ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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頭脳警察「時代はサーカスの象にのって」

2021-05-30 17:11:05 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

寺山修司ゆかりのアーティストシリーズということで……今回取り上げるのは、頭脳警察です。
まあ、ゆかりというほどのゆかりがあるわけでもないんですが……



頭脳警察は、日本のポピュラーミュージック史におけるオーパーツのような存在です。
方向性はやや違いますが、ダイナマイツの「トンネル天国」なんかと似たような感じでしょうか。
60年代から70年代ぐらいの日本にはすでにそういう音楽があり、ロックンロールがそういう方向に進みうる可能性はあったはずなのです。
しかしながら……それはあくまでも可能性にすぎませんでした。
そのような方向性は断ち切られ、結果、頭脳警察もダイナマイツもオーパーツ的な存在となり、そこにいたPANTAや山口冨士夫といった人たちも、表舞台にはなかなか出てこなかったのです。
つまりは、前回小室等さんの記事で書いた、あの圧力――フォークをニューミュージックに変化させたあの力が、ここでも働いていたのでしょう。そしてそれは、ロックという音楽に対しては、フォークに対してよりもさらに強力に作用したのだと思われます。

その音楽を聴いてみれば、なるほどこの国の“世間”がそれを圧し潰そうとするのももっともな話だと思えます。

とにかくラディカル
MC5とか、デッド・ケネディーズとか、そういう感覚なのです。パーカッションのTOSHIさんがMC5のファンだったということで、それが出ているんでしょう。

あまりの過激さゆえに、ファーストアルバムは発売中止に。
それからリリースされるまでにおよそ30年がかかりました。その『頭脳警察1』に収録されている「赤軍兵士の詩」「銃をとれ」が聴ける2019年のライブ映像をリンクさせておきましょう。タイトルだけでも過激さは伝わってきますが、中身はそれを裏切りません。

頭脳警察「赤軍兵士の詩」「銃をとれ」「ふざけるんじゃねよ」2019.0706渋谷Lamama


音楽や歌詞が過激なだけでなく、その行動も過激でした。

日劇ウェスタンカーニバルに出演した際には、ステージ上でマスターベーションをしてみせるというパフォーマンスでも伝説となりました。

もう一つ、頭脳警察が起こした事件として有名なのは、三田祭事件。
はっぴいえんどが演奏することになっていたステージをジャックして、はっぴいえんどは一曲しか演奏できなかったという事件です。
これは学園祭での話ですが、その当時は学生運動も盛んな頃で、学園祭は荒れることが多く乱闘騒ぎなんかもしばしばあったとか……
前に書いた中津川フォークジャンバリーもそうですが、シナリオにない何かが起こりうる、そういう面白さがあった時代なんだと思います。
その時代を象徴するのが寺山修司……というわけで、ここで寺山修司が出てきます。
冒頭にも書いたように、直接のつながりがあるわけではありません。寺山側からの関りは、セカンドアルバムが発売中止になった際に、その件についてコメントを寄せたことがあるというぐらいです。

いっぽう頭脳警察は、寺山修司の「時代はサーカスの象にのって」という作品を取り上げています。
また、寺山の「アメリカよ」という詩を朗読している音源も。下の動画では、この詩を朗読した後に、「時代はサーカスの象にのって」を歌っています。

[朗読:アメリカよ]...

ちなみに、このライブでは、近田春夫さんもゲストでキーボードを演奏しています。
その近田さんが参加している「コミック雑誌なんか要らない」です。

コミック雑誌なんか要らない  

ボーカルのPANTAさんは、忍者の末裔だとか、父親はCIAの関係者だったとか……いろいろ伝説のある人です。

一時ラディカル路線を離れていた時期もありますが、結局はそちらに引き戻されてきたようで、小室等さんとはまた違った意味で、70年代ごろの感覚を今でも持ち続けている稀有なミュージシャンといえるでしょう。
たとえば、先代天皇(現上皇)の即位の礼の日に、「超非国民集会」と銘打ったライブをやるとか……まさに、70年の感覚そのものです。

安保闘争が三たび持ち上がりはじめていた2014年には、日比谷野音で行われた ANTI WAR LIVE にも登場。その動画が、制服向上委員会のチャンネルにアップされています。

時代はサーカスの象にのって/頭脳警察 @日比谷野音  

PANTAさんは必ずしもこの種の活動に親近感を持っているわけではなさそうですが、やはりあの2014、15年当時の状況にはそうもいってられなかったということでしょうか。
同じステージでは、中川五郎さんと共演もしています。

理想と現実/PANTA,中川五郎,橋本美香&制服向上委員会

ちなみに、制服向上委員会というのはPANTAさんが関わっていたアイドルグループ。
アイドルグループではありますが、そこはなにしろPANTAさんなので、やはり時事問題を扱ったりする異色のアイドルでした。
福島第一原発の事故以降は、脱原発ソングを歌ったりもしていて、「おお、スザンナ」を替え歌にした反原発ソング「おお、ズサンナ」で物議をかもしたことも。
このあたり、忌野清志郎のセンスに通ずるところがあるようにも感じられます。
PANTAさんは、2009年フジロックに初登場した際には、直前に亡くなった清志郎を追悼してRC版サマータイムブルースを歌ったということで……往時にはライバル意識も持っていたそうですが、やはり同じ方向性を共有していたのでしょう。
さて、その2009年は結成40周年ということでしたが、解散や再結成を繰り返しつつ、50周年を超えた今でも頭脳警察は活動を継続しています。忌野清志郎も、山口冨士夫ももういませんが……一つ一つ灯し火が消えていく中で最後に残ったろうそくのように、頭脳警察は日本のロック界を照らしています。フォークにおける小室等さんと同様、遠い昔に失われてしまった魂が、そこに生き続けていると感じられるのです。



バイオハザードの完結を振り返る

2021-05-27 21:17:18 | 過去記事

『バイオハザード・ザ・ファイナル』
映画『バイオハザード・ザ・ファイナル』を見ました。バイオハザードシリーズの最終作ですね。ファイナルの話を最初に聞いたときには、5の最後がああいう感じだったので、ここから......


過去記事です。
映画バイオハザード・シリーズの最終作である『バイオハザード・ザ・ファイナル』について書いています。
その予告動画をリンクさせておきましょう。

映画『バイオハザード: ザ・ファイナル』日本版予告編2

やはり、感染系の映画をいまみると、 どうしてもコロナ禍と重ね合わせてしまいます。まあ、コロナはここまでひどくはありませんが……通じる部分もあるかな、と。

ついでに、ローラさんの登場シーンを。

ローラ登場シーン!『バイオハザード:ザ・ファイナル』本編映像

ちなみに、ファイナル制作の経緯について元記事でいろいろ書いていることは私の勝手な推測です。
このシリーズの制作経緯について私はほとんど何も知りませんので……ここで一応ことわっておきます。



ディランの誕生日

2021-05-24 21:32:40 | 日記

今日5月24日は、ボブ・ディランの誕生日ということです。

このブログでは、なにげにディランの話もよく出てきます。
最近は日本のフォークに関する記事をよく書いていますが、それらの記事でもディランの名前はちらほら出てきていました。
そんなわけなので、今日はボブ・ディラン特集をやってみようと思います。



まず、代表曲の「風に吹かれて」。

Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

以前ライブエイドでのバージョンを紹介しましたが、これは60年代のころの映像です。
「あまりにも多くの人が死んだということに気づくためには、どれだけの死が必要なのか」という一節は、まさに今の時代にも通じる普遍性をもって響いてきます。

初期のディランは、そういう歌をよく歌っていました。
たとえば、軍需産業やそこにつながる政治家といった人たちをストレートに批判した「戦争の親玉」もその一つでしょう。そのエド・シーランによるカバー動画をリンクさせておきます。

Ed Sheeran - Masters of War (Acoustic Cover)

ただし、ディランがこういう直接的なプロテストソングを歌っていたのは、ごく初期にかぎられます。
60年代の後半、アメリカでベトナム反戦運動が本格化し始めたころには、ディランはもうそこで歌われるような歌は作らなくなっていました。
後にライブ・エイドに参加しているわけですが……ライブ・エイドのステージではいささか場違いな発言をしたり、We Are the World のレコーディングではあきらかに浮いていたともいいます。

このあたり、先日の小室等さんの記事で書いたことともからんできますが……ディラン自身は、プロテストソングの旗手のようにいわれることを快く思っていなかったようです。
60年代半ばごろにその手の活動に参加していたのも、スーズ・ロトロやジョーン・バエズに伴われて……つまりは、女との関係から。本人はどうやら、右左を問わず、「政治的な活動をしている市民団体」といったものが嫌いだったようです。

フォークというのは特殊な音楽ジャンルで、本来は、古くから民衆の間で歌い継がれてきた歌を採集し、そこに独自の解釈をくわえて演奏するというところが出発点になっています。根本にそういう民俗学的な要素があり、ゆえにある種の批評性を持っているわけです。その批評性のために、世の中の出来事をどこか外部から眺める視点が生じ、結果として、世の中のさまざまな問題を批評はするけど直接にコミットはしないという“知識人”的態度があらわれてくるのではないか……私はそんなふうにも考えています。
まあ、もちろん実際行動に参加するフォークシンガーもいるわけですが……それはどちらかといえば少数派であり、ディランの場合、本質的にそちら側ではなかったと思えるのです。

というわけなので、ボブ・ディランというミュージシャンについて考えるときは、リスナーの側も幅広い視点が必要になってきます。プロテストソングの旗手としてではなく、一人の吟遊詩人として……

ディランに関していうと、フォークやロック界隈がラブ&ピースで盛り上がっていた時にはもうそこに背を向けていたような感じなので、よくも悪くも、自分のやりたいことをやりたいようにやっていただけということなんでしょう。フラワームーブメントの盛り上がりに乗って成功し、その運動が終息した後に路線変更を迫られてラブ&ピースから離れていったアーティストたちとは事情が違っています。そうしたアーティストには、どこか“日和った”感がつきまとうわけですが、ディランにはそういう感じはないのです。

……で、60年代後半、プロテストソングをやらなくなってからのディラン。

その頃の代表曲といえる、「見張り塔からずっと」。
ジミヘンによるカバーや、さらにそれをもとにしたU2の孫カバーも有名です。
ロックの殿堂での動画を引用しておきましょう。

Bob Dylan performs “All Along the Watchtower” at the Concert for the Rock & Roll Hall of Fame

動画のタイトルには書かれていませんが、二曲目に「追憶のハイウェイ61」もやってます。
この曲がタイトルとなっているアルバム『追憶のハイウェイ61』は、ディランにとって一大転換点といわれます。ロックの新たな地平を拓いたとも目される Like a Rolling Stone も、このアルバムに収録。ここからディランは、本格的にバンドサウンドのほうにむかっていき、ザ・バンドとの活動がメインになっていきます。

その時期の代表曲の一つが Forever Young。
先ほどのロックの殿堂と同じときでしょうか、“ディランの再来”ともいわれたブルース・スプリングスティーンと一緒に歌っている動画がYouTubeで公開されています。

Bob Dylan, Bruce Springsteen perform "Forever Young" at the Concert for the Rock & Roll Hall of Fame

そうしてバンドで活動しているときにも、初期の曲をやってはいました。
代表曲として知られる「はげしい雨が降る」。

Bob Dylan "Hard Rain" LIVE performance [Full Song] 1975 | Netflix

キューバ危機を受けて作ったといわれる曲ですが、プロテストソングというわけではなく、やはりあくまでも「批評」という距離感があるように私には思われます。だからこそ、60年代フォークの文脈から切り離されても成立し、その後も歌われているんだろう、と。思い返せば、ディランがノーベル文学賞を受賞したときに、この曲はよく取りざたされていました。



そこからのディランには、いろんなことがありました。
ユダヤ教の家庭の出でありながら、キリスト教のいわゆるボーン・アゲイン派に改宗するということも。
おそらくはその影響がある曲 Gotta Serve Somebody です。

Bob Dylan - Gotta Serve Somebody (Audio)

「誰かに仕えなければならない」というそのタイトルに反発して、ジョン・レノンが Serve Yourself (自分自身に仕えよ)という曲を作ったという……そんないわくつきの歌です。



その後、いまにいたるまで、ボブ・ディランという人はじつにいろんな音楽をやってきました。
もちろん今でも活動していて、いまやノーベル賞文学者でもあります。
その経歴を書いていくと、もうきりがないということになってくるので、今回はこのあたりにしておきましょう。
まあ、ディランの話はこれからもちょくちょく出てくると思うので、今回紹介しようとしてできなかった曲についても、いずれそういったところで書いていくつもりです。





小室等「木を植える」

2021-05-23 18:12:00 | 音楽批評



今回は音楽記事です。

前回の音楽記事では、寺山修司に関連する人物であり、かつ、第三回中津川フォークジャンボリーで起きたステージ占拠事件にも関わっているとされるアーティストについて書くと予告しました。

それは誰かというと……小室等さんです。

この方の名前は、これまでフォークについて書いた記事のなかで、一度出てきました。

それは、フォーライフレコードについて書いたときのこと。フォーライフレコードを創設した4人は、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、そして小室等という顔ぶれでした。すなわち、小室等という人はこの3人と肩を並べるレジェンドなのです。


彼が寺山修司とつながるのは、「さよならだけが人生ならば」という歌において。

寺山修司の作詞で、カルメン・マキの歌として有名ですが……この歌を作曲したのが、小室等さんなのです。
小室等さんは、みずからの率いるグループ「六文銭」でも、この曲を発表しています。

この「六文銭」というグループは、先日ちょっと言及した木田高介さんが在籍していたこともあります。
グループ名は、モームの『月と六ペンス』からとったもの。
その『月と六ペンス』のタイトルは、芸術家の魂と金銭的な価値観を対比させたものといわれます。
つまりは、プライマル・スクリームが「お前は金を持っている/俺は魂を持っている」と歌った感覚でしょう。
「六文銭」だったら、お金のほうになってしまうんじゃ……とも思ってしまいますが、もちろん小室等は魂のほうの人です。
それは、彼の歌ってきた歌を思い起こせば、疑念の余地もないことです。

たとえば、ファーストソロアルバムのタイトル曲である、大岡信作詞の「私は月にはいかないだろう」。


その冒頭部分では、こう歌われます。

 私は月にはいかないだろう
 わたしは領土はもたないだろう
 わたしは唄をもつだろう

ここでは、月へ行くということは、金銭とか名声を追い求めるといった意味合いであろうと考えられます。米ソの宇宙開発競争を念頭に置いているのかもしれません。そういったことと、「唄」が対置されているわけです。
その「唄」が、つまり魂ということなのです。
小室等さんは、よく谷川俊太郎さんの詩で歌ったりしていますが、要はそういうことです。

そして、その延長線上に寺山修司の詩もあったということでしょう。
一応解説めいたことをいっておくと、「さよならだけが人生ならば」というのは、井伏鱒二が「さよならだけが人生さ」といったのに対するアンサーソングという意味合いです。井伏鱒二といえば、太宰治の師匠であり、日本文学界におけるレジェンド。寺山修司を介して、そういうところにまでつながっていくのです。



ただし、小室等さんに関していうと、彼はむしろ、寺山修司よりも唐十郎の状況劇場との仕事でよく知られています。

状況劇場は、寺山の天井桟敷と並んで60年代末ごろに注目されたアングラ劇場です。
天井桟敷とはライバル的な関係ともみられていて、実際に乱闘騒ぎを起こしたこともありました。
アングラ劇というのは、そういうところがあるのです。
唐十郎は、新宿中央公園に無許可で紅テントを立てて劇を上演し逮捕されるという事件を起こしたこともありました。こういうところが、あの全日本フォークジャンボリーにおけるステージ占拠事件とつながっているようにも思えます。

…と、ここでそのステージ占拠事件について書いておきましょう。

これは、第三回全日本フォークジャンボリーの最中に聴衆がメインステージを占拠し、ジャンボリーが中止に追い込まれたというものです。この回が中断しただけでなく、おそらくはこれが原因で、翌年以降も行われなくなってしまいました。

この手の話がたいていそうであるように、事件の原因や推移に関しては諸説あり、おそらく“真相”は誰にもわからないのだと思われますが……サブステージにおける吉田拓郎さんの演奏後に小室等さんが「みんなメインステージに行こう」と呼びかけたことが、事件にいたる伏線の一つともいわれています。まあそれも、子細に検証してみれば、事件の原因といえるほどのものではないようですが……

商業主義批判が背景にあるともいわれ、また、学生運動の過激派が関与しているともいわれ……なかなか複雑な要素がからみあっているようであり、結局真相は闇の中なんですが、ともかくも、あの時代だからこそ起きた事件とはいえるでしょう。
60年代の学生運動や、それとベクトルを共有していた種々の芸術思潮は、たぶんに挑発的な性向を持っていました。その挑発性はときに暴走することがあり、その暴走がある一定のラインを超えてしまうと、それまで共感していた人たちがすっと引いていく……ということがしばしばあったように思われます。それが学生運動の領域で起きたのが連合赤軍事件であり、フォークの分野で起きたのがフォークジャンボリー乗っ取り事件だったんじゃないでしょうか。
この流れは、戦後勃興したカウンターカルチャーが「どこまで羽目をはずしても大丈夫か」を手探りする営みであり、世界的にそういう傾向があったと思われますが……日本の場合は、その閾値がかなり低いところに収まったように見えるのです。
逆にいえば、カウンターカルチャーに対する抑圧がこの国ではきわめて大きかった。そしてその圧が、70年代に日本のフォークを“ニューミュージック”に変化させていった力でもあるように思われます。

あるいは、ベルウッドレコードの誕生も、その流れの中に位置づけられるかもしれません。

ベルウッドは、URC、エレックと並んで、フォークの三大レーベルといわれているところです。
今回のテーマである小室等さんは、このベルウッドの名付け親でもあります。新レーベル創設に力を尽くしてくれた鈴木という人物がいて、「鈴木」をそのまま英語にしてベルウッドと名付けたといいます。
高田渡、加川良、中川五郎といった、URCにいた人たちがこのベルウッドに移籍してくるわけですが……彼らは、かつてやっていたようなプロテストソングを歌わなくなります。
この話題が出てくるときにはたびたびいっているように、ミュージシャンが何をどう歌おうが自由であり、別にそういう変化自体が悪いというわけではないんですが……ただ、70年代にみんなが揃ってそうなっていくのは、単に個々のアーティストにおける音楽性の変化というだけでは説明のつかない力が働いていると思われ、その力というのが、つまりは先述した目に見えない抑圧なのではないかと考えられるのです。そしてその向かう先が“ニューミュージック”なのだとしたら、それはどこか、フォークという若木の生長が“矯正された”とか“捻じ曲げられた”という側面があることは否定できないと私は思ってます。
一説に、“ニューミュージック”という表現はベルウッドレコード創設の声明文で使われたのが最初の用例ともいいますが、だとすると、まさにベルウッドはフォーク→ニューミュージックの象徴といえるんじゃないでしょうか。



さて……

ここで、小室等さんに話を戻します。

先述したように、小室さんはベルウッドの名付け親であり、ベルウッドが最初期から手がけてきたアーティストの一人でもあります。後にフォーライフ創設に参加したわけですが、近年、六文銭としてのアルバム『自由』をベルウッドからリリースしてもいます。先に引用したアマゾンミュージックの「私は月にはいかないだろう」は、その音源です。
小室等とベルウッドは、そういう切っても切れない関係にあります。
では、小室等もまた、プロテストソングを歌わなくなったのか……というと、そうではありません。
どころか、彼は1978年に『プロテストソング』と題したアルバムをリリースしてもいます。
70年代の後半にあえてそういうタイトルのアルバムを出したというところに、自分はあくまでもプロテストソングを歌い続けるという強い意志が感じられます。

しかもそれだけではなく、さらに2017年には『プロテストソング2』というアルバムをリリース。
ここまできたら、本来の意味での“確信犯”といえるでしょう。
「私は唄をもつだろう」というファーストアルバムでの宣言が半世紀たっても無効になっていないことを、小室等はここで示しているのです。

このなかの「木を植える」という歌がじつに印象的です。


これも谷川俊太郎さんの詩に曲をつけたものですが、なにか、遠い昔に失われた魂がここにあるというように感じられるのです。



JUN SKY WALKWER(S)の日

2021-05-21 16:21:07 | 日記

今日5月21日は、JUN SKY WALKWER(S)の日だそうです。

いつの間にそんな記念日ができたのかと思ったら、2019年というからかなり最近のこと。デビューの日である5月21日を、記念日ということにしたわけです。
ジュンスカについては、だいぶ前にこのブログで記事を書きました。
ちょっと前に、寺岡呼人さんが“卒業”するというニュースがあり、そのときは呼人さんの名前がツイッターでトレンド入りしたりもしていて、往年のジュンスカファンとしては、今なおそれだけの話題になるということに驚かされたものです。

せっかくの記念日なので、ジュンスカの曲をいくつか。

まずは、「全部このままで」。
ジュンスカは、1988年5月21日アルバム『全部このままで』でデビューしましたが、その一曲目に収録されているのが、この曲です。

Zenbukonomamade

そして、代表曲のSTART。

Start

「歩いて行こう」。

Aruiteikou

そして、「Let's Go ヒバリヒルズ」。

Let's Go Hibari-hills

上の四曲は、いずれも初期のアルバムのタイトル曲であり、アルバムの一曲目に収録されています。そういう勢いというか、ストレートさが、初期ジュンスカのひとつの売りだったとも思います。

さて……ここまではベストアルバムに必ず入るような曲ばかりだったので、最後にちょっとマニアックな曲を。
アルバム『Let's Go ヒバリヒルズ』から、「静かな夜」です。
アレンジは松任谷正隆さん。隠れた名曲だと思ってます。

Shizukanayoru