今日も、ウクライナについてです。
一昨日の記事でちょっと書きましたが、今回の侵攻に関してツイッターをみていると、いろんな意見が飛び交っています。
それらのなかには、この件にからめて日本の安全保障を云々するものもありました。そのいくつかについて、ちょっと私なりの意見を書いておきたいと思います。
まず一点目。
今回ウクライナが侵攻を受けたことから、「憲法9条で平和は守れない」といった声が出ています。
これは、まったくナンセンスでしょう。
ウクライナが戦争放棄を謳う憲法を持っていてロシアに侵攻されたというのならそうもいえるでしょうが、そんな話じゃないわけです。そもそもなぜここで9条が出てくるのかがわかりません。
では……あえて話を日本に置き換えたとして、憲法9条によって侵略されないようにすることはできるのか。
答えはノーかもしれませんが、少なくとも存在しうる方法のなかでは最善のものである、と私は考えます。すなわち、戦争放棄を謳っている相手にさえ敢えて攻撃してくるのであれば、その侵攻はほかのどんな手段によってもたぶん止められないだろう――ということです。
歴史が教えてくれるのは、ひとたび戦争が起きる状態が生じたら、軍備を増強しようが他国と軍事同盟を結ぼうが戦争は起きるということです。
戦争を防ぎたければ戦争が起きるような状態を防ぐ、それしかないんじゃないでしょうか。
そして二点目。
また、ウクライナが核を放棄して核兵器を持っていなかったからだという声が出ています。つい先ほども、某元総理がテレビでそんな発言をしていたとか……
これに関しても、まったくナンセンスというほかありません。
この意見に対する反論は「そもそも核抑止力とは通常兵器による戦争を防ぐものではない」というだけで十分です。
そう言い切ってしまうのはそれはそれで問題があるかもしれませんが……ただ、私がいわゆる核抑止力についての議論を目にする際にいつも思うのは、まずその定義をはっきりさせておく必要があるということです。
たぶん多くの人がそこまで深く考えずになんとなく「核抑止力」という言葉を使ってると思うんですが、意外にこれ、何がどう作用して何を抑止するというのか非常にあいまいな概念なのです。
一つの立場は「核抑止力というのは、あくまでも核攻撃を抑止するものであって、通常兵器による戦争にまでは及ばない」とするもの。
すなわち、核抑止力とは核戦争を防ぐものであって、核兵器が使われない通常の戦争は止められない……と。
もちろん、核抑止力が通常戦力にも及ぶという考え方もあります。
しかし、その立場をとる場合、核保有国が非核保有国から攻撃を受けた例や、核保有国同士が武力衝突を起した例が実際にあるじゃないかという批判に反論しなければいけません。
どちらがより有力なのか確かめたわけではありませんが……安全保障を専門とする人達の間では、どちらかといえば前者の考え方のほうが一般的というふうにもみえます。すなわち、核抑止力は通常兵器による戦争には及ばない。その立場に立てば、「ウクライナが核兵器を持っていなかったからロシアの侵攻を受けた」というのはまったくナンセンスです。そもそも核兵器にそんな抑止力はないんですから。
そして、日本の安全保障論として考えた場合に、核保有というのはありえないことです。
前にもどこかで書いたと思いますが、まず核実験をどこでもやりようがないし、日本が核保有を進めたりすれば経済制裁を受けて経済が崩壊するでしょう。日本の核武装論は、非現実的としかいいようがありません。
以上、ツイッターでみられる憲法9条批判、核抑止力論への、私なりの反論でした。
もう一つ言っておきたいことがあるんですが……それは次回にしようと思います。