アマデウナヅキンです。
砲台に乗ってみました。
でかいくて、ごつい。火薬をどーんと爆発させたてその勢いを前に出せば大きなものも前に飛ばせるって考えた人はすごいよね。ってことはこの部分は、火薬の瞬間的な爆発に耐えるってことですね。
原子爆弾も、いきなり核物質が爆発するんじゃなくて通常火薬をいっぺんに爆発させた力で核分裂を起こさせるわけですから、この頃と基本はいっしょ。当時の最先端の技術が使われているわけですね。
で、発射口から外をみると・・・・。
お、おおー、あれは。
ドームですね。レジデントやドームなどの街の中心地を攻めてきたらこれで迎撃ってわけですね。
川までよく見えます。使うほどの戦闘にまでは発展しなかったってことかな。
城塞らしさを堪能しました。
次は、通路を戻って、マリオネット美術館に向かいます。
城塞の中のくり抜かれた通路を右に向かいます。
あんまり関係ないけれど、このあたりの人は、お父さんが赤ちゃんを背負ってバギーを押すんですね。拝一刀さんも、こちらでは普通のようです。
アマデウナヅキンです。
鉄道オタクぶりはすっかり知られましたが、兵器もなかなかオタクです。
光が漏れているのは、城塞からの発射口。そこからどーんとやるわけです。日本のお城にも銃を打つ穴がありますが、これだけのものはないですね。要塞みたいなんだな。
どーんと撃つと反動で砲台が後ろに下がるんで、映画なんかでみると鎖なんかで縛っていますね。もちろん、人が後ろにいたんでは大変危険です。
危険な場所に立ってみました。急に怖くなるなあ。
アマデウナヅキンです。
砲台を訪ねています。
これなんだかわかりますか。
ちょっとおっかない。
火薬の樽です。こんなのに入れていたんですね。
富山県の五箇山は加賀藩の火薬製造地として保護されていました。当時の黒色火薬は、よもぎの葉とおしっこで作られていたんだそうです。
ザルツブルクはどうなんだろう。塩を作っていたという話だし、何かそういうのもあるかも知れないですね。
ヨーロッパっていろいろなところにつながりがあって、ウィスキーの熟成に欠かせない木樽も実はシェリー酒の樽のセコハンなんです。香りをつけたり、なんかいろいろわけありなんだそうですが、この樽にもわけが潜んでいそうだな。
こわかったけれど、火薬は入っていないんだって。そりゃ、そうだね。
アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城は、外敵に攻められたら立て篭もる場所ですが、もちろん、反撃という防御もしますよね。これが、それ。砲台です。
大きいですね。高台から迫り来る敵を迎撃します。
どーんとこないよね。
アマデウスの時代、日本でも大砲(おおづつ)と呼ばれる大砲が作られていたようですが、そんなに射程も長くはなかったようです。
この間、「八重の桜」で鶴ヶ城に撃ち込まれた砲弾の話が出ていました。飛んできてから破裂するタイプです。最新平気だったんだろうな。
アマデウナヅキンです。
城塞らしさはこんなところにありますね。路地というのか、抜け穴というのか、こういうのがいたるところにあって、攻撃や防御の仕掛けがあります。
冒険映画などでどっちにいったら、みたいシーンがありますよね。そんな感じです。
で、どっち行ったらいいんだろう。
アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城の主は歴史が移ろう中で次々に代わっています。王であったり、司教であったり。アマデウスのころは、ハプスブルク家ですね。
この彫像はおそらく大司教だと思いますが。自信がない。
ここは、ゲオルグ教会といって1500年に大司教コイチャッハさんがつくった後期ゴシック様式の教会だそうでう。軍人の守護聖人である聖ゲオルグに捧げられたものなんだそうです。日本なら八幡さまのようなものですね。
法隆寺の釈迦三尊像に似ていますね。基本的な構成は、中学校の歴史で習ったようにヘレニズムの影響を受けているのかな。そういや、ホーエンザルツブルク城もアクアポリスの神殿みたいですね。これは、コイチャッハさんのレリーフみたいです。
これはガス灯かな。こういうところに、ヨーロッパらしさが見えますね。
アマデウナヅキンです。
ホーエンザルツブルク城を旅しています。
城っていいながら、ここは丘の上に作られた街です。レジデントのような建物やもちろん宮殿などひととおりがそろっている印象です。
広々とした場所には、何かあったときには兵隊も集まったのかな。
今は、もちろん、そんな感じはなく、市民の憩いの場所になっていますね。
この木は何かな。
木陰で休む人の表情にも平和な時代が見えますね。
アマデウナヅキンです。
お城と言っても、まるで街がそのまま入っている感じです。宮殿とか、お城とか、日本とヨーロッパではずいぶんと印象が違いますね。
どの道もその先に何があるんだろうって誘っているように見えますね。
あ、そうか。防御の理由から金沢の町なんかも見通しがきかないようになっているんでしたね。そうか、そこは同じことなんだ。
小立野のあたりを歩いている感じなのかな。違うか(笑)
アマデウナヅキンです。
ケーブルカーに乗りました。ぐいぐい上がっていきます。
きっとアマデウスの頃は、限られた人しか見られなかった光景をこうやって楽しめます。
トロッコ電車の車窓みたいですね。こんなところも、宇奈月とよく似ています。
ああ、ホントに似ているなあ。宇奈月スキー場に登っていくリフトの感じに近いや。
じきに、ホーエンザルツブルク城です。城塞と表現されることも多く、日本の天守閣とは少し違いますね。いざとなれば、ここでみんなが立て篭もるんですね。
アマデウナヅキンです。
ケーブルカーを待っています。
中は最新ですね。ちょっと驚きました。
きた~!ケーブルカー。
おお、かっこういいなあ。
ちょっと想像以上です。アマデウナヅキンは、ちょっと「乗り鉄」入っています。
アマデウナヅキンです。
FestungsBahnと書いてありますね。
ケーブルカーっていう意味です。
このケーブルカーは、1892年に作られたヨーロッパ最古のケーブルカーです。
宇奈月にもトロッコ電車がありますね。黒部峡谷に最初に敷設された電車よりもずいぶん古いですね。トロッコ電車を思い出しちゃったなあ。今年は、欅平も行ったものね。
じゃあ、いよいよです。お客さんの列につきましょう。
アマデウナヅキンです。
これがケーブルカーの乗り場、山麓駅です。駅までなんか、歴史を感じるなあ。
わかります?右側の穴みたいなところですよね。新しいもののはずですが、しっかり景観を守っています。いいですね。中では、モーツァルトでも流れているのかな。
じゃあ、行ってみます。
アマデウナヅキンです。
ザルツブルクの旅日記、再開です。
レジデンス広場からホーエンザルツブルク城塞を目指します。丘の上にあるんですが、実は、ケーブルカーで登ってしまえます。
広場から路地を歩きます。
旧い街は、こういう路地がいいですよね。
お、ザルツブルク音楽祭の横断幕かな。
ちょっと路地を進むと、ほら、お城が見えてきた。
けっこう高いところにあるんだな。
アマデウナヅキンです。
僕と一緒のザルツブルクの旅は楽しんでいただけていますか?
いつかこの街ともっともっとなかよしの約束ができたらいいですね。
もうすっかりおなじみになったレジデンス広場からのホーエンザルツブルク城の様子です。メンヒスブルクの丘の東端にあるこの城塞は、街への侵攻を防ぐための防衛施設として作られたそうです。ただ、市民を守るというよりは、支配者層が神聖ローマ帝国やハプスブルク家、市民の反乱から身を守るために築いたようです。そうですよね、市民を守るなら城壁はぐるりと街を囲むはずです。でも、そのことが日本の天守閣のような景観を作り出したわけですが、すでに11世紀には城塞があった様子なので、もしかすると、信長が築いた安土城が発祥とも言われる天守閣は、ヨーロッパの情報をたくさん得ていた信長がこういうものを模したのかもしれません。
日本では、天守閣の歴史はごく短く、大きな何層もの天守閣は安土城からの数十年間にすぎません。ヨーロッパでは、こういう城塞が主を代えながら受け継がれてきたんですね。
アマデウスの時代には、ハプスブルク家がザルツブルクの市街も含めて支配していたようです。
「カリオストロの城」の宝物を思い出します。
では、ホーエンザルツブルク城で見つけた風景を紹介します。