風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

エジプト旅行 番外編 進化するピラミッド

2009-09-28 | エジプト個人旅行記
ピラミッドがどう進化してきたかを考えてみるのは興味深い。

ここで自分の見聞をもとに簡単にまとめてみたい。

強調したいのはピラミッドは最初からクフ王のピラミッドなどに代表されるような
二等辺三角形ではなかったということである。

試行錯誤を重ねて断面が二等辺三角形の真正ピラミッドへと進化したようだ。

まず最初のピラミッド建造はジェセル王によるものであった。
このときは非常にシンプルな階段状のものである。


(B.C.2650頃 ピラミッドの第一歩 サッカーラの階段ピラミッド)

階段状のピラミッドにたいして、およそ50年後、傾斜を試みたのが屈折ピラミッドである。
しかしその角度は最初は急すぎて崩れ落ち、途中から角度を緩くせざるをえず
そのため稜線は屈折することとなってしまった。


(B.C.2600頃 ダフシュールの屈折ピラミッド)

しかし屈折ピラミッドを造ったスネフェル王はあきらめることなく、
すぐに真正ピラミッドに挑戦したようだ。

そしてその角度は屈折ピラミッドで得た経験をもとに、屈折ピラミッドの上の部分の
角度と同じく43度22分とした。

そしてできた最古の真正ピラミッドが赤のピラミッドである。


(B.C.2600頃 最古の真正ピラミッド ダフシュールの赤のピラミッド)

そして赤のピラミッドの技術がギザの3大ピラミッドへと受け継がれていったのであろう。

ギザのピラミッドの角度はその後の技術進歩や経験の恩恵か赤のピラミッドより
10度ほど急な51度から53度である。


(ギザの3大ピラミッド 右からクフ王、カフラー王、メンカウラー王
遠近の関係で実際の高さどおりには見えない)

ここで各々のピラミッドの特徴を古い順にまとめておく。

           建造    高さ      一辺の長さ     角度

階段ピラミッド B.C.2650頃   60m 110,130m    なし
屈折ピラミッド B.C.2600頃 105m    189m    54度27分、43度22分  
赤のピラミッド B.C.2600頃 105m    219m    43度22分
クフ王      B.C.2550頃  146m   230m    51度50分
カフラー王   B.C.2550頃  143m   215m     53度10分
メンカウラー王 B.C.2550頃  65m   103m     51度50分

こう見てみるとメンカウラー王のピラミッドが極端に小さいのがわかる。
これはメンカウラー王の時代になると王の権勢が一時ほどでなくなったためとの説もある。

古王国時代(B.C.2700頃~B.C.2200頃)に盛んに建造されたピラミッドは
その後も造られ続けたようだ。
中王国時代(B.C.2100頃~B.C.1700頃)にもそれなりに規模の大きなものが
造られたようだが、建築方法は雑になり、まだ材料もこれまでの石材に代わり
日干しレンガが使用され崩れやすくなってしまった。

そうしてピラミッド建造は衰退していったようである。

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エジプト旅行 2日目 その2(ダフシュール メンフィス サッカーラ)

2009-09-21 | エジプト個人旅行記
ギザの3大ピラミッドのあるところより南に30~40kmほど下るライン上には
数十ものピラミッドがある。

我々はその中でも有名なサッカーラとダフシュール地区を訪れる。

まず40kmほど奥のほうのダフシュールまで南下する。

ここにはB.C.2600年頃にクフ王の父スネフェル王によって建造された
通称「屈折ピラミッド」がある。


(屈折Pyramid 白く見える部分は化粧石)

屈折ピラミッドは高さ105mで1辺の長さは189mである。

このピラミッドは基底部から49mの高さまでは角度が54度27分で、
そこから上の部分は43度22分になってることが名の由来である。

なぜ角度を緩めたのかというと、石を積み上げていく過程で角度が急すぎて
石の重量を支えきれなくなったためだと推測されているようだ。

同じくダフシュールには鉄分の多い赤みを帯びた石灰岩を使っていることから
通称「赤のピラミッド」と呼ばれるピラミッドも有名である。
これも「屈折ピラミッド」と同じくスネフェル王によるものらしい。

スネフェル王は生涯4つのピラミッドを造ったといわれているが
なぜそんなに造ったかはいまだにナゾだそうだ。


(赤のPyramid)

「赤のピラミッド」の角度は「屈折ピラミッド」の角度と同じく43度22分である。
この角度は手に握った砂を下に落としてできる砂山の角度とほぼ同じで
非常に安定性の高い角度だそうである。

「赤のピラミッド」はギザのクフ王のものと同じく中に入ることができ
我々も入ってみたが通路は急な坂で特筆すべきものはなかった。


(下から積まれた石を見上げる)

ダフシュールのピラミッドを観たあと、もと来た道を北に上がりサッカーラに向かう。

途中、紀元前3,000年頃の古王国時代に首都となり数百年にわたり都として
栄えたといわれるメンフィスに寄る。

しかしメンフィスには古王国の首都を想わせるような遺跡はなく、
かすかにスフィンクス像があるだけのようであった。

そのスフィンクスはギザのスフィンクスよりは顔の形がより端整に残っており
ギザのそれには折れて無かったアゴヒゲも確認できた。


(スフィンクス アゴヒゲがわかるだろうか)

他の遺跡としては1,500年以上後のラメセス2世の権力を示すような像が多かった。

ラメセス2世は権勢誇示欲が強かったようで、過去の遺跡を再利用して
自分の像を作らせたようだ。


(体長が15mもあるラメセス2世像)


(ラメセス2世立像)

メンフィスをあとにし、さらにギザ方面に北上するとサッカーラがある。
ギザまであと15kmくらいの地点である。

サッカーラはエジプトでのピラミッド建設の第一歩を記したといわれる
「階段ピラミッド」があることで有名である。

「階段ピラミッド」の周りは建造物が多く残っており大きな
ピラミッド・コンプレックスとして保存されている。


(コンプレックス外観)


(入口にある柱廊)

柱廊を抜けると「階段ピラミッド」の前にでる。

このピラミッドはジォセル王によってB.C.2,650年ごろ建造され
6重の階段状で高さ60m、1辺の長さは東西130m、南北110mだそうだ。


(階段ピラミッド)

コンプレックス内には祭殿や竪穴墓も保存されている。


(セド祭殿)


(竪穴墓)

また100mほど先には崩れかけて瓦礫のようになっているウナス王のピラミッドもある。
このピラミッドの内部にはピラミッドテキストと呼ばれる、神々への讃歌や
王の正統性などをあらわしたヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)文書が
あるそうだが、残念ながら入場することはできなかった。


(ウナス王ピラミッド)

さらに1km以上先には古王国時代の墳墓群が見られる。


(古王国時代墳墓郡)

目を転じれば崩れたままにおかれたピラミッドもあり、まさにこの地帯はピラミッドの山である。


(崩れたままのピラミッド)

16:30 ピラミッドの観光を終え、ホテルに戻る。

エジプトに来る前、こちらの韓国焼肉は美味しいと知人から聞いていたため
中州のケズィーラ島にあるその店で夕食をとることとする。

17;00 タクシーを拾う、それは付属品は壊れ、座席なども破れたボロボロのタクシーであった。


(実物は写真以上にボロボロであった)

しかし運転手の愛想はよかった。


(運転手)

タクシーに乗ること40分どうしても焼肉店に着かない。
どうも案内本に書いてある住所表示が違っていてとんでもないところを走ってるらしい。
途中、いろんな人に聞きまわり1時間後ぐらいだろうかやっと到着。

文句も言わず汗をかきかき目的の焼肉店まで運んでくれた運転手に感謝である。

ヨルダンには韓国料理店がないため久しぶりの焼肉である。
何品かの焼肉とビール、ワインを頼む。

疲れていたのと食べるのに忙しかったせいか写真を撮り忘れた。
残念!

肉はちょっと硬くて噂で聞くほど美味しくはなかった。

夕食を済ませ店前でタクシーを拾いホテルに戻る。
今回はスムーズに20分ほどでホテルに戻れた。

22:00 就寝

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エジプト旅行 2日目 その1(ギザのピラミッド)

2009-09-16 | エジプト個人旅行記
5月19日(火) 晴れ

6:30 起床

早速ホテル1階のレストランに行く。


(Service Table)

我々が最初の客のようだ、遅れて女子高校生らしき団体が7,8人来た。


(朝食)

朝食を済ませ部屋に戻る、今日も窓からのピラミッドが美しい。
大きなのが3つあるはずだが、方角の具合で2つしか見えない。


(朝の部屋からのピラミッド)

7:30 ロビーでガイドと会う。

車でまずはギザのピラミッドへ。

ギザには大きなピラミッドが3つあり、すべてB.C,2550年頃の古王国時代のものである。

その中でもクフ王のそれはまさにピラミッドの王様で一番巨大である。

クフ王のピラミッドの内部には午前、午後に各々150人ずつ入ることができる。
我々はその入場券を確保するため、アメリカから来た団体の学生たちとともに列に並んだ。


(ギザの3大ピラミッド 右からクフ王、カフラー王、メンカウラー王
遠近の関係で実際の高さどおりには見えない)

各々のピラミッドの高さ、一辺の長さ、角度は次の通り。

           高さ    一辺の長さ     角度
クフ王       146m   230m     51度50分
カフラー王     143m   215m     53度10分
メンカウラー王   65m   103m     51度50分


(積み上がった石)

クフ王のピラミッドは平均2.5トンの石を230万個積み上げて造られ、
基底部に使われた石には15トンを超えるものもあると言われている。


(階段状の石)


(稜線)

クフ王のピラミッドの中には入ることができ、王の玄室、女王の部屋、大回廊などがある。
我々も中に入ってみたが薄暗く、炭鉱のトンネルの中にいるような感じであった。
回廊も狭く腰を曲げた姿勢を余儀なくされかなりきついものがあった。

外に出てカフラー王のピラミッドに向かう。

観光用のラクダが多い。


(ラクダ)

カフラー王のピラミッドの特徴は石灰岩でできた化粧石が上部に
少し残っていることだ。

ピラミッドは昔はこのような化粧石で前面覆われていたそうだが、
今では全部持ち去られてごつごつした石がむきだしとなっており
ギザのピラミッドではカフラー王のそれにしか名残をとどめない。


(カフラー王ピラミッド 上部にかすかに化粧石が残る)

もう一つカフラー王のピラミッドの特徴は大きなスフィンクスが付属していることだ。


(巨大なスフィンクス)

このスフィンクスは高さ20m、長さ57mあり、巨大な天然の岩山を基に造られたそうだ。


(正面からみたスフィンクス)

スフィンクスにはかってツタンカーメンの黄金マスクについてるような長いアゴヒゲがあったが、
それは現在はイギリスの大英博物館にあり、エジプト政府は返還を交渉中だそうだ。

余談ではあるが、ギザの遺跡類ははかっては砂に埋もれていたらしい。

それはデビット・ロバーツの絵によってわかっている。


(160年前のスフィンクス すでにアゴヒゲもない)

デビット・ロバーツの絵はエジプトのホテルなどにはよく展示されているようだ。

デビット・ロバーツはスコットランド・エジンバラに1796に生まれた。
彼は1838~9年にかけてエジプトに11か月滞在し、各地の遺跡を回って多くの作品を描き
『A journey in Egypt』という画集を残している。

そこには160年前のエジプトの風景と遺跡と人々が描かれていて非常に興味深い資料である。


またスフィンクスの横には河岸神殿が残っている。

かってはこのあたりをナイル川が流れていたらしい。


(河岸神殿)

亡くなった王の遺体はナイル川を使って河岸神殿へと運ばれ、河岸神殿でミイラとされたそうだ。

ギザのピラミッドを観た我々はパピルスを作っているギャラリーに寄った。

どこの国の観光地でもお土産店などには立寄ることになっているらしい。


(ギャラリー表玄関)

パピルス紙はパピルスの茎を格子状に重ねて、それをたたいて作るようだ。


(パピルス紙の製法)


(ギャラリー内の展示品)

ギャラリーをあとにしては南下する。

ナイル川の沿岸だろうか、かなり緑が多い地帯もある。


(緑の畑作地帯)

途中ランチを取るためレストランに寄る。

レストランは観光客向けの、エジプト料理店で綺麗な大きなものだった。


(豊富な料理の数々)

準備された料理の種類も豊富で美味しかった。


(ランチ)

ランチをすませた我々は他のユニークなピラミッドを求めてさらに南下する。
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スペイン・ポルトガルより戻りました

2009-09-12 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
ヨルダン時間、9月11日23時50分時頃、
スペイン・ポルトガルより戻りました。

スペイン、ポルトガルの主だった観光地は古い町で、道幅が極端に狭い石畳、
また一方通行で運転には苦労しましたがなんとかやりきりました。

後日写真の整理などができましたら旅のご報告をさせていただきたいと
存じますのでよろしくお願いします。

取り急ぎ無事帰宅のお知らせまで。
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スペイン・ポルトガルに行ってきます

2009-09-02 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
9月2日 晴れ

5:03 これより車でアンマン空港に行き、7:40発のフライトで
マドリッドに向かいます。
マドリッド到着は12:20(ヨルダン時間の13:20)
飛行時間は5時間40分の予定です。

では行ってまいります。
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