風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

2年半が経ちました

2010-12-24 | お知らせ その他
早いもので当ブログ「風に吹かれて アンマン」を開設し最初の記事「ブログ開設動機」(カテゴリー:はじめに)
を2008年6月5日に出稿して以来およそ2年半が経ちます。

その間の記事数は前回出稿の「世界遺産 アムラ城」までで154記事となりました。

最初の記事をひも解いてみると次のように記しています。

「いつまで続くかは自分でも、はなはだ疑問であるが挑戦してみたい。
今まで日記の類はつけたこともなく、また性格的には飽きっぽいほうだ。
あまり気負わず、思いついたことを、頻繁ではなくぽつんぽつんと記していきたい」

まさにその通りで、飽きっぽいほうであり、よくもここまで続いたものだと感慨深いものがあります。

これもひとえにブログを見てくださる方がいるとの示唆のおかげであり、
皆様方の存在が続けさせてくれたと思っており感謝しております。

お陰さまでグーグルやヤフーの検索エンジンで「ヨルダン事情」と入力すると
トップ・ページに名を連ねるほどになりました。

さらに出稿前の記事の校正を担当してくれた妻や、
陰ながら記事を読み続けてくれた子供たちにも感謝いたします。

最初はヨルダンに赴任したのを機会に、ヨルダン事情や風物詩、あるいは中東文化などを
発信したいと思っていましたが、1年を過ぎたころからか、見るもの聞くものが新鮮に映らなくなり
アラブ諸国(ヨルダン、シリア、エジプト)や、そしてヨーロッパ(中欧、スペイン・ポルトガル)などの
旅行記が中心となってしまいました。

その旅行記も前回の「世界遺産 アムラ城」をもって底をついたようです。

今後、どのような形をとって行こうかとその方向性を模索中であり
解が出るまでには時間がかかりそうです。

案としては
 ・日々の暮らしの中からトピックを記していく
 ・何かテーマを決めてそれに関する自分の思いを記す
 ・国内旅行を中心に記す
 ・海外旅行を中心に記す
などの項目が考えられますが今現在は白紙です。

なにかよい案があればアドバイスなどいただければ幸いです。

ブログを書くことは適度に脳を刺激することにもなり今後もぜひ続けたいと思っています。

再開の節はまたみなさまのご支援をお願いいたします。

末尾ながら、今日はクリスマス・イヴ、今年も残すところ僅かとなりました。
皆さま良いクリスマス、そして新年をお迎えください。 2010年12月24日



コメント (1)
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ヨルダン東部 世界遺産アムラ城ほか

2010-12-10 | ヨルダン国内旅行記
前回の稿でヨルダンの世界文化遺産について述べたので、今回はまだ触れてなかった
ヨルダンにある3つの世界遺産の一つであるアムラ城を中心に記したい。

(ヨルダンの世界遺産については前回(2010年11月26日)出稿の「世界遺産 ウンム・アル・ラサース」
カテゴリー:ヨルダン国内旅行記)を参照ください

2008年6月27日(金)

その日は摂氏40度を超すようなもの凄く暑い日だった。

我々がヨルダンに到着したのが3月26日だったので、丁度3カ月経った日に国際協力機構(JICA)の
シニア・ボランティアが企画してくれたヨルダン東部のツアーに参加するチャンスを得た。

アンマン東部は交通の便が悪くバスなども出てない地方が多いため非常に行きにくい所と言われている。

ヨルダン在住の日本人にとっても最後に残るのがこのあたりで、日本への本帰国直前にあわてて行く人や
運悪く行く機会を逃す人も多いようだ。

幸運にも我々はヨルダン着任早々この地を貸切のバスで行く機会に恵まれた。

バスはアンマンよりヨルダンの東部をサウジアラビアとの国境近くまで行き
4つの遺跡を回る予定である。


(アンマンを出て時計と逆回りにハラナ城、アムラ城、
アズラック城、ハラバート城と4つの遺跡を見学する)

最初に到着したのが砂漠の中にぽつんと一つ建っているハラナ城である、
砂漠の中で一番保存状態がよいそうだ。

砂漠の中に建っているにもかかわらず、あるいはそのためかヨルダンの遺跡では珍しい太陽光発電があった。

事務所の電力を賄っているのであろうか。


(事務所の横に太陽光発電)

ハラナ城は謎の建物とされ、宮殿とも要塞とも言われるが
最近では隊商宿だったというのが有力なようだ。


(ハラナ城 正面35mの壁をもつ長方形である)

次に向かったのがヨルダンに3つある世界遺産の一つであるアムラ城であり、
1985年に世界遺産として登録されている。


(世界遺産を示す標識)

アムラ城は砂漠の中で最も美しい城と言われている。

8世紀に建てられこれもまた隊商宿として使われていたらしい。


(アムラ城)

遺跡としては上記の写真がすべてであり、一般にイメージとして持つ世界遺産としては小ぶりである。

今現在、世界文化遺産として登録されているのは700余数にのぼるそうだが、
このようなこじんまりとした物もいくつかあるのであろう。


(サウナのあるドーム屋根が特徴である)

城の内部にはフレスコ画があり、1970年代にスペインの考古学者グループによって、
そして近年フランスの援助で修復されたそうだ。


(フレスコ画)



我々が訪れたのをどこからか嗅ぎつけてきたのであろうか楽器をもった老人が音楽を奏でていた。

楽器は中央アジアあたりで見られるような胡弓に似た物のようである。

シルク・ロードを伝わって来たのであろうか、ちょっとしたロマンを感じる


(胡弓を奏でる老人)

アムラ城をあとにしてバスは今日3番目の見学地、アズラック城にやってきた。

アズラックはイラクとサウジアラビアへ通じる道の交差点にあり、3世紀頃のローマ時代に
戦略上の重要拠点として要塞が建てられ、その後ビザンチン、ウマイヤ、マムルーク朝を通じて
何度か修築、改築が繰り返されて今日にい至っているそうだ。


(アズラック城の入口)

城は近くで採れる黒玄武岩を使って建てられている。

かの有名なアラビアのロレンスも1917年にはアラブ革命時の戦略基地として滞在していたそうだ。


(中庭)


(天井の石組 独特の建築手法で石が崩れない)

最後に訪れたのが丘の上に建つハラバート城である。

この城は、もとはカラカラ帝統治時代(198~217年)の周辺部族に対する要塞であったが、
7世紀に修道院となり、その後ウマイヤ朝によってギリシャ・ローマ時代の装飾が壊され、
イスラム様式の要塞、宮殿に修築されたそうだ。

そして現在は大規模な修復工事中である。


(ハラバート城 時代の流れを経て修復工事中である)


(ハラバート城内の修復された一部の遺跡)

順調に4つの遺跡を見学し終わった我々は一路アンマンへと向かったが途中で災難が待っていた。

帰路、どうもバスのエンジン音がなにかおかしい。

運転手はクーラを切ると言う、どうやら砂漠の中40度を超えるほどの暑さのせいか
もともとバスが古いせいか、エンジンの調子が悪いようだ。

クーラを切ってしばらく走ったが、とうとう頓挫してしまった。

運転手は電話をして代わりのバスを手配してくれたが、
その間2時間近く酷暑のバスの中で待つこととなってしまった。

そんなアクシデントもあったが、ヨルダンに赴任して3カ月目の日帰り旅行は無事終わった。


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