モーツァルト@宇奈月

湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト@宇奈月
scince2010年秋。毎年9月に音楽祭を開催しております。

モーツァルトを聴く人

2011年02月28日 | 日記
2006年、「子供に伝えるクラシック」というDVDが、全国の小学校にくまなく配られました。音楽のすばらしさを多くの子どもたちに知ってもらおうというプロジェクトで、梯剛之さんの演奏で、クラシックの名曲が綴られたものです。
完全に無償。非売品。
DVDは続けていくつか出ていますが、最初の作品は、モーツァルト。
「モーツァルトは生命の輝き」と題されています。
その折り込みのパンフレットに、谷川俊太郎さんの詩が書かれています。「モーツァルトを聴く人」という詩から「人を愛することの出来ぬ者も」が紹介されています。
谷川さんの詩らしく、連の冒頭を「これが一番いいもの」で始まる、4つのいいものからなる詩です。
何がいいものかははっきり書かれていませんが、
澄み切った9月の青空には及ばないけれども世界中の花々を全部あわせたよりもよりもいいもので
乾ききったのどがむさぼるほどに冷たい水とは比べられないけれど炊きたてのご飯に海苔に卵に塩鮭と同じくらいいいもので
ボクら人間の持ち得た最上のもので
誰にもひとしく喜びを与え、神殿や黄金でなく、偽り多いことばでないもので。
それってなんでしょうね。
最後の連だけ、そのまま引用します。

これが一番いいもの
この短い単純きわまりない旋律が
ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく
人を愛することの出来ぬ者もモーツァルトに涙する
もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない


なるほど。そうかも知れない。
子どもは意味なんぞわからなくたって宮沢賢治の旋律に感応する。
クラムボンはかぷかぷ笑うんだ。
音楽なんか知らなくても、愛なんか知らなくても、モーツァルトに揺さぶられる。
五線譜を音楽だなんて思っちゃあいけないんだな。あれは、生命の読解図だよ。




合成じゃないの?

2011年02月22日 | 音楽祭について
すっかりお馴染みになった私たちのプロモーションビデオですが、ある方が、合成だと思っていたと話されました。
宇奈月温泉をよく知る人たちにはどこもありきたりの風景ですが、そうですよね、知らない人ならきっと演奏者の後に適当に背景入れたんだろうと思うかもしれません。
家庭用のビデオカメラで撮影しましたが、すべて生撮りです。昨年の7月19日にロケを行いました。
モーツァルト音楽祭@宇奈月温泉

また、多くの人にふりかえってみていただけるとうれしいですね。
実は、公式動画はこれだけなんです。
音楽祭の当日画像はスタッフの手が回らず撮影できなかったんです。

モーツァルト大解剖!

2011年02月22日 | 日記
ヤマハミュージックメディア出版さんから「モーツァルト大解剖!」というムックが出版されました。おなじみ「大解剖!」シリーズの第5弾ですが、モーツァルトは満を持しての登場です。
ファンなら欠かせない情報が満載されているんですが、実は、私たちのモーツァルト音楽祭も出ております。
編集者の方がこのブログをご覧になったそうで、そのご縁で取材を受けました。コラム扱いで、「湯の街ふれあい音楽祭モーツァルト@宇奈月」が紹介されています。
いい記事ですよお。
記事の画像もあるんですが、著作権の関係でお見せできません。
ぜひ、書店でお求めになってください。
1700円だそうです。
検索すると、ネット書店でも売られていますね。
さっそく入手します。

長屋のモーツァルト3

2011年02月20日 | モーツァルト伝
毎度のお運びに感謝申し上げます。そろそろ、春めいてまいりましたな。オーストリアなんてなところも、こう2月あたりになるってえと、こう日差しがめっきり明るくなるんですかな。いいもんですなあ。
 昔の奉公人なんてのは、1年に2回、1月16日と、8月16日だけお休みがもらえたなんて話で、奉公に上がってから3年は里心がつくといけないなんてことで、家に帰ることも許されず、家の近くのご用向きなんてのも他の小僧さんにやらせるなんてことだったようですな。
 なかまが藪入りに帰っている日には、1月なら寒さの盛りです。すっかり人気のすくない部屋でせんべい布団にくるまって、おっかあなんて泣いていたのかもしれません。
 だから、旦那さんに呼ばれて、お前もそろそろよかろう、里心がつくなんて心配もあるまいなんてお許しを頂戴して、最初の藪入りなんてことになると、これはもう何日も前から、帰るほうも迎える方もそれはもううきうきで。金馬さんのおはこだった「藪入り」なんてのは、そこらをよく描いていますな。
 こちらのお話に出てくるみのきちは、もう奉公に上がって何年か経って、自分の時間も少し持ているような、そんな年頃でしょう。なじみのお客さんや、なかよしも増えていることでしょう。

八:ええ、そうなんですよ。ご隠居に聞いたら、まあ、それが大変な話だったんです。まさかそんなこととは思っていないでしょう。びっくりしました。
みのきち:へー、それでこれがその曲のことを書いたもんなんだね。すごういじゃないか、八さん、熊さん。
八:ええ、ま、この湯豆腐がおいしくってね。ここらの豆腐てなあ、箸で割るくらいのもんでしょ。それが真っ白で、すっと触るだけで切れちゃうくらいに柔らかくってきめが細かい。何でも京豆腐なんだそうで、京の女に人はこういうのを食べていなさるからあんなにきれいで。あ、違いますね。そっちの話じゃなくて。
熊:おかべっていうんだそうだ。
八:だから、そっちじゃないだろう。へえ、おかべっていうんだそうです。まろはおかべが所望じゃなんておっしゃるんですかね、へえ。いやいや、そっちじゃなくて「しんどう」の方だって。
みのきち:おかべってのかい。そっちもいいけど、へー、「しんどう」ってのは音楽を作る人だったんだね。これが、その人が書いたものなの。田んぼの中におたまじゃくしが泳いでいるみたいだね。
八:ほら、ほらほら、熊、そうだよ。みのきちさんだってそういうじゃねえか。あっしもそういったんですよ、ねえ、そう見えるでしょう。どうも、音の高さや長さなんかを指図したものらしいんですがね、あとで長唄の師匠にでも見せてみようかと思っているんですよ。
みのきち:ほんとだね。話を聞くと、本当の音が聞きたくなるね。どんな曲なんだろうか。でも、どうして、そんなことをご隠居がご存じだったんだろう。
八:ええ、そこんところです。いちばん驚いたのは。あんまり、どこにでも聞こえちゃよくないようなんで、ちいせえ声で話しますがね。大黒屋ってのは先代から始まったお店だそうですが、へえ、そうです、今の旦那が三代目になりますね。ご隠居が2代目。お店も順調に大きくなっていますが、初代は何でもけっこうな年になってからお店を始められたんです。蝦夷地から帰ってこられて、蝦夷地や何かと交易するような商売を始めて、まあ、今のようなお店になったそうで。
みのきち:そうだよ。うちのお店でもご贔屓いただいているんだ。ずいぶん、苦労されたんだとかご隠居が話されたことがあったよ。
八:そうでしょう、そうでしょう。実は、ご隠居の先代ってのは、元々は伊勢の船乗りだったそうです。江戸まで荷物を運ぶ途中に嵐にあったんだそうです。
みのきち:そら、大変だね。で、どうなったの。
八:半年だか、そこら海の上を流れて、流れ着いたのは、蝦夷地のまださらに北の島で。とにかく、その島で4年ほど、島の人とすごしたそうですが、ことばも身の回りのことも全部違うのでずいぶん面倒もおおかったようです。
みのきち:え、外国の人といっしょにくらしていたの?それご禁制でしょう。
八:そうなんですよ。だから、大きな声で話せないんです。先代ってのはたいした人ですね。どうしても国に帰りたいってんで、なんとかその方法を工面しようと、とにかく島を出て、おろしあに行こうと、いかだのようなものをこしらえておろしあの陸までなんとかたどり着いたんだそうです。そこから、おろしあの帝にお願いすればなんとかあるんじゃないかってんで、あっしらは「地球儀」てのを見せてもらったんですが、そこには日本なんか見えないくらいに小さくて、その何百倍もありそうなおろしあのさらに向こうの端っこにある都まで出かけて、なんとかみかど、いや、このみかども女の人だっていうんですけれどね、お願いして、帰ってくることができたんだそうです。船で嵐に遭ってから10年ほどだそうです。
みのきち:じゃあ、お店を開いたのはそのあとのことだね。
八:ええ、そうなりますね。先代は蝦夷地に着いて、そこから江戸にきなすったということらしいんです。こっちで所帯持って、蝦夷地と荷物のやり取りする商売を始められたんだそうで。大黒屋ってのは、船頭の時のなめえで、そのまんま屋号にしたんだそうですよ。
みのきち:じゃあ、どうして「しんどう」なんてのを知ってたんだろうね。
八:そこですよ、そこ。先代が、おろしあの帝に会ったっていったでしょ。そのためには、ずいぶん待たされたんだそうです。あっしらも、帝、天子さま、お上なんてのは近くに寄ることさえできねえや。お大名の行列だって、こうやって下向いていなくちゃなんねえ。それを、日本から流れていった人が会おうなんてのはとてもじゃないが考えられねえ。何でも先代が、こうやっておろしあの国の端から端までやってきたことに感激する人があって、まあ、お公家さんなのかな、そんな人が口をきいてくださったっていうけれど、それでも難儀なことだったはずですぜ。待っている間に、先代はなかなかいろんなことを勉強していく人だったようで、向こうの鳴り物も勉強しなすったにちげえねえんだ。そのときに、聞いたのが、「しんどう」の話で、この田んぼにおたまじゃくしも、そのときに手に入れなすったものらしいんです。
みのきち:へー、そうなんだ。それにしても、八さん、えらくしっかり覚えたじゃない。すごいね。ごめんね、あたしが変なこと聞くものだから。じゃ、「がくせい」ってのもその人のことなんだね。
八:そう、そうなんだそうです。「せい」ってのは、「聖人」のことで、「がく」ってのは、鳴り物っていうのか、曲のことなんだそうです。

ってんで、八が聞いてきたのは、今私たちが「がくせい」だの、「しんどう」だので聞き及んでいるモーツァルトの話。少々、時代のことばが混じり合っていますが、そこはご容赦を。

実は、このお話全くのフィクションなんですが、漂流してアリューシャン列島に流れ着き、そこからシベリアに渡り、さらにロシアを横断してエカテリーナに謁見。10年を経て日本に帰ってきた大黒屋光太夫。光太夫が遭難した1782年は、天明の飢饉、そして、モーツァルトは26才、コンスタンツェと結婚した年。エカテリーナに謁見した1791年はモーツァルトが亡くなった年です。
そんなことから、おそらくは、ロシアにも天才音楽家モーツァルトの名声は聞こえ、そして、ペテルブルクに滞在していた光太夫もそのことくらいは知っていたんじゃないかってんで、そういう作り話です。

帰国した光太夫は、松平定信らの聞き取りを受けた後、小石川に家をあてがわれ、妻も迎えているというので、じゃあ、大黒屋さんて店でも開いてロシアや蝦夷地交易くらいやっていても不思議じゃない。あ、ロシアは抜け荷になるか。そんでもって、この時代になれば、その光太夫の倅が隠居しているころ、世はまさに幕末の緊迫を増している季節かなと。直に鎖国が破れ、外国の文化が一気に入ってくる、その少し前にモーツァルトの音楽が長屋に華開くのであります。
「ジャズ大名」みたいだけど。

最後は講談調になりましたが、長屋のモーツァルト談義、次回をお楽しみに。


ザルツブルクはビールの街

2011年02月20日 | 日記
ビールと言えばドイツと思いがちですが、実は、オーストリア最大のビール醸造所はザルツブルクにあり、シュティーグル社はオーストリアを代表するビールの銘柄です。500年前から醸造を始めた記録があるとのことですから、モーツァルトもシュティーゲルのビールを味わっていたそうです。(これはどうやら本当で、実証されていると公式パンフレットにあります)
シュテーグルのビールは、1516年のビール純粋令にしたがって、未だに副原料を使わず、水・ホップ・大麦(モルト)だけで作られています。米やスターチ、醸造用アルコールなどが含まれていないということです。
ウンタースベルク社の湧水。二条大麦から作られるモルト(麦芽)、ニーダーエスターライヒ州の大麦、オーバーエスターライヒ州のホップと、すべてをオーストリアで生産された原料でまかなっています。おいしそうですね。どこかで飲めたらいいのですが。
宇奈月麦酒も、ブラウマイスターはドイツ仕込みですが、黒部川の伏流水と、黒部産の大麦、モルトを使った地ビールです。これに、モーツァルトの楽曲を聴かせて醸造したのが「モーツァルトビール」。昨年、私たちの音楽祭に滑り込むように最初のビールができあがりましたが、今年はさらにラインナップを広げているようです。モルトを使ったモルト麦茶もあります。もちろん、ノンアルコール。こちらは、黒部川100パーセントの味わいです。
今年のモーツァルト音楽祭では、モーツァルトの生誕地のビールと、モーツァルトの楽曲で育まれたモーツァルト・ビールをいっしょに味わってみたいですね。
宇奈月麦酒館のサイト
シュティーグル=ブロイヴェルト(ビールの世界)のサイト
サッポロビール園みたいなものですかね。いや、わからないけれど。

モーツァルトが流れる街

2011年02月12日 | 日記
2月12日、宇奈月温泉。
この日も花火や温泉なべ、つべつべ焼きそばなど、たくさんのお楽しみであふれる宇奈月温泉でした。

いっぷく処の前には、雪灯籠。ろうそくの明かりが夜の影をいっそう豊かに見せています。
午後8時30分からの花火の前に、いっぷく処で温泉水を使った豚汁をいただきます。これは、ふるまいで、無料。おいしいですね。
あれ、聞こえているのは、あ、モーツァルトです。会場にはモーツァルトの音楽が流れています。
それと、前に並べられた机とベルは、あっ、音楽祭に参加してくださったドルチェリンカーさんたちです。演奏会が行われるようです。じゃあ、聴いて行かなくちゃ。

いっぷく処の足湯もこんな感じで、キャンドルライト。いいですね。
時間まで、温泉水を使った「つべつべ焼きそば」を食べることにしました。

こういう場所では珍しい。塩焼きそば。おいしいですね。

昨晩のおつまみコンテストの出品作もいただきました。

暗かったので、何の味かわかりませんでしたが、いや、なかなかおいしい。
モーツァルトビールもよく売れていました。
どうも新作が出たとのうわさです。
始まりました。ドルチェリンカーさん。

こういう夜にふさわしい演奏ですが、半年前よりも格段に演奏が上がっています。モーツァルトの音楽はこんな風にも広がるんですね。驚きます。
演奏の後、花火まで町歩き。ノートルダム大聖堂を雪で作ってあると聞いて見に行きました。
あ、これだこれだ。


お豆腐屋さんのやまとやさんが作ったらしいですよ。さすが、白いものをいじるのはお手のものです。参道がいいですね。適当に狭いので、みんなが声をかけ合うきっかけにもなります。
いよいよ花火です。
先週のカーニバルよりはちょっと落ちるかななどといわれていましたが、とんでもない。すばらしいファイヤーワークです。冬、雪、花火という組み合わせは、案外多くないんですよ。毎週土曜日に行われるそうです。

花火のあとで、カフェ・モーツァルトへ。

マスターが見せてくださったお酒がこれ。モーツァルトを聴かせて醸造したお酒です。


蔵粋と書いて「くら・しっく」と読ませます。
味わい深いものだそうですが、残念ながら、車できたので、今回は遠慮しました。
宇奈月温泉の夜を堪能。
最後にお風呂に入って、いい夜でした。

明日はスキー場でイベント満載。
ちょっと遊びにいこうかな。

雪のカーニバルは終わっちゃいましたが

2011年02月10日 | 日記
先週は雪のカーニバルでした。たくさんの人で宇奈月温泉街もにぎわっていました。
モーツァルトの生まれ故郷ザルツブルクもかつてのハプスブルク王朝の華麗優美を今に伝え、お祭りの似合う街だそうです。
宇奈月温泉は、この2月、雪景色独特の深まりと静けさに加えて、光と影の生み出す祝祭空間が弾けます。雪のカーニバル以降も、週末の花火が続きます。
また、明日を待ち構える宇奈月温泉の風景です。

足湯おもかげのところから。
こうしてみると、宇奈月温泉の風景もなかなかエキゾチックです。

明日夜のお楽しみ、スノーバー用のテーブルです。ここで、いろいろな食べ物や飲み物が提供されます。
雪の表情の面白さは、光に映える姿でもあり、逆に影で浮かび上がる立体感にも、その表情の味わいがありますね。全体が柔らかな和紙で包まれたような風景がそこかしこに現れます。

おなじみカボチャ電車。シンデレラが乗っているのかも知れません。
セレネでは、黒部市美術館が市内の小学校での出前教室で制作した絵画作品が飾られていました。これがなかなかアートな空間で、しっとりとにぎやかな雰囲気です。とても気に入りました。

どうです?座ってみると、いろんな思い出が広がり始めます。椅子も、昔の小学校で使われていたもの。3階にも展示があり、子どもたちの心の表情、感性の光が見えるようです。
3階には、2月11日から13日まで巨大迷路が出現します。100円で誰でも迷うことができるそうです。ぜひ、迷ってみてください。

今年は、雪が多いと言われていますが、実は、宇奈月温泉では平年並み。富山県東部から長野県北部、新潟県西部でも状況は同じで、それほど多雪には感じません。それでも、窓の外はこんなもの。マシュマロのつもりでいればいいのかな。そんな感じにこんもりしていますね。
ついでにカフェでお茶を飲んでいくことにしました。
ここの隠れた名品が、いや別に隠していませんが、ワッフルです。

メイプルシロップの味わいがもうたまらなく、冬の柔らかな風景に似合います。
おいでになった折にはぜひ、ご賞味ください。
ちなみに、このカフェでは、無線LANが使えます。スマートフォンやモバイルPCでもご利用になれます。

これってシカかな。
12日も花火です。お楽しみに。

日本のスキーはオーストリアから

2011年02月06日 | 日記
日本にスキー技術が伝わって100年。なぜか富山県ではキャンペーンをしていないのですが、このメモリアルを各地のスキー場ではイベントにしていて、来週11日は、スキーが伝わったとされるその場所、新潟県上越市金谷山スキー場で「レルヒ祭」が行われています。このイベントは毎年開催されていますが、今年は、100年を記念してかなり大々的に展開していて、加藤清史郎くんもゲストにくるそうです。なんで?と思いましたが、ああ、直江兼続の幼少役をやってブレイクしたってことだと、ずいぶんあとになって気付きました。
レルヒが伝えたスキー技術が1本杖のもので、踵を上げたテレマークポジションで制動する技術でした。現在のアルペンスキーとは少し様子が違いますね。2本の杖で、2本のスキーを平行にというか同時操作で滑走するスタイルの、いわゆるアルペンスキーを伝えたのは、オーストリア・チロル州のサンアントンのハンネス・シュナイダーだと言われています。このスキーの天才は、映画や書籍などでも紹介され、アールベルク滑走術と呼ばれたスキー技術を世界中に広めました。
シュナイダーは来日して、日本各所でスキーを指導しましたが、有名なのは野沢温泉でしょう。ここにはスキー博物館もあって、スキーの歴史をつぶさに展示しています。なかでも、ハンネス・シュナイダーのコーナーでは、実際にシュナイダーが使用した板もあって、当時、このスポーツがどれほどモダンで冒険心溢れるものだったかがよくわかります。

一方イギリスにはカンダハースキークラブというのがあって、このクラブとサンアントンのアールベルクスキークラブが共同で開催したのが、世界で初めてのアルペンスキーレースでした。現在でも、こことキッツビューエル、ウェンゲンで開催されるレースだけは特別のクラシックレースとして、その伝統へのリスペクトがなされています。F1なら、シルバーストーン、モンテカルロ、モンツァというところでしょうか。
野沢温泉では、シュナイダーの名前を付けたコースの他に、カンダハーコースというのをもっていて、FISの公認レースコースとして競技会に使っています。競技会のないときには、一般開放されているので、ぜひチャレンジしてみたいものです。
シュナイダーは、野沢の他に、やはり同じようにシュナイダーにちなんだコース名をもつ妙高池ノ平などいくつかのスキー場でデモンストレーションをしますが、残念ですが、富山県には立ち寄っていません。
それでも、オーストリアの人々が伝えたものは、モーツァルトと同じように、私たちのくらしにしっかりと刻み込んでいるようです。
ちなみに、シュナイダーの風貌を写真で見ると、いやあ、なかなかのボヘミアン。ちょっとした変わり者だったのかなと思わせます。そういう天才を生むのも、オーストリアの土地柄かもしれません。アールベルクのライオンと呼ばれた名スキーレーサー、カール・シュランツを思い出しました。1960年代から70年代にかけて活躍したスキー選手ですが、何と札幌オリンピックでは追放されています。クナイスル社の広告に出ていたということでアマチュア規程違反ってことなんですが、何とも時代を感じさせる話ですし、「動く広告塔」とののしられたスキーヤーは、むしろ、先を走っていた人なのかなと思わせます。