風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ホリデー・シーズン風景 その1(犠牲祭) 

2008-12-19 | ヨルダン風物詩
12月に入るとどこか慌しいのはどこも同じのようだ。

とくに今年はイスラムの世界において大切な行事である犠牲祭(イード・アル・アドハー)が
12月8日から始まるため尚更である、犠牲祭は8日より4日間にわたって行われる。
犠牲祭は先のラマダンと同様、太陰暦に基づくイスラム暦によるため通常毎年11日づつづれていく。

その昔、子宝に恵まれなかった預言者イブラヒームは、やっと息子イスマイールを授かった。
その子がかわいい少年になった時、神は「私が命じる山で愛する独り子を
焼き尽くす献げ物としてささげよ」と命じた。

苦悩のなかにも、イブラヒームとその息子イスマイールは神に言われたとおりに従おうとする。
父が息子を今しも犠牲にしようとしたその時、イブラヒーム親子の揺るぎない信仰心を確認した
アラーから声がかかり、イスマイールは助命され、そのかわりに子羊が生贄にされた。

この故事に由来して、毎年、羊や山羊、ラクダがこの日に犠牲にされることとなったようだ。

犠牲として家畜を神に捧げる事に意味があるのではなく、イブラヒームの示した神への忠誠心に習い、
自分の欲望を犠牲にしてさえも神に帰依するということに意味があるということである。
犠牲にする家畜はイブラヒームが自分の最愛の息子を犠牲にしようとしたように、
自分の家に1日でも2日でも置いて愛情を持って接し、
自分達が愛情を持っている家畜を犠牲にする事が良いとされている。

今年は12月7日が政府より祭日として追加されたため、企業など長いところでは9連休となり
ことのほかの盛りあがりのようだ。

そのためか、犠牲祭の前には羊、山羊を商いする市がいたるところで見られた。


(売られていく山羊たち すでに毛が刈られている)

売られていく山羊を見るのは我々日本人には可哀想と思えるが彼らは違うようだ。
彼らにすれば「食べられる為に生まれてきた家畜は食べてやらねば可哀想だ」ということで
我々の感情とは大きく異なるようだ。

家族全体で2、3頭買っていくのも珍しくない。


(運命を知っているのやら 毛が刈られてない山羊?羊たち)

またこの時期はムスリムにとって義務である五行の一つの大巡礼(ハッジ)の時期でもある。
聖典コーランによると、大巡礼は金銭的に余裕があり健康なイスラム教徒であれば
一生に一度はサウジアラビアにある聖地メッカまで出かけて果たすべきこととされている。

大巡礼を果したものは、そのことを家の玄関に横断幕をはり皆に知らせるようだ。


(我が家前 幕にはハッジを果たした人の名が書かれている)

横断幕の規格には特に決まりはないようだ。


(我が家前 幕の中の写真はメッカにあるカーバ神殿)


(我が家より300m先にあった横断幕)


(書体が力強さを感じさせる横断幕)

我が家の近所の通勤路だけでも4個の横断幕を見かけたが
どれもハッジを果たしたことで誇らしげであった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中欧旅行 旅のまとめ | トップ | ホリデー・シーズン風景 そ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ヨルダン風物詩」カテゴリの最新記事