本日6月23日は、沖縄慰霊の日です。
まあ、さすがにこのテーマでファイナルというのもどうかと思うので、ファイナルとはいいませんが……このブログで迎える最後の沖縄慰霊の日ということで、ちょっと記事を書いておこうと思います。
沖縄といえば、最近の話として、西田昌司参院議員の「ひめゆりの塔」発言がありました。
まあ、驚きはありませんが……あらためて、この国の中枢にいる人たちは、おそろしく歪んだレンズを通して沖縄を見ているんだな、と感じさせられる出来事でした。
ひめゆりの塔にはリニューアル前に一度いったことがありますが、その展示はあくまでも戦争の悲惨さを伝えるものであって、そこにイデオロギーをからめてどうこういうのはナンセンスでしょう。
話は変わりますが、最近アマプラで『モスラ2』という映画を観ました。
1997年に公開された、平成モスラシリーズの第二作。
満島ひかりさんが子役として出ているという、今考えると貴重な作品です。
この作品の舞台が沖縄になっているんですが……
ある意味では、ここに描かれている沖縄も、一つのゆがんだイメージかもしれません。
それは、自然の豊かな島、癒しの世界……というイメージです。
モスラという作品において、決して悪くはありません。
モスラが出てくる作品ではしばしば環境問題がテーマになりますが、『モスラ2』においては、そのテーマが沖縄と結びつけてうまく描き出されいると思います。
しかし、沖縄の置かれた現実、そして過去を考えると、そういうイメージもまた虚構性を帯びて感じられる部分はあります。
同じ東宝怪獣映画でも、『ゴジラ対メカゴジラ』ではそういう屈折が描かれていました。
あの作品は沖縄返還というタイミングでしたが、そのときから(あるいはその前から)沖縄はずっと矛盾を抱え続けていて、その矛盾が先般の西田発言にも表れているということでしょう。
『モスラ2』では、希望に満ちた世界が描かれています。
はじめは悪者として登場した者たちも最後には心をあらため、エンディングを迎えます。
私は、それが決してそらぞらしいとは思いません。ゴジラシリーズではついぞ成し得なかった、子どもたちの冒険物語としての怪獣映画……モスラだからこそそれができたし、沖縄、ニライカナイというモチーフもそのなかでしっかり活きているのです。思えば、ニライカナイは、円谷特撮のもう一つの雄ウルトラマンを生み出した源泉の一つでもありました。
抑圧の歴史から生まれた希望――それを、ただの“癒しのイメージ”という虚像で終わらせてしまうのか。そこは、現実の沖縄がどうなっていくのかということにかかっているのではないでしょうか。