モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

長屋のモーツァルト2

2011年01月29日 | モーツァルト伝
えー、毎度のお運びをありがとうございます。何ですな、こうして、道具も何もなく、適当な話を聞かせておあしをいただいている仕事ってのは、世界的に見ても落語ぐらいじゃないかってことで、だったら、ワシントン条約で保護したり、トキみてえにひとっところへ集めて人工繁殖、なんてことはできませんが。最近では、少し評判もよくなって落語に親しもう、落語で勉強しようなんて人も出てきた様子で、ありがたいことやら、同業が増えて迷惑やら。
 そんなことはどうでもよろしいですな。
 雪がずいぶん降って参りました。宇奈月のスキー場の方もなかなかよいコンディションです。また、そちらにもお運びをいただければうれしく思います。
 さて、江戸時代にモーツァルトのおうわさがあったら、てな変なことを考えたものですが、お話の2回目になります。オチがないので、少々心苦しいのですが、受験シーズンに配慮ということでご勘弁を。

 お店の丁稚みのきちに聞かれて「がくせい」「しんどう」のことを大黒屋のご隠居さんのところに聞きに行った八さん、熊さん、ご隠居が見せたいものがあるってなところで、前回お開き。

八;猿の頭蓋骨じゃあなけりゃあ、水母の肋骨かなんかだよ。
熊:そんなものあるわけねえじゃねえか。
八:あるわけないから珍しいじゃないか。そうだろ。
熊:この間、水神様の縁日に行くってえと6尺の大イタチがいるなんて威勢のいい声がかかるもんだから、まあ、話の種だ、だまされたと思って入ってみたわけよ。するってえと、だまされたね、うん。すっかり、だまされちまったい。
八:え、なんだい、イタチの大きいのをこうぎゅーっと引き延ばしたのかなんか
熊:なら、いいよ。小屋ん中入ってみると、長い板が立てかけてある。そこにイタチでも張り付いているのかと思ったけれど、どうもそうじゃねえ。おやじ、長いね、この板って言ったら、ええ、長いですよ、6尺ありますからね、って言いやがるんだ。
八:6尺
熊:ああ、6尺。どこかで聞いたなあと思ったんだ。だけどよ、何か足りねえだろ。するってえと、立てかけてある板の真ん中のへんにぽつんと何か赤いものが見えるんだよ。こりゃあ何だろうと思ってさわろうとしたら、おやじが、さわっちゃいけねえよなんて叫ぶんだ。何でだよ、こりゃ何だよって聞いたら、そら、血だよ、って。
八:ひどい話だね。最初から落ちが見えてそうじゃないか。え、何、6尺の大きな板に血ぃ。それで、6尺の大イタチ。ばかだねえ。それで、いくら払ったの?え、20文?そば食えるじゃねえか。え、いい板でありゃきっとケヤキの一枚板だって。どうでもいいよ、そんなこたあ。
隠居:おいおい、いいかな。そんなおかしなものを見せるわけがないよ。まあ、この間、小野小町が源義経に書いたラブレターってのを売りに来た奴がいたな。そんなものあるわけない、時代が違うよなんて言ったら、あるわけねえから珍しいなんて言っていたけれどね。おおかたそんなものだろう。何でも商売にする人があるもんだな。そんなんじゃありませんよ。ええっっとどこだったかな。ああ、これだこれだ。ほこりがたっているね。まあ、みてもよくわからないものだからねえ、ついごぶさたしちゃったよ。ふぅ、ふー、ごほごほ。
八:何です。黄表紙ですか?え、違う。あ、さてはわじるしでも、隅に置けませんね、ご隠居。え、違う。まああ、そうでしょうね。帳面みてえなものじゃないですか。紙、ですか。これは、何かちょっと違いますね。はあ、線みたいなものがたくさん書いてあって、これはひょっとすると家なんかの絵図面か何かですか。え、違う。ああ、黒い点々が書いてあって、ひげみたいなものが並んでいる。おたまじゃくしみてえですね。ほら、熊、みてごらんよ。これきっと誰かが田んぼのなかにいたおたまじゃくしを絵に描いたんだぜ。
熊:そんなおたまいねえよ。ほら、こいつなんか、尻尾が幾重にも分かれている。こいつなんか、よこにつながっているじゃねえか。おたまなんかじゃねえよ。
八:そら、きっとおたまの目刺しかなんかだよ。蝦夷地のあたりではそんなのもあるかもしれないじゃないか。
隠居:おたまの目刺しだなんて、誰がそんなもの食うんだね。大体、ああいうのは干しちゃうとなくなっちまうよ。ああ、まあ、熊さんのいうとおりだ。絵図面のようなものといえば、そういうものだな。これはなあ。西洋から、さる事情で手に入れたものだ。
八:あ、やっぱり。やっぱり、「さる」ですね。頭蓋骨じゃなくて、肋骨だ、ほらここんとこ、きっと肋骨にひびが入ったんだ。
隠居:いや、そのさるじゃない。私の父親の道具から見つけたものでね。そういえば、小さいころ、いくらか聞かされたことを思い出したんだ。うん、私の父はね、船乗りだったんだが、まあ、そのことは長くなるから今はやめておこう。これはな、「おんがく」というものを記しておく、ものなんだ。ほら、長唄なんかでも節書いたものがあるだろう。ああいうやつさ。そんなもの師匠からおせえてもらえばいいって。なるほど、そうだねえ。どうしたものか、西洋の方ではこういうのを書いて、別の人に弾いてもらったりしたんだそうだ。ほら、ここに五本の線があるだろう。さっき、八がおたまじゃくしといったのを、その頭になるところをここに書いて、音をしめしたものなんだそうだ。じつはな、これが、その「がくせい」という人が作ったものをうつしたものなんだそうな。
八:え、そうなんですか。「がくせい」ってのはカエルですか!あ、おたまみてえだけど、おたまじゃないんだったな、がくせいってのは三味線かなんかの師匠ってことですか。
隠居:まあ、そうなるかな。だけど、ちょっとちがっていてね。西洋ではえらい人の前で楽器をひいてそれで仕事にしている人があるっていうんだ。花街にいるって。そりゃ、芸者だろう。そうじゃなくって、殿様みたいな人たちに何か一節作ってみたり、ほら、あすこで歌舞伎やっているだろう、ああいうう小屋で「おんがく」ってのを弾いてみたりしているんだそうな。
八:へえー、「がくせい」ってのは長唄の大師匠みたいなものなんですね。え、ちょっと違う。新内流しなんか、川端のあたりでちょっと飲んでいる奴の前で色っぽいのを作って歌っているじゃありませんか。え、あ、ああいうんではない。お武家様が聞くんですか?へー、お武家様なんてのはホラ貝やなんかを聞くもんと思っていましたが。
隠居:お前たちと話していると、どうもややこしいいね。それはそうだね。見たこともない、聞いたこともない話だろうからな。どうだい、今日は仕事はもういいんだろう。だったら、うちで何かこしらえてあげるから、よばれていきなさい。いやいや、遠慮なんかはいい。この紙を見ていたら親父様のことがちょっと思い出されてね。誰かに話したくなっちまったよ、ぜひ、聞いておくれよ。今、奥向きに支度させるから。おーい、おい、ちょっとなあ、表の、ほら、最近できた京豆腐の、ええっとおかべとか言ったな、何かあの白くてのっぺりしたのを買ってきなさい。湯豆腐でもしようじゃないかい。ええ、ああ、八や熊もいっしょだよ。少し奮発してね。さあ、じゃあ、どこから話そうかな。

ってんで、ご隠居が話し始めたのが、何とこれがモーツァルトの物語。なぜ、ご隠居がモーツァルトのことなど知っていたのかは、これは次回のお楽しみ。またのお運びを。


雪のカーニバル

2011年01月29日 | 日記
来週、2月5日は宇奈月温泉雪のカーニバルです。
雪像コンテストやスキーヤーによる松明(たいまつ)滑降。誰でも参加できる松明徒歩行列などがあり、宇奈月公園では美味しい鍋のふるまいがあります。

スケジュールは以下の通りです。

19時00分~ 宇奈月公園で左義長神事
19時20分~ 宇奈月公園で鍋のふるまい開始!
19時30分~ 雪像コンテスト表彰式
20時05分~ 富山地方鉄道宇奈月温泉駅から松明徒歩行列が出発
20時35分~ 雪上花火大会
21時00分   終了(予定)

雪のカーニバルを皮切りに、宇奈月の冬のイベントが目白押しです。
ぜひ、雪の宇奈月温泉においでください。

実行委員会でも何かやりたいと思っているんですが。

Alles Gute zum Geburtstag アマデウス

2011年01月27日 | 日記
今日、1月27日は、モーツァルトの誕生日です。
ドイツ語だと、こんな感じです。
Alles Gute zum Geburtstag。

私たちがモーツァルトと呼んでいる大音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトWolfgang Amadeus Mozartは、1756年(宝暦6年)1月27日、神聖ローマ帝国の大司教領であった現在のオーストリアのザルツブルクに生まれました。洗礼名は、ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルトです。
父親は、ヨハン・ゲオルク・レオポルドといい、ザルツブルクの宮廷オーケストラのバイオリニストでした。母は、アンナ・マリーア・ベルトルで、二人の間には7人の子どもがありましたが、5人が子どものうちに亡くなり、成人したのは、4番目の女の子ナンネルと末っ子のアマデウスだけでした。
やがて、この男の子が世界を震撼させる音楽を生み出すのですが、それもそう先の話ではありません。私たちは、その人物の生き方を知ったうえで、その人の誕生日を特別のものと感じていますが、それはこの日が何かの運命の扉を開いたと後世になって意味あるものに置き換えているからですね。当時、アマデウスの誕生は、私たち一人一人と同様に祝福されていたことでしょう。

きっと、天からの贈り物の雪が舞う日だったのではないかと、勝手に想像しています。
宇奈月には、しんしんと雪が降り積もり、4分の1ミレニアムも前の一人の天才の誕生を偲んでいます。
もし、世界にモーツァルトの音楽がなかったら。私たちは不幸にもその想像ができませんし、幸いにも、現実に、私たちの傍らにモーツァルトの楽曲と伝説をもっています。

Alles Gute zum Geburtstag Wolfgang Amadeus Mozart!Ein Toast!

自然の音を楽しむ

2011年01月25日 | 日記
温泉+スキーつながりは、今では珍しくなくなりましたが、以前は、草津とか、野沢の専売みたいなところがありました。昭和40年代は、例えば、白馬にないものは「温泉」だけと言われたくらいに、名だたるスキー場でも温泉を渇望していました。今では、白馬には、白馬温泉、塩の道温泉、天神の湯、十郎の湯など個性的な温泉がありますが、それにしても、宇奈月のような大規模な温泉街までは発達していません。
「パパ、ママ温泉、ぼくスキー」という名コピーがあったように、宇奈月温泉スキー場は、温泉とスキーが楽しめる場所として多くの人たちに親しまれてきました。
何度も、繰り返しますが、アルペンスキー発祥の地、そして、日本にスキー技術を伝えたレルヒやシュナイダーの母国は、モーツァルトの故郷でもあります。
今週末は、ワールドカップのクラシックシリーズと呼ばれる伝統的なオールドコースでの大会として、世界で最も難度の高いとされるキッツビューエルの大会が開催されています。ザルツブルク州の隣のチロル州にあるようですね。
モーツァルトな風景を探しに、宇奈月温泉スキー場に行ってみました。
無料の上山リフトまで来ると、林道コースをスキーやそりの親子連れが下ってきます。楽しそうですね。朝から降り続いた雪が止み、気温も上がってきたので、ずいぶんと居心地がよさそうです。

リフトに乗るだけでけっこう子どもは喜びますね。ちょっとおっかながる子もありますが。高度を上げると宇奈月の山々が案外大きく険しいことに気付きます。山彦橋や弥太蔵谷の深く奥まった様子も見渡せます。
かつては、7本目のリフトまでありましたが、現在は、2本のリフトで運用されています。上山リフトを降りると、観音様の足下に広がるかつての名コース第5ゲレンデ。こぶこぶの斜面を一気に降りれるようになるのがちょっとした憧れでした。今でも楽しめそうですね。シュプールが残っていました。ゲレンデ外は危険なので、かなりの経験がないとあまり奨められません。スノーシューには絶好の斜面ですね。
かつての第7リフト、古いファンにはロープリフトがかかっていたあたりはキッズゲレンデになっています。子どもたちがチューブで遊んでいました。親子の姿もけっこう見かけます。

第3ゲレンデと呼ばれるペアリフトがかかった場所は、とてもきれいにパッキングされていて、上達を目指す人や地元のキッズレーサー、とにかく滑るのが楽しい人までたくさんの人がスキーに興じています。ボードのお姉さんの姿も見かけます。ボードはお姉さん比率が高いのですが、どうしてだろうなあ。
少年がスキーをはこうとしています。向こう側にスキーロッジと山が見えます。オーストリアにもこんな風景があるんでしょうか。もしかしたら、と思いを馳せます。

雪の中にぼんやりと佇んでいると、自然、心が和んできます。自然の音っていいですね。f分の1ゆらぎとかっていうんですか。波とか、風とか、スキーの滑走音やリズムにも紛れ込んでいそうです。人の心を柔らかく解きほぐすそうした音は、実はモーツァルトの楽曲にも含まれている要素なのだそうです。
音楽というと楽譜に刻まれたものをすぐに思いつきますが、いや、様々に奏でられている音を受け止め楽しむこと。それが「音楽」なのかもしれません。
モーツァルトはそういうものを楽曲に仕立て上げ、感じにくいけれど感じているもの、見えにくいけれど見えているもの、そういうものをはっきりと認識できるかたちで表現できた天才だったのかもしれませんね。
思わず、ゲレンデを前に頭が下がります。
「ふるさとのスキー場はありがたきかな」

雪がけっこう積もりました

2011年01月20日 | 日記
今日は大寒です。
数日前からどか雪というほどではないのですが、雪が降り続いています。
宇奈月温泉スキー場も、十分な積雪で楽しんでいただくことができます。
モーツァルトのふるさとオーストリアでもスキーがとても盛んです。スキーメーカーもたくさんあります。はっきりしたことはわかりませんが、楽器製造の技術がスキー板の製作に応用できたということを聞いたことがあります。板を張り合わせたり、曲げたりする技術はたしかにお手のものかもしれません。日本でも、日本楽器が「ヤマハ」ブランドでスキー板を作っていましたね。1997年にテニスラケットとともに撤退しています。
板はオーストリア、靴はイタリアなどという伝統的な考え方もあるようですね。
モーツァルトの時代には、残念ながら現在のようなスキーはまだ普及していません。モーツァルトがスキーを知っていたらすてきな音楽を作っていただろうなあ。
宇奈月温泉スキー場は上山リフトが無料。スキー場での雪遊びならお金はかかりません。レストハウスで食事してくるのもいいですし、リフト券も半日券1000円。ちょっと雪遊びっていう楽しみ方もありそうです。
この週末にでも、ぜひ、宇奈月へ。

長屋のモーツァルト その1

2011年01月13日 | モーツァルト伝
えー、しばらくのお付き合いをお願いいたします。

 世の中には、しらねえこと、わからないことだからけなんですが、知ったかぶりをしてわけしり顔に話す人もいると思えば、案外いろんなことを知っていて、知っているくせに人に質問したりして、困らせちゃうような人もあるようです。

 落語の方では、えー、たいてい、八とか、熊とかいう長屋の住人がものをよく知らないことになっていて、大家ってんですかな、江戸時代の長屋はちゃんとその長屋を差配する人がいて、そのうえに大家さんもいるてなかたちだったそうですな。長屋ごとに門があって時間になると閉めちゃったりするそうで、まあ、それが門限なんてことばに残っているようですが、時間が過ぎちまうと通りから通りに抜けられなくなって、いちいちあいさつして開けてもらわなくちゃならなかったんだそうで。

 それはともかく、たいてい、この大家ってのがおおかたわけしりの知ったかぶりで、「ちはやふる」なんてお話に出てくるのはまさにそういう人で。

 一方で、お店の奉公している小僧さんあたりで知恵の回るのがいて、ちょっと意地悪な大人をからかってやろうなんてのがでてまいります。昔は、身分でお侍の子はお侍、町人の子は町人なんて決まっておりましたが、人なんてものは備わったものはあっても案外親に似ずにトンビがタカなんてことも申しますから、小さいうちからいろんなことに気が回る子もあったのかもしれません。
 いえね、こんな話をいたしますのは、わたくしどもが少々大切にしておりますモーツァルトってえ人が生まれた1756年ってのは、日本でいえば宝暦6年。明和、安永、天明と続いて、亡くなったのが寛政3年です。日本じゃお江戸の時代も半ばを過ぎ、例えば、天明2年から8年は大飢饉で明日食う米がないくらいならまだしも、ずっと前から何にもくえねえ、年貢の取りようもなってくらいに大変だったころなんですな。
 当時ってのは、米はお金ですが、お金を田んぼで育ててたなんてのは日本ぐらいのものなんだそうです。お天道様の気まぐれでお金まで干上がっちゃった。飢饉が始まった天明2年は、モーツァルトがコンスタンツェさんと結婚なすった年で、天明8年は「ジュピター」を作曲した年です。

 時代がもうちょっと下がったころ、遠山の金さんのころくらいかな、もし、モーツァルトの話が伝わっていたらという話をこしらえてみました。

 長屋のモーツァルトってなところでおつきあいを。なあに、おもしろくなけりゃあ、ささっとやめちまいます、ええ。

みのきち:ねえねえ、八さん。「がくせい」って知っている?
八:え、なんだ、みのちゃんか。お店はどうだい。ええ、あいかわらずなんでもききたがりやだな。え、がくせいかい。まだ、食ったことがねえな。
みのきち:ちがわい、食べ物じゃないや。南蛮のえらい音楽の先生で、なんでも「しんどう」ってもいわれたそうだなんだよ。寺子屋の先生に聞いたんだ。でも、先生もあんまり知らないらしくて、何でも知っている八さんに聞いてみればって、先生が。先生が、そうおっしゃるんだよ。ねえ、八さん。
八:先生が。あっしに。そうですかい。見込み違い、お門違いなんてこともいうけれど、そら、先生もよく知っていなさる。たいていのことは俺に聞いておけばいいからね。知らないこと以外なら何でも知っているからなあ。え、なに、「しんどう」って、ああ、あれあれね、あれかい。こう腰のところにつけてぶるぶるってやるってえと部分やせになるとかいうテレビでやっている奴。
みのきち:えー、何か違うと思うよ。だいたい、テレビって何?
八:あ、そうか、時代間違えちゃったな。EMSか、そら。うーんと、あ、お、おい。いいところにきやがったなあ。おい、熊、熊公。こっちだ、そっちじゃねえよ。一体どこに耳つけてやがんだ。
みのきち:耳はたいてい頭の横だよ。
八:わかっているよ、そんなこと。熊、熊、こっちだ。やっとこっち見やがった。一体どこに目ぇつけてんだ。
みのきち:目はたいてい頭の前だよ。上についてりゃかたつむりだ。
八:わか、わかってるよ。そんなこと。いちいちつっこまない。ひねくれたやつだね、どうも。
熊:おーう、八ぃ。元気だったか、さよなら。
八:あ、あっ、どこへいくんだよっ!
熊:いやな、みのちゃんがいるだろ。苦手なんだよ。何でも聞くだろ、こいつ。この間も、サイってのどんなものですか、って聞かれて、うちにもいるよなんていってえらい恥かいちゃったんだ。
八:それかみさんのことだろ。Wけんじさんのネタだよ。「うちのさい」ってやつだろ。また、時代がかわってるよ。いやね、みのきちがさ、「がくせい」ってのを知っているかいって聞くからさ。
熊:まだ、食べたことがねえな。
八:ほら、こうだろ。おれもそう言ったんだよ。やっぱり、こいつじゃいけねえな。ご隠居のところへ行こうじゃないか、ああそうしよう。それがいいや。
熊:ご隠居さんかい?大黒町の?大丈夫かな。この間の「ちはやふる」ってのもあやしいもんだよ。相撲取りと芸者の話ってことだったけど、おいらはどうもあやしいとおもっているんだよ。いやさ、いいこと聞いたなと思うもんだから仕事仲間に話したんだけど、「からくれない」ってのがおからってのがどうもなあ、なんてすっかりおいらつっこまれてるんだって。いやだなあ、どうも。気が進まないよ。時々、鳥の羽で字ぃ書いてるなんて聞いたことあるぜ。
八:じゃあ、どうすりゃいいんだ。こうやって、勉強しようっていう小僧さんがいるんだ。ちゃんとおせえてあげるのが大人の責任ってやつじゃあねえのかい。いやさ、熊よ。おれたちもよく知らねえけれど、どうせ時間があったってそこらでそばやら酒なんぞつまんでいるだけじゃねえか。ことのついでに、こちらも勉強させていただこうじゃねえかって寸法さ。
熊:また、言うねえ。なるほど、それも悪かねえ。隠居んところのお菓子はうめえからな。
八:また、熊は食欲かい。まあ、いいじゃねえか。みのきち、お待たせいたしやしたね。あっしらが、ご隠居のところへいってちゃんと聞きますから、安心してください。
みのきち:うん、わかった。だけど、あたしはちょっとお店のお使いにいかなくっちゃなりません。あとで、八さんのおうちに寄りますから、くわしいことをそこでおせえてください。
八:あ、え、ああ、そう。そう、そうですか。こまったな、こりゃ。いっしょに聞いてりゃあいいかと思っていたのに。はい、はい、わかりました。そういたしやしょう。しっかり、おせえてもらってきますからね。じゃあ、はい、行ってらっしゃい。気をつけて。行っちまったよ。おい、熊、こまったね、どうも。
熊:どうもじゃないよ。こっちが勉強しなくちゃいけねえじゃねえか。おいらだって親方の用事の途中なんだ。てめえだけで行ってくれよ。
八:後生だよ、いっしょになあ、頼むから。「がくせい」ってのと、「しんどう」ってのを聞いてくればいいだけだからさあ。すぐにすむから、なあ、いっしょに頼むよ。
熊:まあ、しようがないなあ。乗りかかった舟だ、ちょっとだけだぞ。長くなったら買えるからな。何だって、南蛮のえらい音楽の先生ってのかい。ふーん、音楽ってので先生ができるんだ。そういうもんかね。おい、ご隠居のところ、ここじゃねえのか。
八:あ、そうだそうだ。もしもーし、ご隠居さん、いらっしゃいますか。八です。熊もいます。人間の方の熊です。麻酔銃なんか撃っちゃいけませんよ。
熊:物騒だね。こんちはー。ご無沙汰しています。ご隠居さーん。
隠居:はいはい、お、これはようこそ、八つぁんに熊さんじゃないか。何々、教えて欲しいことがある。いいね、勉強は一生かけてやらなくちゃ。ふんふん、なんだね。あ、そう。「がくせい」、ふんふん、「しんどう」ほおお。そら、おもしろいことを勉強しようとしてるな。まあ、わかった。何でもいいからこっちあがんなさい。ちょっと変わったものを見せてあげよう。
八:こら、きた!猿の頭蓋骨か何か見せられるんだよ、きっと。(つづく)

公式ウェブサイト準備中

2011年01月13日 | 日記
湯の街ふれあい音楽祭モーツァルト@宇奈月の2011年秋の開催に向けて、特に参加や参観などの詳しい情報をお届けするための公式ウェブサイトを準備中です。
このウェブサイトでは、開催要項、参加申込の方法、当日のスケジュールなどのお知らせを行う予定です。
ブログの方も引き続き、音楽祭の空気感を伝えていきたいと思います。
ウェブサイト、ブログ、ツイッター、ユーストリーム、ユーチューブとそろってきましたね。あとは、SNSかな(笑)

北日本新聞で紹介されました

2011年01月13日 | 音楽祭について
2010年の音楽祭終了後、成果と課題を踏まえて、2011年の開催を検討してきました。
実は、2011年秋の開催を目指して動き始めています。
記事が平成23年1月12日付の地元紙・北日本新聞に掲載されました。

写真は、宇奈月温泉駅前のクラフルズさんの演奏です。ドレスを着たすてきなお姉さんのカルテットです。画像をクリックすると別画面で大きくなります。
音楽祭の風景を印象づけた場面ですね。


スキー100年たくさん雪が降っています

2011年01月12日 | 日記
今日1月12日は、日本で初めてスキー指導が行われてから100年にあたります。
現在の上越市高田の金谷山で、オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐から指導を受けたのが最初だといわれています。
進軍の道具にしようとしたようですが、結局、戦略的にスキーが使われることはなく、一般市民の体力つくりとして広がりました。高価だった道具も、竹スキーなどの開発などで急速に普及し、昭和30年代に入ってからは鉄道などの交通網の発達や生活水準の向上などもあり、各地にリフトが設置されたスキー場が生まれ、バブル期のスキーブームにつながりました。
このごろではスキー人口が激減したともいわれていますが、以前に比べてスキー場の整備も進み、むしろ取り組みやすくなっています。
オーストリアでは、スキー人口の減少やスキー競技の低迷が心配されていましたが、今年は、オーストリアのナショナルチームも少しずつ成績が向上しています。
雪、オーストリア、宇奈月、モーツァルト。さまざまな縁の循環を感じます。

モーツァルト伝記

2011年01月09日 | モーツァルト伝
モーツァルトが亡くなったのが、寛政3年の12月。こちらは、モーツァルトのレクイエムの逸話もあってよく知られています。
一方、生まれたのは、宝暦6年1月27日のことです。
違和感があった方も多いでしょう。年号で表記するとそんな感じなんです。西暦で書くと、1756年から1791年の方ということになります。ちょうど、ヨーロッパではフランス革命などに代表される時代の変革の時期に当たりました。ハプスブルク家のマリア・テレージアやその娘、マリー・アントワネットなどがモーツァルトの人生とも交錯しています。
私たちは、モーツァルトが遺した仕事を今に感じ取っているわけですが、モーツァルトいう人の生涯を少し知ることで、ザルツブルクと宇奈月の距離感をもうちょっと測ってみようと考えました。
そこで、モーツァルトの誕生日のお祝いに、モーツァルトの伝記を連載します。みんなで、モーツァルトという人の人生をちょっとだけ勉強してみましょう。
今回は、プロローグです。時代の様子を少しひもときます。

モーツァルトが生きた時代は、日本では、江戸時代。田沼意次から寛政の改革で知られる松平定信の時代です。有名な天明の大飢饉があり、92万人の人口減があったと推測される時代です。天明の大飢饉の原因は、天明3年(1783)の岩木山、浅間山の噴火による日照低下による冷害と考えられていますが、同じ年ヨーロッパでもアイスランドでもラキ火山が噴火し、低温化があったそうです。当時、モーツァルトは大司教との関係悪化後で、ウィーンに住んでいたようです。
この時期、世界的にも動乱の時代です。
1773年には、ボストン茶会事件。最近、オバマの政策に反対する人たちのグループ「ティーパーティー」が話題になりましたが、名称はこの事件に発しています。アメリカの独立戦争の引き金といわれています。1776年にアメリカは独立を宣言、1787年合衆国憲法が制定されます。この年、「ドン・ジョバンニ」が初演。私たちが宮廷的なイメージをもってモーツァルトの時代を見てしまいがちですが、こういう背景があるんですね。1789年、フランス人権宣言の年は、亡くなる少し前です。世界の動きや天候の不安定は、モーツァルトならずとも終末観を高めるには、十分な要素だったかも知れません。
モーツァルトが若き日に求婚したマリー・アントワネットが処刑されるのが、1793年。モーツァルトはすでにこの世の人ではありませんでした。
日本では、寛政の改革が1787年に始まります。江戸幕府の財政状況が逼迫し始めるころですね。日本は米本位制だったので、大飢饉は直接財政に影響します。お金を水田で育てていたのですから、それは当然でしょう。逆に、そういう作物を通貨価値に換算できたということは、それだけ収量が安定していたということでもあり、数年に及ぶ飢饉がすさまじいものであったことは想像できますね。大黒屋光太夫が遭難し、辛苦の果てにエカテリーナ女帝に謁見するのが1791年。まさに、モーツァルトの没年でした。翌年記憶した光太夫は軟禁されたとも聞きますが、彼からヨーロッパの事情がいくらか伝わったともいわれています。
こうしてみてみると、ハプスブルクに代表されるヨーロッパの王侯文化が最後の華を開いていた季節に、モーツァルトがそうした文化をすべて統合するかのように、すばらしい楽曲を生み出していたような風景が見えてきます。
そのまま、書いてしまうとただの物語になるので、ちょっと趣向を凝らしています。どこでも読めるものをこのブログで提供しても仕方ありません。西洋の楽聖のことを江戸時代の人たちが耳にしたらどうなるだろう。そんなことを考えてみました。どういう展開になるかはお楽しみに。
少年モーツァルトが最も光り輝いたのが、池波正太郎の「剣客商売」のころでしょうか。時代は少し下がって、遠山金四郎が奉行を務めたころ、そのころの人々が楽聖モーツァルトの話を聞く、そんな設定を考えてみました。
不定期連載です。時々、覗いてみてください。
そうそう、その頃の宇奈月はどうだったか。ちゃんと書いておきましょう。
文献からは、正保2年(1645)、現在の黒部市宇奈月町音沢の太郎左右衛門が黒薙温泉を発見しています。国境警備上の問題もあり、加賀藩は開湯を許しません。当時は、黒部奥山と呼ばれる黒部川沿いの山岳地帯は御取締地として厳しく立ち入りや開発を制限していました。開湯が許可されるのは、慶応4年(1868)です。龍馬暗殺の翌年です。ここからお湯を引いて、ウナズキ平に宇奈月温泉が開かれたのが、大正12年(1923)のことです。7キロメートルに及ぶ引湯管は全国的にも珍しいのですが、加賀藩はそれが可能かどうかを、用水路の設置で優れた技術をもち、数々の難工事を成功させた椎名道三に測量させています。それほどによいお湯だったのかもしれませんね。

プロローグにしては、少々長すぎましたね。
では、次回より連載開始。お楽しみに。


1月の宇奈月

2011年01月07日 | 日記
1月に入って積雪が増えてきました。
宇奈月の冬は格別です。どの季節もいいのですが、冬のほっこりした静けさは他に比べるものはありませんね。
雪が降るというと吹雪のイメージがありますが、ほんとうの大雪になると、しんしんと降り積もります。
しんしん雪しんしんふりつもる
どこかの子どもさんが作った句だそうです。雪国の風景をうまく表現していますね。
そうやってしんしんふってきたときは、実は不思議な静けさに包まれます。
物音がなくなったなと思って窓を開けたら風もなく、音もなく、幕を引いたようにたくさんの雪が空から真っ直ぐに落ちてくる。雪が吸音材になってまわりの音を吸い取ってしまうそうですね。
オーストリアにはそういう雪はあるんでしょうか。
宇奈月の1月の風景をいくつか。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅です。手前には列車にシートがかけられているのが見えますね。駅はちゃんとこういう季節でも動いていますが、一般観光客向けの運行はありません。でも、電気記念館はちゃんと開館していますよ。

駅前の駐車場。北陸の雪はこうやってくっつき合うように積もります。しっとりとした湿り気のある雪なんです。

山彦橋から黒部川を撮影しました。お馴染みの風景ですが、セピアな色合いにすると、趣が変わりますね。橋から下を見ると、川底までくっきりと見えます。魚の姿さえ見えるんですよ。1月から3月までの黒部川は、厳しく透き通った川に見えますね。3月も下旬になるといろんなものは一気にほころびだして、川も濁りが入るようになります。この濁りは笹濁りといって、雪解け水を含んで少し緑色がかります。
スキーリフトも動き出しています。
1月12日には、日本スキー伝来(正確には、スキー技術の伝来ですが)100年の記念に宇奈月スキー場の風景をお届けしようと思います。
お楽しみに。

明けましておめでとうございます

2011年01月01日 | 日記
明けましておめでとうございます。
記念すべき2010年からいよいよ2011年へ。
今年も、モーツァルト@宇奈月を開催するために準備を進めています。
また、宇奈月でお会いしたいと思います。
新年にあたって、こういうのを書いてみました。
モーツァルト、温泉、黒部川、そして、光と風。そういうものが響き合って、新しい音楽祭が生まれたのが2010年でした。今度はどんなものがいっしょに響き合うのでしょう楽しみですね。
こんなイラストにしてみました。

アマデウナヅキと仲間たちです。
塗り絵にしてみました。
いや、決して着色が間に合わなかったわけではありません。
いっそ塗っていただいたものをメール投稿していただくとうれしく思います。
何か記念品でも贈りましょう。
また、今年もモーツァルト@宇奈月を楽しんでいただければ幸いです。