風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 5日目(ラタキアからダマスカスへ)

2010-10-29 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月25日(水)

7:30 起床。

今回我々が泊ったホテルはバック・パッカー用の安宿のためか朝食がついてない。

外でサンドイッチでも食べようと思い早速出かける。


(朝のラタキア)

なかなかサンドイッチを食べれるような店が見つからず、人に聞いてなんとかそれらしき店に入った。


(レストランの入り口)

かなり殺風景な店で、サンドイッチを頼むと、子供に外に買いに行かせてるようだった。


(殺風景なレストラン内部)

軽い朝食を終えラタキア博物館へ行く。

この博物館は昨日訪れたウガリットで発掘され、アルファベットの原型とされる
紀元前12~13世紀頃に書かれた楔形文字を簡略化したウガリット文字の粘土板で有名である。
(ウガリットについては2010年10月22日出稿の「シリア旅行 4日目 その2(ラタキア サラディン城 ウガリット)」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2009年版))を参照ください


9:00の始まりのはずだがチケット売り場に誰もいなく10分ほど待って職員が来た。

ラタキア博物館は16世紀にタバコの交易所として建てられたそうだ。


(ラタキア博物館 かってはたばこ交易所だった)

またフランス統治時代には州長官の公館として利用されていたようだ。

館内の庭には円柱や彫刻が無造作に置かれていた。











残念ながらアルファベット文字の原型となった粘土板は写真撮影が禁止されていて撮れなかった。

博物館を見学した我々はホテルに戻って荷物を取り、ダマスカスヘ行くためバス停に向かった。


(バス停)

しかし、バス停で大変なことに気が付いた、バス停でダマスカス行きの切符を買おうとすると
パスポートの提示を求められた。
そこで初めてパスポートをホテルのフロントに預けたままであることに気が付いた。

大慌てでタクシーを捕まえ、ホテルに戻りパスポートを返してもらい再びバス停へ。

その間往復30分くらいだったろうか、なんとか当初予定のバスに乗ることができた。


(我々が乗ったダマスカス行きのバス)



11:02 バス出発。


(ラタキアからダマスカスへ青線を南下)

途中で地中海が望めた。


(地中海)

途中、雨が降ったせいかバスは遅れているようだ・

15:50 ダマスカスに50分ほど遅れて到着。

バスを降りてタクシーでホテルに向かう。

ホテルは3日前と同じ所だ。

チェック・インを済ませ、妻の希望によりダマスカスのスークにまたもや行く。


(ナッツ屋)

美味しそうなナッツが数多く、しかも安いので買ってみた。



夕食のためキリスト教徒地区でビールを買い求め、シュワルマ、シシカバブを中心とした
アラビア料理などのセット・メニュウをいくつか買ってホテルに戻る。

19:30 ホテルの部屋で夕食。

22:00 就寝。

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シリア旅行 4日目 その2(ラタキア サラディン城 ウガリット)

2010-10-22 | シリア旅行記(2009年版)
12:00 ホテルに荷物を置いた我々はサラディン城に向かった。

サラディン城は2006年に世界遺産として登録され、シリアに6つある世界遺産の一つである。

我々は今回の訪問によりシリアの世界遺産はすべて征服したことになる。

サラディン城はラタキアの東25kmの地点にあり、そこまでは汚いマイクロ・バスで40分ほど行き、
タクシーに乗り換えて行った。

タクシーに乗って10分ほど経過したであろうか、三方を急峻な谷にかこまれた
天然の要塞である尾根の上にサラディン城が見えてきた。


(尾根の上に建つサラディン城)

城壁も見えてくる。


(城壁)

タクシーはサラディン城の入り口に向かって下って行く。

途中に石塔があり、その脇をタクシーは行く。


(石塔 敵の侵入阻害のためだろうか)

タクシーを降りドライバーに1時間後に迎えに来るよう伝える。
英語はわからないようだがなんとか意は伝わったらしい。


(入口より城を見上げる)

一人45円ほどの入場料を支払い城内に入って行く。



1187年ハッティンの戦いで十字軍を破ってエルサレムへの無血入城を果たしたサラディーンは
ヨーロッパから来るべき十字軍の援軍を迎え撃つため、翌年この城を攻め落としたそうだ。



多くの城は十字軍によって取り戻されたが、その後もずっとこの城はイスラム軍の拠点となり、
英雄を称えて「サラディン城」と呼ばれるようになったそうだ。


(建物の内部)


(手前は先ほど見た道路にあった石塔)

下を見下ろすと車が小さく見える。


(城からの風景 下に車が小さく見える)

サラディン城はかなり高い尾根の上にあり、遠く地中海にまで睨みをきかせていたらしい。


(城壁 晴れた日には地中海が見えるかも)





我々が城を出て道路にいくと既にタクシー・ドライバーは待っててくれた。

タクシーで来た時のマイクロ・バスの乗り場まで戻る。


(途中の紅葉 もう少しであろうか)

マイクロ・バスでラタキアに戻った我々は、またまた別経路のマイクロ・バスに乗り
アルファベット発祥の都市国家ウガリットに向かった。

15分ほどでバスはウガリットの入り口に到着。

入り口で入場料を払ったが一人450円ほどで、先ほどのサラディン城のなんと10倍である。

しかし、遺跡としては荒れたままであり、これからの整備が必要である。
入場料が高いのはそのためかもしれない。

ウガリットは紀元前3000年頃には成立していたとみられる都市国家で世界で最も古い
都市のひとつとしてレバノンの世界遺産であるビブロスと双璧をなしているといわれている。


(整備されれば将来世界遺産の登録もあるかも??)

ウガリットで有名なのは紀元前12~13世紀ごろに粘土板に書かれた文書で、
ウガリット語のほか、シュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、古代エジプト語などで
書かれており、ここが数ヶ国語が話される国際都市国家だったことがわかる。

そしてその環境がアルファベットの原型となったとされる楔形文字を簡略化したウガリット文字を
生み出したようだ。

ウガリットの粘土板は明日行くラタキアやダマスカスの国立博物館で見ることができる。



かっての住居跡も一部残っている。


(北の住居跡の標識)



遺跡近くの木々に着いた花も奇麗だった。


(木々着いた花)

18:00 ラタキアに戻る。

今日の夕食は折角港町に来ているため魚料理の専門店に出かけたが残念ながら写真はない。

自分で魚を選び料理してもらうやり方であったが、味はイマイチであった。

21:00 魚料理を食べた後、夜の街をぶらぶらしながらホテルに戻る。

22:00 就寝。
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シリア旅行 4日目 その1(アレッポからラタキアへ)

2010-10-15 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月24日(火)

5:20 起床

5:55 朝飯もとらずにホテルを出発。

早朝のタクシーを捕まえアレッポ駅に向かう。

今日は鉄道によりアレッポより西へ170kmほどに位置する
地中海沿岸のシリア最大の港町ラタキアへ行く予定だ。


(右側のアレッポより地中海沿岸のラタキアへ青線を行く)

6:05 タクシーは10分ほどでアレッポ駅に到着。


(朝のアレッポ駅)

我々は6:48発の普通列車ラタキア行きに乗車の予定だ。

窓口で一番安い2等車の切符購入。

170kmほどの長旅にもかかわらず値段は一人210円(70SP)くらいと驚くほど安い。

待ち会い所で待ってると地元の人が登録が必要と教えてくれた。

どうやらこの社会主義の国では国内の移動においても事前の登録が必要らしい。

パスポートと切符を持って登録所に行く。


(ID登録所)

登録所では切符にサインをしてくれる。


(切符 裏にIDを確認したとのサインがある)

乗車可能との声によりホームに入る。


(機関車)


(客車)

車内は横に1席、通路、2席の3席でゆったりとしていた。


(2等でもゆったりとした車内)

1等の車内も見てみたが座席の配置は変わらず見栄え座り心地とも同じようだった。

6:48 出発。

ラタキア到着は10:30の予定で4時間弱の長旅である。
急行であれば3時間以内であるが適当な時間のものがなかった。


(延々と広がるシリアの大地)

列車は察するにヨーロッパあたりから払い下げられたものであろうか窓は汚れて白く濁っている。


(途中の街)

列車は途中いくつかの山越えをするようだ。


(少し紅葉しかかった森)


(陸橋を登っていく)

乗客はまばらだったが、子供を連れた家族もいた。


(乗り合わせた子供)

10:30 列車は予定通りラタキア駅に到着する。

ホテルにタクシーで向かう。

今日のホテルはバック・パッカーも泊る安宿ではあったが小奇麗だった。


(室内)


(トイレ)

12:00 荷物を置いた我々は早速散策へと出かけた。

ラタキアといえば港町として有名だが、もう一つ2006年に世界遺産に登録された
サラディーン城が東25kmの所に位置しサラディーン城への入り口としても有名である。

我々はまずサラディーン城を目指すことにした。
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シリア旅行 3日目 その2(アレッポ)

2010-10-08 | シリア旅行記(2009年版)
アレッポ城内には博物館がある。

そこにはギリシャ時代のレリーフやオスマン帝国軍の大砲などが展示されている。

中に入ってみて面白いものを見つけた、手動式の石弾丸投石器である。

同じようなものを2009年5月にエジプト旅行に行った際にもカイロのシタデルで見たことを思い出す。
(カイロの投石器については2009年10月12日出稿の「エジプト旅行 3日目 その1(イスラーム地区)」
  (カテゴリー:エジプト個人旅行記))を参照ください


距離的にはシリアのアレッポとエジプトのカイロ、直線で約900kmほど離れているようだが
ともにアラブ人として十字軍と戦っており歴史の共有は勿論、武器など何らかのつながりがあるようだ。


(城内博物館にあった手動式の石弾丸投石器)

博物館を出て城の建造物に入ってみると投石器のための石弾丸も見られた。


(石弾丸 これを投げて敵を痛めつけたのであろうか)

さらに歩くと時代はよくわからないが宮殿や祭壇らしきものもある。


(宮殿)


(祭壇)


(建物内部 比較的新しいようだ)

城の見学を堪能した我々は民俗博物館を見学するため、
昨日も行ったアルメニア人が多く住むキリスト教徒地区に向かった。

キリスト教徒地区には2階が異常に出っ張った民家が多い。

これはアルメニアの影響なのだろうか??


(異様に出っ張った家)


(ここにも出っ張った家が)

キリスト教徒地区はギリシャ・カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教などの
教会が多くあることは前にも述べたとおりである。


(アルメニア大聖堂の標識)


(祭壇)

少し道に迷ったが街の人に尋ねてなんとか民俗博物館に到着。


(民俗博物館の展示物 日常生活を表現)

博物館の内容は2008年の11月に訪れたダマスカスの民俗博物館(アゼム宮殿)を
小型化したようなものだった。
(ダマスカスの民俗博物館(アゼム宮殿)については2009年3月23日出稿の「シリア旅行 4日目 その1(ダマスカス)」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2008年版))を参照ください


(博物館の中庭)

博物館を出てぶらぶら歩いてみる。

今日の夕食はホテルで簡単にすませようと思っていたのでビールやワインを売ってないかと思い探す。

キリスト教徒地区であればどこかで売っているはずである。


(街並み)

路地裏に小さなホテルがあったのでトイレを借りるべく入ってみる。


(路地裏)


(ホテルの奇麗に手入れされた中庭)

トイレに入ってみると男子用のそれにペーパーが備え付けてあるのには驚いた。
初めての経験である、よほど綺麗好きなのだろうか・・


(左上にペーパーが)

ビールやワインを買い求めた我々は途中の映画館や時計塔を見ながらホテルに戻る。


(映画館)


(時計塔 アレッポの町の中心地だ)

ホテルに戻り夕食のためにチキンの丸焼きやシュワルマをホテル前の店に買いに出かける。
(シュワルマについては2009年6月15日出稿の「アジュルン」
  (カテゴリー:ヨルダン国内旅行記))を参照ください

シリアはヨルダンの北に位置し雨も多く、土も肥沃であり一般的には鶏、牛、野菜など
美味しいと聞いていたがチキン、シュワルマとも、まずくはないがヨルダンのほうが美味しく感じた。

明日は地中海沿岸の町に早朝発の鉄道で行くため朝が早い。

22:00 早めに就寝
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シリア旅行 3日目 その1(アレッポ)

2010-10-01 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月23日(月)

7:15 起床

早速、リンドバーグやアラビアのロレンス、そしてさらにはアガサ・クリスティーも
食事をとったかもしれないレストランへと下りっていった。


(朝のレストラン)


(準備をするウエイター)


(今日の朝食 シリアのパンは美味しかった)

8:30 朝食を終えて我々はまず石鹸を買いに出かけた。

アレッポといえばオリーブでできた石鹸が有名であり、街の中心部に専門の問屋店が並んでいる。


(中心部にある時計塔 オスマン・トルコ時代に建てられた)

ここでは1個づつでも売ってるが、箱売りがメインで大きければ大きいほど割安である。

我々は日本へのお土産も意識して最高級の5kgの箱を買った。


(我々が買った5kgの箱 上にあるのが石鹸)

石鹸が重いため一旦ホテルに戻り、石鹸を部屋に置きアレッポ城に向かう。

アレッポ城は天然の丘の上に建ち周囲が2.5kmだそうだ。


(丘の上に建つアレッポ城)


(深さ22mの堀)


(入口の門)

さらに正面に向かう、正面の門は16世紀に改修されたものだ。


(見事な石組みと均整のとれた美しさだ)

入り口の門に入る。


(門に入って右側の風景 堀が続いている)


(入り口)


(城の内部)

アレッポ城の始まりは紀元前10世紀に建てられたヒッタイト人の神殿にさかのぼる。

その後12世紀に十字軍が侵攻してきた時代に要塞化され、13世紀のモンゴル軍、
1400年のティムール朝の侵略などに耐え北シリア一番の難攻不落の城塞となった。

そのため城壁の内部にはいろんな文化、歴史が混在しており、未だ整備されてない感じである。


(いつの時代のモスクであろうか?)


(こちらにもモスクが)


(かっては円形劇場もあったのであろう)





丘の上に建っているため眺めは絶品である。




(同じ方向を拡大して見る)

遺跡のところどころには落書きも見られた。


(アラビア語で書かれた落書き)

愛の象徴のハートマークは全世界共通のようだ。

日本語の落書きがなかったのは幸いだった。

さらに城壁内を散策する。
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