風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

スペイン・ポルトガル旅行 旅のまとめ

2010-09-03 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
27回にわたったスペイン・ポルトガル旅行の記事の最後にあたり恒例の旅のまとめを行い
予算、実績の比較や差異の原因、反省などについて記しておきたい。

予算の基本となる数字は2009年8月24日出稿の「スペイン・ポルトガル旅行計画確定」
(カテゴリー:スペイン・ポルトガル レンタカー旅行)から抜き出している。

予算・実績の比較は次のとおり (2人分の合計 1ユーロ=135円で換算)

                    予算             実績
ー 航空運賃          150,000円       150,000円
ー レンタカー
   基本料金          39,000円        39,000円
   GPS            14,600円         28,000円(含GPS,保険など)
   搭乗者傷害保険     11,000円
   登録料、サーチャージ  24,300円  
ー ガソリン代          15,800円         15,800円
    (全走行距離        1,820km         1,916km)
ー 駐車料金           12,150円        10,100円
ー 高速料金           20,000円         8,100円
ー 宿泊料金           77,000円(9泊)    77,000円
ー 食事代(含アルコール)  100,000円        62,000円
ー 地下鉄交通費、見学料   20,000円        30,400円

       総合計       483,850円       420,400円

となり、当初の目標だった2人で総計44万円を2万円ほど下回ることができた。

それの主な要因は下記のようなことかなと思っている。

1.レンタカー料金として計画時88,900円を予定していたが、実際は67,000円  だった。
  これは保険に関して免責無しのフル・カバレッジを考えていたが現地での申込時に
  割安な免責有りの保険に変更したことや、サーチャージが安かったことが原因だと思 う。

  また、2008年の中欧旅行時にはレンタカー代が10万円以上($1,152)だったことを
  考えると大きな差である。
  これは申込時にAVIS社の円建てスーパーバリュー(基本料金のみ)を
  選択したことが大きかったと思う。
  <詳しくは2008年12月14日出稿の「中欧旅行 旅のまとめ」
  (カテゴリー:レンタカーによる中欧個人旅行記)を参照ください>

2.さらに食事代(含アルコール)も大きく節約した項目である。
  1日1万円の予算でいたが、惣菜を買ってきてホテルで食べたことや、多少意識していたことが
  目標実現に貢献したのだろう、協力してくれた妻に感謝である。

3.あと高速料金が思ったほど必要じゃなかったこと、また駐車料金もホテルに付随していて
  無料のこともあったのが幸いした。

4.走行距離は予定1820kmに対し、1916kmと予定より96km多く走ったが
  ガソリン代は奇しくも同じであった。
  これはガソリン代が130円/Lより少し安かったりした結果であろう。

5.逆に予算を上回ったのは地下鉄交通費、見学料 で50%のオーバーであった。
  これはエジプト旅行でも経験したことであるが、ポルトガルも観光に頼る部分も強く
  見学料などが思った以上に高めに設定されているためだと思う。
  ちなみにエジプト旅行では観光代・乗り物代は予算20,000円に対し
  40,200円と倍かかってしまった。
  {詳しくは2010年3月1日出稿の「エジプト個人旅行 旅のまとめ」
  (カテゴリー:エジプト個人旅行記)を参照ください}

以上が予算・実績の差異分析であるが、今のように(2010年9月3日)1ユーロが110円を
切る時であればさらに安くなり総計で40万円を切ることも可能かと思う。

以上、簡単な総括であるが全体的には大変満足のいく10日間の旅行であった。

今でもポルトガルの道幅も狭く、また一方通行も多い古い町の石畳の路地を思い出すと
よくぞ行ったなと懐かしい思いがこみ上げてくる。

これをもって「カテゴリー:スペイン・ポルトガル レンタカー旅行」の記事は終わりとします。

次回以降は遅ればせばがら2009年11月に行った5泊6日の2回目のシリア旅行について記したい。

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スペイン・ポルトガル旅行 10日目(最終日)マドリッド空港からアンマンへ

2010-08-26 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月11日(金)

8:00 起床

いよいよ今日は今回の旅行の最終日、ヨルダンのアンマンに戻る日だ。

早速朝食を食べる。


(朝食)

9:30 ホテルを出発。

今日のフライトは16:40発の予定であるが、初めての地、途中何が起こるかわからないので
ちょっと早めに出発した。

マドリッド空港まではセゴビアから120kmくらいなので順調に行けば
2時間もあれば着くはずである。 


(マドリッドへ)

車は順調に進んだ。

11:30 マドリッド空港近くに着く。

スーパーとガソリン・スタンドが併設されたステーションが見えてきた。

時間に十分余裕があったのでレンタカーを満タン返しにするためガソリンを入れる、
これで多少節約になるはずだ。
またスーパーで生ハム、ウインナーを買う。

スーパーの主人にレンタカーの返却場所を確認して出発。

主人の言ったとおりに標識もあり迷わず9日前に出発した駐車場に戻れた。


(9日ぶりに駐車場に戻る)

この駐車場はマニュアル自動車運転の勘を戻すべく練習したところだ。

事務所に行ってレンタカーを返す手続きをする。
所員が車の点検をし、バンパーのところのこすり傷に気付く。

実はこの傷はポルトガル旅行中に私がこすったものかもしれないがよくわからない。
古傷のようにも見える。

所員が「この傷は前からあったのか」と聞くので前からあったと答えると
「これからは事前に申告するように」と言われて終わった。よかった!!

飛行機の離陸まで4時間あまり、チェック・インまででも2時間あまりあるので
駐車場の日陰にスーツケースを運び寝ながらぼんやりと時間をすごす。

14:30 そろそろチェック・インできるかもと思い搭乗カウンターのある方へと向かう。


(マドリッド空港)

1時間ほど待っていたが、なかなか搭乗受付が開始されない。

やっと受付が開始され、パスポート、搭乗券を提示すると、女性係員が
ヨルダン入国のためには特別の書類が必要と言う。
こんなことは今まで、ヨーロッパでもエジプトでも言われたことがない。

私は、我々がヨルダン在住であり、その証として就労ビザもパスポート上にあることを
説明してもなかなか納得しない様子。

今までどこの国でもビザがあるから大丈夫だったと説明すると、
しぶしぶ事務所に電話して事なきを得た。

パスポート・コントロールはなんなく通過。

しかし搭乗受付で時間がかかり、余裕がなくなったので空港内の免税店では
買い物することができなくなってしまい残念だった。

急いで搭乗したが結局はスケジュールの関係で離陸は1時間以上遅れた。

17:55(ヨルダン時間18:55) 飛行機はゆっくりと離陸。


(機上から)

途中、ひときわ夜の明かりが強いところがあった。

どこだろうか? 以前イスラエル最大の都市テル・アビブはニューヨークのように大都会と
聞いたことがある、とするとテル・アビブではないだろか・・


(夜景が美しいテル・アビブ?)

23:50 飛行機は1時間以上遅れて着陸、飛行時間はおよそ5時間であった。

0:40 自宅着

こうして我々の10日間にわたるレンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行は終わった。

次回は今回の旅のまとめを行いこのカテゴリーの最終としたい。
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スペイン・ポルトガル旅行 9日目 その2(セゴビア)

2010-08-19 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
観光バスに乗っていると再びカテドラルが見えてきた。

このカテドラルは1525年に建設が始まり、1768年に完成した
ゴシック様式のものでスペイン最後のゴシック建築である。
250年ほどかけて出来上がった計算になる。


(再びカテドラルが)

この建築物の一番高いところは88mあり、その優雅な姿から「カテドラルの貴婦人」と呼ばれる。



しかし、ちょっと遠目すぎてそこまでの感じはない。


(貴婦人と呼ばれているが近くで見たいものだ)

バスはまた城門らしきものの側を通り過ぎる。


(城門?)

1時間ほどの乗車の後、バスが乗った場所に戻ってきた、バスを降りる。

今度は徒歩で散策開始。


(サン・マルティン教会)


(サン・マルティン教会前の変わったスフィンクス)

先ほどバスから見たカテドラル「貴婦人」の方に行ってみる。

近くから見るカテドラルは「貴婦人」の名に違わぬ素晴らしいものだった。


(念願の「貴婦人」に面会)

中に入ってみる。


(カテドラル内のステンドグラス)


(ステンドグラス)


(祭壇)

カテドラルを出てさらに歩をすすめるとサン・エステバン教会が見えてくる。

この教会は13世紀に建てられた後期ロマネスク様式のものである。


(鐘楼が美しいサン・エステバン教会)

6層に積み上げられた高さ53mの塔は、スペインにある鐘楼のなかでも「塔の女王」と呼ばれる。



(今も残る石だたみの通り)

街を歩いていると屋根の形に違和感がある。


(屋根の形に違和感が)

よくみると屋根瓦の置き方が日本と逆で凹の形で敷き詰めている。


(日本とは逆に敷かれた屋根瓦)

ぶらぶら歩いてお腹が空いたがスペインのレストランは始まりが遅い、
たいがいは20:00過ぎの始まりである。

ゆっくり時間を潰す。


(風景)

20:00前、昼過ぎに見たミシェラン推薦のレストラン「メゾン・デ・カンディド」に到着。


(店頭にあるミシェラン・マーク)


店の前に銅像がある、セゴビア料理として有名な「子豚の丸焼き」を考え出した人らしい。


(子豚の丸焼き発案者)

20:00 席に着きビールとワイン、そして子豚の丸焼きほかをオーダー。


(半身にカットされた子豚の丸焼き 右が頭と耳のほう)

子豚の丸焼きは今回の旅行の目玉だ。

味は子豚の皮が北京ダックに似たような食感を感じさせ、肉はジューシーだった。


(茄子ときのこの料理)

22:00 食事が終わったころ陽はとっぷりと暮れていた。


(ライト・アップされたレストラン前の城壁が美しい)

観光バスのチケットは1日券なので何回でも乗れる。

最後のバスが出るところだったので夜景を見るためバスに乗り込む。

ライト・アップされたアルカサルが美しい、昼とは表情が違うようだ。


(ライト・アップされたアルカサル)

まさに「白雪姫のお城」にふさわしい。





23:00 ホテルに戻る。

24:00 就寝。

今日のサラマンカからセゴビアへの走行距離は191kmであった。

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スペイン・ポルトガル旅行 9日目 その1(セゴビアへ)

2010-08-12 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2010年9月10日(木)

7:30 起床。


(今日の朝食)

今日は今回の旅行の最後の宿泊地であるセゴビアに行く予定である。
セゴビアを選んだ理由はこの地が「ブタの丸焼き」で有名だからである。

セゴビアはサラマンカより東方に約200kmの所にある。


(青線を東に向かいセゴビアへ)

8:30 ホテル出発。

車はセゴビアを目指す。


(セゴビアへ)


(オリーブ畑か?)


(車は東方を目指す)

セゴビアの町に入ってからナビがホテル前までは案内してくれなく苦労したあげく

13:00 なんとかホテルに到着。


(今回の旅行最後のホテル)


(我々の部屋)


(バス・ルーム)

荷物を置いて我々はいつものように散策に出かける。

セゴビアは標高1002mの高地に位置する城塞都市で15世紀にはカスティーリャ王国の
中心地として、歴史の中で重要な役割を果たしたそうだ。

ホテルから1~2分の所にはローマ時代のものとしてはスペイン最大の規模を
誇る水道橋がある。


(ローマ人の技術の高さを物語る水道橋)

この巨大な水道橋は紀元1世紀前後に建造され全長728m、最も高いところでは29mに達するそうだ。

15km以上離れたアセベダ川の水を町まで引くため造られたそうだ。


(正面に城壁 右に水道橋)

城壁の近くは近代的なお店が並んでいる。


(城壁近くの街並み風景)

妻がおなかがすいたと言うので腹ごしらえをする。


(妻が頼んだハムと卵サンド 卵がパンに埋まってる)

水道橋のすぐ脇にミシェランのマークを発見。


(ミシェラン・マーク)

よく見ると、そこは子豚の丸焼きで有名な1884年創業の老舗「メゾン・デ・カンティド」だった。

今日の夕食はここで決まりである。


(メゾン・デ・カンティド 左端は水道橋の石垣)

城壁の外側に日本語ガイド付の観光バスが待機していたので手っ取り早くそれを利用することにした。


(城壁の外側の風景)

以下はバスからの眺めである。

セゴビアと言えばなんといってもディズニー映画「白雪姫」の城のモデルになったアルカサルが有名である。


(アルカサル)


(城門だろうか?)

セゴビアでアルカサルと並んで有名なのがカテドラルである。

カテドラルが小さく見えてきた。


(アルカサルとカテドラル)


(バスはカテドラルに近づいた)


(カテドラル拡大)

再びアルカサルが大きく見えてきた。


(アルカサル)

アルカサルはローマ時代の要塞があった場所に13世紀初めに築かれ、
以後数世紀にわたり歴代の王たちによって増改築された。



1474年にはエンリケ4世の訃報を聞いたイサベル・ラ・カトリカはこの城で
カスティリャ王国の女王として即位することを宣言した。



また1570年には、フェリペ2世はこの城で結婚式を挙げたそうだ。



このように多くの歴史を見てきた城であるが、1862年の火災により大部分が焼け落ちてしまい
現在の姿はその後再建されたものである。

このようにいくつかのイベントとともに生きてきた城であるが、その姿は「白雪姫」の
城としてふさわしい美しさをもったものであった。

バスはまたカテドラルを視野に入れてきた。

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スペイン・ポルトガル旅行 8日目 その3(さらにサラマンカ)

2010-08-05 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
さらに歩いているとホタテ貝の装飾が外壁に取り付けられている建物に出る。
これは15世紀後半に建てられたゴシック様式のものである。

ホタテ貝はサンティアゴ巡礼のシンボルで、かってこの家は巡礼者を守る騎士団の家だったそうだ。


(ホタテ貝の模様で飾られた貝の家)




(貝の家の前の教会)

街の通りにはさすがスペイン、イべりコ豚の生ハムが多く飾られている。


(所狭しと天井から吊るされたイベリコ豚の生ハム)


(名もない教会)

広場に出る。


(マョール広場 チュりゲラ様式の市庁舎)

マヨール広場はスペインで最も美しい広場と言われているそうだ。


(広場 市民が集いにぎやかである)


(広場にあった像 誰だかわからない)


(風景)

広い通りに行くと屋台が出ていた。


(屋台 学生の町らしく若者が多いようだ)


(我々もビールとつまみを頼んだ)





観光客も多いようだ。




(陽も暮れてきた)

我々はホテルに戻ることにした。


(バーでテレビを観る人たち)


(ホテルに戻る ホテルの正面玄関)

部屋に戻るとテレビではサッカーを映していた。

どうやら先月南アフリカで開催していたW杯の欧州地区予選を放映しているようだ。


(W杯欧州地区予選))

試合はW杯で見事に優勝したスペインとエストニアの戦いだった。


(喜ぶスペイン選手)

結果は3-0でスペインの勝利だったが、先のW杯でのスペインの優勝は
ここから始まっていたかと思うと歴史の一コマを目撃したようで感慨深い物がある。

24:00 就寝、ポルトガルからスペインへのドライブを含む長い一日は終わった。

本日のポルトからサラマンカへの走行距離は359kmであった。

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