教えて!貿易アドバイザー

海外貿易取引や、貿易顧問の仕事そして貿易コンサルティングの内容など貿易アドバイザーが日常の仕事を通じてご案内いたします。

アメリカ大陸横断旅行 其の5

2007年10月31日 | アメリカ横断旅行
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貿易アドバイザー
教えて貿易取引

メイン州のホワイトロックスという地域をバスで走っているとき、真西から夕日を浴びて、車窓から東を見ると長ーいバスの陰がいつまでもついてきた。アメリカとカナダの国境の小さな街セント・ジョンで入管手続きをして、いざカナダへ入国。
カナダでは、一番東の町ノバスコシア州ハリファックスへ。イギリス軍が作り上げた要塞なんかがあり、歴史の有る海辺の街並みだった。スイスからきた、看護婦さんと同席したけれど、ベアーの発音がどうしてもボアーに聞こえ、カナダ何も大蛇がいるのかと、ぞっとしたけれど、旅の道中おもしろかった。彼女曰く、カナダはスイスより美しい。スイスへは行った事が無いけれど、同感!ケベック、オタワ、モントリオール、トロントと周りトロント側から五大湖のオンタリオ湖を見た。トロントで久しぶりに日本の大学生と会い、バスの出発まで時間があるので、とてもキュートな女性が働いているジュース屋さんへ、何度か足を運んだ。其の頃、天然ジュースなど出す店は日本には無かったので、もちろんジュースを飲みにですよ。それからは、ウィニペグをぬけカルガリーへ長~いバスの一人旅。カルガリーでは、頭の形にぴったりと決めてくれる店があり、カーボーイハットを購入。其のときの僕の格好は、Made In Japanのバックパック。なぜか、フライ・キャスティング・ロッドを差し込んで、カルガリーからはカーボーイハットも仲間入り。途中、お金がなくなっても、フライロッドで魚を釣り上げれば何とかなるさ!などと思っていました。若かったな~!もちろんバッグの中にはカリフォルニア米と電気ポットがあり、行く先々でご飯は食べられました。(貧乏旅行だけどやっぱり日本人だな~!)カルガリーから北へ向かいエドモントンへ。そこから、今度はジャスパーへ。レイク・ルイーズにはすでに、雪が積もっていた。エメラルド色の湖の周りを歩いたけれど、自分の足跡しかなく、秘境にきた感じがした。ジャスパーを後にして、目指すはバンクーバー。スイスの看護婦さんではないが、カナディアン・ロッキーをバスで走っているときは、なんだか大きな写真の中を走っているような気がした。本当に広くて美しい国だ。

アメリカ大陸横断旅行 そのⅣ

2007年10月30日 | アメリカ横断旅行
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サマースクールでは中近東問題とかインドシナ問題のセミナーをとろうと思っていましたが、アメリカでの唯一の知り合いの日本人のアドバイスでやっぱり英語を取ったほうが良いというアドバイスを簡単に受けてしまい、結局は、大勢の日本人と共に日本の学校で生活しているようになりました。メキシコ人やブラジル人東欧からきた学生中国系アメリカ人なんかとも友達になりました。日本人がすぐに言ってしまう"I'm sorry" はあまり簡単に使うべきではないと外国の友達に教えられました。英語の勉強は全然おもしろくなかったけれど、ボストンや郊外やら、バスを使ったりヒッチハイクなんかしてやたらと歩き回りました。フェンウェイパークへも2回ほど野球を見に行きました。特に外野席での応援の雰囲気は最高! さすがにハーバード大の図書館などは夜の12時までオープンしていました。サマースクールも終了し、ニューヨークへもどり、学校で知り合った友人の家などに転がり込んでしばらくニューヨークの街を歩いて廻りました。グリニッジビレッジでフォークソングを聞いたり、中国の友人が、セントラルパークで無料で公開される、シェークスピアの「真夏の夜の夢」に誘ってくれたり、結構ニューヨーカーを楽しみました。再びボストンに戻り、ケネディー大統領の避暑地だった、ハイアニスポートやら、ニューイングランド地方を北上し、カナダへと入りました。この辺りではさすがに会う日本人もあまりいませんでした。

ちょっとした海外取引のお話

2007年10月29日 | 海外取引
貿易顧問貿易コンサルタント貿易アドバイザー海外取引の方法
はじめまして。シバタ・インターナショナル代表の芝田政之です。貿易コンサルタントをしています。これから貿易部門を新設しようとする会社や、既に海外取引を行っているけれど、海外企業との取引交渉に自信がもてなかったり、クレームなどの解決のために貿易実務経験の有る人材を探している企業と貿易顧問契約を結び、貿易ビジネスのお手伝いをしております。また、(財)対日貿易投資交流促進協会(ミプローーmipro)で貿易投資アドバザーとして、特に小口輸入や対日投資相談を行っています。その他に、貿易のセミナーや貿易実務の講義そして、海外の企業のためにマーケットリサーチなども行います。貿易顧問がメインの仕事ですが、海外の企業が日本へ進出する時の代理人業務なども多くこなしています。30年以上にわたる貿易の経験を基にあくまでも実践主義を貫いてに活動しております。このブログでは、難しい貿易の話を判り易くをモットーに話をすすめて生きたいと思います。
ジェトロ認定貿易アドバイザー 登録番号355
ミプロ貿易投資アドバイザー
芝田政之
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今年のセミナー予定

11月9日 「小口輸出入」
      貿易実務・マーケティングコース 明大アカデミィーコモン

12月2日 「実践小口輸入ー海外商品の発掘から国内販売まで」
       佐賀県佐賀市 アバンセにて
      財団法人佐賀県国際交流協会主催
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貿易マンへの道 アメリカ大陸横断旅行 其のⅢ

2007年10月26日 | アメリカ横断旅行
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ワシントンDCでは先ず、KENNEDY大統領と弟のロバート・ケネディーが眠るアーリントン墓地へ行った。ホワイト・ハウスやパーラメント、リンカーンメモリアルなどを歩き廻った。議事堂前の屋台で飲んだレモネードが美味しかった。そしてボルティモアを経由してニューヨークへ。「風と共に去りぬ」の街もバスデュポ周辺はなんとなくすさんだ感じがした。ニューヨークへは夜到着したが、物々しい警備の街だった。警官は必ず3人~4人くらいで歩いていた。今回は、NYには滞在せず、夜行バスで一路ボストンへと向かった。明け方、ボストンに到着し、夜明けを待って、ケネディー大統領の母校のハーバード大学のあるケンブリッジへ地下鉄で向かう。そして、サマースクールの登録を行い、寮の一室を借り、ここでひと夏を過ごすことになる。サンフランシスコに到着してからここへ来るまでに何週間かかっただろうか?アメリカは広い!でも、ここに来るまでに何と多くのMade In Japan 製品を見ただろうか。

貿易マンへの道 其の2

2007年10月25日 | アメリカ横断旅行
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ロッキー山脈を越えると、景色は一変して、行けども行けども牧場風景。日本では浜辺からみた海の水平線しか見た事が無いけれど、ここでは一面に広がる牧場のはるか彼方に水平線が見えた。バスの窓から見えるこんな景色が半日くらい変わらない。セントルイスを過ぎると今度は麦畑が延々と続く。退屈で、ジョン・ウェインやゲーリー・クーパーや、マリリン・モンローやらスティーブ・マックイーンの夢なんか見て目が覚めても未だ同じ風景。「アメリカは広いな~!」メイフラワー号でアメリカに上陸して、Go West! Go West!幌馬車で西へ向かった開拓者達はついに太平洋までたどり着いた。こんなにバイタリティーの有る、アメリカとかって日本は不幸にも戦争をしてしまったのだ。咸臨丸でアメリカに渡った勝海舟が生きていたらあの戦争はキット反対したに違いない。「なーに、あんなでっかい国と喧嘩したって、勝てるわっけがねーよ、あめえさん。」
セントルイスからはかなり長いバスの旅だったが、やっとワシントンDCに到着した。

貿易マンへの道 アメリカ大陸横断旅行

2007年10月24日 | アメリカ横断旅行
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大学紛争が吹き荒れた大学を卒業し、リクルート活動も行わず、単独アメリカに渡った。フッシャーマンズワーフやソルサリート、ゴルデンゲートブリッジ、坂道を歩き回り、ケーブルカーや霧のサンフランシスコを満喫し、格安のグレイハウンドバスの周遊券を手に、いざ、Kennedy大統領の街ボストン目指して、大陸横断旅行に出発だ。ルート66とはべつのルートになってしまったが、サクラメント、リノ、ソルトレーク・シティー、ララミー、シャイアン、デンバーと西部劇の舞台を現在の駅馬車、グレイハウンドバスで行くのも格別だった。「アメリカに来たなぁ~」と実感した。