むらぎものロココ

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カルロ・ジェズアルド

2005-06-28 22:43:00 | 音楽史
gesGESUALDO
O DOLOROSA GIOIA
 
Rinaldo Alessandrini
CONCERTO ITALIANO

カルロ・ジェズアルド(1566-1613)は、ナポリ近郊の名家に生まれた。最初の結婚をしてまもない1590年、妻の不貞を知った彼は、愛人と同衾しているところに踏み込み、二人を殺害した。この事件のあと、しばらく自分の領地にひきこもっていたが、1594年にエレオノーラ・デステと再婚し、フェラーラ公国へ行くことになった。

フェラーラ公国はフィレンツェとヴェネツィアの間にあり、15世紀後半のエルコーレI世からアルフォンソII世まで、芸術愛好家の君主が4代続き、16世紀にはイタリア宮廷文化の中心となっていった。君主たちはオブレヒトやジョスカン、ウィラールト、チプリアーノ・デ・ローレ、ルッツァスコ・ルッツァスキ、ルカ・マレンツィオといった名だたる音楽家やアリオスト、タッソーといった優れた詩人たちを招いたし、アルフォンソII世は1580年に、ルッツァスキの指導のもと、高度な歌唱力を持つようになった「コンチェルト・デッレ・ドンネ」という声楽団体を結成した。技巧的で実験的な詩と音楽の融合という、当時の最先端芸術としてのマドリガーレはフェラーラ公国において洗練と退廃の極みに達した。

ジェズアルドはフェラーラ公国でタッソーやルッツァスキの知己を得たことにより、特異な音楽的才能を開花させ、複雑なリズム、不協和音や半音階を多用するマドリガーレをさらに極端なものにし、死や苦悩、不安や絶望などがからみあう凄惨な音楽をつくりあげた。

マルシリオ・フィチーノの「音楽=精気理論」によれば、思考や想像にたえず(血液の気化したものである)精気を利用し、消耗させると、残りの血液は濃密で乾燥した黒いものになるという。この状態は人を憂鬱質にさせる。憂鬱性の体液から生じる精気は純粋で熱く、敏活で引火性があり、異常なほどの精神の高揚をもたらすかと思うと、火が消えたように極度の鬱状態、無気力状態を招く。このため、精気を健全な状態に保つには葡萄酒と芳香性の食べ物、香気と純粋で明澄な空気、それに音楽の3つが必要だとフィチーノは言う。
→D.P.ウォーカー「ルネサンスの魔術思想」(平凡社)
 第1部 第1章フィチーノと音楽 (一)フィチーノの音楽=精気理論

なかでも音楽が最も重要なものとされるが、もともとメランコリックな気質の持ち主だったというジェズアルドが音楽に没頭したのは、育った環境によるものだけではなく、憂鬱質を治療するためだったとしたらどうだろう。恐怖や罪悪感にとらえられて、できれば思い出したくないようなことを音楽に託して繰り返して表現することで、抑圧を開放し、カタルシスを得るというような、心理療法的効用をジェズアルドは期待したのだとしたら。とはいえ、フィチーノが考える音楽は協和した響きを持つものであり、それがプラトン的な調和と結びつくというわけだが、ジェズアルドのように半音階や不協和音に満ちた音楽をつくり続けることは、かえって精気を撹乱し、鬱状態を促進してしまうことになったのかもしれない。

コンチェルト・イタリアーノのこのアルバムにはジェズアルドのマドリガーレの他に、フランドル楽派の末裔フィリップ・デ・モンテやジェズアルドの音楽の師であったというポンポニオ・ネンナ、そしてジェズアルドが強く影響を受けたルッツァスコ・ルッツァスキの作品が収録されている。