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松戸小金北地区の散策

2011年02月13日 | 散歩
 昨日一昨日の小雪が降る寒い日から今日は一転晴天に恵まれた。
今日は広報に載っていた「緑のネットワーク・まつど」主催の、
「歴史薫るみどり 本土寺周辺~大谷口歴史公園をあるく」に参加した。


北小金駅(北口)
9:30に北口に集合し東平賀公園までゆく。


本土寺参道入り口


東平賀公園で散歩順序の説明がある。
人数が多いので3班に分かれて行動するようだ。
ここは東平賀貝塚の発掘地、
現在、江戸川が流れる低地は、かつて奥東京湾と呼ばれる遠浅の海だった。縄文人達が海から採ってきて食べた貝塚を長年にわたり捨てた結果、この貝塚ができた。


下総台地の地図での説明があり、今日の散歩は台地のヘリを上り下りするのが特徴のようで興味深いものになりそうだ。


本土寺参道の桜並木をゆく


本土寺仁王門


本土寺五重塔が見える


木造三階建ての実相閣


角の家の前に立つ巨木


三叉路に建つ碑を覗いている


聖徳太子の碑(左)、青面金剛の碑(右)
聖徳太子が法隆寺や四天王寺等の寺院建築に関係が深かったことから、大工などの職人たちの信仰対象となり供養塔として建てられた。
青面金剛(庚申塔)は近世民間信仰として盛んだった仏教系庚申信仰の主尊であり、二世安楽を願う供養塔で、道しるべの役割も担っている。

大八車の車輪が壁にはめ込まれている、めずらしい光景


幸田第一公園(幸田貝塚)
市史跡に指定されているこの貝塚は、今から6000年前の縄文時代前に形成された貝塚。


貝塚を示す案内板


公園内での説明風景


公園の隅で見つけた貝


華厳寺
真言宗の寺院で 法峯山(ほうぶざん)地蔵院華厳寺。本尊は、地蔵菩薩。松戸七福神の中の一つ弁財天が祀られている。


華厳寺から富士山を眺める


梅林


坂大師供養塔付近
坂川の奥に東洋学園大学が建っている


坂大師供養塔
明治時代の中期に立てられた供養塔で、息子の冥福を祈って両親が建立。当時は坂の途中に建立されていたことから坂大師と名付けられ、昭和に入り区画整理によって現在の場所に移されたという。


浅間公園


医王寺
日照山(にっしょうざん)医王寺というのが正式な名称。不動明王を本尊として祀る真言宗のお寺。松戸七福神の中の一つ毘沙門天を祀っている。


医王寺本堂としだれ梅


おみくじの矢


めずらしい猫の石像


中金杉の曲がり角
崖になっており、流山市から新松戸にかけて一望できるところ
遠くに富士山と東京スカイツリーを望むことができた


広徳寺
金龍山(きんりゅうざん)広徳寺というのが正式な名称。 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀る曹洞宗の寺で、 高城胤忠(たかぎたねただ)によって 寛正(かんしょう)3年(1462年)栗ヶ沢(松戸市)の地で開山後、天文6年(1537年)に 高城(たかぎ)氏が大谷口に小金城を築城して移ると同時に現在の場所に移建した。高城氏の菩提寺であるこのお寺の境内左手奥の高台には、市史跡に指定されている高城氏の墓所( 胤忠(たねただ)・胤広(たねひろ)・胤吉(たねよし)・ 胤辰(たねとき)・胤則(たねのり)等)とその家臣達の墓所がある。


広徳寺境内にある香椿(ちゃんちん、中国産) 別名:唐変木(とうへんぼく)
境内は樹木も多く、トウヘンボクなど珍しい木もある。


高城氏の墓所


大谷口歴史公園の全景が見えてくる
戦国時代に東葛地方を支配した 高城(たかぎ)氏の居城(天文6年(1537)築城)小金城(小金大谷口城ともいう)跡を一部整備し、平成9年に開園。公園内には、城の遺構( 畝堀(うねぼり)・障子堀・土塁など)が保存され、樹木も多い公園。小金城は、自然の谷津と空堀を複雑に組み込んだ平山城形式の城郭で、その規模は、東西800m、南北600mにも及び、下総では大きい部類の城郭である。


障子堀


土塁


畝堀


金杉口跡
小金城北側の入口である 金杉口(かなすぎぐち)。

大谷口歴史公園をあとにし大金平に戻る。


大金平の碑
巨大な記念碑が目に入った。高さが二階家位あり、内容を見てみると、石碑を建てた人は、松本清氏。そうあのドラッグストアー『マシモトキヨシ』の初代社長。そして記念碑の内容は、この大金平の開墾の偉業のようだ。近所には、松本清記念会館もあった。

集会所(天神庵)で学習会
主催者側の説明と質疑応答。
この界隈のみどりについては寺と公園が点でつながっており、自然の里山は見られなかった。宅地化も進んでおり、これからどう緑化していくか課題のようだ。
14:30解散

解散後、北小金駅に向かう道すがら、小金城達磨口に立ち寄った。


小金城達磨口
小金城は、自然の谷津と空堀を複雑に組み込んだ平山城形式の城郭であり、4つの 虎口(こぐち)(入口)を持っていた。その一つがこの達磨口。


小金城達磨口にあった小金城復元略絵図

すこし歩いて北小金駅に到着15時過ぎだった。

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