風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 2日目 その1(ハマ アパメア)

2009-02-23 | シリア旅行記(2008年版)
11月22日(土)晴れ

7:30 起床 

食事をとりにレストランに行く。


(左のボールからトマト、オリーブ、黒オリーブ、ホンムスなど)

アラビア料理のシンプルなものだったがそれなりに美味しかった。


(My朝食)

9:10 知人夫婦がホテル前まで迎えに来てくれた。

今日は知人の案内でホムス近郊を観光の予定だが、知人が会社のドライバーと
車を一日借り切ってくれた。

ドライバーはイハーブと名乗り、気のよさそうな人であった。


(イハーブさんと車)

知人夫婦と私たち夫婦の4人が車に乗り込み最初の訪問地ハマに向かう。


(ハマに向かう)

ハマは昔から川の水を利用した農業が盛んで名物の水車があり、
今でもそれは川から用水路に水をくみ上げる現役の水利施設である。
ハマではビザンチン時代(4世紀以降)には既に水車が回っていたそうだ。


(水車1)

ここの水車はほとんどが木製で、バスケットから流れ落ちる水を受け止め
農地へと導く水路橋が寄り添っている。


(水車2)

最も大きな水車となると直径20m以上のものもあるらしい。


(水車を拡大して写す)

この辺りは庭園にもなっており円錐形の小さな建物も見られた。
これはこの地方独特の土の家を模したもので、本物は日干しレンがを
積み上げたもので砂漠地帯によく見られるものらしい。


(手前は土の家を模したもの)

庭園には夾竹桃が花をつけていた。


(夾竹桃)


(庭園からハマの遠景)

ハマをあとにして我々は次の目的地アパメアに向かった。

途中貨物列車に出くわす。
これはシリアを縦断している鉄道のようだ。


(車窓からの貨物列車)

アパメアは紀元前63年にローマのポンペイウスがそれまでのセレウコス朝を倒したあと
ローマ風の劇場、浴場、神殿などが建てられ2世紀に最も繁栄した。

ビザンチン時代(4世紀以降)にも司教座となるなど栄えたが、
6世紀から7世紀にかけての度重なるペルシャの侵攻と地震により衰退していった。

アパメアはなんといっても1,850mとシリア最長を誇る列柱通りが有名だが
整備が不十分で通りにはまだ幾つもの石材が転がっている状態だ。


(シリア最長の列柱通りの面影)

ここの特徴はアウレリウス帝の治世時(161~180年)に建設されたもので
斜めに溝が切られた列柱が印象的である。


(斜めの線が特徴)

通りの途中にはバッカスを祀った屋根つきの柱廊がそびえ、
世界で最も美しい列柱通りともいわれているそうだ。


(美しい列柱)

我々は美しい列柱都市アパメアをあとにして、
今日3つ目の目的地であり世界遺産であるクラック・デ・シュバリエに向かう。

途中、時間がないので車中、知人の奥様に作っていただいたおにぎりを食べる。
その美味しかったこと。
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シリア旅行 1日目 その3(世界遺産 ボスラ)

2009-02-17 | シリア旅行記(2008年版)
ボスラといえば世界で最も完全な姿で残っていると言われるローマ劇場で有名だ。


(ローマ劇場を囲むように城壁があり、城壁は後世のアイユーブ朝時代に造られた)

2世紀後半に造られたこの劇場は幅102mあり、37段の客席には6,000人が
着席でき、さらに3,000人分の立見席があったという。


(巨大な舞台)


(6,000人が着席できる観客席)

この劇場をすっぽり囲むようにして城塞としたのがアイユーブ朝時代(12世紀以降)
であり城壁の上からはボスラの街がよく見える。


(城壁上よりボスラの街を望む)

城壁と劇場の間は広い通路となっており展示物が無造作に置かれている。
ローマ時代の物と推察するが説明がないためよくわからない。


(模様が刻まれた石材)


(文字が刻まれた石材)

いろんな彫刻物があり貴重なものだろうが説明がない。


(ライオンであろうか)


(ピッグであろうか)


(ラクダのモザイク)


(人物像の上に顔をのせてふざける人)

これらの展示物少し手を加えて整理し説明を加えれば
立派な博物館になるのではと思うが残念である。

12:00 我々はボスラをあとにしてダマスカスへと向かう。


(ダマスカスに向けて)

ダマスカス市内に入るとヨルダンからのセルビス乗り合いタクシー)は
自由に運転はできないようである。

13:10 ヨルダンからのセルビスに別れをつげ、シリアのタクシーに乗り換える。


(ダマスカスの街並み)

知人との待ち合わせは16時の予定である。

それまでの時間、シリア国中から発掘された出土品が一堂に集められた
国立博物館で時間を過ごすこととする。


(国立博物館)

モザイクでありながらルネッサンスの絵画を想わせるような壁画もあり
なぜか写真撮影を許可された。


(モザイクの壁画)

16時前に博物館を出て、知人との待ち合わせ場所であるコーヒー・ショップに向かう。

ショップ内は西洋的であり、若者が多かった。

予定より30分ほど過ぎて知人夫婦が到着。

知人夫婦との挨拶もそこそこにタクシーでバスの出発場所に向かう。
これから約2時間かけて知人の住むホムスにバスで行くためだ。


(待ち合わせのコーヒー・ショップCOSTA)

19:30 ホムスに到着。

ホテルに荷物を置いたあと、知人夫婦とキリスト教徒地区にあるレストランに向かう。
なんでもそのレストランは昔の金持ちの邸宅を改築した物で、ホムスでは有名らしい。
吹き抜けとなっており、お昼や夏には天井が開き開放感いっぱいだそうだ。


(レストラン店内 2階から下を見下ろす 天井が開くらしい)

食事はアラビア料理でビールなども飲める。
私がご主人と一度会った以外はメールでの付き合いだが楽しく食事ができ
奥様とも初対面とは思えぬほど打ち解けて話すことができた。

3時間ほどレストランで歓談のあとホテルに戻り知人夫婦と別れる。

24:00過ぎ 就寝
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シリア旅行 1日目 その2(世界遺産 ボスラ)

2009-02-09 | シリア旅行記(2008年版)
10:50 シリアで最初の観光地である世界遺産のボスラに到着する。

車が止まるや否やガイドがやってきて案内するという。
そのガイド、名をオサマという。

案内料は約1,000円らしい。
土地勘がないため雇うことにした。


(オサマ)

オサマのガイドで見学を開始する。

ボスラは紀元前1世紀から、現在ヨルダン国にある世界遺産の
ペトラを首都とするナバタイ王国の北の拠点として成長した。
106年にローマ統治下に入るとアラビア属州の州都となり
デカポリス(十都市同盟)の一員となるなど繁栄した。

最初に目に入ったのが広大な貯水池だ。
その時は水はなかったが雨季には今でも水が貯まるらしい。


(貯水池)

貯水池横には観光馬車がつながれていた。


(馬車)

馬車を横目に進むとお土産やさんが並ぶ。


(土産や)

ほどなく城門に到着。


(城門)

この地方の遺跡の特徴は黒玄武岩で構成されていることだ。
華やかさはないが堅牢、剛健な姿を見せてくれる。

カテドラル(大聖堂)も黒玄武岩だ。


(カテドラル外観)

カテドラルの中は世界遺産とはいえまだ整理されてないようだ。


(カテドラル内1)

どこにも案内板、標識の類は見あたらない。


(カテドラル内2)


(カテドラル内3)

カテドラルを進むと修道院があり


(修道院)

さらに進むとモスクがある。


(ファティーマ・モスク)

ローマ時代にモスクは存在しないため、後世になって見張り台か
なんらかの建物がモスクに転用されていると推察する。
オサマに聞いてみるが、元が何か知らないらしい。

このあたりは遺跡をそのまま今もなお住居として使用していることも多く
このモスクも現役のようだ。

また住居の下には多くの遺跡が埋まったままと言われている。

この国、シリアにおいては世界遺産云々より現実の生活優先ということのようだ。


(裏から見たファティーマ・モスク)

暫らく歩くとシタデル(城塞)にでる。

そこにはカリベと呼ばれ、片方が円柱、もう片方が家から延びる奇妙な門がある。
これは2世紀にボスラの王が娘を死なせないようにと願をかけたものと言われている。


(シタデル(城塞)からローマ時代の遺跡を望む 右奥カリベ))

またローマ時代の遺跡の特徴である列柱が連なった道路もある。


(列柱道路)

シタデルを後にし、世界で最も完全な姿で残っている巨大なローマ劇場へと
さらに歩を進める。
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シリア旅行 1日目 その1(アンマンよりボスラに向かう)

2009-02-02 | シリア旅行記(2008年版)
2008年 11月21日(金) 曇り

7:56 迎えの車が自宅まで来てくれた。

これは大家代行が手配してくれたセルビスである。
セルビスとはこちらの乗り合いタクシーのことで
英語のServiceからきてるらしい。
セルビスには通常乗客が4人乗れ、他の人の分まで払えば
一人で占有することも可能である。

セルビスには国内用と国境越え用の2種類があり、
資格がないと国境は越えられないようだ。

今回は我々夫婦二人だけで占有し、世界遺産の古代都市国家ボスラ経由で
シリアの首都ダマスカスまで行くことになっている。
乗車賃はトータルで90JD(13,500円)である。


(我々の乗ったセルビス ドアのピンクのマークが
国境を越えることのできる印らしい)

車に乗って暫らく走るとパン屋の前で停車し、
ドライバーがパンと水を買ってきてくれた。

朝食ということらしい。
遠慮なくいただく、なかなか美味しかった


(朝食)

車はほどなく砂漠地帯に入り北上する。


(砂漠地帯を走る)


(一直線に北上)

途中ガソリン・スタンドで給油。
価格はリッター当り56円である。
近隣の産油国からの輸送であり、また割安で供給されてるのか
日本と比較するとかなり安いようだ、1/3くらいだろうか。

でも当時ヨルダン人に言わせると「凄く高くなった」とのことである。


(給油中)

途中自販機でコーヒーを求める。


(自販機)

9:30 国境近くに到着、出国手続きを行う。


(通関)


(国境 手前はヨルダン 向こうはシリアである)

入出国の手続きを終えればいよいよシリアである。


(ゲートの向こうはシリア)

シリアに入国すると早速かなり大きなDuty Freeの建物があった。
帰国の際に買うこととし、軽くながめるだけにした。


(Duty Freeショップ)

アンマンからシリアとの国境まではちょうど100kmである。

シリアに入ると何か感じが違うようだ。
それは土の色のせいらしい。
シリアの土はヨルダンのそれと比べてより色が濃い茶色であり、
湿気も感じられる。


(土の色)

土がより肥沃であることは間違いない。
シリアはヨルダンとは比較にならないくらい農産物は豊富らしい。

10:50 シリアで最初の観光地であるボスラに到着する。

いよいよシリアで初めての観光開始である。
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