モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

鎌倉時代の栄華と滅亡。上田市塩田平の三重塔に見る今の日本。(妻女山里山通信)

2013-01-04 | 歴史・地理・雑学
 信濃北條氏の栄華と滅亡の歴史を尋ね、長野県上田市の塩田平から別所温泉にかけて、鎌倉時代の古刹巡りをしてきました。そう大きいとはいえないこの扇状地に二つもの国宝の塔があるのは驚きというほかありません。今回訪れたのは、前山寺の未完成の重文三重塔と、国宝の安楽寺八角三重塔です。

 もうひとつの国宝は、そのあまりの美しさに、誰もが思わず振り返ることから「見返りの塔」と呼ばれている大法寺三重塔です。ここへは、2010年の新年と早春に二度訪れました。季節毎に訪れたくなる美しい三重塔です。

 鎌倉時代、源頼朝がこの信濃国小県郡塩田庄に、彼の最も信頼する惟宗忠久(後の島津忠久)を地頭として任命しました。塩田庄を非常に重要視していたことが分かります。また、北条氏も信濃国を重要視し、信濃国守護に北条重時を任命しました。
 塩田平は平安時代までに新田開発が進み、鎌倉時代には米と麦の二毛作が行われ、相当に豊かでした。そして、信濃北条氏の庇護を得てたくさんの寺院や塔が建立されました。

 まず、その栄華の証を見ようと、別所温泉の奥にある国宝の安楽寺八角三重塔へ。塩田平を西へ向かうと、左に独鈷山、正面左に女神岳、正面右に夫神岳、右に子檀嶺岳がそびえています。ところが、温泉街入り口の1キロ以上手前から、北向観音への初詣客で大渋滞。諦めてUターンし、独鈷山(とっこさん)麓の未完の塔がある、真言宗智山派 獨股山 前山寺へ向かう事にしました。

 前山寺の創建は、弘仁年中(810~823年)弘法大師によるといわれています。未完の三重塔は、前山寺のサイトには、「塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。」とありますが、鎌倉幕府の滅亡と信濃北條氏の衰退に関係があるのではないでしょうか。

 「未完の塔」、または、「未完成の完成の塔」といわれていますが、実際のところ本当に未完成なのかも分かってはいません。実はこれが完成の姿だったのかもしれません。
 佇まいは、「見返りの塔」と比べると骨太で男性的です。屋根の反りも、中国ほどではありませんが、「見返りの塔」の日本刀の様な反りに比べると、もう少し強く、長刀の様な感じです。

 寺にはサバ白の猫がいて、寺院の中や木や屋根の上を自由に歩き回っていました。観光シーズンだと多くの参拝客で賑わうのでしょうが、訪れる人も少なく、ゆっくりと見る事ができました。冬のモノトーンの中に佇む未完の塔は、一番この塔らしいのかもしれません。

 ゆっくり見学して次は別所温泉へ。山際から回ると、渋滞もそれほどではなくなっていました。駐車場に止めて北向観音の表参道を登ります。参道入り口で行列しているのを見ながら右の小路へ。すぐに左手に崇福山の文字がある門があります。くぐって石畳の道を登ると右手に安楽寺の参道と石段が見えます。八角三重塔がある曹洞宗 崇福山 安楽寺です。

 温泉街にあるためか、こちらの方が参拝客は多めでしたが、それでも混雑はしていません。八角三重塔は、石段を上って山懐の中段にあります。太い杉木立から見える八角の塔は、非常に美しいものでした。一見四重塔に見えますが、一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)です。塔は日本に現存する唯一の八角塔で、非常に貴重なものです。

 下から見上げると、扇状に広がった垂木が見事で息をのみます。軒の組物は、禅宗様三手先で、非常に複雑で美しい。創建は、天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも、平安時代の天長年間(824 - 834年)ともいわれていますが、不明です。八角三重塔は、近年の調査研究によると、13世紀末、1290年代に建築されたものということで、日本最古の禅宗様建築ということです。

 八角は中国の易経思想に基づいているそうで、中国では八角の塔は珍しくないそうです。そのためか、この塔もなんとなく中国風の香りが漂います。長男に言わせると、「お菓子の器みたい」ということですが・・。月餅かなにかが詰まっていそうに見えないこともありません。裏山に続く小径があったので登って上から見てみましたが、反りのある屋根の重なりが、非常に奇麗でした。

 参道を戻りながら、鎌倉幕府の栄華と滅亡を思いながら、北向観音にお参りする善男善女を尻目に、屋台の並ぶ通りを車に戻り、荷物を置いて、北向観音の参道のすぐ上の川沿いにある大師湯へと向かいました。

 別所温泉には他に大湯、石湯と計三軒の外湯があり、いずれも150円で入れます。清少納言が、好ましい湯といった「七久里の湯」は、別所温泉の事だそうです。大湯、石湯は入った事があるので、大師湯へ。一番小さく湯温もややぬるめで、ちょっと大きな家の風呂という感じですが、泉質はとてもよく、温まります。

 湯から出ると、温泉街は暮れなずんで、参拝客もずいぶんと少なくなっていました。遠く上田市街の灯りを見ながら屋台の並ぶ参道をゆるゆると戻りましたが、今年は日本にとって、世界にとって非常に厳しい年になるだろうなと思わずにはいられませんでした。

「見返りの塔」国宝大法寺三重塔フォトルポ

にほんブログ村 写真ブログへ にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ にほんブログ村 アウトドアブログへ にほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

■今年は、福島や首都圏、東京で、放射能による突然死や疾病が顕在化する。身近な人や文化人、芸能人が犠牲になることで・・。それは既に始まっている。福島第一原発からの放射性物質の総排出量は、約90万テラベクレル(テラは1兆)で、原爆の約170倍。空間だけで現在も毎時1000万ベクレル。毎日2億4000万ベクレルが放出中。収束は嘘。さらに地中から海へ流れ出ている総量は見当すらつかない有様。1、2、3号機は、もう手が付けられないレベル。石棺すらできない。4号機はなんとか修理しているが、使用済み核燃料プールが崩壊したら日本は終わり。米でさえ、すでに流れは脱原発。GEのトップでさえそう言明している。米が日本に原発続けさせたいのは、劣化ウランが欲しいから。そして、自国の財政破綻を救うため、TPPで日本から、血の最後の一滴までもぎ取ろうとしている。それに加担する原発村企業官僚自公民マスコミの隷属グループ。正に彼らこそ日本を滅亡に導く真の売国奴。
チェルノブイリ事故との比較

■千年に一度の地震多発期にある日本。富士山の大噴火に始まった貞観地震の時には、9年後に関東大地震が起き、間に大噴火がふたつ。18年後には、東海、東南海、南海地震が連動したともいわれる仁和地震が起きている。今回もM9の大地震なので、100パーセント噴火があり、1~10年の間に必ず大地震が起きる。速やかに全ての原発を廃炉にし、核燃料を安全な場所に移さないと、間違いなく日本は滅亡する。高レベル廃棄物の処理方法はなく、その見通しさえたっていない。六ヶ所村ももうすぐ満杯。大地震で六ヶ所村が崩壊すれば、その時は人類の終わり。それだけの核廃棄物がある。われわれに時間の猶予はない。

■歴史は繰り返す:864年:富士山噴火/868年:播磨国地震(阪神)/869年:貞観地震M9・貞観津波(東北)/871年:鳥海山噴火/874年:開聞岳噴火/878年:相模武蔵地震(関東)M 7.4/887年:仁和地震(東海南海地震)M9(M=推定)

■原発情報は、左のツイッターで。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 正月は 冥土の旅の一里塚 め... | トップ | 坂城神社から村上義清の葛尾... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史・地理・雑学」カテゴリの最新記事