ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

Samson, Rinding with the Angels

2024-10-23 22:56:02 | 音楽批評


本ブログの前回記事で、Raven というバンドをとりあげました。

いわゆるニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)のバンド……そういう話が出てきたので、このブログではおなじみの流れで、NWOBHMの他のバンドについても、ちょっと書いてみようと思いました。

で、書いていたところ……たまたま、ポール・ディアノが死去したという訃報が入ってきました。

ポール・ディアノは、このブログにたびたび出てくるアイアン・メイデンで初期のボーカルをつとめていた人。
後に脱退してブルース・ディキンソンに交代するわけですが、そのディキンソンがメイデン加入の前にやっていたSamsonというバンドがあります。
ということで……今回とりあげるのは、そのSamsonです。


サムソンは、1976年にデビューしたヘヴィ・メタルバンド。
NWOBHMのなかでも、初期のほうから活動していたバンドといえるでしょう。

あまり知名度は高くないと思われますが、先述したようにブルース・ディキンソンがアイアン・メイデン加入前に在籍していたことで知らています。当時のディキンソンは、ブルース・ブルースという名前で活動していました。
その時期の曲、Riding with the Angelsを。

Riding with the Angels

一方、アイアン・メイデンが活動を開始したのもサムソンとほぼ同じころ。
しかし、メイデンのほうはバンド結成から作品を発表するまでに数年を要し、音楽業界での活動という点では、少しサムソンに出遅れました。
しかし、あるときイベントで共演したアイアン・メイデンのパフォーマンスに、“ブルース・ブルース”は大きな衝撃を受けたといいます。メイデンのステージが終わると観客の半分が帰宅してしまい、ディキンソンも考えるところがあったということです。
そのときに、このバンドで歌ってみたいというのがあって、後に実際にメイデンに加入するわけですが……このサムソンというバンドは、ディキンソン以外にもなぜかメイデンと人的つながりがいくつかあります。たとえば、ドラムのサンダースティック。覆面ドラマーとして知られる個性的なドラマーです。また、別のドラマーでクライヴ・バーという人がいて、この人もメイデンにいたことがあります。中心人物であるポール・サムソンも、メイデンへの加入を打診されたことがあるんだとか。

といったふうに、アイアン・メイデンとサムソンは浅からぬつながりがあるわけですが……その後のキャリアを比較すると、かなりの差がついていることは否定できないでしょう。
スタート地点ではサムソンのほうがやや先行していたものの、いつしか逆転し、現在ではもう比べ物にならないほどメイデンのほうが巨大になっています。サムソンのほうは、今では知る人ぞ知るバンドといった感じ。サムソンというNWOBHMのバンドを知っているかと人に尋ねたら、サクソンじゃなくて?みたいにいわれてしまうんじゃないでしょうか。
これだけの格差が開いてしまったのは、一つには、それだけブルース・ディキンソンという人の存在が大きかったということでしょうが……私見では、単にそれだけではありません。私が思うに、ディキンソンの移籍は、アイアン・メイデンというバンドがNWOBHMの枠を超越したモンスターバンドになっていく、そのポテンシャルの原因であり、結果でもあったのではないでしょうか。


ディキンソンは、初期のメイデンにジェスロ・タルの影響を感じ取っていたといいます。
以前このブログで、ディキンソンがジェスロ・タルのイアン・アンダーソンと共演している動画を紹介しましたが、そういうところにも支流を持っている点が、ディキンソンの琴線に触れたらしいのです。この点は、アイアン・メイデンというバンドが凡百のメタルバンドとは違う部分の一つでもあったでしょう。

NWOBHMは、基本的には回帰のベクトルをもつムーブメントです。
グラムロックの影響が散見されるのも、そのためでしょう。ジャンル的にはまったく違うものの、そこはブリットポップとも共通する部分があると思われます。
しかし、ブリットポップの話でも書いたように、単に回帰するだけでは、おそらくすぐに飽きられてしまうわけです。そこで、ムーブメントが退潮していくときに、何かプラスアルファの要素を持っているかが問われることになります。そうなったときに、ロックンロールの地層を踏まえていることが重要な意味を持ってくる……ブリットポップでいえば、ブラーやレディオヘッドにはそれがあった。そして、NWOBHMでいえば、アイアン・メイデンやモーターヘッドにはそれがあったということじゃないでしょうか。

で、ディキンソンはアイアン・メイデンに大きなポテンシャルがあることを見抜いた。ゆえに、メイデン加入の道を選んだ。そして、ディキンソンが加入したことで、メイデンは大きく飛躍した……ということではなかったでしょうか。

そうすると、サムソンの側は、アイアン・メイデンになれなかったバンド、ということになります。
後にディキンソンがアイアン・メイデンを一時脱退した際にサムソン復帰の話があったともいいますが、これも結局、ディキンソンがメイデンのほうに復帰したことで流れてしまいます。そのすぐ後に、ポール・サムソンが死去したことで、サムソンはバンドとしての活動を終了するのでした。ニッキー・ムーアやクライヴ・バーなど、その他のメンバーもすでに死去している人が多く、再結成も難しいでしょう。存命のメンバーとしては、サンダースティックが一人気を吐いていて、今でも現役で活動しています。
そのサンダースティックが、自らのバンドで演奏している動画がありました。先ほどのRiding with the Angels もやっています。

Thunderstick - Live at Leos Red Lion 26th July 2019

こういうビジュアル面でのトリッキーな要素は、グラム志向の産物でしょう。後のお面系アーティストたちに影響を与えた元祖ともいわれています。
サクソンにも、アイアン・メイデンにもなれなかったバンド……そんなサムソンですが、ロックの歴史においては、一つのマイルストーンなのかもしれません。



Raven "Born to be Wild"

2024-10-15 22:17:27 | 音楽批評

オアシス再結成の話が、まだ巷を騒がせています。

先日は、アメリカのテレビ番組でギャラガー兄弟に扮したコメディアンによるコントが放送され、プチ炎上するなどということがありました。

それだけオアシスというバンドと、その中心であるギャラガー兄弟が注目されているということなんでしょう。

ところで……

ギャラガー兄弟といえば誰もがまずオアシスを思い浮かべるでしょうが、英国ロック史には、もう一組の“ギャラガー兄弟”が存在しています。

今回のテーマは、そちらのギャラガー兄弟。
ジョン・ギャラガーと、マーク・ギャラガー……この二人を中心に結成されたバンド、Ravenです。


Ravenは、いわゆるニューウェイヴ・オヴ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)のバンド。1974年にデビューし、今年で50周年を迎えるレジェンドです。アニヴァーサリーを記念して、来月には来日公演も予定されています。

オアシスとはまったくジャンルが違いますが、こちらのギャラガー兄弟も、ムーブメントの追い風を受けた成功と、その失速の苦難を味わったといえるでしょう。
NWOBHMは70年代後半から80年代にかけて一つの大きなブームになったものの、80年代が終わるぐらいには失速。後のブリットポップもそうだったように、ムーブメントを享受してきたアーティストたちは時代の変化への対応を迫られることになります。そして、やはりブリットポップの場合と同じように、多くのバンドは、いったん解散し、しばらくの禊のような期間を経て、ムーブメントが完全に過去の一ページになったところで再結成……というような道をたどりました。アイアン・メイデンやモーターヘッドといった超大物でさえ、ムーブメント失速の影響を完全に回避することはできず、90年代を迎える頃には迷走といえるような動きをみせているのです。
レイヴンの場合も、その例にもれません。
彼らの場合、スラッシュ/スピードメタルの元祖ともいわれる疾走感が持ち味であり、これは90年代ロックの主流とは非常に相性の悪い要素だったため、時代との軋轢も大きかったのではないかと推察されます。
しかし、そんななかでもレイヴンは、しぶとく活動を継続しました。
ある種の迷走状態は避けられませんでしたが……ブームの失速で強い逆風が吹くとしても、耐え続けていればいずれ逆風はやみます。レイヴンは、逆風の時代をくぐりぬけ、半世紀にわたって活動を続けるレジェンドとなったのです。
ここに私は、時代の荒波に流されない美学を見ます。
なんのジャンルであれ、それが衰微しようとしていくときに、時流に抗ってそのスタイルを貫き続ける姿勢には、尊いものがあります。

彼らの代表曲の一つに、Born to Be Wild があります。

いうまでもなく、オリジナルはステッペンウルフ。
映画『イージー・ライダー』でボブ・ディランによって起用されたというロック史における伝説の曲ですが、歌詞の中にHeavy Metal という言葉が出てきて、音楽史においてはじめてこの言葉が使われた例ともいわれています。まさに、ヘヴィメタルの元祖といえる曲でもあるのです。その名曲をレイヴンは、ジャーマンメタルの雄アクセプトからウド・ダークシュナイダーを迎えてカバーしました。

Born to Be Wild (feat. Udo Dirkschneider) (7" Single Cover Version)

それから時が流れ……2015年、同じ曲をグリム・リーパーのスティーヴ・グリメットとともにやっている動画です。

Raven & Steve Grimmett (Grim Reaper) "Born to be Wild" @ The Underworld, Camden, London 25th Oct 20

グリム・リーパーもNWOBHMのバンドで、グリメットもまた、逆風の時代にメタルを貫いた人物といえるでしょう。数十年にわたって同じリングに立ち続けた同志というような感覚があるのかもしれません。グリメットは2年前に死去していますが、その最晩年の姿であることを思うと、また感慨があります。


NWOBHMは、言葉でこそニューウェイヴといっていますが、実際にはパンク方面の文脈でいうニューウェイヴとは真逆で、伝統重視が基本姿勢といわれます。英国ヘヴィメタルの伝統に回帰しようと……それが根底にあるからこそ、元祖ヘヴィメタルというべきBorn to Be Wild を取り上げたわけでしょう。NWOBHMのバンドにはグラムロック系の印象的なカバー曲があったりしましたが、それも同趣旨と思われます。

そのヘヴィメタルの伝統を21世紀の今日まで継承し続けるバンドの一つが、レイヴンなのです。
オアシスと違って、こちらのギャラガー兄弟は仲が悪いということもなさそうなので、今後とも末永い活動を期待できるんじゃないでしょうか。



Radiohead - Fake Plastic Trees

2024-09-24 23:03:29 | 音楽批評


レディオヘッドが再始動にむけて動いているといいます。

オアシス再結成に触発されてということなのか……それはわかりませんが、ひさびさに新譜を発表するのではないかという噂がささやかれています。
ちょうど、最近このブログでは90年代UKロックの話をしていたところでもあるので、今回のテーマはレディオヘッドです。


レディオヘッドは、ポスト―ブリットポップのバンドともみなされる、という話を以前書きました。
その心は、ブリットポップ最盛期にはそれほどヒットせず、ブリットポップが終息したころになって頭角をあらわしはじめた、ということだったんですが……その基準でいうと、レディオヘッドは微妙なところかもしれません。デビューしたての90年代前半も、鳴かず飛ばずというわけではなく、むしろそこそこ売れていたといっていいでしょう。わけても、初期の代表曲Creepは、90年代のロックを代表する一曲といってもいいんじゃないでしょうか。

Radiohead - Creep

これはまさに、神曲です。
それは、間違いない。
しかし、この大ヒットがその後のレディオヘッドにとって、一つの足かせとなった側面は否めないようです。
セカンドアルバムを出すまでに2年の時間がかかったのも、その表れでしょう。
そこは、あるいはストーンローゼズに擬せられるかもしれません。
望外のヒットを放った第一作(といっても、レディオヘッドの場合それ以前にEP盤を出しているとか、評価されたのはほぼCREEP一曲だけ、とかいう保留がつきますが)の後の第二作は、デビュー作以上に難しくなります。へたなものを出せば、ストーンローゼズがそうだったように、一気にバンドが終焉となりかねません。
奇しくも、セカンドアルバムのプロデュースを手掛けたジョン・レッキーは、まさにローゼズのファーストアルバムを大成功に導き、セカンドアルバムが大失敗に終わる一因となった人物です。
果たしてレディオヘッドはどうなるのか、一発屋で終わってしまうのか……というところでしたが、結果からいえば、彼らの場合は、そのハードルをクリアすることができました。
セカンドアルバム『ベンズ』は商業的にもまずまずの成功をおさめ、バンドは活動を継続していきます。
そして、そのなかで方向性を模索しながら、レディオヘッドは次第に難解系ロックのほうへ向かっていくことになりました。順を追って聞いていくと、少しずつ変化しているのがわかりますが、ファーストアルバムとたとえば6thアルバムHail to the Thief を聞き比べてみたら、とても同じバンドとは思えないぐらいに変化しているのです。
この点、レディオヘッドは変化に成功したバンドといえるでしょう。
その軌跡は、ビートルズに重なるようでもあります。
デビュー初期のころからみせていたトム・ヨークの厭世的傾向は、難解系ロックとして昇華していきました。
内省的な部分をより深化させていくことによって、レディオヘッドはブリットポップの枠組みを超越することができたのではないでしょうか。


トム・ヨークの名は、正式にはトム・e・ヨークという表記になっています。
これは、e.e.カミングスという詩人にならったのもですが、イニシャル部分が小文字になっているのは、近代文明において個人が匿名化されている、個人の存在が小さいものにされてしまっている、という問題意識によるものとされています。
この問題意識は、音楽性を大幅に変化させつつも、トム・ヨークがずっと持ち続けているものでしょう。
そして、こうした問題意識こそが、レディオヘッドを特別なバンドにしているのです。前にも書きましたが、どこか能天気なブリットポップにはそういう部分が欠けていたのだと思われます。

ここで一つ注釈をつけておくと、能天気なポップロックというのは、決して悪くないのです。それがロックンロールというものの原点であり、ロックが発展してこじらせていくと、やがてその原点に戻るリバイバル運動が起きる……ブリットポップも、その一つとみなせるかもしれません。しかしやはり、能天気なだけの音楽だとみんな次第に飽きてくるので、そういったムーブメントは数年で終わり、また難解な方向へ発展していく……それを繰り返してきたのが、ロックの歴史じゃないでしょうか。
しかし、そういった振り子運動の中でも、貫かれるものがある。それが、私のいうロックンロールのグレートスピリットなのです。
レディオヘッドは、まさにその継承者でした。彼らがつねに社会にむけた視線をもって活動してきたのは、その表れといえるでしょう。そうであるがゆえに、一過性のブームに引きずられて消えてしまいはしなかったのです。
レディオヘッドのバンド名はトーキングヘッズの曲名からとられているわけですが、そのトーキングヘッズから、ジョナサン・リッチマン、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンド……というふうに影響の系譜を遡っていくこともできるでしょう。そこに並ぶ名前からも、レディオヘッドが真にリアルなロックンロールの直系であることがわかるのです。


ここで、先述のセカンドアルバム『ベンズ』について。
今回、レディオヘッドについて書こうということで、ひさびさに聴いてみたんですが……これが、実にいい。
世間的には、たぶん次作『OKコンピューター』あたりからレディオヘッドは“化けた”という認識になっていると思うんですが、実験性とポップス性のバランスということでは、『ベンズ』は結構いい塩梅になっているように私には感じられます。ビートルズでいえば、『ラバーソウル』ぐらいの……

『ベンズ』というタイトルは、“潜函症”のこと。
深いところにもぐっていたダイバーが急に水面近くに浮上すると、強い水圧で抑えられていた血管が膨張して身体に異常をきたすという症状です。
Creepのヒットで急に日の当たる場所に出たトムの当惑を表現しているともとれるでしょう。あるいは、潜在的な抑圧状態におかれた近代人のあり方というふうにもとれるかもしれません。いずれにせよ、能天気なだけのポップロックとは一線を画しているのです。

このアルバムの最後に収録されている曲が、Street Spirit(Fade Out)です。
(※ただし、日本盤ではその後にボーナストラックがあります)

Radiohead - Street Spirit (Fade Out)
 
この曲を、ピーター・ガブリエルがカバーしたという話を以前書きました。
ピーター・ガブリエルといえば、彼もまた、グレートスピリッツを高い純度で継承するアーティストの一人です。そんなピーターが、「魂を愛に浸せ」と歌われるこの歌をカバー曲集のしめくくりにもってきたというのは、やはり特別な意味合いがあったんじゃないでしょうか。

で、最後に、アルバム『ベンズ』のハイライトともいえる曲Fake Plastic Treesの動画を。トム・ヨークは村上春樹作品の愛読者としても知られますが、まさに村上春樹チックな世界観が美しく哀切に歌われます。

Radiohead - Fake Plastic Trees



DEEP PURPLE, "Burn"

2024-09-17 22:24:20 | 音楽批評


先日、クーラ・シェイカーの記事でHushという曲が出てきました。
これがディープ・パープルのデビュー曲でもあったということなんですが……ふと、そういえばこのブログでディープ・パープルについて書いたことがなかったなということに気がつきました。
だいたいこのブログの音楽記事ではロック史上に名を残した超大物アーティストをとりあげていて、主要なところはかなり抑えてるんじゃないかと思ってたんですが……意外にも、ディープ・パープルについての記事を書いたことは(
おそらく)なかったのです。
ディープ・パープルといえば、今年はいろいろと話題もありました。ということで、この機に記事を一つ書いておこうかと思います。


今さら説明するまでもないでしょうが、ディープ・パープルは英国のハードロックバンド。
1960年代に活動を開始した当初はオルガン主体のサイケデリック系ロックをやっていたのが、やがてハードロック路線に転向。ロックがその後細分化していくなかで、ハードロックというジャンルを確立するのに貢献したバンドの一つといえるでしょう。それから半世紀上にわたって、断続的ながら活動してきたレジェンドです。


今年の話題といえば、新譜の発表というのが挙げられるでしょう。
『=1』というアルバムを発表しています。
その中の一曲 Lazy Sod です。

Deep Purple - Lazy Sod (Official Music Video) | '=1' OUT NOW!

あらためて調べてみると、3年ぶりのニューアルバムとのこと。
3年前にも出してたんだ……というのが正直な感想です。ファンの方には失礼ながら、もはや新作を出してもあまり注目されない状態になっていることは否定できないでしょう。
ただ、今回は、新ギタリストにサイモン・マクブライドを迎えての最初のアルバムということで、いくらか注目されているようでもあります。
先代ギタリストのスティーヴ・モーズ、私は嫌いじゃないんですが、まあちょっとバンドとして惰性でやってるような感じになってた部分は否めないのかな、と……そこに、平均年齢からすれば若手といえるギタリストを迎えたことで、また新陳代謝も期待できるんじゃないでしょうか。


さらに、今年はもう一つ大きな話題として、イエスとの対バンツアーというのもありました。
イエスといえば、かつてフェスのトリの座をめぐってもめた挙句に機材爆破事件を起こしたという因縁もありますが……それも、今ではよき思い出といったところでしょうか。


しかしながら……どうも、ディープ・パープルのこうした活動はいまひとつぱっとしない気もします。

メンバー的には、決して悪くありません。
現在の第10期(!)ラインナップは、初期メンこそイアン・ペイス一人しか残っていませんが、イアン・ギランとロジャー・グローヴァーがいて、メンバーの半分以上は、全盛期といってよいであろう第二期のメンツをそろえています。
にもかかわらず、高揚感に欠けるというか……「あのディープ・パープルが新譜を! イエスと対バンを!」というふうになかなかなってこないのです。
それは、看板をはれるスターの不在というところでしょう。
歴代メンバーのなかでその筆頭にあげられるのは、もちろんリッチー・ブラックモアですが、ほかにあるいはグレン・ヒューズであるとか、デヴィッド・カヴァデイル、いればそれなりに重みをもったであろうジョン・ロードとか……ジョン・ロードはすでに世を去り、グレン・ヒューズはディープ・パープルに絶縁状を叩きつけているということがあるわけですが、リッチー・ブラックモアはどうなのか、と。リッチー・ブラックモアが参加してのツアーということになれば、もっと大きく盛り上がってたと思うんですが……
この点に関しては、ブラックモア自身はディープ・パープルでもう一度やりたいという気持ちはあるといいます。
しかし、十数年前にグレン・ヒューズら第三期メンバーがブラックモアに復帰の話をもちかけようとしたものの、連絡がとれずに頓挫したとか……結局、やる気があるのかないのか、どうもはっきりしないのです。そのヒューズも、現行ディープ・パープルのメンバー、特にイアン・ギランとはかなり仲が悪いらしく、先述したように絶縁状態にあります。こんなふうにメンバー同士が仲が悪いのも、それはそれでロックかもしれませんが……しかし、あのガンズ&ローゼズでオリジナルラインナップが復活し、今またオアシス再結成ということがあるわけですから、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルに復帰するぐらいのことはあってもおかしくないんじゃないかと。
残された時間は、決して多くはありません。ディープ・パープルというバンドが、最後にもう一度伝説を作るか……注視したいと思います。

……せっかくなので、ついでに動画をいくつか。

フリートウッド・マックのカバー Oh Well。

DEEP PURPLE "Oh Well”


代表曲といえば、これでしょう。
Smoke on the Water。

Deep Purple - Smoke on the Water (from Come Hell or High Water)


ローリング・ストーンズのカバー、「黒く塗れ!」。

Deep Purple - Paint It Black (from Come Hell or High Water)


クーラ・シェイカーもカバーしたデビュー曲 Hush。

この動画は、ジョン・ロードのトリビュート・イベントでの演奏。
ディープ・パープル・ファミリーとしてイアン・ペイス、ドン・エイリーが参加し、アイアンメイデンのブルース・ディキンソン、モーターヘッドのフィル・キャンベル、イエスのリック・ウェイクマンなど豪華なミュージシャンをゲストに迎えています。

DEEP PURPLE "Hush" (HD official) from "Celebrating Jon Lord"

リック・ウェイクマンを意識してか、途中でイエスのRoundabout を忍ばせるという遊び心をみせます。爆破事件の因縁がここでも……というところです。


そして最後に、同じイベントからBurn。
これも、Smoke on the Water と並ぶ代表曲でしょう。ウェイクマンやディキンソンは引き続き参加。さらにここでは、グレン・ヒューズも登場します。

Celebrating Jon Lord - The Rock Legend "Burn"



Kula Shaker - Rational Man

2024-09-04 21:36:28 | 音楽批評


前回記事で、オアシスについて書きました。

オアシス再結成の余波は、まだ業界をざわつかせているようですが……ブリットポップ系のバンドの再結成ということで、ふと、Kula Shaker というバンドのことを思い出しました。
そんなわけで、今回のテーマはクーラ・シェイカーです。


細かく区分すると、クーラ・シェイカーはポスト―ブリットポップというふうに分類されることもあるようです。

前回書いたように、オアシスのBe Here Now がバブル崩壊の引き金になったということで、90年代後半にブリットポップは失速。そして、それ以降に台頭してきたアーティストをポスト―ブリットポップと呼んで区別する見方もあります。
このへんの線引きは難しいところですが……たとえばトラヴィスやキーンといったバンドがそこに含まれます。また、もっと前からやってはいたけれど、ブリットポップ全盛のころにはそこまでヒットせず、90年代後半ぐらいから頭角を現してきたバンド……ということで、レディオヘッドやヴァーヴを含めたりもするんだとか。
レディオヘッドということで考えると、内省的な側面というか、ちょっと深いことをいう、難解なロックという部分に焦点があたっているのかなとも思えます。そういうところが、ブリットポップには欠けていたんじゃないか、逆にブラーなんかは、そういうところがもともとあったから、ブリットポップが停滞していっても凋落せずに活動を続けることができたんじゃないか……そんなことも考えます。

で、このポスト―ブリットポップ期を代表するバンドの一つが、クーラ・シェイカーです。

非常に個性的なバンドであり、曲によっては、これはブリットポップに含まれるのかと思わされるものもあり、一歩間違えればキワモノ扱いされかねない部分もあるんですが……世の中には、このクーラ・シェイカーこそがセカンド・サマー・オブ・ラブの直系であると評する人もいます。
たしかに、そうかもしれません。そしてそうだとするならば、はるか60年代のサマー・オブ・ラブにまで連なる、ロックンロールの本流に位置しているともいえるのではないでしょうか。

それを象徴する一曲が、Hush。

Kula Shaker - Hush (Official UK video)

60年代に発表された曲のカバーです。
そのあたりに詳しい人ならご存じのとおり、あのディープ・パープルのデビュー曲でもあります。初期のディープ・パープルはオルガン主体のサイケデリックバンドで、この曲をカバーしてデビュー……というふうに、ロック史において重要な一曲なのです。



クーラ・シェイカーといえば、その特徴としてよく指摘されるのは、ジミヘンの影響を色濃く感じさせるギター、そして、なんといってもインド神話の影響を強く受けた世界観、そこからくる濃厚なサイケデリック臭……ということになるでしょう。

たとえば、Govindaという曲があります。

Kula Shaker - Govinda

ジョージ・ハリスンに同タイトルの曲があります。カバーではありませんが、同じインドの神様を基にしているということです。ハリスンのGovindaは、かの浅川マキがカバーしていたりもします。そういう目のつけどころが、クーラ・シェイカーはやはり凡百のバンドと一線を画しているのです。



厳密にいえば、クーラ・シェイカーが出てきたのはブリットポップの末期であり、デビューアルバム『K』は、ブリットポップの波に乗って大ヒットしたとも評されます。そして、セカンドアルバムはそれほどの成績をあげられず、99年にバンドは解散……そう考えると、失速したブリットポップの側のバンドなのではないかとも思えます。
キーボードのジェイ・ダーリントンがオアシスのサポートをやっていたりもして、そういうところからも、前期ブリットポップの側のバンドとみなされるかもしれません。

しかし、クーラ・シェイカーは2005年に再結成しています。

オアシスが再結成に15年かかったのとは対照的です。
そこは単純にかかった時間で測れるものでもないでしょうが……あるいは、クーラ・シェイカーの場合、ブリットポップ失速の影響を受けはしたけれど、それほどのダメージは受けていなかったんじゃないかと。
比較対象として、同じぐらいの時期にデビューして大ヒットし、同じような経緯で解散したエラスティカというバンドがあるんですが、そちらのほうは今にいたるまで再結成していません。両者を比べてみると、そこには何か差があるとも思えます。
その差がなにかと考えたら、それはやはり、クーラ・シェイカーというバンドに一過性のブームではない何かがあったということなんでしょう。60年代のサマー・オブ・ラブにまでさかのぼるロックンロールの歴史を踏まえているというか……このブログでは、ロックンロールのグレートスピリッツということをよくいってますが、まさにそこに接続しているということです。

再結成バンドは、ライブはやるけど新譜は出さないというようになることもよくありますが、クーラ・シェイカーは再結成以来新譜も発表してきました。
今年も、新作を発表しています。
そのなかの一曲、Rational Man の動画を。

Kula Shaker - Rational Man (Official Visualiser)

この曲が収録されているのは、アルバムではなく両A面のシングルで、タイトルはPEACE WHEEL。そのタイトルが示すとおり、平和をテーマにしています。まさに、ラブ&ピースということであり、それがロックンロールのグレートスピリッツということなのです。そういう普遍的なテーマを根底に据えているからこそ、クーラ・シェイカーは一時のブームで消え去ることなく活動し続けているんじゃないでしょうか。