風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 6日目

2010-11-05 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月26日(木)

7:30 起床。

シリアで最後の朝である、朝食を取ったあとホテルから500mほどのマルジェ広場に行く。

広場に行くのは今回が初めてである。

シリアの首都ダマスカスは巨大なスーク(市場)やウマイヤド・モスクに代表される旧市街と
省庁や大使館のある新市街に大きく分けられる。

そしてマルジェ広場は新市街の中心地である。


(新市街の中心部 マルジェ広場)





広場近くには下町的雰囲気のお菓子屋さんも多い。
我々はその一つで胡麻の風味が美味しい胡麻クッキーをおみやげに買い求めた。


(広場近くのイスラム装飾のビル)

広場近くにはダマスカスにおけるシンボル・タワー的なビルもあり、ビルの上には「SONY]のマークがあった。


(シンボル・タワー 上に「SONY」のマーク)

ホテルに戻り荷物を引き取りタクシーでセルビス(乗り合いタクシー)の乗り場に向かう。

途中、隣りを走っているセルビスからアンマンへ行くのかと声をかけられる。
どうやら走りながら客を物色しているらしい。

我々はそちらのセルビスに乗り換えた。

セルビスは4人で満席のため、ドライバーはあと2人の客を求めて辺りを走り回っていたが
5分ほど経って諦めたのかアンマンヘ向かうようだ。

我々はゆったりと座れてラッキーである。


(ダマスカスからアンマンへ青線を南下)

ドライバーは盛んに電話をかけている。

あとでわかったことであるが、どうやらアンマン方向で満席でないセルビスを探していたらしい。

途中、セルビスのたまり場みたいな所で他のセルビスに乗っていた二人の男性客が乗ってきた。

めでたく満席となり、助手席に妻、後部座席に男性3人を乗せたセルビスは再び出発した。

男性客たちに話を聞くと彼らは国境近くのイルビッドに住んでおり、
年に何回かは買い物をするため物価の安いダマスカスに来るらしい。
今回は明日からの犠牲祭に備えての買い物のようだ。

国境を越えたところで、男たちはセルビスを降りた、近くに彼らの車を停めてあると言う。

やはりヨルダン人の彼らにしてもシリアの道路、特にダマスカスは道も分からず運転が難しいようだ。

再び我々二人となってゆったりと座りながらアンマンに向かった。

17:00 アンマンに到着。

こうして我々の2回目のシリア旅行は終わった、。

私にとっては生涯最後のシリア旅行であろう。

後日談であるがダマスカスのスーク巡りが気に入った妻は今年(2010年)の2月
長女が友達連れでヨルダンに来た際もセルビス利用で1泊2日のダマスカスを楽しんだ。
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シリア旅行 5日目(ラタキアからダマスカスへ)

2010-10-29 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月25日(水)

7:30 起床。

今回我々が泊ったホテルはバック・パッカー用の安宿のためか朝食がついてない。

外でサンドイッチでも食べようと思い早速出かける。


(朝のラタキア)

なかなかサンドイッチを食べれるような店が見つからず、人に聞いてなんとかそれらしき店に入った。


(レストランの入り口)

かなり殺風景な店で、サンドイッチを頼むと、子供に外に買いに行かせてるようだった。


(殺風景なレストラン内部)

軽い朝食を終えラタキア博物館へ行く。

この博物館は昨日訪れたウガリットで発掘され、アルファベットの原型とされる
紀元前12~13世紀頃に書かれた楔形文字を簡略化したウガリット文字の粘土板で有名である。
(ウガリットについては2010年10月22日出稿の「シリア旅行 4日目 その2(ラタキア サラディン城 ウガリット)」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2009年版))を参照ください


9:00の始まりのはずだがチケット売り場に誰もいなく10分ほど待って職員が来た。

ラタキア博物館は16世紀にタバコの交易所として建てられたそうだ。


(ラタキア博物館 かってはたばこ交易所だった)

またフランス統治時代には州長官の公館として利用されていたようだ。

館内の庭には円柱や彫刻が無造作に置かれていた。











残念ながらアルファベット文字の原型となった粘土板は写真撮影が禁止されていて撮れなかった。

博物館を見学した我々はホテルに戻って荷物を取り、ダマスカスヘ行くためバス停に向かった。


(バス停)

しかし、バス停で大変なことに気が付いた、バス停でダマスカス行きの切符を買おうとすると
パスポートの提示を求められた。
そこで初めてパスポートをホテルのフロントに預けたままであることに気が付いた。

大慌てでタクシーを捕まえ、ホテルに戻りパスポートを返してもらい再びバス停へ。

その間往復30分くらいだったろうか、なんとか当初予定のバスに乗ることができた。


(我々が乗ったダマスカス行きのバス)



11:02 バス出発。


(ラタキアからダマスカスへ青線を南下)

途中で地中海が望めた。


(地中海)

途中、雨が降ったせいかバスは遅れているようだ・

15:50 ダマスカスに50分ほど遅れて到着。

バスを降りてタクシーでホテルに向かう。

ホテルは3日前と同じ所だ。

チェック・インを済ませ、妻の希望によりダマスカスのスークにまたもや行く。


(ナッツ屋)

美味しそうなナッツが数多く、しかも安いので買ってみた。



夕食のためキリスト教徒地区でビールを買い求め、シュワルマ、シシカバブを中心とした
アラビア料理などのセット・メニュウをいくつか買ってホテルに戻る。

19:30 ホテルの部屋で夕食。

22:00 就寝。

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シリア旅行 4日目 その2(ラタキア サラディン城 ウガリット)

2010-10-22 | シリア旅行記(2009年版)
12:00 ホテルに荷物を置いた我々はサラディン城に向かった。

サラディン城は2006年に世界遺産として登録され、シリアに6つある世界遺産の一つである。

我々は今回の訪問によりシリアの世界遺産はすべて征服したことになる。

サラディン城はラタキアの東25kmの地点にあり、そこまでは汚いマイクロ・バスで40分ほど行き、
タクシーに乗り換えて行った。

タクシーに乗って10分ほど経過したであろうか、三方を急峻な谷にかこまれた
天然の要塞である尾根の上にサラディン城が見えてきた。


(尾根の上に建つサラディン城)

城壁も見えてくる。


(城壁)

タクシーはサラディン城の入り口に向かって下って行く。

途中に石塔があり、その脇をタクシーは行く。


(石塔 敵の侵入阻害のためだろうか)

タクシーを降りドライバーに1時間後に迎えに来るよう伝える。
英語はわからないようだがなんとか意は伝わったらしい。


(入口より城を見上げる)

一人45円ほどの入場料を支払い城内に入って行く。



1187年ハッティンの戦いで十字軍を破ってエルサレムへの無血入城を果たしたサラディーンは
ヨーロッパから来るべき十字軍の援軍を迎え撃つため、翌年この城を攻め落としたそうだ。



多くの城は十字軍によって取り戻されたが、その後もずっとこの城はイスラム軍の拠点となり、
英雄を称えて「サラディン城」と呼ばれるようになったそうだ。


(建物の内部)


(手前は先ほど見た道路にあった石塔)

下を見下ろすと車が小さく見える。


(城からの風景 下に車が小さく見える)

サラディン城はかなり高い尾根の上にあり、遠く地中海にまで睨みをきかせていたらしい。


(城壁 晴れた日には地中海が見えるかも)





我々が城を出て道路にいくと既にタクシー・ドライバーは待っててくれた。

タクシーで来た時のマイクロ・バスの乗り場まで戻る。


(途中の紅葉 もう少しであろうか)

マイクロ・バスでラタキアに戻った我々は、またまた別経路のマイクロ・バスに乗り
アルファベット発祥の都市国家ウガリットに向かった。

15分ほどでバスはウガリットの入り口に到着。

入り口で入場料を払ったが一人450円ほどで、先ほどのサラディン城のなんと10倍である。

しかし、遺跡としては荒れたままであり、これからの整備が必要である。
入場料が高いのはそのためかもしれない。

ウガリットは紀元前3000年頃には成立していたとみられる都市国家で世界で最も古い
都市のひとつとしてレバノンの世界遺産であるビブロスと双璧をなしているといわれている。


(整備されれば将来世界遺産の登録もあるかも??)

ウガリットで有名なのは紀元前12~13世紀ごろに粘土板に書かれた文書で、
ウガリット語のほか、シュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、古代エジプト語などで
書かれており、ここが数ヶ国語が話される国際都市国家だったことがわかる。

そしてその環境がアルファベットの原型となったとされる楔形文字を簡略化したウガリット文字を
生み出したようだ。

ウガリットの粘土板は明日行くラタキアやダマスカスの国立博物館で見ることができる。



かっての住居跡も一部残っている。


(北の住居跡の標識)



遺跡近くの木々に着いた花も奇麗だった。


(木々着いた花)

18:00 ラタキアに戻る。

今日の夕食は折角港町に来ているため魚料理の専門店に出かけたが残念ながら写真はない。

自分で魚を選び料理してもらうやり方であったが、味はイマイチであった。

21:00 魚料理を食べた後、夜の街をぶらぶらしながらホテルに戻る。

22:00 就寝。
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シリア旅行 4日目 その1(アレッポからラタキアへ)

2010-10-15 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月24日(火)

5:20 起床

5:55 朝飯もとらずにホテルを出発。

早朝のタクシーを捕まえアレッポ駅に向かう。

今日は鉄道によりアレッポより西へ170kmほどに位置する
地中海沿岸のシリア最大の港町ラタキアへ行く予定だ。


(右側のアレッポより地中海沿岸のラタキアへ青線を行く)

6:05 タクシーは10分ほどでアレッポ駅に到着。


(朝のアレッポ駅)

我々は6:48発の普通列車ラタキア行きに乗車の予定だ。

窓口で一番安い2等車の切符購入。

170kmほどの長旅にもかかわらず値段は一人210円(70SP)くらいと驚くほど安い。

待ち会い所で待ってると地元の人が登録が必要と教えてくれた。

どうやらこの社会主義の国では国内の移動においても事前の登録が必要らしい。

パスポートと切符を持って登録所に行く。


(ID登録所)

登録所では切符にサインをしてくれる。


(切符 裏にIDを確認したとのサインがある)

乗車可能との声によりホームに入る。


(機関車)


(客車)

車内は横に1席、通路、2席の3席でゆったりとしていた。


(2等でもゆったりとした車内)

1等の車内も見てみたが座席の配置は変わらず見栄え座り心地とも同じようだった。

6:48 出発。

ラタキア到着は10:30の予定で4時間弱の長旅である。
急行であれば3時間以内であるが適当な時間のものがなかった。


(延々と広がるシリアの大地)

列車は察するにヨーロッパあたりから払い下げられたものであろうか窓は汚れて白く濁っている。


(途中の街)

列車は途中いくつかの山越えをするようだ。


(少し紅葉しかかった森)


(陸橋を登っていく)

乗客はまばらだったが、子供を連れた家族もいた。


(乗り合わせた子供)

10:30 列車は予定通りラタキア駅に到着する。

ホテルにタクシーで向かう。

今日のホテルはバック・パッカーも泊る安宿ではあったが小奇麗だった。


(室内)


(トイレ)

12:00 荷物を置いた我々は早速散策へと出かけた。

ラタキアといえば港町として有名だが、もう一つ2006年に世界遺産に登録された
サラディーン城が東25kmの所に位置しサラディーン城への入り口としても有名である。

我々はまずサラディーン城を目指すことにした。
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シリア旅行 3日目 その2(アレッポ)

2010-10-08 | シリア旅行記(2009年版)
アレッポ城内には博物館がある。

そこにはギリシャ時代のレリーフやオスマン帝国軍の大砲などが展示されている。

中に入ってみて面白いものを見つけた、手動式の石弾丸投石器である。

同じようなものを2009年5月にエジプト旅行に行った際にもカイロのシタデルで見たことを思い出す。
(カイロの投石器については2009年10月12日出稿の「エジプト旅行 3日目 その1(イスラーム地区)」
  (カテゴリー:エジプト個人旅行記))を参照ください


距離的にはシリアのアレッポとエジプトのカイロ、直線で約900kmほど離れているようだが
ともにアラブ人として十字軍と戦っており歴史の共有は勿論、武器など何らかのつながりがあるようだ。


(城内博物館にあった手動式の石弾丸投石器)

博物館を出て城の建造物に入ってみると投石器のための石弾丸も見られた。


(石弾丸 これを投げて敵を痛めつけたのであろうか)

さらに歩くと時代はよくわからないが宮殿や祭壇らしきものもある。


(宮殿)


(祭壇)


(建物内部 比較的新しいようだ)

城の見学を堪能した我々は民俗博物館を見学するため、
昨日も行ったアルメニア人が多く住むキリスト教徒地区に向かった。

キリスト教徒地区には2階が異常に出っ張った民家が多い。

これはアルメニアの影響なのだろうか??


(異様に出っ張った家)


(ここにも出っ張った家が)

キリスト教徒地区はギリシャ・カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教などの
教会が多くあることは前にも述べたとおりである。


(アルメニア大聖堂の標識)


(祭壇)

少し道に迷ったが街の人に尋ねてなんとか民俗博物館に到着。


(民俗博物館の展示物 日常生活を表現)

博物館の内容は2008年の11月に訪れたダマスカスの民俗博物館(アゼム宮殿)を
小型化したようなものだった。
(ダマスカスの民俗博物館(アゼム宮殿)については2009年3月23日出稿の「シリア旅行 4日目 その1(ダマスカス)」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2008年版))を参照ください


(博物館の中庭)

博物館を出てぶらぶら歩いてみる。

今日の夕食はホテルで簡単にすませようと思っていたのでビールやワインを売ってないかと思い探す。

キリスト教徒地区であればどこかで売っているはずである。


(街並み)

路地裏に小さなホテルがあったのでトイレを借りるべく入ってみる。


(路地裏)


(ホテルの奇麗に手入れされた中庭)

トイレに入ってみると男子用のそれにペーパーが備え付けてあるのには驚いた。
初めての経験である、よほど綺麗好きなのだろうか・・


(左上にペーパーが)

ビールやワインを買い求めた我々は途中の映画館や時計塔を見ながらホテルに戻る。


(映画館)


(時計塔 アレッポの町の中心地だ)

ホテルに戻り夕食のためにチキンの丸焼きやシュワルマをホテル前の店に買いに出かける。
(シュワルマについては2009年6月15日出稿の「アジュルン」
  (カテゴリー:ヨルダン国内旅行記))を参照ください

シリアはヨルダンの北に位置し雨も多く、土も肥沃であり一般的には鶏、牛、野菜など
美味しいと聞いていたがチキン、シュワルマとも、まずくはないがヨルダンのほうが美味しく感じた。

明日は地中海沿岸の町に早朝発の鉄道で行くため朝が早い。

22:00 早めに就寝
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