先週ロケを行い22日にSBCの「ずくだせテレビ」で、手相見芸人の島田秀平さんを案内して斎場山と陣場平を歴史解説しながらご案内したものが放映されました。ご覧になった方もおられるかも知れません。『甲陽軍』の編者といわれる小幡景憲の合戦絵図を初公開できたのが何よりの収穫でした。あけて23日は案内できなかった堂平大塚古墳へ久しぶりに行きました。
堂平大塚古墳の脇に、今は亡き山仲間のKさんが昔植えたモミジが今年も見事に紅葉していました。
見上げるとイワシ雲の空に落葉松の黄葉が映えています。もう少し冬まって茶色になると木枯らしが吹く度にチリチリと落葉松の葉の雨が降るようになります。
古墳脇の柿。昔からあるのですが渋柿なのか熊が食べに来たことはありません。藪の中を近づいてくる熊は音で分かるので追い払ったことが3回ぐらいあります。拙書のエッセイに載せている鏡台山の例。他に根子岳、聖山で追い払っています。戸隠自然植物園では横の笹薮の中に熊がいて私に向かって唸っていたのでその時はおとなしく去りました。下の陣場平では、5月中旬に子熊と鉢合わせ。私もですが子熊も驚いて逃げていきました。その向こうには母熊が確実にいるので、その日はおとなしく山を下りました。この古墳脇にはログハウスがあるのですが、デッキで昼を食べていたら上の山で子熊がギャーギャー鳴いていました。でも母熊が子熊を置いて崖を下って蟹沢の泉に水を飲みに行ったのだろうと分かったので待っていると、10分ぐらいで母熊が戻ってきた様で深山へ帰って行きました。
薮山へ登って倒木にムキタケ。例年なら大袋に入りきれないほど採れるのですが、今年は小袋一杯だけ。ハナイグチもムラサキシメジも全く見られません。本当にキノコが凶作の秋でした。唯一ハタケシメジが大量に採れたのは奇跡の様でした。
島田秀平さんを案内した陣場平。今日は象山から鞍骨山経由で来られた男性と、その後で天城山(てしろやま)から下りてきた女児を連れた夫妻を案内しました。来春の貝母が満開の時期にぜひまたおいでください。開花は4月初め、見頃は10日から20日頃です。同時にカスミザクラ、ヤマザクラ、オオヤマザクラが咲き、ウグイスが鳴き、運が良ければサンコウチョウも月日星ホイホイホイと鳴きます。エンゴサクの群生地や希少なハナヤスリの群生地もあります。
番組で紹介した『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の「河中島合戰圖」(部分)。マスコミ初登場です。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。かなり大雑把な絵ですが、それでも大体の地名は当てはめることができます。上杉軍は赤で、武田軍は白で描かれています。上杉謙信は、短い布陣でも必ず陣城を構築したといわれています。築城前には、「乱取り」といって麓の寺社や家屋を壊して建築材料や食料を得ていました。合戦後50年位に描かれた絵ですから、正確な描写は無理としても、内容はかなり信憑性が高いかも知れません。小幡景憲の祖父虎盛と叔父光盛は、海津城で春日虎綱の副将を務めました。そういう経緯から景憲は『甲陽軍鑑』原本を入手しやすい立場にいたということでもあり、実際に合戦当時の話を聞いていたのではないかと思われます。この絵図は、東北大学狩野文庫に所蔵されているもので掲載の許可を得ています。
ほぼ中央にあるクマノミズキの珊瑚色の実がたくさん落ちています。紺色の実は森の動物や昆虫の大事な餌になります。
陣場平の入り口に設置したインセクトホテル。昆虫の越冬用の棲家です。まだ暖かいので宿泊者はいません。
林道から見る陣場平。貝母(編笠百合)の群生地はあの落葉松林の向こうになります。
陣場平の北東の角にある高句麗人の積石塚古墳。高句麗から帰化した豪族が篠ノ井の地名の元という話は、春の夢空間主催のハイキングで必ず説明しています。
ゴヨウアケビの葉は冬でも緑なので、ニホンカモシカの餌になります。
アサギマダラが花で吸蜜していたマルバフジバカマは種ができています。
陣場平の北東にチカラシバが繁茂してしまいました。この夏に貝母の球根を植えたところなので、もうすぐ行われる妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業で全部掘り返します。帰化植物だけでなくイネ科の植物も厄介です。
そこにあある菱形基線測点。松城群発地震の時に大活躍した地球の歪みを測る機器を置く台です。ブログでも紹介しています。菱形基線測点でブログ内検索を。
陣場平の出口から林道を見たところ。天気の良い日には鞍骨山へ向かうハイカーもよく見られます。マウンテンバイクやトレランの人も来ます。
見上げるとオニグルミ。今年は猛暑と少雨で実があまりなりませんでした。
下って妻女山展望台へ。先週の13日と15日に清野の林道倉科坂線で熊が目撃されたので立てられました。麓の柿を毎年食べに8キロ先の鏡台山から来るのです。いつもならクリスマスの頃なんですが、一ヶ月以上早く下りてきました。やはり実が不作なのでしょう。ハイキングには熊鈴とホイッスルを携行してください。
妻女山展望台から白馬三山と茶臼山と右奥に虫倉山。眼下の畑では長芋堀りが盛んです。野沢菜の濃い緑も見えます。
北の飯縄山と戸隠富士の高妻山。暖かい日でした。展望台とその周辺は県外ナンバーの車やカメラの三脚がたくさん。そうです今夜は長野えびす講煙火大会なのです。5キロほど離れていますが、遠花火もまたいいものです。
「スペアリブと天然ハタケシメジの中華炊き込みご飯」スペアリブはオイスターソース、中国醤油、ごま油、五香粉、胡椒で味付け。天然ハタケシメジ、椎茸、れんこん、人参、白葱、干しエビ。自家栽培の干し椎茸をもどしてその汁でご飯を炊く。味付けはシャンタンスープの素、牡蠣油、醤油、本味醂、姜葱醤。スペアリブは豚バラや鶏肉でも。ラムにするとモンゴル風に。天然ハタケシメジと干し椎茸の旨味がスペアリブとご飯に染み込んで超絶美味です。
●インスタグラムはこちらをクリック。ツイッターはこちらをクリック。YouTubeはこちらをクリック。もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
堂平大塚古墳の脇に、今は亡き山仲間のKさんが昔植えたモミジが今年も見事に紅葉していました。
見上げるとイワシ雲の空に落葉松の黄葉が映えています。もう少し冬まって茶色になると木枯らしが吹く度にチリチリと落葉松の葉の雨が降るようになります。
古墳脇の柿。昔からあるのですが渋柿なのか熊が食べに来たことはありません。藪の中を近づいてくる熊は音で分かるので追い払ったことが3回ぐらいあります。拙書のエッセイに載せている鏡台山の例。他に根子岳、聖山で追い払っています。戸隠自然植物園では横の笹薮の中に熊がいて私に向かって唸っていたのでその時はおとなしく去りました。下の陣場平では、5月中旬に子熊と鉢合わせ。私もですが子熊も驚いて逃げていきました。その向こうには母熊が確実にいるので、その日はおとなしく山を下りました。この古墳脇にはログハウスがあるのですが、デッキで昼を食べていたら上の山で子熊がギャーギャー鳴いていました。でも母熊が子熊を置いて崖を下って蟹沢の泉に水を飲みに行ったのだろうと分かったので待っていると、10分ぐらいで母熊が戻ってきた様で深山へ帰って行きました。
薮山へ登って倒木にムキタケ。例年なら大袋に入りきれないほど採れるのですが、今年は小袋一杯だけ。ハナイグチもムラサキシメジも全く見られません。本当にキノコが凶作の秋でした。唯一ハタケシメジが大量に採れたのは奇跡の様でした。
島田秀平さんを案内した陣場平。今日は象山から鞍骨山経由で来られた男性と、その後で天城山(てしろやま)から下りてきた女児を連れた夫妻を案内しました。来春の貝母が満開の時期にぜひまたおいでください。開花は4月初め、見頃は10日から20日頃です。同時にカスミザクラ、ヤマザクラ、オオヤマザクラが咲き、ウグイスが鳴き、運が良ければサンコウチョウも月日星ホイホイホイと鳴きます。エンゴサクの群生地や希少なハナヤスリの群生地もあります。
番組で紹介した『甲陽軍鑑』の編者と言われる小幡景憲彩色の「河中島合戰圖」(部分)。マスコミ初登場です。陣場平に陣小屋が七棟建てられた図が描かれています。かなり大雑把な絵ですが、それでも大体の地名は当てはめることができます。上杉軍は赤で、武田軍は白で描かれています。上杉謙信は、短い布陣でも必ず陣城を構築したといわれています。築城前には、「乱取り」といって麓の寺社や家屋を壊して建築材料や食料を得ていました。合戦後50年位に描かれた絵ですから、正確な描写は無理としても、内容はかなり信憑性が高いかも知れません。小幡景憲の祖父虎盛と叔父光盛は、海津城で春日虎綱の副将を務めました。そういう経緯から景憲は『甲陽軍鑑』原本を入手しやすい立場にいたということでもあり、実際に合戦当時の話を聞いていたのではないかと思われます。この絵図は、東北大学狩野文庫に所蔵されているもので掲載の許可を得ています。
ほぼ中央にあるクマノミズキの珊瑚色の実がたくさん落ちています。紺色の実は森の動物や昆虫の大事な餌になります。
陣場平の入り口に設置したインセクトホテル。昆虫の越冬用の棲家です。まだ暖かいので宿泊者はいません。
林道から見る陣場平。貝母(編笠百合)の群生地はあの落葉松林の向こうになります。
陣場平の北東の角にある高句麗人の積石塚古墳。高句麗から帰化した豪族が篠ノ井の地名の元という話は、春の夢空間主催のハイキングで必ず説明しています。
ゴヨウアケビの葉は冬でも緑なので、ニホンカモシカの餌になります。
アサギマダラが花で吸蜜していたマルバフジバカマは種ができています。
陣場平の北東にチカラシバが繁茂してしまいました。この夏に貝母の球根を植えたところなので、もうすぐ行われる妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業で全部掘り返します。帰化植物だけでなくイネ科の植物も厄介です。
そこにあある菱形基線測点。松城群発地震の時に大活躍した地球の歪みを測る機器を置く台です。ブログでも紹介しています。菱形基線測点でブログ内検索を。
陣場平の出口から林道を見たところ。天気の良い日には鞍骨山へ向かうハイカーもよく見られます。マウンテンバイクやトレランの人も来ます。
見上げるとオニグルミ。今年は猛暑と少雨で実があまりなりませんでした。
下って妻女山展望台へ。先週の13日と15日に清野の林道倉科坂線で熊が目撃されたので立てられました。麓の柿を毎年食べに8キロ先の鏡台山から来るのです。いつもならクリスマスの頃なんですが、一ヶ月以上早く下りてきました。やはり実が不作なのでしょう。ハイキングには熊鈴とホイッスルを携行してください。
妻女山展望台から白馬三山と茶臼山と右奥に虫倉山。眼下の畑では長芋堀りが盛んです。野沢菜の濃い緑も見えます。
北の飯縄山と戸隠富士の高妻山。暖かい日でした。展望台とその周辺は県外ナンバーの車やカメラの三脚がたくさん。そうです今夜は長野えびす講煙火大会なのです。5キロほど離れていますが、遠花火もまたいいものです。
「スペアリブと天然ハタケシメジの中華炊き込みご飯」スペアリブはオイスターソース、中国醤油、ごま油、五香粉、胡椒で味付け。天然ハタケシメジ、椎茸、れんこん、人参、白葱、干しエビ。自家栽培の干し椎茸をもどしてその汁でご飯を炊く。味付けはシャンタンスープの素、牡蠣油、醤油、本味醂、姜葱醤。スペアリブは豚バラや鶏肉でも。ラムにするとモンゴル風に。天然ハタケシメジと干し椎茸の旨味がスペアリブとご飯に染み込んで超絶美味です。
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◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。