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奈良 佐保川沿いを歩く

2014年06月10日 | 旅行
          (奈良 佐保川沿い マップ)
 関西の旅。2日目。
昨日今日と梅雨の晴れ間が続く。今日も暑い一日になりそう。

 今日は万葉の佐保川の香りを求めて、奈良の佐保川沿いを歩く。
奈良の有名な観光地から、ちっとはずれた地域を歩く。観光客もいない静かでのんびりしたルートだった。


近鉄奈良駅


大宮通りを観光客で賑やう若草山方面と反対方向に向かう


ほどなく右手に「西方寺」
西方寺は南都総墓所(浄土宗)と言われ、広大な墓地に石塔が林立しているようだ。
無名だった頃の宮本武蔵が修行の為に滞在したところだそうだ。


境内の歌碑 万葉歌碑(左手)・そのひと言碑(右手)


そのひと言碑
含蓄のある言葉が並んでいる


西芳寺に隣接する船橋通り商店街へ向かう


墓地を挟んだ西側の船橋通り商店街の入口にある「荼羅坊」の屋上に『みてござる観音』が立っている。
黄金の観音像は西方寺の方向に向いている。


商店街の終点に橋が見え、佐保川にぶつかるようだ。


橋から佐保川を眺める
佐保川は奈良市街近くを流れることから、古来詩歌に詠まれることも多かった。しかし現在は住宅が密集する地域。


大仏鉄道記念公園(橋そばにあり)
明治31年に関西鉄道加茂 - 当駅間開通に伴い、ここに大仏駅が開業したが、わずか9年で廃線となった。SL車輪がモニュメントとして置かれている。


佐保川の流れ
佐保川河畔に大伴家持の邸宅があったという。
奈良市内を流れる佐保川中流の堤には両側に古くから桜並木があり、春になると花見客が訪れて賑わう。また江戸時代には「南都八景」の一つとして「佐保川の蛍」が挙げられていた。


河畔の柳の木と万葉歌碑。
万葉当時は柳並木があったようで、歌に詠まれている。
「うち上のぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも」(大伴坂上郎女 巻8-1433)
   →詳細は万葉アルバム


川の水が綺麗になっており、水辺には遊び場が随所にできていた。ちびっこたちが楽しそうだ。


川が綺麗になり、ホタルを放流しているようだ。


川沿いの遊歩道に万葉歌碑が2基奈並んでいた。
そのひとつに、
「振り放さけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも」(大伴家持 巻6-994)
とあり、家持が16歳の時に大伴坂上郎女の娘の大嬢に贈った歌とされている。
   →詳細は万葉アルバム


橋梁に”佐保川 水辺の楽校”とあり、橋わきの佐保川小学校の学外授業の場所になっているようだ。


佐保川小学校脇の万葉歌碑
「佐保川の清き河原に鳴く千鳥 かはづと二つ忘れかねつも」(作者未詳 巻7-1123)
   →詳細は万葉アルバム


佐保川を東に振り替えると、川向こうに春日山がみえるようだ。

 ここから、奈良市役所へ移動。


奈良市役所
前庭に、万葉歌碑が建っていた。
「あをによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも」(巻15-3602)
   →詳細は万葉アルバム

 市役所の西隣がイトーヨーカドー奈良店。


イトーヨーカドー奈良店
正面玄関前の広場一角に、長屋王邸跡の碑があった。昭和63年に発掘調査が行われ、大量の木簡が出土し、長屋王の邸宅であることが判明した。平城宮の東南に隣接した広大な敷地だった。

 昼食は店内のイタリアン料理を、時間をかけゆっくりと堪能した。

 イトーヨーカドー奈良店の通りの反対側に宮跡庭園がある。


平城京左京三条二坊宮跡庭園
発掘調査で昭和50年(1975)に発見された庭園遺跡。長屋王邸に隣接しており、関係がありそうだ。


園池には底に玉石が敷き詰められた屈曲した水流の跡があり、曲水宴で使われたとみられている。


復元された大型の建物は、背後から高床の板の間に上がることができる。


宮跡庭園から三条大路の北側にイトーヨーカドー奈良店(長屋王邸跡地)がみえる。

 大宮からバスで、近鉄奈良駅へ。

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