風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

エジプト旅行 1日目(カイロ到着 音と光のショー)

2009-08-31 | エジプト個人旅行記
5月18日(月) 晴れ

ヨルダンに赴任当初からの念願だったエジプト旅行の日がやってきた。

6:15 自宅を出発

8:45 ロイヤル・ジョルダニアンの飛行機離陸
10:15 カイロ着

1時間30分のフライトである。

カイロの空気は排気ガスのせいで灰色によどんでいた。


(灰色によどんだカイロ空港)

旅券管理ブースの前で予定通りインターネットを通して旅行をアレンジしてくれた
日本の旅行社のエジプト代理店の担当者に会う。

ビザを買い、通関をすませ、担当者の車で考古学博物館へと向かう。

初めてのカイロ、ヨルダンの首都アンマンよりも街は喧騒としており、
また荒れた感じである。


(崩れたビル)


(映画館)

博物館前で日本語ガイドのイマンさんに会う。

説明をじっくり聞きたいのとカイロ市内の交通に不案内なためカイロでは
日本語のガイドを雇うことにした。
今日から3日間の付き合いだ。


(日本語ガイドのイマンさん)

彼女は大学で日本語を学び、日本にはまだ行ったことがないそうだ。

ドライバーも同じく3日間同行してくれる。


(ドライバー)

世界に誇るエジプトの秘宝を展示する考古学博物館は2階建てでこじんまりしているが
部屋数は100以上あり、なかでも人気なのが黄金のマスクのある
ツタンカーメンの部屋だ。


(考古学博物館)


(博物館の前のスフインクス像)

ミイラ博物館も含めて3時間ほど観たであろうか、博物館をあとにしてランチへ。

ちょっと喉が渇いたのでビールを頼もうとすると、ガイドは席を変えるという。
アルコールを飲む者とは同席できないとのこと。
アンマンではそんなことはなかったため、エジプトの戒律の厳しさを認識させられた。

そこまでしてビールを飲みたいわけでもないので、ビールをやめガイドとともに
食事をしエジプト・カイロ情報の入手に努める。


(ランチ)

ランチを終えてホテルに向かう。

カイロ市内を流れるナイル川には二つの中洲があるが、その一つのゲズィーラ島を
横切ってホテルに行くようだ。

まずライオン橋をわたる、橋の両端にライオンの像があるためこの名がついたようだ。


(ライオン橋 手前にライオンの像がある)

中州にはカイロのシンボル的存在であるカイロ・タワーがそびえている。


(橋上からのカイロ・タワー)


(ライオン橋 反対側のライオン像)

中州を過ぎて30分ほど走ったであろうか、ホテル到着。

チェック・インをすませ部屋に入る。

まず眼に飛び込んできたのが窓からのピラミッドだった。

普段写真で見るピラミッドは砂漠に超然とたっているイメージが強いが
ここから見てみると意外と街中に近いようである。


(窓からのピラミッド)

ピラミッドから眼を外し室内を見渡す、まずまずの部屋である。
ここには2泊の予定である。


(部屋)

部屋で一息ついたあと屋上に上りカフェで飲み物を頼み一望してみる。


(ホテルの屋上から)

ここでは毎晩2~3回ずつ、ピラミッドやスフィンクスに照明をあて、古代エジプトの
歴史を語る「音と光のショー」がある。
所要約1時間で、週に1回は日本語でも行われるらしい。

あいにくこの日は日本語ではなかったが20:30からの第1回目のショーを
見に行くこととした。

ホテルのボーイにタクシーを拾ってもらい、そのタクシーに1時間半ほど
待っててもらうよう交渉してショーに向かった。

会場に入るとまずは楽団による歓迎だ。


(楽団)


(会場 座席はほぼ埋まっていた)

いよいよショーの開始である。


(音と光のショー)


(色の変化が美しい)

音楽も荘厳な感じであった。


(照明を浴びたピラミッドとスフィンクス)


(スフィンクスの照明は消された)

ショーの終了後、待たせていたタクシーでホテルに戻ることにする。

少しお腹がすいたのでエジプトの国民食「コシャリ」を食べたいと思い
ドライバーに寄ってもらう。

コシャリとはエジプト特有の料理で米やスパゲティにミートソースをかけ、
オニオンフライなどをトッピングした軽食である。

ホテルに着いたあと、ホテル近くの店でこっそりビールを買い求める。
こちらではイスラム教の戒律が厳しいせいかおおっぴらには店で買えないようだ。


(今日のディナー コシャリとビール)

思えばランチ以降食べ物らしきものを摂っていなかった。

コシャリはそれなりに美味しかった、ビールに合うようだ。

23:00 就寝
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スペイン・ポルトガル旅行計画確定

2009-08-24 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
スペイン・ポルトガル旅行の計画がほぼ固まった。

レンタカーでマドリッドを起点として下記のようにドライブの予定である。


(マドリードを起点とし時計回りに進み、カセレスーエヴォラーリスボンー
オビドスーコインブラーポルトーサラマンカーセゴビアーマドリードに戻る)

 1日目  7:40アンマン発、12:20マドリッド着 飛行時間 5時間40分
       レンタカーを借りて「エストレマドゥーラ(この地方の州名)の宝石」
       と呼ばれろ中世の町カセレスに向かう(350km走行) カセレス泊

 2日目  ローマ時代の遺跡が残るメリダに向かう(70km走行)
       城壁に囲まれた古都エヴォラへ(180km走行)  エヴォラ泊

 3日目  首都リスボンへ(150km走行)  リスボン泊

 4日目  リスボン市内観光  リスボン泊

 5日目  素朴なビーチリゾート カスカイス、森に抱かれたエデンの園 シントラ、
       ユーラシア大陸の最西端 ロカ岬を経てオビドスへ(150km走行) オビドス泊

 6日目  独自の風習を残す猟師町ナザレを経て文化都市コインブラへ(200km走行) コインブラ泊

 7日目  歴史を今に残すポルトガル第2の都市ポルトへ(120km走行) ポルト泊

 8日目  スペイン最古の大学がある学生の町サラマンカへ(350km走行) サラマンカ泊

 9日目  ローマ時代の古都であり子豚の丸焼きで有名なセゴビアへ(150km走行) セゴビア泊

10日目  マドリッド空港へ(100km走行)
       16:40 マドリッド発、アンマン着 22:35 飛行時間 4時間55分
       自宅に戻る 

以上のような9泊10日の日程で全走行距離は1,820kmと見積もっている。 

先日6月22日出稿の「スペイン・ポルトガル旅行計画」(カテゴリー:スペイン・ポルトガル レンタカー旅行)
をご覧になられた方から、マドリッドまで行って市内の名所や博物館などを見ないのは
もったいないとの貴重な意見などもいただいたが、今回は日程の制約と
将来都市部であれば日本からのツアーなども多いだろうとの考えで寄らないことにした。

その分将来に備えてポルトガルの下見的要素に時間を割いた。 

予算としては2人分で以下のように見積もっている(1ユーロ=135円で換算)

ー 航空運賃          150,000円
ー レンタカー
   基本料金          39,000円
   GPS            14,600円
   搭乗者傷害保険     11,000円
   登録料、サーチャージ  24,300円  
ー ガソリン代          15,800円(燃費15km/L, ガソリン代¥130/L)
ー 駐車料金           12,150円(¥1,350x9日)
ー 高速料金           20,000円
ー 宿泊料金           77,000円(9泊)
ー 食事代(含アルコール)  100,000円(10,000円x10日)
ー 地下鉄交通費、見学料   20,000円

       総合計       483,850円

となり一人24万円強である。
目標はどれだけ一人22万円に近づけられるかであろうか。
今回もビール、ワインなどを節約できるかどうかが鍵となりそうである。

昨年の中欧旅行では日数は今回と同じく9泊10日で、2人で49万円ほどかかったが
今回は昨年よりは石油代が落ち着いていることやポルトガルの物価の安さの恩恵を受けて
最悪でも多少安くなるのではと期待している。

フライト、レンタカー、ホテルの予約なども一応済んでいる。

出発は9月2日 7:40アンマン空港発の予定だ。

新型インフルエンザなどの影響により渡航中止にならないことを願っている。

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ヨルダン レンタカー家族旅行(ネボ山 死海 温泉)

2009-08-17 | レンタカーによるヨルダン旅行記
4月19日 晴れ

8:00 ワディ・ラム、ぺトラの2泊3日のドライブ旅行から戻った我々は
今回の家族旅行の最終ドライブに出かける。

予定はアンマンより南下してネボ山に寄り死海を経てハママート・マインにある
温泉に浸かりアンマンに戻ってくる行程だ。


(アンマンーネボ山ー死海ー温泉ー
アンマンと時計回りにドライブ)

ネボ山はアンマンの南西30kmのところに位置し死海とパレスチナを見下ろせ、
モーゼ終焉の地として有名である。

ネボ山、パレスチナについては2008年8月30日出稿のパレスチナ
(カテゴリー:ヨルダン事情・暮らし・気質)を参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/morimoriblog/m/200808

ネボ山の教会入り口には記念碑がある。
これは、2000年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪れたのを記念してるそうだ。
 記念碑下方には、UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES
「一つの神、万民の父が、万民の上にいます」と書かれている。

余談であるが本年、2009年5月9日にはヨハネ・パウロ2世の跡を継いだ
ベネディクト16世が訪問している。


(ヨハネ・パウロ2世の記念碑)

記念碑を奥に進むと、4世紀にモーゼを記念して建てられた教会跡があるが
現在は修復中である。

それのモザイク壁画が一部展示されている。


(モザイク壁画)

さらに進むとモーゼの杖のモニュメントがある。

モーゼは杖で現在のエルサレム方面を指し「カナンを目指せ」と言い残して
亡くなったとされている。


(モーゼの杖)

ネボ山は標高800メートルであり、死海は標高マイナス400メートルである。

我々は1200メートルの標高差を死海に向けて下ることにする。

一気に山を下り降りた我々は死海に浮かぶべく公共のアンマン・ビーチで着替えをした。

そこはプールもあり快適な場所である。

ヨーロッパからの旅行客が多くビキニ姿の女性もいて、ここがイスラム国であることを
忘れさせててしまうほどであった。


(Pool)

早速ビーチに向かい


(ビーチ)

それぞれが死海に浮き記念写真を撮った。

塩分が強いためか肌にさすような痛みがあり、長くは浮かないほうがよさそうだ。


(死海浮遊中  向こうの陸地はイスラエル領)

浮遊体験後、女性たちはホテルのエステ、泥パックを予約していたためホテルに向かう。


(マリオット・ホテル)

その間男たちはのんびり昼寝をした。


(昼寝タイム)

ホテルの庭は手入れが行き届いている。


(美しい庭園)

泥パックを終えた妻たちと合流後、温泉に向かう。

時間の関係で昼食を省いた、これには皆不満だったようだが無視してドライブ。

ザルカ・マイン川が死海の谷へと流れ落ちる海抜0~マイナス400mの断崖には
たくさんの温泉が湧き出ているらしく、2000年以上も昔から知られており、
ローマ時代には死海湖岸に温泉療養所があり、持病をかかえていたヘロデ大王が
船で死海を渡って湯治に来ていたと伝えられている。

ハママート・マインの温泉は観光施設となっており入場料を払って入る。
中に入ると案内表示が不十分でよくわからない。

最初に訪れたのは温水プールであった。


(温水プール)

これが温泉とは思えない。

奥に入ると高さ4mほどの小さな滝がある。


(小さな滝 これは人工らしい)

さらに奥に進むと豪快に滝が落ちているのが見える。

これぞまさしく温泉である。
流れ落ちてくる滝はほどよい熱さである。

滝壺には現地の女性も見られ、彼女たちは普段着のまま浸かっているようである。


(Hot Spring)

温泉をあとにして一路アンマンの我家に向かう。

18:00 自宅着

車をオーナー代行に自宅前で返す。

19時過ぎ、自宅から西のほうを眺めると夕焼けが赤く染まって素晴らしかった。

こちらでは天候のかげんでこのような燃え上がるような赤焼けに出っくわすことがたまにある。


(我が家からの素晴らしい赤焼け)

これで4日間のレンタカー家族旅行は終わりである。

本日の走行距離 220km

この4日間での全走行距離はちょうど1,000kmであった。
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ヨルダン レンタカー家族旅行(カラクへ)

2009-08-10 | レンタカーによるヨルダン旅行記
ショーバックをあとにしてカラクへ向かう。


(ショバックからカラクへ北上)

カラクへの道は今までと同じくキングス・ハイウエー。

ショーバックからカラクまではおよそ80kmの山道である。


(カラクへ)

途中にはダム湖も見える。


(ダム湖)


(カラクへの風景)

2時間ほどドライブしたであろうか、山上にカラク城が見えてきた。

ここは十字軍とイスラム側との攻防で歴史に名を残している。
12世紀前半、ヨルダン側に進出した十字軍によって城塞都市の建設が始まり
1,161年に完成したそうだ。


(カラク城)

昔は30mの深さがあったという堀跡は今もあり、それをわたって城内に入る。


(堀跡)

城からの眺めはやはり素晴らしい。


(城下を望む)


(城からの風景)

しかし城そのものの保存は不十分のようでなんら説明らしきものがなく
まだ整備中で物足りなさを感じる。


(城内の様子)


(石垣)

未整備でありながらも博物館だけは日本の協力で立派なものが建っており
なにかちぐはぐな感はいなめなかった。

また立派な博物館であったがトイレがなかったのは残念であった。
結局城内には一つもトイレはないようである。


(博物館建設に日本の貢献を示すレリーフ)

カラク城をあとにする。

当初、カラク城をみたあとそのままキングス・ハイウエーの山道をマダバに向かって
進む予定であったが、どうゆうわけかキングス・ハイウエーに乗れず、
平坦なデザート・ハイウエーでアンマンに帰ることとなった。


(当初赤線コースの予定が黒線になってしまった)

17:30 デザート・ハイウエー利用のため予定より早くアンマンの自宅着。

本日の走行距離315km。

明日はレンタカーの期限最終日である。
日帰りでモーゼ終焉の地ネボ山、死海などに出かける予定である。
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ヨルダン レンタカー家族旅行(ショーバックへ)

2009-08-03 | レンタカーによるヨルダン旅行記
4月18日 晴れ

6:00 起床
急いで山越しに日の出を見る。


(日の出)

ホテルの構内を散歩しながらレストランに向かう。
このホテルの敷地はかなり広いためちょっと迷うくらいだ。

この地域は古い石造りの家が多いせいか、石材を用いた造形物が眼をひく。
客室の造りもそうである。


(石造りのアーチ)

朝のサービス・テーブルも昨夜の夕食同様豪華である。


(朝のサービス・テーブル)


(朝食)

9:00 ホテルを出発。

ホテルに隣接して古いこの地方独特の石造りの家が多数ある。
容易にホテルがこれらの家を模してることを想像させる、


(古い石造りの家)

我々の今日の目的地はアンマンの我家である。

時間はかかるが景色を楽しめる山道のキングス・ハイウエーを北上の予定である。

途中ショーバックとカラクに立寄るつもり。
ショーバックは交通の便が悪いためヨルダン在住でもなかなか来れないところだ。
どちらも古城があることで有名なところである。


(一番下のぺトラよりショーバック、カラク、
マダバ、アンマン自宅へと北上の予定)

山道を40分、20kmほど走ったであろうか峡谷に囲まれた丘に建つ城が見えてくる。

一見シリアのクラック・デ・シュバリエ城を思わせる立地だ。

クラック・デ・シュバリエ城については2009年3月2日出稿の
「シリア旅行記 2日目 その2」(カテゴリー:シリア旅行記)を参照ください。


(丘の上に建つショーバック城)

ここはエルサレムの十字軍が初めてヨルダン側に
城を築いたところだそうだ。


(ビジターセンター)

ビジターセンターは立派であるが城そのものはまだまだ整備がされてない。


(未整備のままの城)


(無造作に遺物が置かれたままの内部)

しかし城からの景色は四方が見渡されて素晴らしいものだった、
これはどこの城でも共通のようだが。


(城からの風景)

我々家族はショーバックを後にして次の目的地であるカラクに向かう。
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