風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

スペイン・ポルトガル旅行 3日目 その1(エヴォラ探索 リスボンへ)

2010-04-27 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月4日(金)

6:30 起床

7:00に食堂へ行く。




(今日の朝食)

朝食を済ませ、昨日は入れなかったサン・フランシスコ教会に行く。


(サン・フランシスコ教会)

教会は16世紀初期に建てられたもので、中の聖堂は厳かなものだった。


(聖堂)

ここの目玉はなんといっても聖堂がある建物の脇にある人骨堂である。


(人骨堂の立て看 入場料は1人2ユーロである)

ここにはその名のとおり5,000体もの人骨が壁や柱を埋め尽くしている。

気の弱い方は飛ばして先にお進みください。


(頭蓋骨の山)


(壁にぎっしりと埋め込まれた人骨)

ここは修道士たちが黙想する場として造られたそうだが、壁に吊るされた
生々しい人骨をみていると肝試し会場のようで気味が悪い。


(壁に吊るされた人骨)

やはりこんなに多くの人骨をみていると気分が悪くなってくる。

そのためでもないだろうが、人骨の山を出たところに祭壇があった。

日本人的発想でいえば清めの祭壇であろうか。


(清めの祭壇??)

人骨堂のアズレージョは大きくて鮮明に描かれた立派なものであった。





人骨堂を出て昨日は入れなかったカテドラルに向かう。


(カテドラルのファサード)

カテドラルには手の込んだ模様がいくつか見られる。





このカテドラルは日本人には深いゆかりがあり1584年9月に訪れた天正遣欧少年使節の
伊東マンショと千々石ミゲルの二人がパイプオルガンの腕前を披露したといわれている。


(少年使節の二人が弾いたパイプオルガン)

屋上に上ってみる。


(カテドラルの屋上)

屋上からの景色は美しい。


(屋上から)











屋上から下りて中庭を見てみる。


(中庭の回廊)


(中庭から屋上を)

カテドラル見学を終え車を駐車しているホテルに向かう。

道すがら絵はがきと切手を買い横浜の自宅にいる子供たちに送る。


(日本とは一風違った感じのポスト)

11:15 車を出す。

今日の目的地はポルトガルの首都リスボンである。


(エヴォラからリスボンへ青線をドライブ)


(エヴォラを守っていたかっての城門)


(城外に続く水道橋)


(エヴォラの町を囲む城壁)

エヴォラの町を離れて車は順調にリスボンに向かう。


(リスボンに向かって)

1時間半ほど走ったであろうか、両腕を広げて建っている巨大な像が見えてきた。


(リスボンの象徴??)

これはブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像を模して
1959年にできたもので高さは110mあるそうだ。

車はリスボンの街中へと入っていく。


(途中、水道橋らしきものがあった)

13:30 目的地リスボンのホテルに到着。


(ベッド)



14:30 荷物を置いて早速リスボン探索に出かける。
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スペイン・ポルトガル旅行 2日目 その3(古都 エヴォラへ)

2010-04-20 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
車はコルク樫やオリーブの木が並んでいる田園風景を走る。

このあたりはコルクの産地でもあり、コルクでできた傘、バッグなどを
売るお土産やさんもおおいようだ。

エヴォラはそんな緑の風景の中にあるローマ時代の城壁に囲まれた町である。

15:45 エヴォラに到着

ナビのお陰で意外と簡単にホテルに辿りつけた。

ホテルは16世紀半ばに建てられた貴族の屋敷を改装し1892年に創業したそうだ。





早速探索に出かける。

ホテルを出るとすぐに名もない教会があったので入ってみる。

中に入ってみると、さすがポルトガル、立派なアズレージョに出会う。


(アズレージョ 横5mくらいあっただろうか)

街には観光地らしく馬車もあった。


(馬車)

要塞のように堅固な印象のファサードがある、カテドラルの玄関である。

これは12~13世紀のロマネスクからゴシック過渡期に建てられた大聖堂で
日本人には1584年9月にエヴォラを訪れた天正遣欧使節が訪れた場所として有名である。


(要塞のような造りのファサード)

あいにく17時を過ぎてて中には入れず、使節のメンバーが弾いたといわれる
パイプオルガンを見学するのは明日のお楽しみとした。

さらに歩をすすめると2~3世紀にローマ人によって造られたコリント様式の
神殿が現れる、月の女神ディアナに捧げられたものらしい。


(ディアナ神殿)

このディアナ神殿は中世には要塞として使われたおかげで、
イベリア半島に残るローマ神殿のなかでは保存状態がよいそうだ。

街を気ままに歩く。


(カテトラルノの奥のほう)



(小径)

さすが古い街、玄関上にもアズレージョが飾ってある。


(番地と共に玄関上にもアズレージョ)


(教会??だろうか・・)


(石畳)

街の中心部にあるジラルド広場へと歩く。

途中、人骨堂が付属しているサン・フランシスコ教会を遠目にみる。

人骨堂も明日訪れることになるであろう。


(サン・フランシスコ教会)

ジラルド広場は人々で賑わっており周りはレストランも多い。


(ジラルド広場)

我々は広場から路地を入ったところにある小さなレストランで夕食をとった。


(今日の夕食)

夕食を終えてホテルへの道すがら、こんな小さな町でまたもよ中国人経営のお店を発見。

昨日のメリダでの発見に続いて2日連続である。
あらためて中国人パワーを思い知らされる。


(中国人のお店)

ホテルに戻り入浴。

22:30 就寝。

本日の走行距離は319kmであった。
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スペイン・ポルトガル旅行 2日目 その3(陶器の町 ルドンド城内)

2010-04-13 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
車で城内へと向かう。

まわりの風景はあくまでも白である。


(白い街並みを城内に向かう)

城門前で車を駐車。


(城門)

城内を歩く。


(教会)


(教会内)

城内にも工房があった。


(工房メルトラ)

中に入ってみると製作中の品々が置かれていた。


(工房見学)


(同)


(同)


(今では大型オーブンのようなこの窯で焼いているようだ)


(陳列品)

街にはもう一つ教会があるようだ。


(閉じていたがこれも教会のようである)

教会の横には見張り塔らしきものがあった。


(見張り塔)

早速登ってみる。


(塔からの眺め)


(同)

統一された赤い屋根の風景が美しい。


(同)


(同)

塔を下りて再び城門に引き返す。

城内を出てエヴォラに向かうと、すぐに別の工房に出会う。

ここの工房は大作が多く、絵柄もしっかりしているようだ。


(また一つの店)

中に入ると昔の窯がそのままあった。


(古い窯)

妻は気に入った大皿を一枚購入。


(我々が買った大皿)

15:00 陶器の町、ルドンドを楽しんだ我々は一路エヴォラを目指した。

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スペイン・ポルトガル旅行 2日目 その2(陶器の町 ルドンド)

2010-04-06 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
メリダを離れて高速に乗り今日の目的地エヴォラに向かう。

70kmほど走ったところでポルトガルの国境を示す標示板が見えてくる。


(車はポルトガルへ 前方に国境を示す標示板)

国境をあっけなく通過。

順調にポルトガルを走る。


(オリーブの木)


(城塞か)

今日の最終目的地はエヴォラであるが時間が早いのでルドンドへ寄ることにする。

ルドンドは陶器の町として知られポルトガルのみやげ物屋でよく見かける素朴な画が
描かれた陶器はここが産地である。

陶器好きの妻はかねてからルドンドを訪れることを狙っていたらしい。


(ルドンド目指して高速を外れる)

ようやくルドンドを示す標識が見えてきた。


(ルドンドを示す道路標識)

最初に目に付いたのは消防署であった。


(消防署)

車を停めて周りを散策。

どの家を見ても眼にまぶしく白色が目立ち、白い街というのが第一印象だった。


(長く続く白い壁)


(街並み)


(南国を想わせる街並み)

妻とともに窯元の工房を探す。

何人かに聞いたあげくやっと発見。


(工房発見)

しかしこの工房は現在は閉じてしまってるようだった。

商店街のなかに一つの工房がだしている店を見つけた。


(商店街)


(工房Flosaの店)

中に入ってみる。


(店内)


(同)

妻は自分が気に入った皿を一つ買い求めた。

絵模様はひまわりだろうか、なんとなくポルトガルらしい。


(妻が買った皿)

我々は壁で囲まれた城内へと向かった。
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