不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

犠牲祭 山羊の生贄

2010-11-12 | ヨルダン風物詩
今年もムスリム(イスラム教徒)にとって重要な儀式である犠牲祭の日が近づいてきた。

今年は2010年11月16日だそうである。

我々がヨルダンに着任した年の犠牲祭は2008年12月8日であったし、
去年は2009年11月27日だった。

イスラム暦は太陰暦によるため通常毎年11日づつ前にずれていく。

(犠牲祭の詳細については2008年12月19日出稿の「ホリデー・シーズン風景 その1(犠牲祭)」
カテゴリー:ヨルダン風物詩)を参照ください

実はシリア旅行からヨルダンに戻った翌日の2009年11月27日(金)アンマンから
南に約100kmのところに位置するカラクに向かった。

目的はカラク在住の日本人の大家さんの家で犠牲祭のための儀式として行う
山羊のを見学するためである。

見学のグループはおよそ20人で、スクール・バスが用意された。

こちらではちょっとした団体旅行にはスクール・バスを転用することはよくあるようだ。


(用意されたスクール・バス)

カラクに行くのは今回が2回目である。

前回は子供たち3人がヨルダンに遊びに来た2009年4月にレンタカーで行った時で、
ぺトラからアンマンに戻る途中に寄ったものだった。

(前回のカラク旅行については2009年8月10日出稿の「レンタカー家族旅行(カラクへ)」
カテゴリー:ヨルダン・レンタカー旅行記)を参照ください

今回は直接アンマンから南下した。


(アンマンより青線を南下)

2時間30分ほどでバスは大家さんの家に到着。


(大家さんの家)

ほどなく庭に山羊が連れてこられた。


(連れてこられた山羊)

山羊は自分の運命を知っているのか震えていた。

犠牲祭の儀式と言うわりには特別のお祈りとかもないようである。


(震える山羊)

男たち二人が山羊を慣れた手つきでし、最後に首を切り落とした。
子供たちは慣れているのか別段の怖さも持たずに見ていた。

最後に男が切り落とした頭を高らかにかざしたあと、山羊の皮を剥いでいった。


(血抜きのために吊るしているようだ)

の儀式が終わったあと時間があるため我々はカラク城見学に行った。

我々にとっては2回目の見学である。

今回初めて日本の援助で造られたパノラマ展望場を案内してもらった。

そこからはカラク城やカラクの町を一望できよい景色であったが
残念ながら訪れる人は少ないようだ。


(展望場からカラク城を望む)


(カラクの街を望む)

カラク城を見学のあと大家さんの家に戻る。

カラクではマンサフ料理が有名だそうで、案の定マンサフが出された。

マンサフ料理とはヨルダンを代表する料理で山羊や羊をヨーグルトで煮込み
ご飯、ホブス(パン)、ナッツとともに盛り合わせたものである。

そしてされた山羊の頭は今回の一番のお客様の前に提供される。


(マンサフ 松の実が入っている)

マンサフの味はの現場をみたせいか、あまり美味しくは感じなかった。
そして山羊の肉は羊よりも筋が多く硬いようだった。

マンサフを食べた我々は夕方アンマンに戻った。

今年も来週の16日にはこのような光景があるのかと思うと懐かしい気持ちだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨルダンのヴァレンタイン

2010-02-22 | ヨルダン風物詩
イスラムの世界であるヨルダンにもヴァレンタインはある。

日本では14日が日曜と重なったこともあり、義理チョコの類は少なくなり
例年ほどの盛り上がりではないとの報道を聞いたりもするが、
ここヨルダンではキリスト教徒を中心にかなり盛んなようであった。

比較的外国人が多く集まるとされているバラカ・モールに行ってみた。

こちらではヴァレンタインというと赤一色のようである。


(赤い風船の飾りつけ)


(別角度から)


(赤いハートのバルーン)

こちらではチョコをあげることは一般的ではない。

赤い色のバラやカーネーションの花をプレゼントすることが多いようだ。


(赤いバラの花)

また女性から男性へのプレゼントも一般的ではなく
基本的に男性から女性へのプレゼントとなるらしい。

家具売り場でもヴァレンタイン用の飾り付けがなされていた。


(ハート型のバルーン)


(ハートを開ける鍵とハートの飾りつけ)

挙げ句の果ては車まで赤のリボンでラップしてあった。


(車のプレゼントならチョコより嬉しい)

基本的にムスリムにおいては、他の宗教の行事を祝うことは禁止されている。
ムスリムが祝うことができるのは、ラマダンや犠牲祭のあとにくる2回の祝日のみである。

しかし、特にアンマンのような都市部においては若い恋人たちや夫婦などにおいて
ヴァレンタインを楽しむ人も増えてきたようだ。

その証としてムスリムが多く集まるバス発着場のお店でもヴァレンタイン商品が
多く売られている


(バス発着場のおもちゃ屋 くまのぬいぐるみ)

もう一つ、こちらのヴァレンタインで特徴的なのは、くまのぬいぐるみが多いことだ。


(くまのぬいぐるみ)

発着葉を離れたところでも、お菓子屋とかアクセサリー店、花屋ではヴァレンタインの
飾り付けがかなり見られた。


(アクセサリー店)


(お菓子屋さん)


(花屋で見かけたバラの贈り物)


街中でもくまのぬいぐるみが多い。





このように観察してみると、ヨルダン人も日本人と同じくお祭り好きではと思えてくる。

日本人の宗教を超えたお祭り好きは、自分でも納得しているが、
ひょっとすると将来においては多くのヨルダン人ムスリムがヴァレンタインや
クリスマスを祝う姿が多く見られるのではと想像している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨルダンの春

2009-04-13 | ヨルダン風物詩
ヨルダンの春は短い。

一般的にいって、ここではもちろん夏が一番長く、ついで冬、そして秋、春は
極端に短くほぼ1ヶ月くらいであろうか。

9:30 我々はこの短い春を楽しむべくアンマンの北西、直線距離で60km強の
ヨルダン渓谷の北に位置するイスラエル国境に近いぺラに向かった。
3月27日のことである。


(青印がぺラ)

今回は補修校の生徒を中心としたバス・ツアーで参加者は生徒たちの親や、
その他希望者などでおよそ50名であった。

ぺラまでの道程はアンマンから南方に見られる砂漠地帯と違って
ここがヨルダンかと思われるほどの緑が多い風景をたのしめ、
またぺラにおいてはいろんな花が見られるというふれこみである。

確かにバスがアンマンを離れて1時間くらい経つにしたがって風景が変わってくる。
このあたりは農作地帯のようで大きなビニール・ハウスの波が広く見られた。


(大地を覆うビニール・ハウスの波)

この地域では地中海沿岸で採られている三段農法なるものが盛んで、
上段にナツメヤシやバナナなどの背の高いもの、中断にオレンジ、オリーブなど、
そして下段にはじゃがいもやトマトなどを配置し効率的に土地を利用しているそうだ。


(棗やし 中断はオリーブ 向こうの山はイスラエル領)

途中、山越えになると山々は緑に覆われて、「スイスみたい」という人もいたが
それもあながち誇張ではないようである。


(緑の山々 どこかスイスを想わせる)

木々の茂みも思いのほか深いようだ。


(生茂る木々)

11:40 そんな風景を楽しみながらぺラに到着。

ぺラはエジプト古王朝時代にその名が知られ、エジプトとも交易があった
カナン人の都市だったらしい。
ローマ時代にはデカポリスの一つとして栄えたが、717年と、747年の
地震で被害をうけ、以後衰退したようだ。

今も列柱などが見られ、現在オーストラリアが中心となって発掘を行っている。


(ペラ遺跡 右下方に列柱が見える)

遺跡のより上に丘がありそのあたりは色とりどりのお花畑である。


〈春菊群生〉

頑張って丘を上る。


〈花のじゅうたん〉

30分くらいで頂上に到着。


(アネモネと春菊)

うちから持参したおにぎりを食べる。


(ルッコラ)

食べ終わり一息ついたところで丘を下りる。


(? マーガレットに似てるのだが)

途中の花が美しい、あまり花の名に詳しくない身、名前がわからない。

ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたい。


(赤紫が美しい)

このあたりに咲いてる花はほとんどが小ぶりで、日本の高山植物のようである。
しかし、ここは高山ではなく海抜200mくらいである。


(赤が美しいアネモネ)

噂によるとこの近くにヨルダンの国花であるブラック・アイリスが咲いているらしい。
国花でありながらこの花にお目にかかれる人は少ないようだ。
咲いている日数もことのほか短いとのこと。

今回一緒だったヨルダン滞在の長い人でも見たことがないという。
我々も折にふれて注意してみているが見たことがない。

いわゆる「まぼろしの花」である。

現地の人にいわれて探すこと一時間。

ついに発見!!なんとそれは古びたホテルの前にぽつんと咲いていた。


(ブラック・アイリス)

ブラックといいながらも真っ黒ではなく紫の濃いような色であり
シルクの光沢も感じられる国花にふさわしい気品のある花だった。

念願のブラック・アイリスを見て帰路につく。

途中いたるところでピクニックやバーベキューを楽しむ人々を見る。
ヨルダンの人は野外で遊ぶことが好きなようだ。


〈小さな滝 車列はピクニックにきたもの〉

21:00 帰宅

帰路では道を間違えたり、バスが故障したりで帰宅は思いのほか
遅くなってしまったが短い春の一日を堪能した日であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨルダンのお正月

2009-01-01 | ヨルダン風物詩
2009年 元日

明けましておめでとうございます。

ここアンマンから約200km離れたパレスチナ自治区ガザで戦闘が続く中
我々はヨルダンで初めてのお正月を日本から7時間遅れで迎えた。

ヨルダンでは人口の7割をパレスチナ人が占めるといわれ、イスラエルに対する
抗議のデモなどが行われてるようだが現在のところ平穏である。

(パレスチナの詳細については以前に記した
「パレスチナ」2008-08-30  カテゴリー: ヨルダン事情・・・を参照いただきたい)

我家でも日本にならってここヨルダンでもお雑煮で新年を祝った。
いくらかでも雰囲気をだそうとあるものでおせち風にもしてみた。

お椀などの器は過去のヨルダン在住の日本人から今、我が家に受け継がれた物である。
先達の器にかけた想い、伝統の重さを深く感じる。


(我が家のおせち お雑煮は味噌味である)

イスラム暦では先月末の29日が新年だったようだが、ここアンマンでは
アザーン(モスクから流れるお祈り)がいつも以上に力強いかなってくらいで
目立って祝っている風ではなかった。
お祝いという意味では、先のラマダン明けや犠牲祭のほうが盛大なようだ。

こちらでは新年とクリスマスとは一緒くたのようである。
クリスマスのサンタなどの飾り付けもクリスマス後もそのまま新年まで
置いてある。

玄関のドアーにクリスマスと新年用のメッセージ記したものもある。


(Merry ChristmasとHappy New Yearの文字が見える)

それはお店のディスプレイでも同様である。


(ショーウィンドウにて)

また我が家の向かいの家ではクリスマス終了後の26日から玄関に飾りを付けたが、
それはどう見てもクリスマス用だった。


(我が家の向かいの玄関)

街を歩いていると、日本で新年にしめ飾りを玄関に付けるように
クリスマス用の飾り付けを玄関につけているのをよく見かける。


(玄関ドアにしめ飾り よく見るとサンタである)

今年2009年は干支によれば己丑(つちのとうし)だそうである。

ものの本によると「己」の字は、草木が繁茂し、形が整然としている状態を表しており、
また「丑」の字は「紐・からむ」意味で、芽が種子の内部でまだ伸びることができない
状態を表しているそうだ。

過去の丑年を振り返っててみると73年にはオイル・ショックに端を発したトイレット・ペーパー騒動、
85年には山一證券や北海道拓殖銀行の破綻などの金融ショック、
さらに97年には日航ジャンボ機の墜落などのような出来事が起こっている。

己丑なる漢字の字源・由来、あるいは過去の出来事などを根拠に、
あるいは類推・発展させて今年の運勢、行く末を論じてる向きもあるようだが
私自身はなんとか子供たちも含め家族ともども無難に健康で
この一年マイペースで過ごせたらと願っている。

今年もよろしくお付き合いのほどお願い致します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリデー・シーズン風景 その2(クリスマス) 

2008-12-23 | ヨルダン風物詩
ヨルダン国において、イスラム教徒は人口の93%を占めるといわれており、
キリスト教徒は7%にも満たない数である。

それでも、街のところどころでクリスマスの風景を見ることができる。


(玄関の飾りつけ)


(ベランダのスノーマン風サンタ)


(窓ガラス越しに飾りつけが見られる)


(珍しく上下階ともに窓に飾りつけ)

教徒の少なさを反映して各家庭でクリスマスを祝う飾りつけはあまり見られないが
お店となると話は別である。

外国人の購買力の高さを当て込んでのことだろうか、クリスマスを前面に
押し出した飾りつけをよく見かけることができる。


(オーナメントなどクリスマス商品の専門店)


(シャツ専門店前のサンタ)


(ケーキ屋さんのレジ前 ここのケーキは美味しい)

しかしながら、この国においてもっともクリスマス気分に浸れるのは
外国人が多く買い物をするスーパーやモール街であろう。

以下は我々がよく行くスーパー、モールでの風景である。

最初は我が家にもっとも近いCozmoである。


(Cozmo店内1)


(Cozmo店内2)

次はCozmoより2,3分のSafewayだ。


(Safeway店内1)


(Safeway店内2)


(Safeway店内3)

Safewayから10分のところにシネコンが入ってるバラカ・モールがある。


(バラカ・モール)

バラカ・モールでは二人の化粧をした道化師がお祭り気分を盛り上げていた。


(バラカ・モールの道化師たち)

もう少し足をのばして、タクシーで10分のシティー・モールに出かけてみた。
ここにもシネコンが入っており規模は先のバラカ・モールより大きい。


(エスカレーター両脇にツリーが置かれている)


(最上階のフード・コート脇のサンタ)

さらにシティ・モールにはカルフールも入ってるのでそこも覘いてみる。
さすが欧州資本の店だけあってクリスマス用品の品揃えは他より多いようだ。


(カルフール店内のクリスマス用品売り場)

そして新たな発見もあった。
各モールのサービス・カウンターはプレゼントとして衣服類や玩具を買った人々で
長蛇の列である。包装を待ってるようだ。
それもスカーフを頭にまいた女性が多い、明らかにムスリム、イスラム教徒だ。
宗教に関係なくクリスマスを楽しむ光景は日本のみならず、ここヨルダンでも芽生えつつあるようだ。

このようにいくつかの店をまわって我々自身のクリスマス気分を盛り上げてきたが
家の中が今ひとつさびしいと妻が言う。
我が家でもささやかながらサンタを買うことにした。


(我が家のサンタ 顔つきが日本のそれとちょっと異なるようだ)

こんな形で我々は年の瀬を過ごし、ヨルダン国アンマンで初のクリスマス、
新年を迎えようとしている。

皆様がたも良きクリスマス、新年を迎えられることを祈念します。

この一年6月よりお付き合いいただき有難うございました、
来年もよろしくお願い致します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする