私は、アイスクリームが大好きで、昔は冷凍庫に必ずエスキモーの2リットルのバニラアイスのケースが入っていました。
それを小脇に抱え、大きなスプーンで食べるのですが、ほじった穴にマイヤーズラムをドボドボと流し込み、食らうわけです。甘党と辛党が同居しているわけです。サッカーやらテレビやら、はたまたジャズなんぞを聴きながらひたすら食べる訳です。飽きるまで。カウチポテトならぬカウチアイスでした。
そんなことしてたら、幸せ太りで10キロも太ってしまいました。
そういう訳で今は禁止です…。
で、なんで高田渡さんかって。氏のファーストアルバム「ごあいさつ」の6曲目が「アイスクリーム」なんです。
忘れもしません。2003年5月1日のことでした。吉祥寺に家族で買い物に行ったときのことです。知る人ぞ知る焼き鳥の「伊勢屋」の前で、真っ昼間から赤い顔をして上機嫌にお酒を飲んでいるおじさんがいました。
誰あろう、それが高田渡さんでした。
すでにアルバムを聴いて、聴かされて?育った息子達は、大ファン。サインもらっといでと言ったはいいが、色紙なんぞの持ち合わせはない。そこでむすこ達は、失礼ながらもスーパーの紙袋にサインくださいと話しかけた。彼はもできあがっていて、すごく嬉しそうに「よくおじさんのこと知ってるね。おじさんのサインは高いよ」なんていいながらも、紙袋に気軽にサインしてくれました。
息子が「アイスクリームの歌が好きです」と言うと、本当に嬉しそうでした。その彼も今年帰らぬ人となりました。合掌。
思えば70年代は、安直なコマーシャリズムにのらない、アンダーグラウンドやマイナー、サブカルのいい曲がたくさんありました。三寺と呼ばれた、高円寺、吉祥寺、国分寺には、長髪にロペのピタピタの花柄シャツ、裾にチロリアンテープの付いたベルボトムのジーンズをはいた若者が地べたに座ってフォークを歌っていました。女の子は真ん中分けのストレートのロングヘアー、パンツが見えるくらいのミニスカートをはいていました。ぼくはコースターブレーキのついた自転車に乗って、どこまでも行ったものでした。
それを小脇に抱え、大きなスプーンで食べるのですが、ほじった穴にマイヤーズラムをドボドボと流し込み、食らうわけです。甘党と辛党が同居しているわけです。サッカーやらテレビやら、はたまたジャズなんぞを聴きながらひたすら食べる訳です。飽きるまで。カウチポテトならぬカウチアイスでした。
そんなことしてたら、幸せ太りで10キロも太ってしまいました。
そういう訳で今は禁止です…。
で、なんで高田渡さんかって。氏のファーストアルバム「ごあいさつ」の6曲目が「アイスクリーム」なんです。
忘れもしません。2003年5月1日のことでした。吉祥寺に家族で買い物に行ったときのことです。知る人ぞ知る焼き鳥の「伊勢屋」の前で、真っ昼間から赤い顔をして上機嫌にお酒を飲んでいるおじさんがいました。
誰あろう、それが高田渡さんでした。
すでにアルバムを聴いて、聴かされて?育った息子達は、大ファン。サインもらっといでと言ったはいいが、色紙なんぞの持ち合わせはない。そこでむすこ達は、失礼ながらもスーパーの紙袋にサインくださいと話しかけた。彼はもできあがっていて、すごく嬉しそうに「よくおじさんのこと知ってるね。おじさんのサインは高いよ」なんていいながらも、紙袋に気軽にサインしてくれました。
息子が「アイスクリームの歌が好きです」と言うと、本当に嬉しそうでした。その彼も今年帰らぬ人となりました。合掌。
思えば70年代は、安直なコマーシャリズムにのらない、アンダーグラウンドやマイナー、サブカルのいい曲がたくさんありました。三寺と呼ばれた、高円寺、吉祥寺、国分寺には、長髪にロペのピタピタの花柄シャツ、裾にチロリアンテープの付いたベルボトムのジーンズをはいた若者が地べたに座ってフォークを歌っていました。女の子は真ん中分けのストレートのロングヘアー、パンツが見えるくらいのミニスカートをはいていました。ぼくはコースターブレーキのついた自転車に乗って、どこまでも行ったものでした。
聞いて、高田さんのような自転車の乗り方もいいなと思いました。
伊勢屋で飲んでいた高田さんは昼間から気持ちよさそうに酔っていました。
ごめんなさい。
メールで送るのは不可能なので、出来れば圧縮して、無料ホームページをたちあげて、そこに置くのです。するとダウンロードできます。なんて無理強いしてるわけではありません。
早すぎた逝去でした。でも飲み過ぎでおじいさんみたいな顔してましたもんね。本人は本望だったのかもしれません。合掌。
「高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンド」
の名前の由来だそうです(CD/バーボン・ストリート・ブルースの後書き)。
1977年発売のこの軽妙なアルバムに『すかんぽ』が収録されています。
2002年暮に放送されたNHKの番組、
『世界わが旅・ドイツ/僕と生きてきた詩「すかんぽ」/旅人フォークシンガー高田渡』
も秀作でしたねぇ。
知りませんでした。バーボン飲みながら聴きたいですね。
2002年の番組は、見た記憶があります。すかんぽは、山菜というより、ノビル以上に雑草ですね。
すいば、すかんぱとか言いますが、小仏峠の上の景信山の茶店で天ぷらで食べたことがあります。
そんな雑草をとりあげるのも彼らしいなと思います。