モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」

2006-01-19 | 50's60's70's グラフィティ

「ブルー・アワー」は、スタンリー・タレンタインとザ・スリーサウンズのアルバムです。
豪放なテナー奏者としてしられるスタンリー・タレンタインとジーン・ハリス率いるスリーサウンズの組み合わせは絶妙で、ブルージーな演奏には、何とも言えぬ大人の豊穣な雰囲気が漂っています。地味ですがブルーノートの名盤の一枚だと思います。

 B面の最初の曲は、SINCE I FELL FOR YOU ですが、実はこの曲は私が学生時代にアルバイトをしていた、作家・村上春樹の経営していたジャズ喫茶「ピーター・キャット」のエンディングテーマでした。
Stanley Turrentine with The 3 Sounds - Since I Fell For You

 バーボンの香りと煙草の煙の充満する(現在は吸わないのでそんな店はとても耐えられませんが…)店内にこの曲が流れるのは、決まって12時55分頃でした。

 ジーン・ハリスの気だるいピアノに導かれるようにスタンリー・タレンタインのテナーが流れ、「お楽しみのところ申し訳ございませんが、そろそろ閉店の時間となりました。本日はどうもありがとうございました」と言って照明を明るくしていきます。お客さんはみなおとなしく帰っていきました。一部の常連を除いては…。店の掃除を始めながら、ああこれで今日もやっと一日が終わると思ったものです。

 店が終えた後は後片付けと掃除をして、よく春樹さんと話をしたものです。ジャズの話、学生運動の話、私の悩みや彼女のことなど。彼はちょうどバイトをしていた私たちの兄貴の様な存在で、よく相談にものってもらいました。バイト中、カウンターの中では、結構くだらない話もしていましたが、色々な事があっていつ行っても面白い店でした。

 お客さんは、私が通ってい武蔵美を中心に、東経大、一橋大、農工大、津田塾、国立音大、多摩美などの学生と、ジャズが好きな若いサラリーマンが多かった様に思います。いわゆる業界人も。もちろんミュージシャンも。そして、近所のお店の人もよく来てくれました。どこから聞いたのか、立川基地の若い兵士が来たこともありました。個人的には、非番の日に行っても、いつも何人かは友人が必ずいるという感じでした。もっとも、国立に引っ越すまでは、店の数軒先のアパートに住んでいたのですから、ほとんど毎晩顔を出していたわけですが。

 ジャズを聴くオーディオセットが欲しくて、他にイベント屋で運動会や歌手のコンサートのセッティング、青山の輸入家具屋、寝具メーカーのデザインのバイトと4つも掛け持ちして体をこわしたこともありました。夏には集英社でnonnoのバイトも。ラックスのプリメインアンプにビクターのプレーヤー、デンオンのスピーカーに、アパート暮らしなので奮発してスタックスのコンデンサータイプのヘッドフォンを買いました。プレーヤーは、店のものが故障した時に代役を務めたこともありました。

「ピーター・キャット」があった国分寺には、私の青春の想い出がたくさん詰まっています。「寺珈屋」「船問屋」「たらまんか」「ほんやら洞」「グルマン」「ピッコロ」「まねき」「国分寺書店」「ピーナッツハウス」「27歳のきれいなお姉さんがやっていたスナック」「ホワイト餃子」などなど、遊び歩いたお店の名前が次々に浮かんできます。今はチェーン店ばかりですが、当時は学生がお金をかき集めたり、世界を放浪してきて開店したり、そんな個性的な店がたくさんあって面白い時代でした。

この当時のことをブログで書いています。32本の記事が写真やイラストなどとともにアップされています。
国分寺・国立70Sグラフィティ


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5 コメント

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ピーナツハウスは‥ (kousaku!)
2006-01-20 16:23:53
改装しましたがまだ健在です!

ほんやら洞もまだやってますね。でもまだ知らないことばかりでッ国分寺の昔語りを一度お聞きしたいですね… ^。^ ;
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まだあるんですか (MORI MORI)
2006-01-21 09:35:58
驚きですね。

ピーナツハウスは、いつも東経大や武蔵美の学生であふれかえっていましたね。

私は、1、2年は国分寺で、3、4年は国立に住んでいました。



北口の長崎屋の隣り辺りにレバサシの旨い飲み屋があって学校帰りによく寄ったものです。

南口には中国人の婆さんが作るバカ旨の真っ黒で激辛の麻婆豆腐がありました。



椎名誠が書いた「さらば国分寺書店のおばば」の店は、そんなに恐い人ではなく、私はよくみすず書房の本を買いに行きました。レヴィ・ストロース、ボードリヤール、グスタフ・ルネ・ホッケとか。頭の痛くなりそうな本が好きでした。



当時は、ストレートの髪の長い女の子が好きで、そういう子を見ると、直ぐに惚れてしまったものです。



そのうちポツポツ国立のことも書きたいと思います。よろしくです。



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ジャズ (YOSHI)
2006-01-23 14:48:59
ブルーノートの4000番代の曲は全部渋い曲で、その中でもスタンリー・タレンタインとザ・スリーサウンズは代表的なジャズメン達ですね。

あとジミー・スミスのオルガンと、ルー・ドナルドソンのアルトサックスのアルバムも聴いて見て下さい。
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 (ganta)
2006-04-17 17:55:06
11時55分ごろっていうと、たばこブカブカふかして、バカボン読みながら、ザ・パンチパンチパンチのビバ、オリーブ&モコ聴いてころげてたな~ぁ・・・



ジミー・スミスのオルガン聴いたとき、片っぽの耳から入ってきて、脳ミソの中を∞描いて何周かミミズの様にのたまわり、反対側の耳から出ていったような感覚を憶えました。

たぶん、糸居ゴーローさんのオールナイトニッポンだったような気がします。

LPもスモール・パラダイスての一枚買ったなぁ。レコードってとても高価でしたよねぇ・・・

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ジミー・スミス (MORI MORI)
2006-04-17 20:45:06
オルガンてジミー・スミスを聴くまでは、なんだか幼稚園の伴奏楽器レベルぐらいにしか思っていなかったのですが…。

なんだかこう体の中をくすぐられますよね。

ジミー・スミスのオルガンと、ルー・ドナルドソンのアルトサックスのアルバムってタイトルなんだったかなあ。



オリーブ&モコって「私達が会ったのは〜」てな歌うたってましたよね。一世風靡しましたね。今はいいおばあさんかな。



LPって1800円でしたっけ。清舞台(キヨブタ)もので買いました。3つも掛け持ちでアルバイトしてラックスのアンプ買いましたよ。その後過労で寝込みました。
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