風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ヨルダン レンタカー家族旅行(ペトラ その2)

2009-07-27 | レンタカーによるヨルダン旅行記
凱旋門をくぐり左手にエル・ハビズ城を見ながら先に進む。
ぺトラは文字通り奥が深い。


(左手にエル・ハビズ城)

ここから先はさらに1時間ほどの細い山道、崖道が続くらしい。
そんな道にはロバが適しているそうだ、べドウィンがさかんにロバを勧める。


(ロバとらくだ らくだは山道は向かないため
シークに戻るためのものだ)

我々はロバの脚に頼らず自力で先を目指す。

落岩もあったりして細い道をさらに細くしているところもある。


(細い道)

眼下の風景はなかなかのものだ。


(崖また崖の風景)


(崖の裂け目)

1時間ほど登ったであろうか、ようやくエド・ディルに到着。

エド・ディルは高さ45m、幅50mと先のエル・ハズネより大きく
1世紀中ごろに築かれたナバタイ人の神殿だそうだ。

ディルというのは修道院のことらしく、昔はこのあたりに修道士が住んでいたため
エド・ディルと名づけられたらしい。


(エド・ディル)

この先さらに500~600m先にすばらしいView Pointがあるという。
妻はここで止めたが、私と子供たちはさらに上のポイントを目指す。

頑張って暫らく行くとヨルダン国旗が見えてくる。
そこがView Pointである。


(国旗がたなびくView Point)

ポイントに立つと360度のパノラマが開けすばらしいものだった。


(VPからの景色)


(VPから)

VPまで行った我々は心置きなくエド・ディルをあとにし帰路につく。


(帰路 青空が美しい)

帰路、またもインドの撮影隊に遭遇。
今度は崖の上に立っていた。


(衣装を変えて撮影の女優)

エル・ハズネに戻り今一度「ばら色の都」の雰囲気を味わう。
夕暮れのせいかばら色が濃いように感じる。


(もう一度エル・ハズネ)

再びシークを通って入り口に戻り、ぺトラ遺跡をあとにしレンタカーで
今日のホテルに向かう。

今日のホテルはこの地方の昔の石造りの家を模倣したもので最近特に人気があり
予約しにくいホテルになっている。


(石造りの部屋が並ぶホテル)


(我々の部屋の玄関前)

外観の古めかしさとは違って、室内はいたって綺麗で明るい雰囲気である。


(ベッド・ルーム)


(バス・ルーム)

シャワーを浴びて夕食に向かうとちょうど日が沈んだところであった。


(日没)

レストランも綺麗で、旅行客はヨーロッパ人が多いようだ。
我々は運良く6人席に席を確保できた。


(我々の席)

食事はビュッフェ式だが品数も豊富でアラビア料理を堪能できた。
もちろんビール、ワインも頼んだ。


(夕食)

2時間くらい家族で話し合いながら過ごしたであろうか、部屋に戻る。

今日はよく歩いたので全員脚はパンパンだ。

22:00 就寝。
  
今日の走行距離117km
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ヨルダン レンタカー家族旅行(ペトラ その1 )

2009-07-20 | レンタカーによるヨルダン旅行記
シーク入口にきた我々は狭い岩の裂け目へと入っていく。


(シーク入口)

頭上に迫り出した崖の高さは60~100mだそうだ。


(文字通り岩の裂け目を歩く)

崖上からの水をせき止めたとみられる昔のダム跡も見られた。


(ダム跡)

またナバタイ人が信仰していた神を描いたかのような彫り物も壁に刻まれている。


(ナバタイ人の彫り物)

ぺトラのかっての繁栄を示すかのように水源地から水を引いていた水路跡も見られる。
水路には土管(素焼きの管)が置かれていたそうだ。


(窪んだところが水路 そこに土管を置いた)


(延々と続く水路跡)

この狭く暗い道を30分ほど歩いたであろうか。
突然一筋の明かりが差し込んでくる。


(一筋の明かり)

さらに明かりの先に眼を凝らす。



すると突如美しいばら色の神殿が目の前に現れる。

川端康成の「雪国」風に言えば「狭い岩の裂け目を抜けるとそこはばら色の都であった」
という風情である。

このばら色の神殿、「エル・ハズネ」と呼ばれ神殿風霊廟で、幅30m、高さ43mだそうだ。
紀元前1世紀~後2世紀のものらしい。


(ばら色の都)

この「エル・ハズネ」は微妙な光の違いによって、1日に50色ものばら色を見せるといわれ
ばら色の都とも呼ばれている。

内部を見てみると時の流れであろうか、あるいはもともとなのか鮮やかな岩肌模様が見られる。


(内部の壁)


(天井にも模様が)

「エル・ハズネ」の前ではインド人による撮影が行われていた。


(インド人女優であろうか)

「エル・ハズネ」を過ぎるとここにも円形劇場がある。
これは2-3世紀のもので5,000人以上収容できたそうだ。


(ローマ円形劇場)

円形劇場のちかくにはみやげ物屋さんも多い。


(砂でできたみやげもの)

また疲れた観光客のためのラクダやロバも多く見られた。


(ラクダ引き)

円形劇場の向かい側には岩窟墓群がみられ、その最大のものは宮殿の墓と呼ばれ
3階建てのローマ帝政期宮殿建築を模倣しており1-2世紀に造られたらしい。


(宮殿の墓)

岩窟墓の中に入ってみるとそこにも色鮮やかで神秘的な岩肌模様が見られた。


(岩窟墓の壁)


(岩窟墓天井の岩肌模様)

我々はさらにぺトラ遺跡の真ん中あたりに位置する柱廊通りへと進む


(柱廊通り)

柱廊の広さは6mだ。


(列柱)

この通りを囲むように大寺院、凱旋門などの建築物があったようであるが
551年の大地震によってほとんど崩壊してしまったようだ。


(大寺院の存在を示すプレート)


(大寺院跡)

柱廊の最後には比較的原形をとどめた凱旋門が残っている。


(凱旋門)

我々は凱旋門をくぐりさらに奥へと進むこととする。
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ヨルダン レンタカー家族旅行(ワディ・ラムからペトラへ)

2009-07-13 | レンタカーによるヨルダン旅行記
4月17日 晴れ

6;00 起床
キャンプの遥か向こうの山から昇る朝陽を見る。


(朝陽)

キャンプの裏に小高い山があるので食事前のひと時、家族5人で登ってみる。


(裏山からの風景)

ちょうど貨物列車が走ってくるのに出くわす。
ヨルダンの数少ない輸出品であるリンやカリウムを運んでいるのであろうか。


(貨物列車)


(キャンプ全貌 手前左がテントでできたレストラン、右がプール
その奥ににシャーレ、屋内レストラン、そして居住用テントと続く)


(裏山から)

朝の散歩を終えて朝食をとる。


(朝食)

8:20 今日の目的地ぺトラに向かって出発。

ぺトラはワディ・ラムの南100kmほどの地点であり、1985年には
世界遺産として登録されておりヨルダン観光では外せない見どころである。

ぺトラは2,000年以上も前から、アラビア半島からやってきたといわれる
遊牧民ナバタイ人(ナバティアン)やべドウィンによって築かれた都市である。

ここはアラビア半島を横断して地中海に至るルート上にあり、キャラバン(隊商)
による交易を通して大いに栄えていたようだ。


(下のワディ・ラムから上方にドライブ)

車はペトラを目指す。

「らくだ注意」の標識はこの地方独特のものであろう。


(らくだ注意)

車は途中より直線で平坦なデザート・ハイウエイを外れて
高低差の多い山道を走るキングス・ハイウエイへと入る。


(キングス・ハイウエイよりの風景)

山道のため景色は変化に富む。


(遠方にも山また山)

10:50 ぺトラに到着。

ビジター・センターで入場券を購入。
我々はヨルダン在住ということで150円と安いが、子供たちは3,000円と
20倍の高さである。
これも観光が主な産業の一つであるヨルダンにおいては仕方のないことか。

我々はメインゲートよりシークと呼ばれる細い道に向かって1.5kmの砂利道を歩く。


(シークへ向かう)

途中、上に4つのオベリスクをもった岩窟墓「オベリスクの墓」が見える。

いよいよペトラらしい風景が顔をのぞかせ期待感が高まる。


(オベリスクの墓)


(シークへの道)

いよいよシーク入口に到着。


(シーク入口)

これからが本格的ぺトラ観光の始まりである。

この狭い岩壁の間の向こうには映画「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」の
舞台となったバラ色の神殿があるはずである。
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ヨルダン レンタカー家族旅行(自宅からワディ・ラムへ)

2009-07-06 | レンタカーによるヨルダン旅行記
4月13日より子供たち3人がヨルダンを訪れた。
ヨルダン滞在は9日間の予定である。

末子の次男は仕事の関係で来れなかったが、
運良く3人の予定がかみ合った。

長女がフライトの手配を全てやったそうで、ゴールデン・ウイークの前のせいか
94,600円と破格の安値である。

家族がこれだけ揃うのは一昨年の次女の挙式でハワイへ行って以来で
私たちはこれを機会にまだ行ってないワディ・ラム、ぺトラ、
それに死海の浮遊体験にレンタカーで行くこととした。

ヨルダンに来て1年以上が経ち、これらのメジャーな観光地に行ってないのは珍しいと
よく知人から冷やかされたが、これも子供たちが来たときにとの思いからだった。

そんな意味で念願の家族旅行である。

4月16日 晴れ

7:14 前日に大家代行が届けてくれてたレンタカーで自宅を出発。

運転は昨年の中欧旅行以来である、家族たちも心配のためかいささか緊張気味。

すぐにデザート・ハイウエイに乗る。

レンタカーはシボレーの小型車である。


(我々が借りたレンタカー)

今日の目的地ワディ・ラムはアンマンの南、デザート・ハイウエイを南下して
およそ320kmのサウジアラビアの国境に近い砂漠地帯である。


(アンマンより南下しワディ・ラムを目指す)

運転は家族の心配をよそに快調である。


(ハイウエイより砂漠を望む)


(途中の奇岩)

11:40 今日の宿泊地、キャンプに到着


(キャンプ正門)

ここはキャンプといっても、我々が泊まるのは子供たちの希望もあり
シャワー、トイレつきの小屋風の戸建である。


(小屋風 シェール)


(室内)


(簡素なシャワー室)

ここはキャンプというだけあってテントもありそこに泊まる人も多いようだ。


(テント)

我々はチェック・インをすませ、お茶をご馳走になった後、
宿泊地から5km先のワディ・ラム入口へと向かった。


(ビジターセンター)

ビジターセンターにて4時間コースの4WDをチャーター。
料金は10,000円。

提供された4WDはかなり使い古されたジープである。


(我々がチャーターしたジープとドライバー)

ジープの荷台に乗って観光開始、奇岩が迫って来る。



ワディ・ラムには有史以前から人が住み、ギリシャやローマ時代の文献に
ワディ・ラムの名が記されているそうだ。


(1世紀に建てられたナバティア人の寺院跡)

岩と砂漠が織り成すランドスケープは続く。


(砂漠を走る1)


(砂漠を走る2)

暫らく走ると岩の隘路にぶつかった。


(中央が隘路)

それは人が一人通るのがやっとといった細さである。


(慎重に歩を進める)

暑さに疲れたのか木陰ではらくだも休んでいた。


(木陰のらくだ)

ジープは小さい石の橋に向かう。


(ロック・ブリッジに立つ娘)

この日は風が強く橋の上に向かう娘も吹き飛ばされるのではと心配するほどだった。

ジープはさらに大きい石の橋に向かう。


(下から見上げたより高いブリッジ)

わたしも上によじ登ってみる、かなりの急勾配だ。


(上から下を見る)

ところどころに奇岩がみえる。


(奇岩)

白いらくだの子供を発見。


(親子らくだのようだが親は茶色である)

岩肌にはナバティア人が描いたラクダの絵もみられる。
これはキャラバン(隊商)の隊列を描いたようである。
ナバティア人はこの時代から貿易で富を蓄えていたそうだ。


(ナバティア人が描いたらくだの絵)

砂山が現れる。


(岩の手前右側に砂山)

ここの砂は赤みを帯びた非常に細かなのが特徴である。


(赤砂漠で一休み)

ほぼ4時間の砂漠探検を終えキャンプに戻る。

シャワーを浴びた後レストランへ。


(レストラン 中央にビュッフェ)

レストランはビュッフェ形式であるが味もよく、またビール、ワインも飲め快適だった。


(夕食)

夕食を終えて空を見上げると、周りの明かりが少ないため満天の星空だった。
何回か時間をずらして見上げてみる。
写真を撮れなかったのが残念である。

本日の走行距離は348KM。

22:00 就寝 



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