アマデウナヅキンです。
レジデンツ広場にはいろいろなものがあります。何と、馬がいました。
馬を引いているおじさんもチロルハットかぶってゲーターして、ニッカボッカスタイル。オーストリアっぽさ満開!
旧市街地をこの馬車で一回りできます。エコですよね。宇奈月では、
電気バスが走っています。
日本でも昔は野馬がたくさんいたんですよね。戦国時代は馬の需要期でしたが、あれ、野馬を集めて売りつけていたらしいですよ。各家庭にもいたし。重要な動力だったのは、今でも馬力ということばが使われていることに現れています。
馬車にのってザルツブルクをひと回りか。どんな旋律が浮かぶんだろう。
馬車のスタイルにもいろいろあって、それがセダンとか、ワゴンとか、クーペとか、ハードトップっていったそうです。これは、幌がないので、スピードスターかな。そんなことはないか。
アマデウナヅキンです。
ザルツブルクの旅はまだまだ続きますが、久しぶりにモーツァルト像。大司教がウィーンに逃げ出してすっかり廃れてしまったザルツブルクの再興のシンボルとして没後50年の記念として作られた銅像です。あんまり似ていないという評判とは裏腹にとても人気があるのは、ザルツブルクの街に活気を取り戻したシンボルにもなっているからでしょう。
アマデウスは生涯の3分の1を旅に過ごした人なので、ヨーロッパの各地に銅像や記念碑がありますが、ここだけは別格ですね。
この銅像と同時に始まったのが、「モーツァルト音楽祭」です。その後、生誕100年記念音楽祭などに発展して、やがて、ザルツブルク音楽祭として現在につながっています。
宮沢賢治が東北の人々の心に生きているのとよく似た感じがします。同様に、夭折の天才ですし。風土が生み出した才能と、多くの人々に慕われているのでしょうね。
アマデウナヅキンです。
ザルツブルクの旧市街地はユネスコの世界文化遺産に登録されています。そんな昔じゃないんですね。これがその記し。
モーツァルト像のそばにあるんですよ。そのことも含まれているということですね。すごいや。
五箇山も世界文化遺産なので、どこかにこういうのがあるのでしょうか。外でこういうのを見つけるとへーとか思いますが、足元のことはよく知らないものだな。
アマデウナヅキンです。
ドーム、大聖堂の入り口です。
両側に何か門番のような像があるのはいろんな文化で共通していますよね。
こっちは司教で、向こうは何かな。
アマデウスもここで演奏したそうですから、そうですよね、宗教音楽だけでなく、当時はコンサート会場でもあったのかもしれません。
アマデウナヅキンです。
レジデンツ広場は、その名前の通り、大司教の執務館であるレジデンツの前の広場。ここからは、大聖堂も見えます。大聖堂はドーム。なるほど、そういう感じですね。
ここのパイプオルガンはヨーロッパでは最大。ドームには、1万人収容できます。
もしかすると、東京ドームとか、ドームツアーとかはオーストリアの人には違う響きで聞こえているのかもしれませんね。
大聖堂は礼拝堂でもあるし、会議の場にもなるだろうから、法堂みたいなものかな。紫宸殿とか。そういう風に考えると、ザルツブルクの歴史と伝統の深さが比較できますね。
アマデウナヅキンです。
レジデンツ前の広場は毎日お祭りのようです。日本でいえば、皇居前、国会議事堂前ってところですが、雰囲気はずいぶん違いますね。
おー、浮いているよ!
すごいすごい。じぇじぇじぇじぇ!
富山なら、「きゃあ、どいがなっとら!」と叫ぶところです。(日本語訳「これは一体どういうことになっているのでしょうか!」)
ほんと、浮いていますね。そのうえ、演奏まで。そこらがザルツブルクらしさ。いいなあ。
僕らの音楽祭にもこういうのはどうかな。富山の大道芸人さん、シンキロウさんあたりにお願いしてみようかな。
で、ちゃんとご挨拶して、いっしょに撮影させてもらいました。Ed.Silver.Statueという方だそうです。Facebookでご覧いただけます。
「こんにちは。僕、宇奈月から来ました」
「ああ、日本のザルツブルクのことだね。知っているよ」
「どうしてもアマデウスさんのふるさとが見たくてやってきたんですよ」
「そうかい。ここは、アマデウスが生まれるずっと前から素晴らしい街だったし、アマデウスがたくさんの芸術を生んでからはますます世界中の人に心を寄せてもらえる街になったよ」
「そうですね。僕らもこの街の風景に憧れています」
「その風景のひとつに僕も入れてもらえるかな」
「こちらこそ、光栄です。ぜひ、いっしょの写真を撮らせてください」
「ええ、いいですよ。いつか、宇奈月でお会いできるといいですね」
「ほんとうに、そうですね。そうなるといいですね」
(会話はつくりものですが、そんな感じでした)
アマデウナヅキンです。
街角って好きなんですよね。人のくらしの姿が見えて、その土地の成り立ちやら風景やらが凝縮されている感じがして。
ゲトライデ通りはなるほどザルツブルクの顔です。
看板、見えますか?建物から張り出した看板も趣を感じさせます。
日本もこういうのが多くて、落語のネタに「あいつ、だれそれに岡惚れしていてまるで、足袋屋の看板だよ」「なんだい、そりゃ」「片方だけ」なんてやりとりがでてきます。
ひとつひとつをみると、いろいろ判じ物とかあるんだろうなあ。
本文アマデウナヅキンです。
モーツァルトの生家の中は撮影禁止なんですが、チケット売り場の前にこんなのがあったので、一枚。
アマデウスの肖像画ってのは、実のところないんです。すべて死後に描かれたものだそうで、そのため、いろいろニュアンスが違います。どこでどんなシチュエーションで出会うかでも違いますしね。僕らでもそういう感じですから、メディアのない時代ですから、いよいよです。そういうところに想像が生まれておもしろいとも言えますが。
僕も勝手な想像から生まれたんですが、どうです?やっぱり、全体的な印象はよく似ていますよね。
アマデウナヅキンです。
モーツァルトの生家の前は、何といってもザルツブルクで一番人通りの多い場所ですね。
でも、どうなんだろう。
モーツァルトの生家があったのでそうなったのか。目抜き通りに家があったのか。
鶏と卵の話みたいだな。
どっちでもいいけれど、ここが聖地。
アマデウナヅキンです。
いかがですか。僕といっしょにザルツブルクの旅は楽しんでいただけていますか?
メンヒスベルクの丘をおり、ザルツァッハ川の対岸に渡ります。近くにミラベル宮殿のある一角に、モーツァルトの家族が移り住んだ家が残っています。
ゲトライデガッセの家が手狭になったモーツァルト一家は、1773年にタンツマイスターハウス(舞踏教師の家)と呼ばれたこの家に引っ越しました。
モーツァルトは17歳。後に父レオポルトはここで亡くなりました。
1773年というと日本では江戸時代。田沼意次の頃ですね。この後、浅間山の噴火などがあって天候不順から飢饉などが繰り返す時期に入ります。アメリカでは、ボストン茶会事件があって、独立戦争の引き金になります。
モーツァルトは、池波正太郎の「剣客商売」の頃の人ってことですね。そう考えると、何だか奇妙な感じです。だけど、その頃の建物が残っていることにも、街並みがほぼその当時のままというところにも文化の奥深さを感じます。
ふーん、なるほどね。
残っているというよりは、残しているということですよね。そういうものを大切にする心情の方に目を向けておきたいですね。
どんなくらしだったのかな。奔放で、聡明で、富山弁で「こうわくさい」小生意気な少年だったんだろうな。17歳か、飛び回るのは体よりも、大人になろうとする心の方か。
アマデウナヅキンです。
メンヒスベルクの丘の東端にあるのが、ホーエンザルツブルク城。市民の憩いの場であり景観のよい場所は、もう一度ゲトライデ通りを横切って西に向かうと、モーツァルトのための祝祭劇場があって、その先にある、何とエレベーターで丘の上に向かいます。オーストリアにはいろいろな乗り物があって、日本のように同じタイプのスキーリフトばかりでなく、地形や環境に合わせたさまざまな乗り物があります。そういうのが好きな人にもたまりませんね。
メンヒスベルクの丘には、美術館、教会、展望台、博物館や自然の家などがあります。
ザルツブルクを一望できるメンヒスベルクの丘。
エレベーターに乗って、丘に登ります。エレベーターから降りたら建物の外に出て、『サウンド・オブ・ミュージック』でマリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌いながら歩いた階段を少しだけ上がると、ザルツブルクの絶景が一面に広がりました。
わあ、これすごいや!
ホーエンザルツブルク城と、大聖堂、フランチェスカーナー教会、ザンクトペーター教会、ザルツァッハ川などの旧市街が一望できました。世界遺産独り占めみたいな感じです。
記念写真風に。どうです。
それにしても、素晴らしい風景です。
何か名残惜しくて何度も写真を撮っちゃいました。ここにきてよかった。そう思える風景です。
街が音楽に見えてきました。音楽って見えないのにね。宇奈月もこんな風に見えるようになっているかな。
いつかそう言ってもらいたいな。
お土産も、やっぱりモーツァルトづくしです。何か買って帰ろう!
ザルツブルクは、どこへ行ってもドキドキです。
アマデウナヅキンです。
モーツァルトの生家のあるゲトライデ通りのカフェです。
カフェ・モーツァルト!
「いらっしゃーい」と日本語で声がかかりそうです。
メニューもきっと、アイネなんとかってのがあるんだろうな。
アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城へは実はケーブルカーがあって、割に楽に行けるんです。どうも、これが1892年に建造されたオーストリア最古のケーブルカー。日本では確か生駒の聖天さまのところのケーブルカーなんかが古いので、オーストリアの人にとっても大切な場所みたいですね。
ケーブルカーを降りると、サンクト・ペーター教会があり、隣接する墓地は、鉄細工の美しい墓碑と花々で飾られています。
岩壁を切り抜いて作られた初期キリスト教徒の祈祷のための洞窟「カタコンベ」の入り口には、モーツァルトの姉ナンネルのお墓がありました。
ナンネルはウォルガンク以上の才能がありながら当時の社会では女性音楽士の立場がなく、弟のサポートになってしまった悲劇のモーツァルトと呼ばれている人ですね。
J.ハイドンの弟であり、モーツァルトの親友であったミヒャエルの名前も刻まれています。
名前なら、ちょっとだけ読めますね(笑)
ザルツブルクの旅は、まだまだ続きます。
アマデウナヅキンです。
登ってきました、ここがホーエンザルツブルク城塞。メンヒスベルクの丘のうえにある中央ヨーロッパ最大といわれる城塞です。美しいザルツブルクの街を見下ろします。
宇奈月でいうと、大原台に上がったようなものかな。
王ではなく、ここは大司教が君臨していたそうです。なるほど、そういう街なんだ。
ナポレオン侵攻後はハプスブルク家の支配下にあったそうで、11世紀から続く城の歴史や威容、景観が評価されて、姫路城といっしょに「世界の名城25選」にも選ばれています。
見渡すとこんな感じです。
川はザルツァッハです。
こっち側は、こんなの。
モーツァルトの頃はこうやって観光で上がることはできたんだろうか。
アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城の前にそびえ立つように見えるのが大聖堂です。
774年に創設。12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、17世紀にバロック様式で建て直されました。
身廊は長さ101mに及び、主祭壇上の巨大な丸天井から降り注ぐ光が印象的です。
モーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者も務めました。
今にもその響きが聞こえてきそうな気さえします。
心が洗われたような気分です。ザルツブルク出身の指揮者、カラヤンの告別式もここで行われました。
この大聖堂前の広場が、ザルツブルク音楽祭の中心会場としてよく知られているそうです。
さて、ザルツブルクの象徴、城塞を目指します。