蜜柑のつぶやき ~演出家の独り言~

NPO法人劇空間夢幻工房の演出家/青木由里の日々の呟き。脚本執筆・役者・ワークショップ講師も兼業する舞台人日記♪

人間に潜む狂気

2014年07月28日 23時51分25秒 | 日記
野外劇に必要なのはパワーだ!

と、再認識したのが2週間まえ。

そして今、改めて声の振動と振幅
言霊を持つ言葉のパワーの重要性を痛感している。

口先ではない言霊が乗った声
小手先ではない集中力のある表現
その役だけが持つ特殊な色のエネルギー
その役の典型と思われる感情表現

どんなに役作りを考えたとしても
どんなに台本を分析したとしても
それだけでは、お客様に振動は届かず
振動が届かなければ、心を揺さぶることも出来ない。

大げさ、とか、オーバー、とか
そういうことではなく…

いや…
もしかしたら、それらを超越した領域と言えるかもしれない。

自分の中に潜んでいる計り知れないパワーの源を
発見することから始める必要があるかもね。

計り知れないパワーの源とはどんなものか?

突出した感情(喜怒哀楽)
様々な欲望(煩悩、好奇心)
集中力

そして、欲望が高じると狂気が顔を覗かせ
その狂気に支配されると制御不能となり
やがて破綻する―


人間は誰しも狂気を孕んでいる―

狂気とは、常軌を逸脱した精神状態

狂気というと「恐ろしい」イメージがあるが
確立した規準(一般常識)からの逸脱は
負のエネルギーだけではなく
正のエネルギーにもある。

大胆に慣習にとらわれないことに対して
狂気と言う言葉をあてはめることも。

科学や芸術の世界において
世紀の大発見や逸脱した芸術作品を生む原動力は
正の狂気と言えるかもしれないし
普通の人が出来ないことを成し遂げた人は
もしかしたら正の狂気を原動力としていたかもしれない。

なぜ狂うのか
なぜ狂いたいのか
なぜ狂わざるをえないのか

そこには様々な理由が存在するだろう。

しかしながら…
負の狂気は恐ろしい。

どちらにしても…恐らく…であるが…
狂っている人は、自分が狂っていることに気付かない。

気付かなければ、軌道修正できるわけもなく
故に、狂気の道をまっしぐら~
そして(負の狂気の場合)やがて破綻する―

捉え方で異なるかもしれないが…
戦争は狂気の為せる業
兵器の人体実験は狂気の為せる業
テロは狂気の為せる業
殺人は狂気の為せる業

宗教も一歩間違えれば狂気
恋愛も一歩間違えば狂気
怒りも一歩間違えば狂気
嫉妬も一歩間違えれば狂気
権力欲も一歩間違えれば狂気
etc…

しかしねぇ…
日常では狂いたくないですね~

けど、狂ってしまう時があるんだよね~

狂っている人は、狂っている、と言っても
まず理解できない。

それは何故か
その人にとって、その狂っている状態が
今、一番心地良いから。

そして、この状況が永遠に続くことを願っている。

が、残念なことに
環境も状況も心も感情も…変化していく。

狂っている時って、非常に視野が狭く
その反面、ある一部分だけ突出して過敏だったりする。

なので、変化を受け入れることが出来ず
考えた方や捉え方を変えることも出来ず
ついに破綻してしまうケースが多いが
この狂った時のエネルギーほど
大きなエネルギーはないんじゃないかと…

で、それを芝居に利用できたらいいのに~と思ったり。

要するに…

(非日常の世界において)
狂気に準じるパワーを自在に表出するのも
役者の技なのではないかと…

本当に狂うとは異なる狂気の疑似体験とも言えるかな。

「疑似体験」

どんな感情でもいい
どんな欲望でもいい
どんな集中力でもいい

自分が表出しやすい作用を選んで
第一の壁まで突き進み
壁にぶちあたったら、その壁をぶち壊し
更にその先、またその先へと突き進むと…

そこに、自分自身が知らないパワーが存在する。

これは疑似体験。
本当に狂っちゃったら、芝居はできませんから(笑)

自分自身に潜む潜在能力とも言える底知れぬパワー
言葉が言霊になるために必要なパワーでもある…

役者陣から、そんなパワーを引き出すには―

まずは「触発」かな…


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