風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

中欧旅行 2日目 (センテンドレ、ブラチスラバ)

2008-09-30 | レンタカーによる中欧個人旅行記
9月13日(土) 晴れ 摂氏11度

7時前起床
7:30 朝食をとるためレストランに行く。
お客は我々のほかにはいないか、いても1組くらいのようである。


(朝食のサービス・テーブル)


(マイ朝食)

朝食をすませ、早朝のセンテンドレの町を少し散策。


(遠くにプレオブラジェンスカ教会の塔)


(早朝の石畳を歩く)

途中マジパン博物館に立ち寄る。
ハンガリーではマジパン細工のお菓子が盛んに作られ、ここではマジパンでできた歴史上の人物や
物語の世界、植物や家具などの楽しい世界が見られた。


(マジパン細工)

10:00 散策を終え今日の目的地スロバキアの首都ブラチスラバに向けて出発。

途中サービス・エリアによりトイレを使用。
こちらのトイレは有料であり10Ft(約65円)必要、小銭が必要でコインを入れると発券される。
このクーポンをサービス・エリアのお店で10Ftとして使用できる仕組みになっている。


(サービス・エリアの有料トイレ)

14:00 国境を意識することなくあっけなく通過し、スロバキアの首都ブラチスラバのホテルに到着。
今晩の宿はIbis Bratislava Centrumである、ここもバスタブはなくシャワーのみである。


(ホテルの室内)


(部屋からの風景)

14:40 一息ついたあと散策開始。

旧市街へと向かう。
旧市街の入り口は、かって旧市街を取り巻いていた城壁の名残りのミハエル門だ。
門をくぐると両側にさまざまなショップやカフェなどが並ぶにぎやかな通りだ。


(突き当たりにミハエル門 門の上は塔になっている)

カフェなどでくつろぐ人々を見ながら旧市街の中心フラヴネー広場に着く。
中央には噴水があり、また雰囲気のいい教会もあった。


(フラヴネー広場近くの教会)

教会前で式に向かう花嫁と花嫁の父に出くわす。
思いがけず去年ハワイで式をあげた娘の結婚式を思い出させられる。


(教会に向かう花嫁と花嫁の父)

この街にはユーモアあふれる像が点在しており人々の心を和ませているようだ。
一つ一つの像が笑わせてくれる。


(マンホールから顔を出す茶目っ気たっぷりの街角の像)


(トラム(路面電車))


(トロリーバス)

こちらのトラム、トロリーバス、地下鉄などの公共交通機関は共通チケットで目的地ごとではなく
時間当たりで購入するので慣れてないものにとっては厄介である。
ちなみに10分間で14SSK(70円),30分で18SSK(90円)である。


(券売機 時間を選択してコインを投入)

一つの大きな懸念を抱えていた。

中欧のコンセントの型に日本製デジカメ用の充電器のそれが合わないのだ。
ヨルダンと同型だろうと高をくくってヨルダンで使用のプラグを持参したのだが合わなかった。

これではこれから先の写真が撮れなくなってしまう。
散策がてらいくつかのショップをあたったが見当たらない。
ショッピング・センターに行けばあるだろうと言われ行くことにした。

トラムのチケットを購入しようとするが小銭がない、仕方なくそばにいた女子高生らしき彼女たちに
50SSK(250円)札の両替を頼む。
彼女達も50SSK分の小銭はないので、あるだけ(30SSKくらい)と両替。
その小銭で10分間のチケットを2枚ゲットした。

トラムの乗り心地はまずまずであった。

運良くセンター内のパソコン店で万国に対応できるプラグを見つけ購入した、これで一安心。


(買い求めた万能プラグ)

折角なのでセンター内の他の店も見て廻る、仏系スーパーの「カルフール」があったので覘いてみる。


(スーパーで見かけた大きなパン)


(うどん、そばも売っていた)

日も暮れてきたので再びトラムで旧市街に戻る。

19:30 ミハエル門近くのスロバキア料理のレストランに入る、
屋外のテラスもあったが、ちょっと寒いので屋内を選ぶ。


(写真を見てオーダーしたので名前はわからない)

まだちょっとお腹が満足しない、一品追加でオーダーする。


(ワインも赤、白ともにおかわりする)

22:00 就寝 本日の走行距離232km
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中欧旅行 1日目 (ヨルダン出国、センテンドレ)

2008-09-27 | レンタカーによる中欧個人旅行記
9月12日、晴れ

8:45大家代行が手配してくれた迎えの車で我家を出発。

9:20 およそ35分でクイーン・アリア空港到着
Royal Jordanianの受付でチェック・イン、スーツケース大小2個を預ける。
そのまま早々と出国手続きに向かう。
通関では、なぜか我々だけさらに別の窓口に行くよう指示されたが特に問題はなかった、
VISAの関係がよくわからなかったのだろうか・・・
荷物検査は日本のような水物の制限、検査は無いようである。

11;10 搭乗機にバスで向かう。


(我々を待つ搭乗機)

11:40 10分遅れで離陸、
機種はEmbraer175、ファースト12席、エコノミー60席の飛行機でオーディオの設備はない。
途中、機内食のサービスを受けるが、味はまずまずである。
ラマダン中でもありとらない人も多いいようだ。

14:10(ヨルダン時間では15:10)曇り
ハンガリーの首都ブダペストのフェリヘジ空港に到着
飛行時間は3時間30分であった。


(ブダペスト空港)

入国手続きを済ませ、預けた荷物を受け取りAVISの窓口に向かう。
予定通り小型車とGPSを借りる。
このGPSハンガリー語以外に、英語、仏語、独語などに対応できるようだ。
保険は値はかさむがフル・カバレッジを選択した。

気温は20度。
5分ほど歩いて駐車場に到着、これからお世話になる愛車に対面。
車種はSUZUKIのSWIFTである、小ぶりだがヨーロッパではこれくらいがいいだろうと自分で納得。
日本車でなんとなく安心。


(レンタカー SUZUKI SWIFT)

車は借りたがなにせ、マニュアル車を運転するのは前回ヨーロッパで運転して以来15年振りである。
暫らくAVISの駐車場を周回して感覚を取り戻すことにした。


(運転練習場となった駐車場)

15:50 多少慣れてきたのと、暗くなるのをおそれて本日の目的地センテンドレに向かう。
そこはブダペスト中心地から約20km、14世紀頃より交易商人でにぎあう商業都市として栄え、
15世紀にはオスマン・トルコの支配から逃れてきたセルビア人が多く定住した小さな美しい町だ。

最初の宿泊地としてここを選んだのは、運転未熟の身、都心部走行と距離数を考えてのことだ。

16:50 GPSに従いブダペストの町をみながら走行、センテンドレのホテルに到着。


(ホテルKentaur)

宿の女主人が明るく迎えてくれる。


(笑顔の女主人)

部屋はやや狭いがこぎれいだ、バスタブはなくシャワーのみである。


(こじんまりとした室内)

早速、時間は遅く午後5時を過ぎたが、荷物を置いてドナウ川のほうに歩く。


(河岸よりドナウ川を望む)


(石畳の街並み)


(中央広場)


(中央広場よりの風景))


(わき道で見かけた教会)

日も暮れてきたので、中央広場のレストランで中欧初の夕食をとることとする。
パプリカの粉末を牛肉、野菜と煮込む代表的ハンガリー料理「グヤーシュ」と
「クレープのひき肉包み」を頼む。


(グヤーシュとひき肉包み)

特に「グヤーシュ」は日本にはない味で最後の一滴まで飲みきるほどだった。

22:00 就寝、本日の走行距離42km
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中欧旅行より戻りました

2008-09-22 | レンタカーによる中欧個人旅行記
21日、15分遅れの19:50に無事ヨルダンのクイーン・アリア空港に到着。

入国審査、通関を終え大家代行が迎えに来てくれた車に乗り、
先ほど21:00にアンマンの自宅に戻りましたことを取り急ぎご報告いたします。

明日以降、時間を見つけて中欧旅行の感想、写真などを掲載したいと思ってます。
ぽつんぽつんの掲載になるかと思いますがよろしくお付き合いください。

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交通事情

2008-09-12 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はアンマンの交通事情について触れたい。

はっきり言ってこちらは車優先社会である。
日本のように歩行者優先という気持ちでいては、この国では轢かれてしまう。
横断歩道は数少ない、あってもほとんど消えているし、車もまったく横断歩道を
意識している風ではない。
そんな中をさらりさらりと身をかわして横断するのは、来た当初は至難の業だったが
最近ではかなり慣れてきた。


(道路横断中の親子連れ)


(車道を横断する歩行者)

また車の運転マナーも悪い。
スピードは出す、車線は消えてないにひとしく、車線変更も他車を無視し、
ウインカーを使うこともまれである。
皆が競って前へ前へと運転する。


(車線の消えた道路)


(交通整理のPoliceman)

こんな事情は数字にも表れている。
数字はちょっと古いが2003年で見てみる
(ヨルダンCivil Defence局の統計資料、及び日本の交通白書)

                     ヨルダン     日本
10万人あたりの死亡者数       15.2    6.0
10万台当たりの死亡者数       14.6     1.0
登録者数(単位:千台)         571    76,893

総人口比でヨルダンと日本およそ20倍、自動車保有台数で約140倍、運転免許保持者で約70倍の開きがあるなど、比較において考慮すべき点は多いがそれにしてもかなりの差である。

ちなみに各国の統計を見てみると2002年で以下のようであり、

    10万人当たりの死亡者数
日本      7.9
韓国     17.2
アメリカ   14.8
ドイツ     8.5
フランス   13.8
ヨルダン   14.2

日本の死亡者の少ないことがわかる、ヨルダンもそんなに悪くはないような・・・

また曜日別ではイスラム教の安息日の前日である木曜日が事故が多いようだ。
現在、真只中であるラマダン期間中も精神的に不安定になるのか事故は統計的に多い。

こんなヨルダンを離れて我々は明日から中欧の旅に出かける。
中欧の交通事情はヨルダンよりはましであろうが、自動車事故はいつ起こるかもわからない。
十二分に気をつけなきゃと今から身を引き締めている。

旅行にPCは持参しないこととした。
メールを見たりブログを更新する余裕はないと思うのと、盗難、破損などを恐れての判断だ。
メールなどに気をとられず、日常生活と隔絶しゆっくり楽しみたいと思っている。
しかる後、無事に帰国して、中欧旅行の感想、写真などを順次掲載していきたい。

ヨルダンへの帰国は9月21日、19:35空港着の予定である。

では、行ってまいります。
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水事情

2008-09-06 | ヨルダン事情・暮らし・気質
8月の末日、「四国の水がめ」早明浦ダム(高知県)の水が枯渇したとのニュースを
TVのNHKワールドおよびインターネットにより知る。
遠くアンマンより水不足に悩む人たちを想う。

こちらにきて不思議に思っていることがある。
当地に来て5ヶ月あまり、その間雨が降ったのは2日だけである。
それもほんのわずかで、顔に2,3の粉末のような水がかかっただけであった。
そんな状態なのにこちらでは、人々だれも水不足を心配しているふうではない。

アメリカ在住のころ、夏に晴天が続き水不足になったことがあるが、その時は
庭のスプリンクラーで散水することはもちろん、洗車などもはばかられた。
ところがこちらでは市の職員であろうか街路樹に散水している姿や、
道路を水で清掃している姿をよく見かける。
いつか突然に水不足が宣言されるのではとひやひやしている。

どうもヨルダンの人は環境問題とか、エコとかには関心が薄いようである。
これについては、いつか稿をあらためて記したい。


(街路樹に散水する職員)


(道路の清掃をするオレンジ・マン)

水源がヨルダン川,あるいはかすかな地下水しか期待できないこの国、
水があり余ってるとも思えない。
乾燥した中東地域では「水一滴は血の一滴に匹敵する」ともいわれ、
古代から争いの原因となってきた。
なのにである、無駄使いともいえるこの水の使い方はなんだろう。
もちろん緑にあこがれ植木を想う気持ちは理解できるが。

こんなにからから天気が続くのにもかかわらず水不足にならないヨルダンは不思議な国である。
少ない人口、一人当たりの水消費量の少なさなどが考えられるがどうだろう。
あるいはアンマンなどの一部の都市においてのみ水が潤沢なのだろうか。
このなぞは暫らく解けそうにない。

最後にこちらでは、ときおり家のコーナーに水がめが置かれているのを見かける。
これは街行く人のために供されているらしい。
須恵器でできており熱が外に発散されて中の水は冷たいそうだ。


(街角に置かれた水がめ 上にコップがある)

これは昔から伝わる知恵で人々ののどの渇きを癒してることを、
水事情の稿にちなんで蛇足ながらあわせて記しておきたい。
またこの水がめ、ラマダンに入った1日には片付けられていた。
ラマダン中、日中は水を飲むことも許されていない。
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