モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

ミラノ・ドゥオーモです

2014年06月29日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。イタリア敗退したとはいえ、やはりサッカーの国。ネイマールのPKに盛り上がっています。
ここは、ミラノの象徴、大聖堂ドゥオーモです。世界最大級のゴシック建築で、容積も、広さもいずれも世界第2位。広さの1位はバチカンなので、その規模がうかがわれます。135の塔があって、全部に聖人が立っているそうです。一番高いのは聖母マリア。

写真ではなかなか威容をお伝えし切れません。
さて、この街にアマデウスがやってきたのは、1770年。モーツァルト父子は、サン・マルコのアウグスト修道会修道院に宿泊したようです。レオポルトの妻への手紙では、この宿泊場所が快適で、無料で3つの部屋があてがわれた事が書かれているそうです。けっこう有名だったのかもしれませんね。
ミラノ総督府長官を務めるカール・ヨーゼフ・フェルミアン伯爵は、モーツァルト父子を支援していたので、総督の公邸
メルツィ宮の近くだったそうで、そういう便宜があったのかもしれません。
総督府長官カール・ヨーゼフ・フェルミアーン伯爵はザルツブルクの大司教シュラッテンバッハ伯の前任者レオポルト・アントン・フェルミアーンの甥となる人で、レオポルトがミラノにおいて最も頼りにした人だったみたいですね。実際、伯爵は父子を随分助けてくださったようです。
1770年のミラノは人口が約12万人、ハプスブルク家の支配下で、ミラノの最高に輝いていた時代とも言われるそうです
。音楽においても大バッハの末息子クリスチャン・バッハが1760年から2年間ドゥオーモのオルガ二ストを勤めていたというのですから、芸術文化の中心地だったようですね。
ちょっと驚くのは、当時の江戸の人口が80万人くらいだったんじゃないかと言われていて、そこまでではないにしても、けっこうなものだったんだなと思います。逆に、江戸がどんなところだったのか、もし、このころ、にほんが多くの国と交易していたらどんな風に伝わっていたのかなと興味が湧きました。
では、ここからスカラ座まで、ミラノを堪能します。

ミラノへ

2014年06月28日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
ミラノに到着!世界中の高感度ファッションが集まる街です。

世界有数のアーケード街ガッレリアの前です。
うーん、ディズニーランドか、な?そうなんです。ディズニーランドのワールドバザールはここをモデルにしているんですね。千葉ではありません。ミラノです。
イタリア北部、ロンバルディア州の州都ミラノは、イタリア・オペラの殿堂スカラ座でおなじみです。書き始めるときりがないほどの芸術文化の魅力にあふれています。
アマデウスの当時は、マリア・テレジアのハプスブルク家の支配で栄華を極めていました。モーツァルト親子にとっては、ここでぜひ宮廷音楽家に、と願った場所でもあったようです。
今のミラノのことをちょっとだけ。
サッカーでは、インテルミラノとACミランの本拠地ですね。食べ物なら、ミラノ風と付いた食事もたくさんあります。ミラノ風と付いただけで豊穣な感じがします。この街出身の有名人としては、えいがおんがくでゆうめいなニーノ・ロータ、映画監督ならルキノ・ヴィスコンティ。ファッションでは、あのプラダの本店があります。
先に、紹介したスカラ座では、「蝶々夫人」や「トゥーランドット」が初演されています。(富山の中央通にもスカラ座があったなあ。あそこで、インディージョーンズ見たよ)
でも、なんだかアズーリ(サッカーイタリア代表のこと)の不甲斐なさに、ちょっとまちが静かだな・・・。
アマデウスに深い因縁をもつミラノの旅、始まります!

カフェ・ボンフィーノの足湯ライブ

2014年06月28日 | 日記
明日、6月29日に温泉街のカフェ・ボンフィーノさんの足湯でサックスのライブがあります。

観覧無料、というか、通りに面していますので通りがかりにでも楽しめますね。
宇奈月温泉街には、足湯が3箇所あります。うなづき公園、いっぷく処、3つ目にできたのが、フィールうなづき1階のカフェ・ボンフィーノ前。
足湯につかりながら、電車を眺めながら、コーヒーを飲みながら、ブルーシールアイスを味わいながら楽しめそうです。

スイスって特別な感じがします

2014年06月28日 | アルプスを越えて
ヨーロッパってそれほど大きくない国ばかりですが、地形が変化するせいなのか、それとも文化や習俗、民族のせいなのか、どこに行ってもそれぞれの国、地域、地方の雰囲気が違います。移動は日本国内の地方都市間くらいなのに、ここまで違うのかと思わせられることがたくさんあります。
同時に、通奏低音のように全体に横たわっている何かも色濃く感じられることがあります。ヨーロッパの交差点に位置するスイスはさまざまな影響を受けながらも、特徴ある風土が感じられました。

永世中立国という立場にも、実は多くの強い影響を脱するためという国のあり方の選択があったのだろうとも思います。
そんなことをしみじみ感じながら、さあ、次は、アマデウスの心のふるさと、憧れの場所とも言えるイタリアへ向かいます。
ワールドカップ2大会連続のグループリーグ敗退でちょっと力を落としているかもしれませんね。

聖ペーター協会

2014年06月27日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
チューリッヒにいます。スイスやりました決勝トーナメント進出です。トーナメント初戦は、アルゼンチン。今大会好調のメッシをどう止めるかが課題となりそうです。スイスの険しい峰々のように立ちふさがっていきたいものです。
さて、スイス一の時計塔、聖ペーター教会を訪ねます。遠くからは、けっこう近く思えたのに迷路のような町並みに阻まれています。

あっちの方だな。どんどん狭くなる。

大丈夫かな。そこを抜けたところかな。

お、きたきたー。ここが、聖ペーター教会。あの時計塔の時計は、時計の国のスイスでも最大だそうです。

教会自体もれきしがあって、857年にはもうあったそうで、時計塔は1534年に作られたものです。もちろん、アマデウスも見ていますね。
文字盤の直径が8.7mっていいますから、あの文字盤にがっこうのきょうしつが丸ごと入ってしまいます。長針が4m。短針でも3m。カリオストロの時計もこんなものでしょうか。案外、モデルだったりして。

この塔は火の見櫓も兼ねていて、1911年までは人が詰めていて、火事を見つけると旗で方向を示していたそうです。
日本でも刻を告げるはたらきをしていたのはお寺でした。鐘の音で時間を判断していたそうですが、ヨーロッパとの違いは、お日様が出ている時間を区分していたので、夏と冬では単位時間に違いがあるんです。だから、冬至に近いころは慌ただしくて先生は走るんですね、きっと。
ヨーロッパはその時代には、こうやって分や時間を感じていたんですね。

チューリッヒ、街歩き

2014年06月22日 | アルプスを越えて
サッカーに気を取られて、つい、更新をおろそかにしていました。今回、オーストリアは出場できませんでしたが、ここスイスは出場しています。誇りある戦いをしているということで、街でも大騒ぎです。
リマト川沿いにしばらく歩きます。

路面電車が走っています。路面電車が走るには狭くないかなと思う道ですが、車通りがないので、街にはまり込んで馴染んでいますね。日本と同様に広い土地があるわけでもないのですが、うまくすみ分けて、ゆとりを作っているという印象があります。

連結型ですね。色合いもいいなあ。ヨーロッパの古い街には独特の色がありますね。くすんだ感じのブルーですが、案外、この町の山際の空が夕暮れの赤い光に包まれて見せる蒼を思わせます。

市役所だそうです。日本ではむしろ奇抜なデザインだったりすることも大都市の象徴みたいなところもありますが、ヨーロッパの街並みではこういう伝統的な建築が多いようですね。しっかりとしていて、地盤も安定しているので、戦争でもなければ建て替えることもそれほど多くないからかもしれません。
地震が少ない土地ではこういう石積みが多いのに、地震国にほんではどうしてガラス張りの建物が多いのかな。地元・黒部のYKKのぎじゅつりょくがたかいので、ガラスでも大丈夫ってことかな。建物に開放感を要求するし、ガラスももともと石だから、その意味で、にほんてきな解釈かもしれません。

時計塔で有名な聖ペーター教会が見えてきました。時計の国スイスを象徴する大時計。ここからでもよく見えます。
行ってみましょう。

チューリッヒ大聖堂

2014年06月08日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
チューリッヒにいます。

ミュンスター橋はまさしく教会と教会をつないでいるんですね。ふりかえってみると、フラウミュンスターが見えました。
で、ここが標識。

入り口の扉はこういうレリーフで飾られています。

こういうのも見つけました。ブロンズのようです。

グロスミュンスターは、西ローマ帝国を建て広げたカール大帝が作ったものだそうです。この人は、何回もアルプスを超えた人だそうですが、それまでにあったフラウミュンスターを見下げるようにこの威容にしたみたいですね。本体も大きいのですが、少し小高い場所にあって、実は、そこはチューリッヒの聖者たちの墓地だったという話もあります。それでも、今もってカール大帝がある思慕を集めているのは、また、何か理由がありそうですね。地下に、カール大帝の胸像があって、フラウミュンスターを見つめているそうです。

中に入ってみました。実は、日曜日なので、いわゆる見学コースにいけないのです。

お、音楽が聞こえる。合唱団ですね。演奏も聞こえます。教会の響きは独特だなあ。きっと巧みに音響設計されていて街にも音が漏れて行くようになっていたんでしょうね。天上の音楽が小高い丘の上の教会からこぼれてくる。そういう風景が思い浮かびます。
どこへ行ってもローマの人々が歴史に食い込んでくるんですね。ヨーロッパはそういう場所なんだな。アマデウスがイタリア語のオペラを作っているのもそういう影響なのかな。


大聖堂へ

2014年06月07日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
チューリッヒにきています。
リマト川にかかるミュンスター橋へ向かいます。ミュンスター、って教会ですね。

ハイカーもたくさんいます。チューリッヒ湖もここから見えます。


リマト川をはさんで、聖母教会に向き合っているのが、宗教改革の舞台になったグロスミュンスター、大聖堂です。

2本の塔が立っています。行ってみます。

おお、なかなか大きい。当時のきょうかいはどんな場所だったんでしょうか。行政府だったり、公会堂だったり、政治や文化の中心になっていることもあるでしょうね。この威容は、街のシンボルにふさわしいと感じます。

スイスで始まった宗教改革はこの教会を治めたツヴィングリから始まるそうです。宗教改革といっても内戦を伴う激しいもので、ツヴィングリ自身も47歳で戦死されたそうです。ルターに比べて知名度は低いのですが、宗教改革を語る時に欠かせない人物の一人と聞きました。
神聖政治を行おうとしたわけですから、なるほど、政治、宗教、文化が融合しているのは理解できますね。
散歩はまだまだ続きます。

リマト川から聖母教会へ

2014年06月07日 | アルプスを越えて
アマデウナヅキンです。
チューリッヒにいます。
リマト川の河畔に出ました。ヨーロッパの街は、こうして川を抱えているところも多いですね。ザルツブルクもそうです。これは、流通のハイウェイ。日本でも、江戸、大阪、名古屋いずれも水運が発達していました。

リマト川で特徴的なのは、水力発電所がたくさんあるスイスの中でも、リマト川は35キロメートルの間に10もの発電所があるそうです。黒部に似ていますね。

川向こうに見えるのが、フラウミュンスター、聖母教会です。シャガールが1970年に作ったステンドグラスが有名です。伝統的なものに新しいものが加わって新しい魅力を作り出すというのは、それもヨーロッパらしさですね。
チューリッヒ出身やチューリッヒで亡くなった人を調べてみると、ペスタロッチ、「ハイジ」のヨハンナ・シュピリ、ジェイムス・ジョイス、ユングなどがいました。この街に住んでいた人は、レーニン、アインシュタイン、ワーグナー、それから、ティナ・ターナーなんかが出てきます。アマデウスはわずか2週間ですが、オペラハウスのポーチに胸像が飾られています。

教会の前にきました。
残念なことに、休館日。中に入れませんでした。まさか、教会に休館日があるとは・・・。博物館ということなんですね、きっと。
こういう塔は街のどこからでも見えたんでしょうね。ちなみに、スイスは、つい最近まで建物の高さが40mに制限されていました。宇奈月温泉の旅館ホテルがちょうどそのくらいでしょうか。景観保護にもなっていたようですが、現在は、この街にあるサンライズタワーが126mだそうです。これがスイスで一番高いそうです。なんかそういうのもスイスだと豊かさに感じられますね。
街の散歩はまだまだ続きます。

チューリッヒの見どころ

2014年06月02日 | アルプスを越えて
チューリッヒってどんな街って、思う人も少なくないと思います。保険会社かなって思う人もありますが、そうなんです、金融都市としても有名で、国際的な本部も数多く置かれていたり、住みやすい都市として世界でも有数のレベルをもち、公共交通機関が発達していることで有名なスイスの中でも、そうしたシステムの発祥の地と言われています。
ここに本部を置く最も有名な組織は、FIFAでしょうね。国際サッカー連盟です。いよいよワールドカップなので、本部は留守番のひとだけかな。

バーンホフ通りです。日本語で言えば、駅前通り。気の利いた素敵なお店が並びます。

駅前通りを貫くこの軌道はもしや・・・。

路面電車です。富山の人は、チンチン電車っていいますね。富山県は高岡と富山に路面電車があります。そういうところって他にないみたいですね。ここでは、トラムという言い方をしているようですね。

いい感じです。道幅の狭さがまた伝統と歴史を感じます。
チューリッヒの見どころは、リマト川、聖母教会、聖ペーター教会、大聖堂(グロスミュンスター)といった感じです。
ヨーロッパでは、古い都市にはたいてい大きな川や水路があって、それが流通の幹線になっていたことがよくわかります。そして、教会などの宗教施設。ここは、神聖ローマ帝国の影響も強かったのかな。いや、宗教改革の中心になったスイスなので、もっと別の見方ができそうですね。
では、いよいよ街歩きに出発です。ドイツ語で何て言うんだろうって思っていたら、チューリッヒ・ドイツ語ってのがあるんだそうです。ヨーロッパは、なかなか複雑でおもしろい。


スペシャルコンサート、チケットの発売が始まりました

2014年06月01日 | 音楽祭について
いよいよ、スペシャルコンサートのチケットの発売が始まりました。今年は、合唱団が結成されました。いよいよ音楽の味わいが深く広がっていく音楽祭のメインコンサートをお楽しみください。

今年は、メインコンサートの時間帯には街かどコンサートを行わず、より多くの方にメインコンサートを楽しんでいただけるようにプログラムを編成中です。
ここだけのスペシャルな時間をお楽しみください。