ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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夏樹静子『第三の女』

2020-01-03 20:37:41 | 小説
 

夏樹静子さんの『第三の女』という小説を読みました。

もちろん、ミステリー古典キャンペーンの一環です。
“古典”といえるかどうかはわかりませんが、「フランス犯罪小説大賞」なるフランスの賞を受賞したということもあって、名作といえるでしょう。

(※以下、『第三の女』の内容に触れています。極力ネタバレは避けるように書いていますが、勘のいい人には重大なヒントになる可能性もあります。未読の方はご注意ください。)

扱われるのは、いささか変則的な交換殺人。

作品の導入部分で、フランスで出会った二人の日本人が、交換殺人の契約を交わします。
二人とも、殺したい相手がいる。
お互いがその相手を交換して殺せば、人間関係から捜査線上に浮かび上がることはない……そういう殺人です。

それだけならば、以前このブログでも紹介したハイスミス『見知らぬ乗客』の二番煎じということになります。
である以上、それだけであるはずはない。まあそこに何か一ひねりぐらいくわえてくるんだろう。こちらとしてはそういう感覚で読んでいくんですが……
しかし、そういう展開にはならないのです。
最後に、予想外の真相が明かされます。
話が先に進むにつれて、『第三の女』というタイトルの意味が読者の頭のなかにちらつきはじめますが、それもまた、ある種のミスリーディング。ネタバレになるので詳細は控えますが、よほどのミステリー上級者でも、この真相には驚かされるでしょう。
しかも、単にミステリーとしての意外性があるというだけでなく、その悲劇性が深い余韻を残します。ミステリーの一つの理想形ともいえる作品ではないでしょうか。


ここで、夏樹静子という作家について書いておきましょう。

この人は、一時福岡に住んでいたこともあって、福岡ゆかりの作家として、福岡市文化賞や福岡県文化賞をもらっていたりもするようです。そういう意味では、私にとってご当地作家ということにもなります。

その作風は、ミステリーにおける王道系といえるでしょう。
『Wの悲劇』や、『そして誰かいなくなった』など、ミステリーの古典に着想を得つつ、独自性を出していくというところがポイントです。

若いころには江戸川乱歩や横溝正史をよく読んでいたということで、そこからも王道をいっていることはわかるでしょう。
そんなわけで、乱歩賞に応募し、二度最終候補に残っています。受賞はしていませんが、二度目のときに受賞したのがかの森村誠一さんで、もうそういうレジェンドの時代なわけです。

そして、夏樹静子という作家を語る上でもう一つ触れておくべきなのは、その兄の存在でしょう。
兄は五十嵐均という人なんですが、この方は松本清張とともに霧プロダクションを設立するなど、日本のミステリーを裏方で支えてきた人です。
ご自身も『ヴィオロンのため息の―高原のDデイ』という作品で横溝賞を受賞し、作家としてデビューしています。そのときの選考委員に森村誠一さんがいたというのも、因縁めいたものを感じさせます。

また、この兄妹はエラリー・クイーンとの親交でも知られます。『Wの悲劇』で用いられたトリックは、フレデリック・ダネイも、前例のないものだろうと賞賛したといいます。
その『Wの悲劇』は、いうまでもなくクイーンのドルリィ・レーン・シリーズにならったものなわけですが……X、Y、ZときてWにしたのは、数学で文字をおく場合にはその順番になるからということにくわえて、Woman の頭文字ということもあるのだそうです。そう考えると、『第三の男』をもじって『第三の女』というタイトルも、同様の趣向かと思われます。女性の社会進出みたいな点でも時代に先駆けていた人といえるかもしれません。もっとも、現実の日本ではジェンダー格差が過去最低の121位という状況があるわけですが……


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ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』

2019-12-10 16:43:30 | 小説
 

カーの『火刑法廷』という小説を読みました。

これまでに何度か書いてきた、ミステリー古典キャンペーンの一環です。

カーといえば、“密室の帝王”というふうに私は認識していて、一般にもそういうイメージはあると思うんですが……この文庫の解説によると、実際にはそうでもないということです。いわく、70冊ある長編の中で、密室ものと呼べるのは十篇ほどしかないと……

まあ、案外そんなものかもしれません。
ただ、量の問題ではなく質の問題として考えると、やはり密室史においてカーの名前をはずすことはできません。
彼が案出した密室トリック一つ一つのインパクトが大きいために、密室専門のような印象を持たれているということなんでしょう。

この作品は密室を扱ったものですが、密室殺人という部分にかんしてはそれほど手がこんでいるとはいえません。
どちらかといえば、密閉された墓所に納められた棺桶のなかの死体がいかにして消失したかという謎と、主人公の妻をめぐるオカルトめいた謎がポイントです。
そして、最後には、ミステリーとオカルトどちらにも解釈可能というエンディングになっています。
このへんも、カーが単にミステリー作家というところにとどまらないストーリーテラーであったことを示すものといえるでしょうか。

このオカルト的な部分も含めて、横溝正史なんかは大きな影響を受けているわけです。
本作も、怪奇ミステリーの傑作といえるでしょう。
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原寮『私が殺した少女』

2019-11-26 17:04:19 | 小説
原寮さんの『私が殺した少女』という作品を読みました。
厳密にいうと、アマゾン・オーディブルで聴いたんですが……

しばらく言及してきませんでしたが、ミステリーの古典を読もうキャンペーンは、私のなかで継続中であり、その一環。「古典」といえるかどうかは微妙かもしれませんが、直木賞受賞作でもあるこの作品を、今回は読んでみました。

 

原寮さんといえば、ハードボイルドの作家として有名な方ですね。(名前の漢字表記が厳密には違いますが、この漢字は出せないようなので……)

今回初めて、この方が鳥栖市の出身だということを知りました。

鳥栖市は、私が住む小郡市の隣に位置する市。県は違いますが、隣町です。そしてその鳥栖市が、園田英樹さんの出身地であるということは、以前も書きました。鳥栖というのも、なかなかあなどれないところだな……と思った次第です。

内容は、誘拐殺人事件を扱ったこてこてのハードボイルド。

以前、恩田陸さんが小説に書いてましたが、ハードボイルドというのはテンプレががっちり固まっているジャンルです。
近年の「ラノベといえば異世界転生」というぐらいのレベルにテンプレがあって、多少のバリエーションがあっても、そう大きくそこからはずれることはないようです。
この作品の場合も、基本的にはその型にのっとっているといえるでしょう。
社会の裏側を生きる一匹狼的な主人公。一人称の語り。「~た」の文末で畳みかける文章。繰り出されるワイズクラック……これをうまくきめるのは相当に難しいことですが、さすがにうまくきまっています。

もちろん、ミステリーとしての仕掛けも一級品。
ネタバレになるので詳細は書きませんが、最後にあっと驚く真相が用意されています。

あともう一つ、プロフィールで驚かされたのは、原さんが、ジャズピアニストでもあるというところです。かなり本格的な活動をされているということで、作品にもそういうフレーバーが濃厚ににじみ出ているように思えます。やはり、ジャズという音楽はハードボイルドと親和性があるあんでしょうか。


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夢野久作『犬神博士』

2019-11-16 16:23:37 | 小説
 


夢野久作の『犬神博士』を読みました。

不思議な能力を持った少年が、各地を放浪したすえに、福岡で炭鉱をめぐる抗争に巻き込まれるという物語です。

あの『ドグラ・マグラ』の圧倒的な吸引力に比すれば、いささか物足りないところはありますが……
しかし、福岡県民としては、福岡県の地名がいろいろと出てきて、親近感もわいてきます。また、作中にドグラマグラという言葉が出てきてにやりとさせられたりもしました。

この作品においてまず注目されるのは、女装の少年という主人公像ですね。

古来日本では、世直しとして美少年が活躍します。
江戸時代にそういう都市伝説めいたものがあり、歌舞伎なんかでも、そういう演目がよくあるそうです。天草四郎なんかも、感覚としては同じでしょう。そういう点で、『犬神博士』は日本古来の世直し観を反映しているのです。

また、作中には玄洋社が登場します。

夢野久作ファンならご存知のとおり、彼の父親は右翼の大物で、玄洋社の頭山満とも関係がありました。そういったことも背景にあるわけでしょう。

描かれるのは、役人の横暴と、それに抗する玄洋社の壮士たち。

ここには、考えさせられるところがいくつもあります。

玄洋社の壮士たちというのは、早い話がやくざみたいなものです。しかしでは、そのやくざが悪で官憲が正義なのかといえば、そうとも言い切れない。官憲たちは、炭鉱を自分たちのものにしようとしている。それに抗う壮士たちの側にも理があるのではないか?

さりとて、ではその壮士たちの理は何かというと、これから清・ロシアと戦争をするときに炭鉱は大きな利益が出る。それを官吏が独占していいのか、ということなのです。それはなんだかなあ、と思わされます。まあ、そのあたりのことを現代の価値観でジャッジしても仕方がないといってしまえばそれまでですが……
しかしここには、深い問題意識があるといえるかもしれません。
全体主義的な国家が国民を抑圧しようとするとき、それに立ち向かえるのはアウトローな存在ではないのかという……

この作品が書かれたのは昭和六年ごろ。

三月事件があり、満州事変があり、十月事件があり……この国がどんどんきな臭い方向に向かいつつあった時期です。
『犬神博士』には、その空気が反映されているともいいます。
まさに、日本が抑圧的な空気に覆われつつあった時代――夢野久作は、そこに“世直し”の必要を痛感していたのではないでしょうか。
現実の歴史をみれば、世直しどころか軍部とそこに連なる狂信的集団の相次ぐ活動によって、日本は軍事独裁国家化し、崩壊してしまいます。やはり、現実の世界は、物語のようにはいってくれないということなんでしょうか……
作中に「人民がしてならぬ不正な事で、役人だけがしてよいという事はただの一つもない」という言葉が出てきますが、これはまさにそのとおりでしょう。
そういったところをみていると、この『犬神博士』は、まるで現代日本にむけたメッセージのようにも感じられました。
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津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』

2019-08-17 19:12:33 | 小説
 

津原泰水さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』を読みました。

このブログでは普段、現役で活動している作家の作品はあまり取り上げないようにしてるんですが……今回は、この作品について書こうと思います。

なぜ現役作家の作品について書かないかというと……批判すれば陰口をいっているみたいになるし、逆にほめるようなことを書けばお追従をいっているようになってしまうから――ということです。
そういうわけで、あえて現役作家の作品について書くのは、なにかそれがタイムリーな問題につながっているような場合に限定しています。

こう書けば、なぜこの『ヒッキーヒッキーシェイク』を取り上げるのかはおわかりいただけるでしょう。
どちらかというと、作品そのものよりも津原泰水さんのことが注目されてましたね。
例の騒動は、いくつもの問題点がからんでいますが、一番の問題点は、裏から手を回すようなやり方で津原さんを黙らせようとしたことでしょう。

剽窃云々という問題は、小説にかぎらず音楽の世界にもうんざりするほどあって、判断が難しいところもあります。
しかしそこは、きっちりと批判、反論、再反論をすればいい話です。それをせずに――つまり正面から議論せずに――いやがらせのようなことをやってしまったのが問題でしょう。

いまの日本社会に起きているさまざまな問題に通ずるところがるようで、非常に気分の悪い話でした。
何か問題があると、それに反論したり修正したりするのではなく、権力にものをいわせて何もなかったことにしようとするという……
しかし同時に、これはおかしいと文筆・出版に携わる多くの人が声をあげてもいました。中には、私が個人的にかかわりのある作家や評論家の方も含まれていました。そのことが、救いではあります。


さてここで、『ヒッキーヒッキーシェイク』の内容にも触れておきましょう。

タイトルが暗示するとおり、この作品は「引きこもり」をモチーフにしています。
4人のヒッキーたちが、3DCGにまつわる「不気味の谷」を超えようとするところからはじまり、ユーファント、キング☆ブルドッグといったアイディアが次々に現れ、軽快なテンポでストーリーが進んでいきます。

文庫版のあとがきによると、序盤部分は、クラウス・フォアマンの装画Hikky Hikky Shake の制作と並行する形で執筆されたといいます。

このクラウス・フォアマンという人は、ビートルズのアルバム『REVOLVER』のジャケットで有名な人です。
参考までに、そのジャケットがわかるアマゾンのページを貼り付けておきましょう。

 

同じくあとがきによれば、知人の知人の知人といった関係で、装画の件を打診したところ、フォアマン氏が快諾してくれたといいます。ヒキコモリはドイツでも大きな問題になっていて……いや、ドイツばかりでなく、いまやOED(オックスフォード英語辞典。英語圏でもっとも権威があるとされる辞典)にも掲載されている国際的な概念だそうで、フォアマン氏もその問題意識に共感したようです。(ただし、文庫版の装画は別のものになってます)
フォアマン氏の装画が小説をモチーフにしているのは当然ですが、逆にフォアマン氏の側から提示されたモチーフを作中に取り込んだ部分もあるといいます。『REVOLVER』の収録曲であるTaxmanが作中に登場するのも、フォアマン氏の存在があってのことでしょう。これは一種の遊び心かもしれませんが……しかし、そうした経緯を踏まえて、あらためて『REVOLVER』に収録されている曲の詞を読んでみると、小説の内容とリンクしてくる気もします。
たとえば、以下のような歌詞です。


  ああ、見てごらん あの孤独な人々を
                                             (Eleanor Rigby)


  人生はとても短い
  新しいのを買うこともできない
                     (Love You to)


  あらゆる音を聞いたと君はいう
  そして、君の鳥はスウィングすると
  だけど君には僕の声が聞こえない 僕の声が聞こえない
                    (And Your Bird Can Sing)



なかでも、とりわけ近い波長を感じたのは、I'm Only Sleeping という曲です。


  僕の眠りを覚まさないで
  揺さぶったりしないで
  僕をそっとしておいてくれ
  ただ、眠ってるだけなんだ

  みんな僕を怠け者と思っているらしい
  気にしたりしないよ いかれてるのはあいつらのほうさ
  あんなにせわし気に走り回って
  結局はその無意味さに気づくだけ

  僕の暮らしを台無しにしないでくれ
  僕は遠く離れた場所にいる
  つまるところ
  僕はただ、眠ってるだけなんだ

  窓のそばで外の世界をじっと見つめながら
  のんびりと
  横になって天井を見上げながら
  眠気を待っている


こうした曲が、直接間接に小説に影響を与えているんじゃないでしょうか。
『REVOLVER』というアルバムは、後期ビートルズへの転換点に位置する名盤です。ここで歌われているモチーフは、Fool on the Hill や Watching the Wheels など、ビートルズやジョン・レノンのソロ曲で繰り返し変奏されているものでもあります。そしてそれが、津原さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』にも通奏低音のように響いているように思われるのです。エクソンとイントロンの対比というか……短期的な日常生活で重要なのはエクソンだけれど、長期的な進化においてはむしろイントロンが重要な役割を果たすという……そんなふうに考えると、「引きこもり」という現代的なイッシューの背後に、もっと普遍的なテーマが横たわっているのかもしれません。
この本を担当したハヤカワ書房の編集者が、この本が売れなかったら編集者をやめますとまでいったのも、そいうことなんでしょう。
作品の外側のことで注目されるかたちになった作品ですが、そういうこともあっていいと思います。
この『ヒッキーヒッキーシェイク』は、作品の内側においても、その外側においても、いまの日本を切り取って見せたのです。そういう意味では、いま話題の「表現の不自由展」みたいなことになったんじゃないでしょうか。まあ津原さんは「表現の不自由展」を快く思ってないかもしれませんが……
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