むらぎものロココ

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トマス・タリス

2005-06-18 17:55:00 | 音楽史
8333082Thomas Tallis
The Lamentations Of Jeremiah
 
 
The Hilliard Ensemble

トマス・タリス(1505-1585)は、ドーヴァーの修道院でオルガニストをしていたが、1534年にヘンリー8世が首長令を発布し、ローマ教会から分離すると、その修道院は閉鎖させられることとなり、タリスは職を失った。しかし、何度か職を転々としながらも1543年に王室礼拝堂の楽員となり、死ぬまでそこで活動することとなった。

この時期のイギリスは英国国教会とカトリックの間で揺れ動き、宗教的には不安定であった。ヘンリー8世のあとのエドワード6世は1549年に信仰形式統一令を出し、英語の祈祷書を採用し、ラテン語による典礼は廃止された。しかし、エドワード6世は短命であり、その後即位したメアリ1世はカトリックに回帰し、反対派を次々に処分した。その圧制ゆえメアリ1世の治世は5年ほどしか続かず、エリザベス1世が1558年に即位すると、また英国国教会に戻った。エリザベス1世は宗教については和解政策を取り、カトリックにも寛容だったため、英語によるアンセムやサーヴィスだけでなく、ラテン語による音楽も用いられた。タリスは生涯のうち、この4人の君主に仕え、そのたびスタイルを変えて適応していた。

「エレミアの哀歌」はカトリックの典礼で朗読されるもので、預言者エレミアが、自分の言葉に耳を貸さず、不信心に陥ったエルサレムのありさまを嘆くものだが、タリスによる「哀歌」は第1章の第1節から第5節に曲をつけたもの。英国国教会では「エレミアの哀歌」を朗読するこのような典礼は廃止されたので、この曲はカトリック信者の秘密の集会のために作られたものではないかと言われている。

ヒリアード・アンサンブルの演奏は、低音を強調し重々しいものになっている。