ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

インフィニティ ストラッシュ ドラゴンクエスト ダイの大冒険

2023-09-28 22:34:45 | ゲーム


本日、こんなゲームが発売されました。

【インフィニティ ストラッシュ ドラゴンクエスト ダイの大冒険】発売日発表トレーラー

以前紹介した『ダイの大冒険』のゲーム。
やはり、アニメが好評だったということで、ゲーム化されたわけでしょう。

これはなかなか熱いですね。
オリジナルのストーリーを再現しているということで、それもうれしいポイント。ただ、本来もっと前に発売されるはずだったということもあってか、物語の中盤ぐらいまでになっているようですが。

アクションRPGというところが、アクションゲームが苦手な私にとっては悩みどころですが……買うべきかどうか迷っているところです。



Frank Zappa, Montana

2023-09-25 20:24:04 | 音楽批評

ひさびさに音楽記事です。

このカテゴリーでは、直近の二回でアリス・クーパー、リトル・フィートというアーティストを扱ってきました。そして、この両者のいわば出身母体として、フランク・ザッパの名前が出てきました。というわけで、今回はそのフランク・ザッパです。


ザッパといえば私がまず思い出すのは、1968年の We're Only in It for the Money。

 
68年といえば、サマー・オブ・ラブ全盛の頃。
アルバムジャケットは、その当時ロック界で天下をとっていたビートルズのサージェント・ペパーズのパロディとなっています。それでタイトルは、「俺たちはカネのためだけにやっている」……というこの偽悪のセンス。このひねくれ方が、まさにアリス・クーパーにつながるロックのセンスでしょう。
いうまでもなく、これは一種の逆説であって……忌野清志郎がRCサクセションで「この世は金さ」と歌ったりしたのと通じるものがあります。本当にカネのためだけにやっていたら、あんな音楽にはならないでしょう。


そのフランク・ザッパが1973年に発表したのが、Over - Nite Sensation です。
音楽カテゴリーでは、「今年で50周年を迎える名盤」という流れもありましたが、本作もその系譜に位置付けてよいでしょう。
そもそもザッパ自体がアングラな存在なので、大ヒットしてチャートで一位になったりはしないわけですが……この作品は名盤と認識されているようで、50周年を記念して未発表音源などを収録したスーパー・デラックス・エディションが11月3日にリリースされることになってます。ついでなので、その告知動画を以下に載せておきましょう。

Over-Nite Sensation 50th Anniversary. Coming November 3rd.

探してみると、収録曲のひとつMontana のライブ映像がYoutubeにあったので、載せておきます。

Frank Zappa - Montana (A Token Of His Extreme)

ちなみに、今年ティナ・ターナーの訃報がありましたが……このアルバムにはそのティナ・ターナーがアイケッツとともにコーラスで参加していました。
上のライブ動画ではそのコーラスが入っていないので、ティナたちのコーラスが聴ける音源も一つ。

Frank Zappa, The Mothers Of Invention - Dinah-Moe Humm (Visualizer)

今年の訃報といえば、頭脳警察のPANTAさんもザッパと縁があります。頭脳警察のグループ名は、ザッパの Who Are the Brain Police? という曲に由来しているのです。(ただしこれは、Over - Nite Sensation の収録曲ではありませんが)
諧謔と風刺、パロディ……無軌道でふざけているだけのようにも見える中に、社会を鋭くえぐる視線がある。それはまさに、頭脳警察や、忌野清志郎に通ずるロックンロールの魂というものでしょう。



ティナ・ターナーがアルバムにゲスト参加し、あのPANTAさんがグループ名のもとにしている……こうした例からもわかるように、フランク・ザッパという人はミュージシャンズ・ミュージシャン的なところがあります。

以下、それがうかがえる例をいくつか紹介しましょう。



ディープ・パープル。
あのSmoke on the Water の歌詞中に、フランク・ザッパの名前が出てきます。

Deep Purple - Smoke On The Water (Live, 1974, California)

一応解説めいたことをいっておくと、この曲の歌詞はレコーディング中に火災にあった体験をもとにしています。そのとき、ザッパも近くでレコーディングしていたということで名前が出てくるのです。


ジョン・レノン。
ザッパは、ジョン・レノン(とオノ・ヨーコ)と共演しています。

Scumbag (Live)

この音源は、ザッパのライブにジョン&ヨーコがゲスト出演した際のもの。
ザッパはサージェント・ペパーズのパロディをやったりしているわけですが、決して対立しているわけではないのです。


こんなアルバムがあります。
モット・ザ・フープルのトリビュートアルバム。

 
THE BOOMの宮沢和史さんや、ZIGGYの森重樹一さん、レベッカの木暮武彦さん、イエモン、ハイロウズ……といったメンツが集まっているアルバムですが、その最後にフランク・ザッパによるナレーションのようなものが入っています。

(※このアルバムにはブライアン・メイによるカバーも入っていますが、これはブライアンのソロ・アルバム Another World に収録されている音源と同じものと思われます)


エイドリアン・ブリュー。
キング・クリムゾンのギターとして何度かこのブログに名前が出てきましたが、この人もザッパ一門のギタリストとみなされています。
ザッパのもとでギターを弾いていたところ、自身のバックギタリストを探していたデヴィッド・ボウイの耳に留まって引き抜かれたという経歴の持ち主(このときザッパは、ボウイに対して「くたばれトム大尉」と毒づいたといいます)。
さらにブリューはキング・クリムゾンでもギターを弾き、ナイン・インチ・ネイルズに一時在籍したりもしているわけですが……その原点はザッパにあるのです。
そのブリュー、トーキングヘッズとともに活動していたこともありますが、近ごろそのトーキングヘッズのジェリー・ハリスンとともにツアーをやっており、そのステージでクリムゾンのカバーをやっていました。

Jerry Harrison & Adrian Belew (w/Les Claypool) - Thela Hun Ginjeet


スティーヴ・ヴァイ。
あるいは、この人がザッパのバックギタリストのなかで一番有名かもしれません。
ツェッペリンを聴いてもディープ・パープルを聴いても満足できなかったヴァイの心をとらえたのが、フランク・ザッパでした。
そのヴァイのソロ活動における一曲、Asian Sky には、日本からB'zの二人がゲスト参加しています。

Asian Sky

スティーヴ・ヴァイといえば、G3というグループでも活動しています。
これはジョー・サトリアーニが主宰しているもので、サトリアーニが二人のギタリストを従えてツアーをまわるというもの。その二人は入れ替わりがありますが、なにしろサトリアーニをサポートするということなので、名うてのギタリストぞろいです。マイケル・シェンカー、ポール・ギルバート、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ルカサー、ウリ・ジョン・ロート……その猛者たちのなかにあってヴァイはエリック・ジョンソンとともに初期メンであり、来年はこの初代のラインナップでツアーに出ることになっています。

そのG3が東京でライブをやったときの動画があります。
このときもヴァイは入っていて、もう一人はドリームシアターのジョン・ペトルーシでした。最後は3人でジャムセッションをやっているということですが、この動画はヴァイがメインのもの。

Steve Vai Performs The Audience Is Listening | G3 Live in Tokyo | Front Row Music

ちなみにベースはビリー・シーン。二人羽織でギターとベースを弾くというようなアクロバティックなプレイを見せてくれます。また、ドラムはドリームシアター勢のマイク・マンジーニというこで、ヴァイのステージだけとってもすごいメンツです。


……と、ここまで錚々たるアーティストの名前が並んできましたが、この人たちがザッパにつながっていくわけです。
さらには、以前の記事にも書いたように、ザッパのもとからリトル・フィートやアリス・クーパーが現れ、またそれぞれにロック界のさまざまなところに枝がのびていきます。フランク・ザッパは、ロックにおける世界樹のような存在なのです。



『ゴジラ2000 ミレニアム』

2023-09-22 23:06:35 | 映画

今回は、ひさびさに映画記事です。

このカテゴリーでは、ゴジラシリーズ作品を紹介するというのをずっとやっていて、前回は『ゴジラFINAL WARS』をとりあげました。
FINAL WARSは、いわゆるミレニアムシリーズの最終作。順番は前後することになりますが、そのミレニアムシリーズの第一作である『ゴジラ2000 ミレニアム』が今回のテーマです。

『ゴジラ2000 ミレニアム』 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第23作目

ちなみにこの作品は、先日の東京ブギウギの記事ともちょっと関係してきます。

服部良一さんの服部家が音楽家一族で、そのなかに服部隆之さんがいるわけですが……この隆之さんは、ゴジラシリーズでも音楽を手がけています。
一つは、第二シリーズの『ゴジラVSスペースゴジラ』。
当初はゴジラ音楽の大家である伊福部昭にオファーしたものの、脚本を読んだ伊福部さんがこれを断ったため、別の作曲家に依頼しなければならないということで服部隆之さんに話がいきました。これはいわばピンチヒッターということだったわけですが、その数年後、ふたたび隆之さんにゴジラ音楽のオファーがきます。それが、『ゴジラ2000』だったのです。


個人的な話になりますが、これは私がリアルタイムで観た最後のゴジラでもあります。
なぜこれが最後なのかというと……これを観て、以降のゴジラ作品を観る気がしなくなったからということです。
それぐらい、その当時の私にとっては評価が低かったのです。

しかしながら、いま観返すと意外と悪くないと思います。

観ていると、ちょっとエヴァを意識したようなところがあるのは、時代でしょうか。
この頃は、エンタメのあらゆるジャンルにエヴァンゲリオンが大きなインパクトを与えていて、ネコも杓子もちょっとエヴァっぽい演出を取り入れてました。そして、ゴジラ2000における「エヴァっぽい演出」は、その種の演出の多くがそうであったように、いささか中途半端で、上滑りしているようにも感じられるのです。

しかし、こうした演出は、新時代の新たなゴジラ像を作り出すという制作側の意欲を感じさせるものでもあります。
大河原孝夫監督は、「造型も、シナリオも出来るだけ見つめ直して、今まで見たことの無い絵を盛り込んでやろうと、新しさを最大の武器にしようという思いでしたね」と語っています。
「今まで見たことの無い」という点に関しては、たしかに監督の意図は達成されているといえるでしょう。

造型という点に関しては、実際かなり変わっています。
参考として、ミレニアムゴジラのソフビの画像を載せておきましょう。



もっとも目立つ変化は、背びれでしょう。見ようによっては、これもちょっとエヴァっぽく見えるのではないでしょうか。



そして、外見だけでなく、ゴジラのキャラクターというか、位置づけにも変化がみられます。

ミレニアムシリーズのゴジラは、よく“台風のような”と表現される存在となっています。
つまりは自然災害のようなものであり、本作の主人公は、トルネードを観測するような役回りになっているのです。

ただし、核の恐怖というゴジラが背負っているイメージは、一定程度踏襲されています。
本作では、根室に出現したゴジラがむかう先が、茨城県の東海村。
くしくも、1999年は、東海村の臨界事故が起きた年です。タイミング的にいって、あの事故が映画に反映されているかどうかはわかりませんが……「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのか」というせりふがあったりして、核の脅威というモチーフは継承されているのです。

その東海村で、ゴジラは謎の岩塊と遭遇し、交戦。

実は『ゴジラ2000』はVSものであり、この岩塊が、今作でゴジラの対戦相手となる宇宙生物です。
はるか昔に地球に飛来し、眠りについていた宇宙生物は、ゴジラの生命力を利用して肉体を得ようとするのです。
そうしてできあがった怪獣が、「オルガ」です。
おそらく、ゴジラシリーズに登場する全怪獣のなかでもっともマニアックなものの一つでしょう。
はっきりいって、噛ませ犬以外の何物でもありません。
新宿における最終決戦では、ゴジラのエネルギーを吸収してゴジラ化しようとするものの、その過程で死滅。いかにゴジラが強大な存在であるかということをしらしめるためだけの存在なのです。

ちなみにこのオルガという怪獣は、1998年版ハリウッドゴジラをモデルにしているといわれます。
98年版のゴジラは日本ゴジラのミレニアムシリーズにおいてちょくちょくネタにされている、と以前書きましたが、オルガもその一つです。ゴジラのエネルギーを吸収しようとしてゴジラになろうとしたけれど、そのエネルギーに耐え切れずに死滅……という展開は、このことを念頭に置いてみると意味深でもあります。そもそも、98年のGODZILLAがファンの間でも不評だったことから新たな日本ゴジラシリーズがはじまったという経緯があったりもするわけです。

そして、ここからのエンディングが本作の斬新なところとなっています。
これまでのゴジラシリーズであれば、ゴジラが敵怪獣に勝つということは、たいていの場合ゴジラが人類の側についているということを意味しているのですが、ゴジラ2000ではそうではありません。
ミレニアムゴジラはあくまでも人類にとって脅威であり、敵の宇宙怪獣を倒してもそのまま海に帰っていったりはしないのです。
オルガを倒したゴジラは、そのまま東京で暴れまわり、その姿を描きながら映画は終了します。
ゴジラが封印もされず、海に帰っていきもしない。なんの解決も与えられず、ゴジラが破壊のかぎりを尽くす状態で終了――これは、ゴジラシリーズ全作品のなかでも唯一のエンディングです。
人間との妥協の余地は一切ない、そういう新しいゴジラ像を打ち出しているのです。
エヴァの90年代を通過した、ミレニアムのゴジラがこれだということでしょう。
後になって俯瞰してみると、そういう意図が浮かび上がってきて、その着想自体は決して悪くはなかったんじゃないかという感想もあります。ただ、それまでのゴジラの歴史というところから考えると、あまりそのあたりに共感してもらえなかったようで……はじめに書いたように、私もまた、リアルタイマーとしては本作を決して高く評価してはいなかったわけですが、世間的にも評判はいまひとつで、興行的には厳しい結果となりました。そして、このときのファーストインプレッションをその後の第三シリーズ作品も引きずっていったように見えるのは、ゴジラ作品にとって不幸なことだったかもしれません。



東京ブギウギを振り返る

2023-09-19 22:21:06 | 過去記事

笠置シヅ子「東京ブギウギ」

ちょっと前に、このブログでは古関裕而に関する記事をいくつか書きました。それらの記事でも書いたとおり、古関裕而は、戦時中に多くの軍歌を作っています。もちろん、戦前・戦中には、多......


過去記事です。

笠置シヅ子の「東京ブギウギ」について書いています。


最近、この記事に関連する話題がいろいろとありました。

一つは、来月から始まる朝ドラ「ブギウギ」。笠置シヅ子をモデルにした作品になるということです。

そしてもう一つは、ジャニーズの性加害問題。

東京ブギウギを作曲したのは服部良一なわけですが、故ジャニー喜多川さんはその服部家と親交があったんだそうです。
ここが、いまジャニーズ帝国を震撼させている性加害問題とも関わってきます。
服部良一の息子の良次さんという人がいるんですが、この方が若き日のジャニーさんから性加害を受けていたと告発しているのです。
まだジャニーズ事務所というものを作る前の話ですが、ジャニーさんが服部家に泊まりに来た際に、そういうことがあったと……かなり生々しい証言をしておられました。
良次さんは、先般ジャニーズ事務所が行なった会見も、批判しています。

ジャニーさんが服部良一と親交があったというのは、良次さんの告発記事ではじめて知りました。

あらためて調べてみると、この服部一族の方は音楽関係の人が多いようで……たとえば、音楽家の服部隆之さんもこの服部家の出身で、服部良一の孫にあたるんだそうです。
そしてその隆之さんの父親で、良次さんの兄にあたるのが、服部克久さん。
この方も音楽界の大物で、2021年に亡くなった際にはメモリアルコンサートが開かれ、克久さんと親交のあったアーティストが多数参加。そのなかには、山下達郎、竹内まりや夫妻や、東山紀之さんの姿もありました。克久さんはジャニーさんと数十年にわたる親交があり、その縁ということでしょうが……今この状況を考えると、なんだか複雑な気持ちがしてきます。

良次さんの告発の話に戻ると、被害を受けた翌日、良次さんは親族にその話をしたんだそうですが、その際、「そんな汚い話聞きたくない」ととりあってもらえなかったといいます。
性被害、しかも同性間の……ということがきわめてセンシティブだったというのが、この問題の背景にはあるでしょう。
そんな話聞きたくない、できれば聞かなかったことにしてしまいたい、触れたくない……権力を持つ者への忖度ということとは別に、そういったこともこの問題が放置されてきた理由の一つではないかと想像されます。
もちろん、理由がなんであろうが、性加害が長きにわたって放置されてきたということは大問題です。
「メディアの沈黙」というのも今回の問題として取り沙汰されているところですが、なんであれタブーとされていることに切り込んでいく胆力がメディアには求められているんじゃないでしょうか。

ここでついでにジャニーズ問題に関して私見を述べておくと、ジャニーズ事務所はタレントのマネージメント業務からはもう一切手を引き、被害者への補償などを行う組織としてのみ存続するというかたちにしたほうがいいと思います。
で、所属タレントは別の事務所に移籍するなり新たな事務所を設立するなりして、そちらで活動すると。
その際、適度に分散させることが重要です。
権力の集中・独占は忖度の温床になります。忖度というのはする側の問題でもあって……そこを臆せず追及していく矜持をマスメディアに求めたいところではありますが、しかしそのいっぽうで、組織に所属する個々人の胆力のみに頼って忖度問題を克服するのは難しいという現実もあるでしょう。したがって、集中・独占を排して、忖度の生じる環境をなるべくなくしていく……それが、再発防止ということにもつながると思われるのです。



『宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎』

2023-09-17 22:49:29 | 映画


先日、キャプテンハーロックのブルーレイボックスを手に入れたという記事を書きました。
そこでも書いたように、このボックスにはテレビ版42話と別に、劇場公開作品も収録されています。

せっかくなので、今回はその劇場版『アルカディア号の謎』についても紹介しておきましょう。
今回のブルーレイセットにはハーロックの設定などに関する資料がついているわけですが、そこに書かれている内容も参考にしつつ、書いていきます。



『アルカディア号の謎』は、劇場版とはいうものの、999の劇場版などとはちがって「東映まんがまつり」という企画で上映された作品です。
その予告動画のようなものがYoutubeにありました。ここで、レンタル視聴もできるようです。

宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎

東映まんがまつりは、いくつかのアニメ作品や特撮作品などをまとめて上映する企画です。ここで上映される作品はテレビ放映されたものの再編集だったりすることも少なくなかったようで……『アルカディア号の謎』もそうでした。テレビシリーズ第13話「死の海の魔城」をもとにしています。

その第13話は、謎の信号を受信して地球に戻ってきたアルカディア号が潜水艦から魚雷攻撃を受ける、というもの。
一体何者が……という話になるんですが、実は、原作のほうだとこのエピソードは謎のままで終わってしまっています。


ここで一応注釈をつけておくと、原作のハーロックは未完の作。松本零士先生が亡くなったことで、完結は望めなくなったわけですが……アニメのほうは漫画連載とほぼ同時にスタートし、基本設定を共有しつつ別の物語として展開していきました。その当時のアニメは、こういう形式が少なくなかったようです。
アニメは敵であるマゾーンと決着をつけるまでが描かれていますが、原作のほうは未完のままになっているため、なんらかの伏線と思われるエピソードが回収されないままになっている場合が散見されます。何者かによる魚雷攻撃というのはその一つで、アニメ版ではこのエピソードに一つの解決を与えていました。
そのエピソードが、タイトルにもなっている「アルカディア号の謎」に、まあ多少つながっているということです。

そこで重要なカギとなっているのが、大山マユという登場人物。
上に載せた予告動画にも出てくる女の子です。

このマユというキャラクターは、漫画版とアニメ版の設定における最大の違いでもあります。

アルカディア号を作った天才エンジニア、大山トチローの娘…この人物を登場させることに関しては、アニメ制作陣と原作者である松本零士先生との間で激しい議論がありました。

アニメ版でストーリーの骨格を作ったのは、脚本家の上原正三です。
これまでに何度か書いてきましたが、上原正三はウルトラマンの誕生にもかかわったレジェンド脚本家。特撮やアニメでも深いテーマを扱うことで定評があり、その例として『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」はよく知られています。ハーロックの最終話ではラストシーンで太宰治『右大臣実朝』の一節が引用されますが、これも上原正三によるもの。この人はこの人で、一本筋の通った人なのです。
女の子のキャラを出すべし、というのは、あるいはもっと上のほうが打ち出した方針かも知れませんが……ウエショーさんは大山マユという人物をアニメ版ハーロックの重要キャラとして創作し、松本零士先生はこれに難色を示しました。
原作のハーロックはもう完全に地球を見捨ててしまってるようなところがあって、いまの地球なんかに守る価値はないけれど、それでも己の信念に従って戦う……という、そういうヒロイズムです。いっぽう、上原正三の構想になるアニメ版ハーロックは、地球のために戦うという部分があります。亡き友の忘れ形見であるマユが地球にいるということが、その大きな動機となっているわけです。これは、ハーロックという人物の根幹にかかわるところで、それゆえに松本先生としても簡単には譲れないということになったようです。

最終的には、上原正三とりんたろう監督が松本零士先生と直談判することで、了承を得ました。

原作のほうにマユが登場することはありませんでしたが、ちらっと言及しているせりふがあります。さらに、マユの父親であるトチローは、その後ハーロックの親友として松本零士作品世界の主要人物となっていきます。
上原正三と松本零士という二個の奇才が衝突し、その摩擦のすえに生み出されたがゆえに、それだけの大きな存在になったということでしょう。
……で、その大山父娘とアルカディア号の関係を主題に据えたのが「アルカディア号の謎」ということになるのです。
そう考えると、なにげにこれは、松本零士作品を考えるうえで重要な作品といえるのかもしれません。