アマデウナヅキンです。まだ、レジデンツをさまよっています。見どころ満載なのです。
2013年はワグナー生誕200年。ふーん、そうなんだと思っていましたら、けっこうゆかりが深いようです。
1864年、バイエルン王となったルートヴィヒ2世はワーグナーをミュンヘンに招聘します。ワーグナーは王宮にて謁見し、1865年ミュンヘン宮廷歌劇場において、不朽の名作「トリスタンとイゾルデ」を初演しています。
なるほど。日本では、ちょうど幕末です。
看板になんか書いてあります。
ルートヴィヒ2世はワーグナーを人生の危機から救って資金面等で様々な援助をしました。ミュンヘンがワーグナーの生涯に持つ意味は非常に大きいものがあります。生活の安定、制作に打ち込めたことも勿論ですが、その他、上演不可能とされた「トリスタンとイゾルデ」や、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」等の初演がミュンヘンで行われました。中でも特筆すべきは、ワーグナーが指揮を弟子のハンス・フォン・ビューローにまかせて、自らはステージングの統括監督に専念したことです。演出が職業として確立されていなかった時代に、ワーグナーはステージングがいかに重要であるかを主張、実践し、演出家という役割を確立して見せました。また、演出の中での共同作業、そこで築いた人間関係が後のバイロイト音楽祭に生かされたという点で、非常に大きな意味があると思います。
バイロイトに実を結ぶ「祝祭」という構造が具体化、現実化したのもミュンヘン時代であり、これを後ろで支え、促したのがルートヴィヒ 2 世の熱意でした。ワーグナーが王の求めで書いた「ミュンヘンに設立すべきドイツ音楽学校について」と言う 50 ページを超える報告書があります。その中でワーグナーは、バイロイト祝祭劇場同様、見えないオーケストラピットを備えた劇場の設立を提唱し、同時に、模範的上演を行うために何が必要かを詳細に説いています。何よりも重要なのは人材の育成で、ドイツ語の明晰な発音と発声ができ、舞台上で歌えて演技もできる、才能と実力を兼ね備えた歌手がドイツにはいないので、その育成が重要である、と述べ、演奏家についても、技術に加えて、深い音楽的素養と古典的形式感を備えた音楽家の教育機関を提唱しました。
なるほど、近代的な音楽芸術の環境はここで生まれたってことですね。
ワーグナーの像と、ルートヴィヒ2世の肖像画の前にて。
こういう芸術に金を使うことは、実は後から評価されるんだろうなあ。1980年ごろだったかな、富山県立近代美術館が完成を見ずに亡くなったシュールレアレスムの巨人、滝口修造のコンセプトをよく活かして公開された時、地元の評判はさんさんたるものでした。絵がわからない、地元作家の展示がない、意味がわからんなどなど。一方、芸術や創作活動に関心の深い人々にはまさに快哉を叫ばせたのです。その後の独特の芸術活動が、実は、30年を経て金沢二十一世紀美術館が多くの人に受け入れられる現在につながっていると思います。
芸術とは、その評価が一朝一夕に生まれるものではないのですが、必ず、最初があることも教えてもらえました。