蜜柑のつぶやき ~演出家の独り言~

NPO法人劇空間夢幻工房の演出家/青木由里の日々の呟き。脚本執筆・役者・ワークショップ講師も兼業する舞台人日記♪

新☆企画!合同公演決定!!

2014年12月03日 23時22分26秒 | 日記
昨夜は、新☆企画の企画会議。

その新☆企画とは…

演劇グループ21×劇空間夢幻工房
2劇団による“合同公演”!!

驚かれた方も多いことだろう。

夢幻が他劇団とコラボするのは
旗揚げ以来、初めての試み。

この企画は、私を含む団員たちが
階段を一段上るきっかけになりそうな予感がある。

企画会議の参加者は、下記の8人。

★戸倉上山田の劇団『演劇グループ21』
 座長/村上雅人さん
 団員・役者/宮坂新二さん、小岩優太郎さん
 スタッフ/金子好典さん
★劇空間夢幻工房
 青木由里・塚田健太郎・青木賢治・坂本真由美

演劇グループ21さんは、上山田文化会館における初の
開館支援団体として1983年に設立された老舗の劇団。

座長の村上さんは、数年前から
劇団公演のための脚本執筆をやめ
自分が本当に書きたいと思う戯曲を書き始めて
戯曲賞に投稿するようになられたとか。

そして昨年、ついにテアトロ戯曲賞の佳作を受賞!

確かにね…
座付き作家というのは規制が多い。
役者の人数や男女比を始め
所属役者陣の演技力や特性…
それとお客様の客層を考慮した題材
規模、資金、動員etc…

私もそんな座付き作家の一人(汗)

ただ私の場合は、規制があるから
書けているのではないかと思ったり…
上演が目的のための脚本でないと
今のところ最後まで書ききれる気がしない。
あくまでも、今のところ、であるが…

ここが本当の意味で作家であるか否かの
分かれ道かもしれないなぁ…

村上さんは、私が舞台人として
尊敬している人物の一人である。

村上さんと私は、以前所属していた
劇団くるま座時代に上演した作品
「カチューシャの唄」という舞台で
村上さんが演出家役として客演し
私はその時、舞台監督役だったので
絡みも多かった(と記憶している)

これが確か最初の出会い。
以来、20年以上のお付き合いになる。

その後、上山田文化会館にて
北信地域の数劇団が競合する演劇祭(だったかな?)
が開催され、くるま座もこれに参加。
当時としては画期的な企画だったように思う。
交流会や打ち上げで見た演劇人たちは
熱く自身の演劇論を語り、相当な熱血漢だった。

私が女優を目指し、芝居一筋だった東京時代
そんな舞台人がたくさん周囲にいて
私も散々演劇論を戦わしてきた一人。
この長野にも熱い演劇人がいることを知り
とても嬉しく、頼もしく思った覚えがある。

村上さんと役者の宮坂さん
そしてスタッフの金子さんは
トライアングルのような関係だそうだ。
30年以上の長きに亘り、共に舞台を
創造し続け、今に至る。

今回の企画作品として提示をいただいた題材は
演劇グループ21さんにとって
非常に思い入れの深い作品であると伺った。

これは、演劇グループ21の旗揚げ当時
劇団の座長だった方が、いずれ舞台化したいと
ずっと思い続けていた題材だそうだ。

しかし…
その方は…思いを遂げぬまま…
ついに…帰らぬ人となり……

村上さんも宮坂さんも金子さんも
いずれ、元座長さんの思いを形にしたい…
という強いを思いを抱きながら
これまで舞台道を歩んだ来られたそうだ。

その題材とは、明治3年に戸倉上山田で起きた
百姓一揆「午札騒動」である。

実際に地元で起きた近代の事件であり
事件当事者の子孫の方々が地元にいらっしゃる環境で
史実を元にした作品を創作するというのは
大変勇気のいることであるし
史実と異なることを書くことは許されない。

村上さんは、悩んだ。
悩んで考え抜き、ついにこの題材で
戯曲を執筆することを決意された。

元座長の思いを形にしたい…との
強き思いが村上さんを突き動かしたのだ。

決意してからの村上さんはアクティブだった。
史実を調べ、文献を読み、子孫の方々や
関係者の方々にヒアリングを重ね
やがて、一篇の戯曲が産声をあげた。

それが

『大幸がしだした札は 馬のまら知事こまるまで 騒動する』
 ―午札騒動考―

である。

オープンエアシアターの稽古中に

 戯曲が書き上がったので、読んでみて欲しい

というご連絡をいただいたものの
なかなか時間が取れず…

とはいえ、ずっと気にかかっていたので
オープンエアが終演し、一段落して
村上さんが経営しているレストランを訪れた。

何を隠そう村上さんは
大正ロマン風のレストランの
オーナー兼シェフなのだ。

で、以前から一年に1度か2度ほど
ランチを食べにお店に伺っては
村上さんの仕事が終わるのを待って
芝居談義を交わして来た。

この時も、そんな乗りだったが…

いつも通り、食事をして
村上さんが仕事を終えるのを待ち
いつもの芝居談義が始まった。

そろそろ戯曲のことを切り出そうと思った時
村上さんがおもむろに脚本を持って来て

 一緒にやってみないか

と…

私は兼ねてから、いずれ村上さんや宮坂さんと
一緒に舞台を創作したいと個人的に思っていた。

宮坂さんは、凄い役者なのだ。
宮坂さんを知らない方は、ぜひ宮坂さんが
出演されている舞台をご覧いただきたい。

が、今の私は個人で動くことは出来ない立場。
劇団や団員のことを第一に考える必要がある。

しかも、この作品を上演するとすれば
脚本・演出が私ではなく村上さんである。

どんな形ならばコラボが可能か…

台本を読み、企画や作品内容について
劇団員や外部理事T氏に相談した。

これまで夢幻で上演してきた作品は
どれも私の脚本・演出だった。

私が脚本を書き演出するのが夢幻だと
誰が決めたわけでもない。

ただ、これまでは書きたいという団員も
演出をしたいという団員も現れなかったため
自然の流れとして、私が脚本・演出を
担当し続けて来た、だけで…
というのは、ちょっと語弊があるか…

私は、自分で選んで脚本・演出を担当し
毎回舞台を終える度に検証をして
次回作品を手がけ、未熟なりにも
10数年前に比べれば、随分成長したと思っている。

だから、書きたくないわけでもなければ
演出をしたくないわけでもない。
むしろ今は、以前よりもずっと
もっと良い作品を提出したいと思っているし
作品創作意欲も十分にある。

しかし…

一つだけ心残りなことがあって…

それは…

役者としての自分…である。

夢幻で演出をするようになって
今でも時折出演させていただいてはいるものの
まともに稽古らしい稽古が出来ないまま
舞台に立つことも多く、次回こそは!と
決意して臨むのだが、最終的に時間が足りず…
役者失格だな…と思うこともシバシバ。

演出家がいる現場で役者をやってみたい…
という欲求はありつつも
最近は、殆ど諦めかけていた。

村上さんの作・演出で、私は役者として
出演させていただけるかもしれない…
私にとっては、とても有難い機会だが
劇団としてはどうなんだろう…

それらを含め、劇団執行部の面々に相談。
それぞれ視点は異なるものの
基本的にこれまでと異なることへの
チャレンジに対して全員が賛同。

そして、今回の企画会議を開催する運びとなった。

上演時期は、2016年春の予定♪

さて、再来年のスケジュールも決まった!
ギアを上げて、走り続けよう!
お客様の笑顔を想像しながら(^^)


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