ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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2019年の終わりに

2019-12-31 19:30:30 | 日記


いよいよ、2019年も最後の一日となりました。

今年一年を総括すると……

まあ、ライブをやることができたというのが一つの成果でしょうか。
いろいろな経緯があって、今年は計三回ステージ上でパフォーマンスをする機会がありました。
基本的に内輪の集まりであり、また、3つとも違う形態でしたが……

もちろん、それはそれで貴重な経験でした。
しかし、あくまでもこれらの活動が、著述業というところにつながっていくのが目標です。
2020年は、そういう方向性を強化していきたいと思います。
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アフガニスタン・ペーパーズ

2019-12-29 11:52:12 | 時事


“アフガニスタン・ペーパーズ”が物議をかもしています。

アフガニスタン・ペーパーズとは、アメリカの公文書。
ワシントンポスト紙が、その文書を入手し、内容を暴露しました。

それによると、アメリカの歴代政権が、アフガン戦争を失敗と認識しながらそれを隠蔽していたというのです。
これを伝える読売新聞の記事(12月24日付朝刊)によれば、対テロ作戦の軍事顧問をつとめたボブ・グローリー陸軍大佐は「自分たちに最も都合の良いデータとなるよう、あらゆる調査結果が改ざんされていた」と証言。アフガン戦争に関して、アメリカでは印象操作が常態化し、統計数値の歪曲などを通じて失敗を隠蔽していたとしています。

さもありなんという話ではあります。

アフガニスタンについては、以前ちょっとこのブログで書きました。
かの地には、欧米の軍隊が、20年近くにわたって駐留しています。
数はときに数倍にのぼり、兵器の質に関しては天と地ほどの差がある彼らが、タリバンを制圧することができないままにアフガンから手をひこうとしているのが現状です。軍事的にうまくいっていなかったのは、当たり前といえば当たり前のことでしょう。

ただ、その失敗を国家が糊塗しようとしていたことが問題です。

国家というのは、そういうことをするものなんだという認識を国民の側が持っておかなきゃいけないと思いますね。特に戦争中には……
戦争というのはある種の異常事態なので、国家は、情報を捻じ曲げたりといったことをやるようになる。“大本営発表”を、真に受けてはいけないんです。

それにしても、そういう文書が残されていて、メディアがそれを探り当ててくるということには、アメリカ社会に一定の敬意を表したいと思います。
今回の文書は、かつての「ペンタゴン・ペーパーズ」になぞらえて「アフガニスタン・ペーパーズ」と呼ばれているわけですが、ポスト紙は情報公開請求や法廷闘争を通じ、執念でこの文書を入手しました。アメリカのメディアがすぐれているとは決して思いませんが、このスクープはジャーナリストとしての矜持を示したものとして評価に値します。
その出発点には、政府の起こした無茶苦茶な戦争と失敗の隠蔽があるわけですが……少なくとも、文書が大量に焼き捨てられたとか破棄されているなんていうのに比べれば、はるかにましでしょう。

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『歴史秘話ヒストリア』「特攻 なぜ若者は飛び立ったか」

2019-12-27 12:10:39 | 日記
昨夜、NHKの『歴史秘話ヒストリア』で特攻を扱った回「特攻 なぜ若者は飛び立ったか」を観ました。
厳密にいうと、NET BUZZ という番組で、過去に放送されたものをもう一度放送するというもの。
EXILE、三代目J SOUL BROTHERS の岩田剛典さんが朗読で出演していることでも話題になった回ですが……あらためて、特攻というもののおそろしさを感じさせられました。

番組で語られていたところによると、陸軍において特攻というものが立案されたとき、すんなりとそれが通ったわけではないそうです。
たとえば、安田武雄陸軍中将が異議を唱えました。
厳しい戦況を招いたのは、上層部。そのツケで前線の兵士を死にに行かせるのは、親の責任を子供に押し付けるようなもの――という、実にまっとうな批判です。しかし、東条陸相はその安田を更迭。自身に近い後宮淳をその後任に据えます。そして、戦況悪化で、もう特攻しかないというおかしな方向に話が流れていくのです。

まっとうな反対意見を精神論で封殺してしまうという狂気……こうして、特攻は実際に行われるようになるのです。

当初はそれなりに戦果のあった特攻も、米軍側が対策をとったことで、次第に効果が薄れていました。にもかかわらず、日本側は特攻をやめませんでした。
終盤には、効果が望めないとわかっていながら、ある種の“儀式”として特攻が自己目的化していたといいます。
これは、狂気というほかありません。
「志願」という建前をとったのも、さすがに死が確実である行動を命令するのは問題があると認識されていたためで、その背後にあったのは、同調圧力や“忖度”……
あらためて、特攻というのは、美化してはいけないものだなと思いました。
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Do they know it's Christmas? - yagiarea (powerd by Baba Kazuyoshi Style) (REALROX)

2019-12-25 13:05:41 | 音楽批評

今日はクリスマス。

例年通り、クリスマスソングについて書こうと思います。

今年紹介するのは……満を持してのDo They Know It's Christmas?です。

ただし、オリジナルではなく、2004年のバージョンでもなく、yagiareaというユニットのカバーバージョンで。

 

yagiareaは、山羊Oとareareaという二組のグループがコラボしたユニットです。

そして、山羊Oというのは、あの川本真琴さんが率いるグループなのです。

ちょっと前にいささかアレな話題で有名になってしまいましたが……川本真琴といえば、もう天才というのが私の認識です。

その川本真琴さんを中心とした三人組が、山羊О。メンバー全員やぎ座でO型だから“山羊О”ということなんですが、いかにも川本さんらしいネーミングセンスといえるでしょう。
そしてその山羊Оがareareaと組んだのがyagiareaです。

彼女たちが、Do They Know It's Christmas?という曲をカバーしています。

Do they know it's Christmas? - yagiarea (powerd by Baba Kazuyoshi Style) (REALROX)

今では、知る人ぞ知る的な曲になってるかもしれませんが……これは、あのWe Are the Worldと並ぶチャリティソングです。
ライブエイドに合わせて、Band Aidというスーパーグループが作られ、U2のボノや、ポール・マッカートニーらが参加しました。
それから20周年となる2004年に、レディオヘッドのトム・ヨークやコールドプレイのクリス・マーティンらが参加したBand Aid 20によってカバーされてもいます。
その名曲を、yagiareaが歌っているのです。
上の動画は宣伝用で途中で切れていますが、全体の歌詞は次のようなもの。


  
  クリスマスに 私たちは光を招じ入れ、闇を消す
  私たちの豊かな世界には 笑顔と喜びがあふれ
  抱きしめることができる

  でも 祈りを捧げて
  他の人たちのために祈りを
  
  難しいことだけど あなたが楽しんでいるそのときにも
  窓の外にはもう一つの世界があって
  そこは恐怖に支配された世界
  流れる水は、苦い涙だけ
  そこで鳴らされるのは、破滅の鐘
  今夜そこにいるのは私たちではないけれど

  このクリスマスの時も アフリカに雪は降らない
  彼らにとって最大の贈り物は命
  なにも育たず 雨も降らず 川も流れない
  いったい彼らは知っているのだろうか 今日はクリスマスだと

  すべての人に杯を掲げよう
  灼熱の太陽のもとにいる彼らにも
  いったい彼らは知っているのだろうか
  世界に食糧を
  彼らに知らせよう 今日はクリスマスだと
  

いかがでしょうか。
上から目線、西洋の価値観の押し付け、大げさ、独善的――など、今の感覚で読むといろんなツッコミが入りそうですが……一つには、エチオピアなどで飢饉が問題になっていたという背景があって、こういう歌詞になっているわけです。とはいえ、90年代以降のマルチカルチュラリズム勃興を経た21世紀からみると、違和感を覚える部分があることは否めませんが。
「世界に食糧を」というのも、飢饉に関連した歌詞です。この部分は、英語ではFeed the world.となっています。直接的には飢饉に陥っている人たちに食糧を送るということをいっているんでしょうが、feedというのは単に「食糧を与える」というよりももっと幅広い意味合いがある言葉です。本来ならそういうニュアンスも含めて読み取るべきだと思いますが、しかしなかなかうまい訳がみつかりません。


ライブエイドといえば、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でまたちょっと話題になりましたが……このプロジェクトにかかわったアーティストは、ボノ、ポール・マッカートニー、ブルース・スプリングスティーンなど、このブログによく名前が出てくる人たちです。

特にボノは、最近中村哲さんに関する記事で登場しました。

アフガンの荒野に水路を開いた中村哲さん――結局、問題意識はそこにあるんだと思います。
現に、このクリスマスにも、飢饉や紛争に苦しむ子供はいる。そこに目をむけて、行動しようということでしょう。
ライブエイドの根底にあったのも、「偽善といいたい奴はいえ、とにかく自分たちは飢えに苦しんでいる人たちに食糧を送る、それだけだ」というスタンスでした。

「クリスマスなんてキリスト教の習慣であって、非キリスト教世界には関係ない。そもそも、いつのクリスマスだろうがアフリカの砂漠に雪なんて降らない」といわれるかもしれませんが……そもそも論でいえば、クリスマスはもともとキリスト教の習慣でもないわけです。もっといえば、クリスマスにプレゼントを贈る習慣は、19世紀にヒットしたディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に由来するといいます。そこで描かれたテーマは、決してキリスト教世界だけに限定できるものではないでしょう。

そういったことを考えると、この歌が持っているメッセージ性は、現代にも通じるものがあるんだと思います。それは、本当は、そうあるべきではないことなんですが……





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デレク・アンド・ザ・ドミノス「いとしのレイラ」(Derek & The Dominos, Layla)

2019-12-24 16:54:50 | 音楽批評


今回は音楽記事です。

ジョージ・ハリスンからエリック・クラプトンときましたが……その流れで、今回とりあげるのはデレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」(原題:Layla )です。

 

ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンについて語るなら、この曲ははずせません。

その筋の人にとっては周知のとおり、クラプトンがハリスンの妻だったパティ・ボイドへの恋慕を歌った歌です。

クラプトンとハリスンは親友だったわけですが、クラプトンはその親友の妻であるパティ・ボイドに恋心を抱いてしまいます。未知ならぬ恋。愛か、友情か――その苦悩を歌にしたのが、「いとしのレイラ」なのです。
デレク&ザ・ドミノスは、クラプトンがそのキャリアにおいて結成したグループの一つで、短期間に終わったバンドですが、「いとしのレイラ」はクラプトンを代表する曲の一つになりました。

いろいろな経過をすっとばして結果だけを書くと、パティはジョージ・ハリスンと離婚し、実際にクラプトンは彼女と結婚します。
元夫であるハリスンも、その結婚を祝福しました。
そして、パティとの幸福な生活は、クラプトンに Wonderful Tonight という名曲をつくらせます。

しかし……そんな二人のしあわせも長くは続かず、10年を経ずに離婚してしまうのです。

まあ、そんなもんでしょう。
禁断の愛であるがゆえに燃え上がるという部分もあり、また、思慕の対象を過度に理想化してしまうという“ザルツブルグの小枝”効果もあったかもしれません。

一連の経緯にしても、あらすじだけを聞いていると純愛物語のようでもありますが、現実にはそんな話でもないようです。

パティ・ボイドはたぶんに妖婦的なところがある人らしく、かのミック・ジャガーやジョン・レノンも思いを寄せていたといいます。そんな彼女がジョージ・ハリスンと離婚した理由も、ロン・ウッドとの不倫ということで……もうドロドロです。


しかし、そういったドロドロは別として、レイラは名曲です。

あの鮮烈なリフ。
数十年を経ても時折CMなどで聴かれる伝説のリフです。
さらに、オールマンブラザーズバンドのデュアン・オールマンも参加し、スライドギターを聴かせます。このヴァーチュオーゾの力もあって、「いとしのレイラ」はロック史上に残る屈指の名曲となりました。
手の届かないものへの憧れというのは、アーティストにすぐれた作品を創出させる動機の一つなんでしょう。
たとえそれが幻想にすぎないとしても――というか、まあたいていの場合は幻想だと思うんですが――その幻想の部分にこそ、アートがあるということだと思います。


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