モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

アマデウスがいたずらっぽく笑いながら

2013年09月05日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
レジデンツでアマデウスが実際に演奏した場所でなんだかいろんなものがずーんと伝わってきました。
ここには、他にもいろいろな部屋があります。ザルツブルクはのちに政教分離されたため、大司教の役割も変化しました。

ひとつひとつの調度が深い意味合いをもっているんでしょうね。当時も、今も、それは変わりません。

こういう場所で、いつか僕たちの音楽祭に参加している人が演奏できる日がくるといいなあ。心からそう願います。そのとき、きっと、傍にアマデウスがいて、ちょっと唇の端を持ち上げていたずらっぽく笑いながら励ましてくれるに違いありません。


ここで、幼いアマデウスが

2013年09月05日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
レジデンツの会議の間。ここで、執政会議が行われていたようです。

実は、ここで神童の評判が広がっていた6歳のアマデウスが初めて大司教の前で演奏したことで有名な部屋。ここで絶賛されたことが、ウィーンでマリア・テレジアの御前で演奏するきっかけになったといわれます。
マリア・テレジアはハプスブルク家の娘で、初めてローマ皇帝になった女性です。(すぐに、いろいろもめごとがあって彼女の旦那さんに交代しましたが)この人の娘が、ルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットです。
そうか、ここかあ。アマデウスの劇的な人生はここから躍動し始めるんだなあ。


カラビニエリの間

2013年09月05日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
レジデンツの最初の部屋は、カラビニエリ(警護兵)の間です。
レジデンツの中で一番大きなこの広間は、レジデンツの南翼2階と3階部分を占め、長さ約50メートル、幅12メートル、高さ12メートル、広さは580平方メートル(175坪)あり、約400人収容できるそうです。小学校の体育館を細長くしたくらいの大きさですね。

別角度で。

皇居警察とか、官邸、国会まわりの警察官を思い起こしますが、聖職者から構成されていたと思いますので、どんな感じだったんだろう。
1600年に完成した、宮殿内でもっとも古くからある部分だそうで、ホーエンシュタイン大司教の指揮で1665年に天井を嵩上げし拡張され、今の大きさになったそうです。
1689年に壁と天井にスタッコ(漆喰装飾)と大きな天井画が加えられました。現在は、演奏会や各種レセプションの開催会場として利用されています。
日本には蔵造りに鏝絵(こてえ)という漆喰の装飾がありますが、ヨーロッパでも同じなんですね。アールデコが日本の蒔絵の影響とか聞いたことがあるので、もしかしたら何かのつながりがあるかもしれません。


旅の終わりは、レジデンツ

2013年09月05日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
そろそろ、ザルツブルクの旅も終わりに近づいています。モーツァルトの像は、レジデンツと呼ばれる大司教の執務館の近くにあります。ザルツブルクの象徴、ホーエンザルツブルク城塞の麓にあるレジデンツは、ザルツブルクを治める行政の中心地です。そのすぐそばにモーツァルト像があるのですから、この街の人々がこの芸術家に寄せる思いがわかります。
アマデウスの時代には、スイスの一諸侯から大帝国を築いたハプスブルク家がオーストリアを支配していました。当時は、ローマ教皇の権限が強く、教皇によって任命された大司教が各地の都市や国で政治的な活動を行っていました。そう考えると、レジデンツは首相官邸のようなものでしょうか。

では、さっそく中へ。アマデウスがここで演奏したこともあるんです。


ケーブルカーが見えた!

2013年09月04日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城塞の未公開ショット。ヨーロッパで最初につけられたケーブルカーがここですが、今はとても近代的で風景になじむ落ち着いたものになっています。

こっちが下の駅。
で、こっちが上がってきたところ。

いいですね。
日本のケーブルカーは確か生駒の聖天さまのところにかかった奴じゃなかったかな。違っていたら教えてください。
上の駅の写真で気づかれたかな。ここはメンヒスベルクの丘の一部ですが、市街地がびっしりと建物で埋め尽くされているのに、丘陵部は、実は緑豊かな意外にも思える光景。

別荘地みたいでしょ。このメリハリがまたこの街の雰囲気です。


ザルツァッハ川

2013年09月02日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
メンヒスベルクの丘から川が見下ろせます。ザルツァッハ川です。この川で旧市街と今の市街地が隔てられています。アマデウスはこっち側で生まれて、向こうに引っ越したんですね。

川べりまで行ってみよう。
おー、なかなかの流れ。
富山県でも、庄川、神通川のような川は川幅もあり、重い感じで流れていますが、黒部川は急流で知られるそのふたつよりもさらに急流で、河原の白っぽい花崗岩もあって、流れも白泡立って全体に白く見えます。例外は、雪解け水の頃で、白みがかった緑になります。

ここは、清流って感じじゃないですね。たくさんの人が川べりにいますよ。川は高速道路でもあり、鉄道でもあったわけで、ここをいろいろなものが運ばれていたんだろうな。
ここから、ホーエンザルツブルク城が見えました。すごいや。

かっこいいね。城塞の主が君臨している感じがよく伝わります。
みなさんは、宇奈月温泉の足元を流れる黒部川にいかれたことがありますか?ポイントは桃源さんの下、想影橋のところや、弥太蔵谷の出合いですね。水の匂いや水流が作り出す風、魚や川虫の気配などを楽しむことができますが、そこから見上げる温泉街は岩壁にそびえるホーエンザルツブルク城みたいですよ。ぜひ、一度行ってみてください。
ぜひ、


メンヒスベルクの丘より

2013年08月31日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
メンヒスベルクの丘は、ザルツブルクの旧市街地の南にある標高500mくらいでなだらかに広がる丘です。その東の端にあるのが、ホーエンザルツブルク城塞です。

岐阜の街を思わせますね。天下布武を掲げて、魏の都がおかれた岐山のふもとにある曲阜から岐阜と名付けられた街もこうやって長良川に面した金華山の麓に街があって、君臨するように金華城が聳えます。日本でもいち早くそれまでの価値観を脱してヨーロッパ的な考え方を導入した信長ですが、中国、ヨーロッパ、日本にも共通するものを感じさせます。
街の風景がよく似ているということはきっとなにか心象につながりがあるんでしょうね。
ちなみに、ホーエンザルツブルク城塞の「ホーエン」は高いという意味です。案外、わかりやすい(笑)


稜堡に登ってみました!

2013年08月29日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
稜堡に登ってみました。(クラリスはいませんでした)レンガのような壁は、セレネに似ていますね。
おお、ひときわ高い!

これは見晴らしがいいや。ホーエンザルツブルク城塞は、542mの高さにあるので、600弱くらいかな。スカイツリーなみですね。あ、標高じゃないか、あれは。でも、ザルツブルクいち高い場所です。
さっきのテラスが足元にありますね。

こっち方向。

対岸の街並みもなんかいいですね。
アマデウスは教会やレジテンツをこうして見下ろしたことはあったんだろうか。でも、故郷という贔屓目以上にザルツブルクを賞賛していたので、もしかしたらそういう光栄もあったのかもしれません。
遠くの山もなんか素敵ですよね。明日香村の大和三山のような優しさです。


稜堡(りょうほ)って何?

2013年08月29日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
城塞にはいくつかの特徴があって、稜堡(りょうほ)もそのひとつです。
西洋のお城は攻撃の標的にならないよう高さが抑えられる傾向がありました。ずーんと高くしちゃった天守閣は、日本でも戦国時代の末期に現れていて、実は戦闘向きの意味合いよりも、ヨーロッパの教会のような格式と権威を示すために使われたわけですが、横に広がった城壁ではどうしても側面からの全面攻撃を受けやすくなります。そこで考えられたのが、稜堡です。

函館五稜郭は、角がつんと突き出していますよね。あの突き出した部分が稜堡です。2つの角の間に敵が入り込むと自然に挟撃できる仕組みですし、城塁本体から突き出すことで、攻撃を受け流すはたらきもあります。
なるほど。話には聞いていましたが、すごいなあ。でも、これを攻略する人もいたってことですよね。
古い稜保が崩れたので、1681年に大司教キューエンブルクによって改築された大規模な稜堡だそうです。
稜保の後部の壁は11~12世紀に建てられた部分で、ロマネスク様式。ゲオルグ教会などとともに、最初に城塞が築かれた当時のもの。
稜保からはザルツブルク市街の美しいパノラマを堪能することができます。

ルパン三世なら上におねーちゃんさえいれば登るな、きっと。


モーツァルトコーヒーはウィンナーコーヒー

2013年08月29日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
城塞内のカフェテラスで、モーツァルト珈琲を頼んだら、お、これはクリームたっぷりの、ウィンナーコーヒーですね。

おいしそうです。
何でこれをウィンナーコーヒーというかっていうと、もちろん、ウィーンのコーヒーってことですが、当時のコーヒーってすりつぶしたのを煮立てて飲んでいたわけです。あるいは、水だしにして温めて飲む。すると、慎重に飲まないとコーヒーの粉が口に入ってしまう。それで、ウィーンの人は考えた。上にクリームをのせちゃえば、それで粉を押しとどめてコーヒーだけが口にはいるんじゃないかと。それが、ウィンナーコーヒーの始まりだそうです。
じゃあ、どうしてみんなそんなことを考えなかったのか。コーヒーにクリームつっこめるほど、ウィーンは豊かな街だったってことでしょうか。
日本では、名古屋の人が好きなんで有名ですよね。

うーん、おいしそうです。
近づきすぎて、クリーム手についちゃいました。


城塞内のカフェテラスです

2013年08月29日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城は、さすがにザルツブルクの象徴ですね。見所がたくさんあります。
ちょっとカフェテラスで休憩します。

ここって、昔は見張り台だったんじゃないかな。すごく見晴らしがいいですね。

ほら、見下ろすと、すっかりおなじみになったドームです。
このドームは、ザルツブルク大聖堂といっていますが、こういうのにはドーム型とタワー型ってのがあって、ドーム型の方がロマン様式で、タワーがバロック様式かな。ここは両方備えているので変だなと思ったら、1598年に火災で消失して、1614年に早期バロック様式にローマ風建築を合わせて再建したそうです。1628年には落成しているので、アマデウスの時代には、この建物だったようです。
後ろに見えているのは、ローマ風の部分ですね。
さて、何か飲むことにします。
あ、モーツァルトコーヒーとあるので、それそれ。


マリオネット博物館です

2013年08月29日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
マリオネットってのは操り人形です。城塞は、今は戦争していませんし、いざ戦争になればこんなものではどうにもならないので、中は観光施設も多く、マリオネット劇場があって、モーツァルトの歌劇などを上演しているそうです。この博物館には劇場で使われた人形が展示されています。

ヨーロッパの人形らしいですね。動きが見えそうです。夏休みに教育テレビなんかを見ているとこういうのをやっていますね。
オペラ「魔笛」に登場するパパゲーノの人形や映画「アマデウス」に登場した人形などもあるそうです。
人形つながりで記念撮影!

ども、ありがとうございます。ダンケ。
あ、これは、やっぱり観光地といえばこれです。アマデウナヅキンのもあるんですよ。宇奈月にこられたらいっぷく処においでください。アマデウナヅキンと仲間たちが待っています。

何かちょっとおっかないな。左の女の人、ベラみたいですね。(ごめん)

こっちは、「サウンド・オブ・ミュージック」です。誰でもマリアになれますね。子どもたちに少し「サンダーバード」入っています(笑)
すみません、少しふざけました。人形の仲間がいるとついうれしくなってはしゃぎました。
ちなみに、マリオネット劇場ではオペラで上演されるものを人形で見ることができるのですが、音楽の方は世界的に有名なオーケストラや歌手の録音に合わせて上演されます。
5月から9月までと、クリスマス、1月末、イースターの期間上演です。


ちょっとこわいけれど

2013年08月28日 | ザルツブルクの風

アマデウナヅキンです。
城塞からの風景でザルツブルクの旧市街地がよく見えるものを紹介しておきます。

アマデウスがオルガンを演奏したドームがあって、レジデンスがあって、川があって。川の手前で生まれたアマデウスは川向こうに引っ越して。
ハプスブルク家のマリア・テレジアが最初の女帝になりますが、ローマ教皇がそれを認めず、たしか旦那さん(っていう言い方はしないと思うけれど)が皇帝になって、そういうがたがたした時代の少し終わり頃に出てきたアマデウスの時代にはこの街が元気がなくなってきた時で、アマデウスの死語、その名誉の回復と芸術性の賞賛という形で街の復興の象徴的な存在になった、そんな理解をしています。
日本でいえば、浅間山が噴火するなど災害が頻発して、天明の大飢饉が起きた頃です。小京都と呼ばれている街あたりがちょうどアマデウスの歴史と重なりそうでうすね。