11:10、県庁へ。
同行者は、ダブル・ケンジ君。
今日は、阿部長野県知事がわざわざお時間を取って下さり
長野県の文化芸術推進に関しての話をする機会をいただいた。
生活文化課の課長さん始め、職員さんや秘書の方も同席。
僅か30分の会見のため、詳細な話に至らなかったのが残念。
知事は、長野県は文化芸術に関しての取り組みが弱いが
今後もっと力を入れていきたいと仰って下さり
具体的提案の提出を求められた。
8月に上演した野外劇に阿部知事がご来場下さり
大変興味を示して下さったことが始まり。
どこまで県への社会貢献できるかわからないが
夢幻工房として出来ることを提案していきたいと思っている。
偶然にも、今日は私の誕生日。
知事や職員の皆さんから
お誕生日、おめでとうございます。
とお祝いの言葉をいただき驚いた。
秘書の方が
お誕生日ですし、記念にお写真を…
と。
で、知事との2ショット写真と
知事&ダブル・ケンジ君&私の写真を撮影していただきました。
今年は、研修生から花束をもらったり
知事と話をすることができたり
自分の誕生日に関心がなかった私にとって
忘れられない誕生日になった感じ…
生れてから半世紀が過ぎ、何らかの転機かもしれないなぁと…
ああ…忘れてたけど
初めて大きな舞台に立ってから今年で40年。
初舞台は日本児童劇団の発表会だったっけ。
知事室を後にして、ダブル・ケンジ君と
スパゲッティ屋さんでランチ。
夜、久しぶりにワインを飲んだら胃痛が!
お昼に食べたスパゲッティが消化していない感じ。
麺類は好きなのに、食べると苦しむ結果になるのが悲しい。
結局食べた物を外に出すしか楽になる手段はなく…
若干寝不足で胃腸が疲れていたんだ。
外に出したら楽になり、久しぶりにドラマを観た。
TBS「強制帰国 ~忘れ去られた花嫁たち~」
国家政策の裏側を知らされず満州へ花嫁候補として
送り込まれた女性たちが苦しみと悲しみの中で
日本への帰国を願い、戦いに挑んだドラマ。
滅多にドラマを観ない私だが、偶然にも観れて良かった。
実は先日、ある舞台を観て
事実を演劇にする理由
について考え込んでいた。
その事実を知らない人にとっては知る機会になり
それはそれで充分意味のあることだが…
今日のドラマを観て、歴史的事実を舞台化する意味が明確になった。
事実を想像しても想像しきれない感情や身体を体現できるのが役者である。
また、その事実を短時間に集約して
観客の心に残る脚本を執筆するのが脚本家であり
その脚本を具現化し、印象に残る作品として提出するのが演出家。
その全てが融合した時に観客は
当事者である人々の悲しみや苦しみを共感し
その事実を共有することができる。
そうすれば、同じ過ちを免れることができるかもしれない。
他人事ではない、自分のことであると思える疑似体験…
これを体験することができるのが演劇やドラマや映画なのだ。
なんだか…言葉にすると当然のことなんだけどね。
改めて強く思った、のでした。
更に演劇の特徴を記すと…
演劇はドラマと違って、観客と同じ空間・時間を共有するため
映像では感じられない振動や波動を感じることが出来る。
ライブの良さですね。
そして、撮り直しが利かないスリリングさがある。
生モノだからこその面白さが、演劇にはあるんだよね~
今日観たドラマは、ドキュメンタリーを織り交ぜながらの構成だったので
よりリアリティを感じられたのだと思うが
演劇でよりリアルな触感を感じていただくためには
テレビ的なリアルさを超えた何かが必要なんだよね、きっと。
日中戦争に従軍していた国友忠(渡哲也)さんは
戦火を潜り抜け九死に一生を得て帰国。
戦後は浪曲師として活躍しながら、牧場の経営にも手を広げつつ
私財をつぎ込んで中国残留邦人の一時帰国を助ける「春陽会」を主宰。
浪曲の三味線を弾いていた沢村豊子(藤吉久美子)さんの娘
弘子(前田敦子)さんは、独りで奮闘する国友の姿を見て
「春陽会」の手伝いを始める。
里帰り支援が軌道に乗り始めたある日
一時帰国中の残留婦人の一人が自殺…
永住帰国するには「親族の身元引受人」が必要なのだが
申し出てくれる親族がいない人々も多かった。
普通に考えると、国家がだまして満州に送り込んだとすれば
その人たちが帰国することに対して責任を持つのは当然のことのようだが
見る視点を変えれば、自分の意思で満州に渡ったとも取れる。
実際、そう言って身元引受人を断る親族もいたようだし…
真実を知らされず「お国のため」という愛国心を煽られ
その言葉を信じて満州にわたった女性たち…
私が同じ時代に生きていたとしたら
彼女たちと同じ境遇になっていたかもしれない…
真実を知るすべはあったのだろうか?
言葉が統制されいた時代である。
真実を知ることなどできっこないよね。
永住帰国できないという絶望が自殺の動機だった。
日本で死にたい…切実な願いだったかもしれない。
国友さんは、この悲劇を繰り返さないためにも
永住帰国の道を開いて欲しいと厚生省に陳情するが、政府の腰は重かった。
国友さんが趣味にしていたのは囲碁
その囲碁で使われる言葉「布石」「捨石」などが
脚本中で生きていた。
賠償美津子さんのお顔の皺がとても美しく見えたのは
人生の年輪と重さと純粋さを感じたからかな?
皺もいいなぁ…と思った瞬間でした。
現在、日中関係に暗雲が立ち込めている。
このドラマを観て、どう思うかは人それぞれだろう。
ただ、国民の幸・不幸は国政次第なのだと思った人は多いはず。
私たち一人一人が、国政を注意深く監視していくことが
同じ過ちを犯さないためにも必要なんだよね。
ふぅ…
やっぱり何を観ても演劇につながっちゃうな…
ニュースを観ても、常に芝居アンテナが立ちっぱなし。
少しは離れる瞬間も必要なんじゃないかとも思うが。。
今日は、FBでも大勢の皆さんからお祝いメッセージをいただき
今年の誕生日は、非常に印象に残る日となりました。
皆さん、ありがとうございました!
同行者は、ダブル・ケンジ君。
今日は、阿部長野県知事がわざわざお時間を取って下さり
長野県の文化芸術推進に関しての話をする機会をいただいた。
生活文化課の課長さん始め、職員さんや秘書の方も同席。
僅か30分の会見のため、詳細な話に至らなかったのが残念。
知事は、長野県は文化芸術に関しての取り組みが弱いが
今後もっと力を入れていきたいと仰って下さり
具体的提案の提出を求められた。
8月に上演した野外劇に阿部知事がご来場下さり
大変興味を示して下さったことが始まり。
どこまで県への社会貢献できるかわからないが
夢幻工房として出来ることを提案していきたいと思っている。
偶然にも、今日は私の誕生日。
知事や職員の皆さんから
お誕生日、おめでとうございます。
とお祝いの言葉をいただき驚いた。
秘書の方が
お誕生日ですし、記念にお写真を…
と。
で、知事との2ショット写真と
知事&ダブル・ケンジ君&私の写真を撮影していただきました。
今年は、研修生から花束をもらったり
知事と話をすることができたり
自分の誕生日に関心がなかった私にとって
忘れられない誕生日になった感じ…
生れてから半世紀が過ぎ、何らかの転機かもしれないなぁと…
ああ…忘れてたけど
初めて大きな舞台に立ってから今年で40年。
初舞台は日本児童劇団の発表会だったっけ。
知事室を後にして、ダブル・ケンジ君と
スパゲッティ屋さんでランチ。
夜、久しぶりにワインを飲んだら胃痛が!
お昼に食べたスパゲッティが消化していない感じ。
麺類は好きなのに、食べると苦しむ結果になるのが悲しい。
結局食べた物を外に出すしか楽になる手段はなく…
若干寝不足で胃腸が疲れていたんだ。
外に出したら楽になり、久しぶりにドラマを観た。
TBS「強制帰国 ~忘れ去られた花嫁たち~」
国家政策の裏側を知らされず満州へ花嫁候補として
送り込まれた女性たちが苦しみと悲しみの中で
日本への帰国を願い、戦いに挑んだドラマ。
滅多にドラマを観ない私だが、偶然にも観れて良かった。
実は先日、ある舞台を観て
事実を演劇にする理由
について考え込んでいた。
その事実を知らない人にとっては知る機会になり
それはそれで充分意味のあることだが…
今日のドラマを観て、歴史的事実を舞台化する意味が明確になった。
事実を想像しても想像しきれない感情や身体を体現できるのが役者である。
また、その事実を短時間に集約して
観客の心に残る脚本を執筆するのが脚本家であり
その脚本を具現化し、印象に残る作品として提出するのが演出家。
その全てが融合した時に観客は
当事者である人々の悲しみや苦しみを共感し
その事実を共有することができる。
そうすれば、同じ過ちを免れることができるかもしれない。
他人事ではない、自分のことであると思える疑似体験…
これを体験することができるのが演劇やドラマや映画なのだ。
なんだか…言葉にすると当然のことなんだけどね。
改めて強く思った、のでした。
更に演劇の特徴を記すと…
演劇はドラマと違って、観客と同じ空間・時間を共有するため
映像では感じられない振動や波動を感じることが出来る。
ライブの良さですね。
そして、撮り直しが利かないスリリングさがある。
生モノだからこその面白さが、演劇にはあるんだよね~
今日観たドラマは、ドキュメンタリーを織り交ぜながらの構成だったので
よりリアリティを感じられたのだと思うが
演劇でよりリアルな触感を感じていただくためには
テレビ的なリアルさを超えた何かが必要なんだよね、きっと。
日中戦争に従軍していた国友忠(渡哲也)さんは
戦火を潜り抜け九死に一生を得て帰国。
戦後は浪曲師として活躍しながら、牧場の経営にも手を広げつつ
私財をつぎ込んで中国残留邦人の一時帰国を助ける「春陽会」を主宰。
浪曲の三味線を弾いていた沢村豊子(藤吉久美子)さんの娘
弘子(前田敦子)さんは、独りで奮闘する国友の姿を見て
「春陽会」の手伝いを始める。
里帰り支援が軌道に乗り始めたある日
一時帰国中の残留婦人の一人が自殺…
永住帰国するには「親族の身元引受人」が必要なのだが
申し出てくれる親族がいない人々も多かった。
普通に考えると、国家がだまして満州に送り込んだとすれば
その人たちが帰国することに対して責任を持つのは当然のことのようだが
見る視点を変えれば、自分の意思で満州に渡ったとも取れる。
実際、そう言って身元引受人を断る親族もいたようだし…
真実を知らされず「お国のため」という愛国心を煽られ
その言葉を信じて満州にわたった女性たち…
私が同じ時代に生きていたとしたら
彼女たちと同じ境遇になっていたかもしれない…
真実を知るすべはあったのだろうか?
言葉が統制されいた時代である。
真実を知ることなどできっこないよね。
永住帰国できないという絶望が自殺の動機だった。
日本で死にたい…切実な願いだったかもしれない。
国友さんは、この悲劇を繰り返さないためにも
永住帰国の道を開いて欲しいと厚生省に陳情するが、政府の腰は重かった。
国友さんが趣味にしていたのは囲碁
その囲碁で使われる言葉「布石」「捨石」などが
脚本中で生きていた。
賠償美津子さんのお顔の皺がとても美しく見えたのは
人生の年輪と重さと純粋さを感じたからかな?
皺もいいなぁ…と思った瞬間でした。
現在、日中関係に暗雲が立ち込めている。
このドラマを観て、どう思うかは人それぞれだろう。
ただ、国民の幸・不幸は国政次第なのだと思った人は多いはず。
私たち一人一人が、国政を注意深く監視していくことが
同じ過ちを犯さないためにも必要なんだよね。
ふぅ…
やっぱり何を観ても演劇につながっちゃうな…
ニュースを観ても、常に芝居アンテナが立ちっぱなし。
少しは離れる瞬間も必要なんじゃないかとも思うが。。
今日は、FBでも大勢の皆さんからお祝いメッセージをいただき
今年の誕生日は、非常に印象に残る日となりました。
皆さん、ありがとうございました!
私も中途半端だらけでして…
書道・そろばん・日舞・ジャズダンス・バレエ・合唱etc…
辛うじて継続してこれたのが演劇なんです。
人生全ての出来事が役に立つのも魅力の一つかな。
どんなにしんどいことも、前向きに受け止められるのは、演劇をやっているおかげかも?
子どもたちのことを真剣に考えているゆかり先生も素敵ですよ♪
益々のご活躍を応援しています。
この前の続きになってしまいますが、私はいろんな体験をして、やりたいことを一杯やってきたけど、どれもこれも「やってみた」ってレベル。極めてない。みんな中途半端。
だからずっと演劇を続けているゆりさんを尊敬してます!
ではまた。