわずにほいほい受け入れていると、政府はどんどん無法なことを押し通すようになります。
これは、まさに今現在進行形で起きていることでしょう。
国民も、政府と“駆け引き”をしないといけないんです。そうしないと、一般国民の生活の領域が、どんどん浸食されていきます。主従関係でできている日本の政治体系を変えないと、世の中がますますおかしくなっていくでしょう。

結論として……有権者は、ときどき怒らないといけないんです。
たとえ支持する政権であろうと、おかしなことにはおかしいというべきです。そうしないと、政治家はどんどんやりたい放題になっていき、国民は際限のない隷属を強いられるようになっていくでしょう。