今日はクリスマス。
例年通り、クリスマスソングについて書こうと思います。
今年紹介するのは……満を持してのDo They Know It's Christmas?です。
ただし、オリジナルではなく、2004年のバージョンでもなく、yagiareaというユニットのカバーバージョンで。
yagiareaは、山羊Oとareareaという二組のグループがコラボしたユニットです。
そして、山羊Oというのは、あの川本真琴さんが率いるグループなのです。
ちょっと前にいささかアレな話題で有名になってしまいましたが……川本真琴といえば、もう天才というのが私の認識です。
その川本真琴さんを中心とした三人組が、山羊О。メンバー全員やぎ座でO型だから“山羊О”ということなんですが、いかにも川本さんらしいネーミングセンスといえるでしょう。
そしてその山羊Оがareareaと組んだのがyagiareaです。
彼女たちが、Do They Know It's Christmas?という曲をカバーしています。
Do they know it's Christmas? - yagiarea (powerd by Baba Kazuyoshi Style) (REALROX) VIDEO
今では、知る人ぞ知る的な曲になってるかもしれませんが……これは、あのWe Are the Worldと並ぶチャリティソングです。
ライブエイドに合わせて、Band Aidというスーパーグループが作られ、U2のボノや、ポール・マッカートニーらが参加しました。
それから20周年となる2004年に、レディオヘッドのトム・ヨークやコールドプレイのクリス・マーティンらが参加したBand Aid 20によってカバーされてもいます。
その名曲を、yagiareaが歌っているのです。
上の動画は宣伝用で途中で切れていますが、全体の歌詞は次のようなもの。
クリスマスに 私たちは光を招じ入れ、闇を消す
私たちの豊かな世界には 笑顔と喜びがあふれ
抱きしめることができる
でも 祈りを捧げて
他の人たちのために祈りを
難しいことだけど あなたが楽しんでいるそのときにも
窓の外にはもう一つの世界があって
そこは恐怖に支配された世界
流れる水は、苦い涙だけ
そこで鳴らされるのは、破滅の鐘
今夜そこにいるのは私たちではないけれど
このクリスマスの時も アフリカに雪は降らない
彼らにとって最大の贈り物は命
なにも育たず 雨も降らず 川も流れない
いったい彼らは知っているのだろうか 今日はクリスマスだと
すべての人に杯を掲げよう
灼熱の太陽のもとにいる彼らにも
いったい彼らは知っているのだろうか
世界に食糧を
彼らに知らせよう 今日はクリスマスだと
いかがでしょうか。
上から目線、西洋の価値観の押し付け、大げさ、独善的――など、今の感覚で読むといろんなツッコミが入りそうですが……一つには、エチオピアなどで飢饉が問題になっていたという背景があって、こういう歌詞になっているわけです。とはいえ、90年代以降のマルチカルチュラリズム勃興を経た21世紀からみると、違和感を覚える部分があることは否めませんが。
「世界に食糧を」というのも、飢饉に関連した歌詞です。この部分は、英語ではFeed the world.となっています。直接的には飢饉に陥っている人たちに食糧を送るということをいっているんでしょうが、feedというのは単に「食糧を与える」というよりももっと幅広い意味合いがある言葉です。本来ならそういうニュアンスも含めて読み取るべきだと思いますが、しかしなかなかうまい訳がみつかりません。
ライブエイドといえば、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でまたちょっと話題になりましたが……このプロジェクトにかかわったアーティストは、ボノ、ポール・マッカートニー、ブルース・スプリングスティーンなど、このブログによく名前が出てくる人たちです。
特にボノは、最近中村哲さんに関する記事で登場しました。
アフガンの荒野に水路を開いた中村哲さん――結局、問題意識はそこにあるんだと思います。
現に、このクリスマスにも、飢饉や紛争に苦しむ子供はいる。そこに目をむけて、行動しようということでしょう。
ライブエイドの根底にあったのも、「偽善といいたい奴はいえ、とにかく自分たちは飢えに苦しんでいる人たちに食糧を送る、それだけだ」というスタンスでした。
「クリスマスなんてキリスト教の習慣であって、非キリスト教世界には関係ない。そもそも、いつのクリスマスだろうがアフリカの砂漠に雪なんて降らない」といわれるかもしれませんが……そもそも論でいえば、クリスマスはもともとキリスト教の習慣でもないわけです。もっといえば、クリスマスにプレゼントを贈る習慣は、19世紀にヒットしたディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に由来するといいます。そこで描かれたテーマは、決してキリスト教世界だけに限定できるものではないでしょう。
そういったことを考えると、この歌が持っているメッセージ性は、現代にも通じるものがあるんだと思います。それは、本当は、そうあるべきではないことなんですが……