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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

陣馬形山で360度の大パノラマを堪能。信州伊那谷中川村(妻女山里山通信)

2016-01-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
 大晦日は360度の大パノラマを誇る中川村の陣馬形山(1445.4m)へ。登山コースもいくつかありますが、むしろ山頂直下にある天空のキャンプ場の方が有名かもしれません。ほとんど山頂まで車で行けますから。検索しても登山よりキャンプやバイクツーリングの記事の方が遥かに多くヒットします。今回は遅出だったので、麓の望岳荘からではなく、美里の登山者用駐車場からでもなく、その上の風三郎神社の先のカーブから登ることにしました。通行車に迷惑にならないように道路脇の空き地に駐車。ここから約1時間半の登山です。

 左は、麓の与田切大橋辺りから見上げた陣馬形山。アンテナの見える左にもうふたつアンテナがあり、その左が山頂なんですが分かりづらいですね。今回は右の尾根を登っていきます。風三郎神社の先のカーブの空地に駐車して登り始めます(中)。下の登山者用駐車場には軽が一台停まっていました。登山道は尾根をほぼ直登しますが、つづら折れで登る林道を4回ほど横断します(右)。林道は幅が狭くすれ違いができないのでスピードを出し過ぎないように。大晦日とあって、今回出遭った車はわずかに四台ほど。

 赤松の混合林をつづら折れで登ります(左)。特に急登もなく初心者でも大丈夫。また林道に出ました(中)。標識に従い左へ巻きます。コースは標識も整備されて迷うことはないでしょう(右)。

 3回めの林道を横断(左)。落葉松の植林地を登ります。振り返ると中央アルプス(中)。落葉した落葉松の道は明るい(右)。他にはリョウブやクロモジ、ブナ、たぶんオオカメノキなどが見られます。山頂近くにはシラカバやレンゲツツジも。

 赤松に地衣類のウメノキゴケ(左)。環境の変化、特に排気ガスに弱いので環境汚染の目安にもなります。1340mのピークは南面を巻きます(中)。この道は細いので泥濘状態や積雪期は滑落に要注意。右にこれから向かう1425mのピーク、左奥に陣馬形山山頂が見えます。熊笹の道を鞍部に下ると・・(右)。

 丸尾のブナの大木。下記のような説明板があります。
一、由来
 文明元年(1469)丸尾村、宮澤播摩源宗長の代、このブナの木を御神木と定め、根本へ祠を建立す。諏訪大社の御神体として薙鎌(なぎかま)をこの祠へ祭りブナの木明神と称して毎年三月初の酉の日を祭日として祝い祭ってきたが、明治初年、丸尾熊野神社へ移奉す。
一、御神体薙鎌の謂(いわれ)
 鳥の形に作ってある鎌(宮澤氏にて保存)風を薙ぐ(鎮める)すなわち風鎮めの神である。当時、諏訪大社より分社の印としてこの薙鎌の下付を受けて祭ったものと思われる。
 薙鎌 長さ十センチ 巾三.八センチ 厚〇.二センチ
一、木の概要、樹齢 推定六百年、目通り幹の周囲六.四五m、樹高十四.五m、東西二十二m、南北二十m
一、所在地、中川村大草沢入山一六五八ノ二、標高一二八〇m
一、往古より丸尾宮澤氏所有地且つ所有木。
一、昭和二十三年(1948)より丸尾耕地共有地且つ共有木。
一、昭和三十年(1955)より官行造林地として長野営林局と契約の為南向村(現中川村)へ所有権を移転す。
 平成十二年(2000)十一月 中川村、丸尾耕地 南信森林管理署


 根本には虚(うろ)もできています(左)。推定樹齢600年というのはどうでしょう。ブナは根が浅く水分保有量が多いため杉や栃などと比べると意外に樹命は短いのです。上の説明看板(中)。薙は平坦な安定した状態を表す古語。イザナギノミコトのナギであり、日本武尊命が使う三種の神器の草薙の剣のナギでもあります。薙の神事は各地にあり、いずれも内陸地方での嵐や大風を鎮める祀りごとです。薙という鳥は、水薙鳥、または大水薙鳥のことでしょう(ミズナギドリ科の海鳥)。ナギという言葉が先にあり、後で漢字が当てられた様です。薙、凪、梛、柳、椥など。穏やかという意味で荒ぶるの反対語。
 最後の林道への登りは緩やか(右)。もうすぐです。

 舗装路をショートカットして再び舗装路に出てから400mほど南アルプスが見える広い林道を歩きます(左)。山頂直下の陣馬形山キャンプ場(中)。二張ほどテントがありました。越年キャンパーですね。満天の星空が綺麗でしょう。キャンプ場を抜けて長野県の防災無線のアンテナの脇を山頂へ(右)。空が宇宙を感じる様な濃いコバルトブルーから真上は底なしのプルシャンブルー。

 木段を登ります(左)。陣馬形山山頂!思わず万歳が出る絶景です(中)。浮遊感を感じるほどの絶景(右)。眼下は伊那谷、奥には中央アルプス(木曽山脈)。見晴らしのいい山頂は、武田軍が狼煙を上げたところでもあるそうです。
1881年に刊行された『日本案内』の中で、飛騨山脈を調査したイギリス人鉱山技師のウィリアム・ゴーランドが、ヨーロッパのアルプス山脈に因んで、そこから見える山脈、周辺含めて「日本アルプス」と紹介したのがこの名前の由来である。後に小島烏水が飛騨山脈を「北アルプス」、木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を「南アルプス」とした。(wikipedia)

 景色はまさにバーズアイビュー。眼下は飯島町。左下の天竜川のカーブ手前の集落は日曽利(ひっそり)。傘鉾(かさんぼこ)という松飾りを燃やす小正月の厄除け行事が残る小さな集落。この動画を観ると、昔の方が心も暮らしも豊かだったと思うのです。現在は科学文明の代わりに失ったものが多すぎます。EUの公式研究チームは、日本の15%が徹底的な放射能監視地域と認定。そこには東京都全てが含まれます。今年と来年、放射能パンデミックが必ず起きます。
 右手の木曽駒ヶ岳や宝剣岳は、山頂が僅かに雲の中ですが、左の空木岳、南駒ヶ岳はなんとか見えています。山頂には望遠鏡もあり、千畳敷カールの人影も確認できました。

 東側は南アルプス(赤石山脈)の大パノラマ。左から鋸岳、仙丈ヶ岳、北岳、間の岳、農鳥岳、塩見岳、東岳、荒川岳、赤石岳。山頂には山座同定のプレートもあるのですが、あまり形が正確でなく少し分かりにくいのが残念です。北には常念や穂高、美ヶ原に八ヶ岳連峰も見えました。南には飯田市の風越山も。

 撮影しまくりです(左)。ここで女性がひとり登ってきました。登山者用駐車場にあった軽の人でしょうか。寒風が吹き始めたので四阿に下りて昼食(中)。今回は途中のスーパーで地元の食材を使ったおろしソースカツ丼とカップ味噌汁を買ってきました。強風で凍えそうです。弁当は冷たいけれど美味でした。味噌汁で温まりました。食後は私が淹れてきたアールグレイティーを温めて。風が止んだので再び山頂へ。女性に景色が良すぎて下山するのがもったいないですねと言ったら、そうなんですと笑っていました。でも後ろ髪引かれつつ下山です(右)。下山後は望岳荘に寄って風呂に入り冷えた体を温めて帰路につきました。
 この中川村には、縄文時代から人が住んでいた遺跡がありますが、香坂氏(大草氏)が南北朝の頃から土着し、土豪としてこの地を治めていた様です。香坂系図には宗綱の第ニ子宗種、結城合戦〔永享12年(1440年)〕の功により大草郷地頭を賜うとも書かれているそうです。
香坂(高坂)氏:東信濃の名族滋野氏、滋野三家の一つ禰津氏の禰津宗直の五男貞行を祖とする。香坂は佐久郡香坂(現佐久市香坂)に由来する。
結城合戦:関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いで、結城氏朝が鎌倉公方足利持氏の遺子(春王・安王)を擁立して幕府に抗したが、将軍足利義教はただちに関東管領上杉氏に討伐を命じ、攻城一年余のあと落城、氏朝は自殺し、春王・安王は殺された。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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