風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ヨルダンのヴァレンタイン

2010-02-22 | ヨルダン風物詩
イスラムの世界であるヨルダンにもヴァレンタインはある。

日本では14日が日曜と重なったこともあり、義理チョコの類は少なくなり
例年ほどの盛り上がりではないとの報道を聞いたりもするが、
ここヨルダンではキリスト教徒を中心にかなり盛んなようであった。

比較的外国人が多く集まるとされているバラカ・モールに行ってみた。

こちらではヴァレンタインというと赤一色のようである。


(赤い風船の飾りつけ)


(別角度から)


(赤いハートのバルーン)

こちらではチョコをあげることは一般的ではない。

赤い色のバラやカーネーションの花をプレゼントすることが多いようだ。


(赤いバラの花)

また女性から男性へのプレゼントも一般的ではなく
基本的に男性から女性へのプレゼントとなるらしい。

家具売り場でもヴァレンタイン用の飾り付けがなされていた。


(ハート型のバルーン)


(ハートを開ける鍵とハートの飾りつけ)

挙げ句の果ては車まで赤のリボンでラップしてあった。


(車のプレゼントならチョコより嬉しい)

基本的にムスリムにおいては、他の宗教の行事を祝うことは禁止されている。
ムスリムが祝うことができるのは、ラマダンや犠牲祭のあとにくる2回の祝日のみである。

しかし、特にアンマンのような都市部においては若い恋人たちや夫婦などにおいて
ヴァレンタインを楽しむ人も増えてきたようだ。

その証としてムスリムが多く集まるバス発着場のお店でもヴァレンタイン商品が
多く売られている


(バス発着場のおもちゃ屋 くまのぬいぐるみ)

もう一つ、こちらのヴァレンタインで特徴的なのは、くまのぬいぐるみが多いことだ。


(くまのぬいぐるみ)

発着葉を離れたところでも、お菓子屋とかアクセサリー店、花屋ではヴァレンタインの
飾り付けがかなり見られた。


(アクセサリー店)


(お菓子屋さん)


(花屋で見かけたバラの贈り物)


街中でもくまのぬいぐるみが多い。





このように観察してみると、ヨルダン人も日本人と同じくお祭り好きではと思えてくる。

日本人の宗教を超えたお祭り好きは、自分でも納得しているが、
ひょっとすると将来においては多くのヨルダン人ムスリムがヴァレンタインや
クリスマスを祝う姿が多く見られるのではと想像している。
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エジプト旅行 11日目(カイロ市内観光 アンマンへ戻る)

2010-02-15 | エジプト個人旅行記
5月28日(木) 晴れ

8:00 起床

今日はエジプト旅行の最後の日である。
カイロ発22:00のフライト予定なので、比較的遅めの起床となった。

朝食をとったあと、荷物の整理などを行なう。

妻が整理をしている間、部屋から窓の外を眺めると
面白い光景が目に入ってきた。


(3列駐車 手前2列と向こう側1列は駐車中)


(何階建て?階の上に階を重ねている 規制はないのだろうか?)


(物置と化したテラス)


(緑も見られた)

荷物の整理を終え、フロントに荷物を預けチェック・アウトを済ませる。
荷物は空港に行く前、18時過ぎにでも取りに来るつもりだ。

10:00 タクシーを捕まえる。

今日は妻の希望により中州にある、世界屈指の陶器コレクションと名高い
イスラーム陶器博物館を訪れる予定だ。


(イスラーム陶器博物館)

建物自体ムハンマド・アリの孫の宮殿だっただけあり瀟洒である。


(玄関)

ここにはウマイヤ朝からオスマン朝にいたるイスラーム時代の
エジプト歴代王朝をはじめ、トルコ、イラン、シリア、北アフリカ、
イベリア半島などイスラーム世界の各地域の陶器を集めている。


(中庭)

建物の裏にはオブジェがあちこちに置かれていた。






(重力はどうなっているのだろう?)

イスラーム陶器博物館を見終えて、次にどこに行くかを思案。

結局スーパーのカルフールがあるモールに行ってみることにした。

最寄の地下鉄駅までタクシーで行き地下鉄に乗る。


(派手な地下鉄)

地下鉄を乗り継いでいくこと30分、ハダーイク・イル・マアーディ駅で下車。

そこは思いがけずも日本大使館の最寄り駅でもあった。


(大使館の道案内)

駅を出てタクシーを拾い20分余り目的地のモールに到着。

モールはヨルダンのそれよりはかなり広かった。


(モール内)


(フード・コート)


(お馴染みの米系資本の店)


(遊戯施設)

カルフールに入ってみる。

リュックをそのまま店内に持ち込むことは禁じられているようで
ビニール袋の中に入れて厳重に封をされた。


(包まれたリュック 資源の無駄使いのような?)


(カルフール店内 どこも同じようだ)

モールを出た我々は、タクシーで地下鉄駅へと向かう。

時間は16:00ごろで早めの夕食をとることにする。

夕食は前にも行ったタイ料理店である。
この前に行ったときの印象が非常によかったので、エジプト最後の夕食は
タイ料理で決めようとこの前から決めていた。

地下鉄を乗り継いだあとタクシーを捕まえる。
そのタクシーはいまだかって見たことのないようなぼろタクシーであった。


(写真以上に座席、備品類の損傷は凄かった)

17:00 タイ・レストランに到着。

早速、トムヤムクン、ビール、ワインなどを頼む。


(タイ料理)


(デザート)

タイ料理を楽しんだ我々は荷物を引き取るためタクシーでホテルに戻り、
そのままカイロ空港に向かった。

22:00 離陸

飛行機からのカイロの夜景がきれいだった。


(上空からのカイロの灯)

23:15 ヨルダン、アンマン空港に着陸。

24:15 自宅着。

こうして11日間にわたるエジプト旅行は無事終わった。
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エジプト旅行 10日目 (黒砂漠 オアシス 温泉 カイロへ戻る)

2010-02-08 | エジプト個人旅行記
5月27日 晴れ

5:00過ぎに目が覚めた。
砂漠の夜は寒いと聞いていたが、そんなに寒くはなく快適だった。

まだ夜明け前である。


(夜明け前)

暫らくすると辺りが明るくなり日の出を感じさせる。


(砂漠の日の出)

辺りを散歩してみる、フェネックを見かける。
仲間はいないようだ。


(単独行動のフェネック)

またドライバーのアハマッドさんが夜明けのお祈りをしている姿が見られた。

こっそりとシャッターを切る。


(聖地メッカに向かってお祈り中のアハマッドさん)

7:00前 お祈りを終えたアハマッドさんが朝食を準備してくれる。


(朝食)

朝食後、ゴミなど残さぬように袋に入れる。

7:40 車は出発。


(砂漠をあとに)

途中の木々のあるところがオアシスらしい。


(緑の木々が見えてくる)

ちょっとオアシスにある小さな村に寄ってみる。


(村への道は舗装されている)

オアシスの歴史は古く、古代から棗ヤシが採れ、
現在では輸出しているところもあるそうだ。

我々が訪れた村には共用の鉱泉もあった。


(鉱泉 浸かることもできるようだ)


(鉱泉を汲み上げているらしい)


(かなりの湯量で温かい)

オアシスの村を後にし黒砂漠へと向かう。

黒砂漠は月面写真で見たような風景である、礫石は確かに黒ずんでいる。


(黒砂漠風景)


(月面のような黒砂漠)

小高い山がありアハマッドさんに登ってみることを勧められる。


(この小高い山に登ってみた)

15分ほどかけて登ってみると360度のパノラマが開けた。


(パノラマ風景 真ん中下にあるのが我々の四駆車)





黒砂漠の探索を終え、車は昨日ランチを食べたホテルのある
バハレイヤ・オアシスのバウィーティ村へと向かった。

ホテルに行く前に少し村の博物館や遺跡群を廻ってもらうことにする。

まず考古局博物館に寄る。


(考古局博物館を示す標識)

バウイーティから6kmの地点(キロ・シッタ)から発掘され、鮮やかな彩色が
施されたグレコローマン時代(紀元前4世紀頃)のミイラ3点が展示されていた。

このキロ・シッタの地点では1999年3月に、なんと106体もの
ミイラが発見されたところである。
その周辺には1万体にも及ぶミイラが埋葬されている可能性もあり
すべてを発掘するには50年以上も要するのではと言われているそうだ。

あと近くの遺跡群をいくつか探索する。

写真撮影が許されていないのが残念であった。


(墳墓郡バンネンティウの墓を示す標識)

バンネンティウは古代エジプト末期王朝時代(紀元前6世紀頃)の
リビア系大金持ちで、ワインをテーベ(ルクソール)などに輸出することにより
巨万の富を得たそうだ。

すぐ横にはバンネンティウの父であるジェドアムンエファンクの墓もある。


(バンネンティウの父ジェドアムンエファンクの墓の標識)

次に砂漠の中に残る遺構アレクサンドロス大王(紀元前4世紀頃)の神殿に向かう。

ここは保存状態がよくなく、往時の姿を想像するのは難しかった。


(土器などが散らかったままのアレクサンドロス大王の神殿)

最後に第26王朝時代の(紀元前6,7世紀頃)アイン・イル・マフテラ神殿に行った。

神殿は損壊を防ぐため屋根で覆われており、現在も修復作業が続けられている。


(屋根を覆われたアイン・イル・マフテラ神殿)

いくつかのマイナーな遺跡を廻ってみたが、まだまだ発掘なり整備が
不十分で、今後まだ暫らく時間がかかりそうとの印象を受けた。

11:45 遺跡群の小探索を終えホテルに到着。

このホテルには鉱泉がある。

今回の旅行でこの温泉に浸かるのも大きな楽しみの一つであった。


(着替え用の部屋を借りる)

温泉は円形で深さが2mほどもあった。

ちょうど60cmの深さまでお湯がたまったので入ってみると
湯かげんもよく、砂漠キャンプの疲れが癒され快適だった。


(のんびり温泉に浸かれた)

温泉から上がり、着替えを済ませホテルが準備してくれた昼食をいただく。
もちろん風呂上りのビールをもらう。

昨日いたカナダ人夫婦もまだ滞在中で、ランチを食べていた。
砂漠ツアーには行かずのんびりしていたそうだ。

14:30 昼食後、日本人のオーナー夫人と少し話したあと、
アハマッドさんの運転でバス停まで送ってもらう。

15:00 バス出発


(クーラーの効いた快適なバス)

走行時間は5時間ほどである。

20:00ごろバスより美しい日没を見る。


(カイロ近くに沈む太陽)

20:15 バスは来たときの出発駅とは違って、
ピラミッド近くの地下鉄ギザ駅が終点である。

バス停からギザ駅まで歩かなければいけない。

迷っていると老人が着いて来いというので、そのまま着いていき
4,5分歩いて無事駅に着くことができた。


(地下鉄ギザ駅構内)


(地下鉄のホーム)

老人が案内してくれたお陰でスムーズに乗車することができた。

老人は出張で地中海沿岸の都市アレキサンドリアまで行くとのこと。


(彼がギザ駅まで案内してくれた)

老人と別れて地下鉄を降り、ホテルに向かう。

21:00 ホテルに戻る。

フロントに預けていた荷物を受け取り部屋に行く。

軽くシャワーを浴びたあと、先日と同じくホテルのレストランで
ビールを中心とした夕食をとる。

23:00 就寝。
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エジプト旅行 9日目 その2(白砂漠 キャンプ)

2010-02-01 | エジプト個人旅行記
四輪駆動車は本格的な白砂漠の見どころであるSpotへと向かう。

ほどなく風景が変わり、白色の奇岩の数々が現われる、


(風景)


(白砂漠)

以下は奇岩の数々である。


(奇岩の数々)




(マツタケのような)




(泡が盛り上がったような)


(スフィンクスあるいはラクダ)


(きのこと鳩)


(なんだろう?トナカイ?)


(お椀のような)

18:45 お椀のような奇岩のところで車は停まる。

何かと思ってドライバーのアハマッドさんに聞くと、
今夜はここでキャンプをはると言う。
周りには我々3人を除いて誰もいない。

私は何人かのグループが集まって形成されるキャンプを想像していたため
かなり驚き、ビビッタ。
ホテルに戻ることを提案しようかとも思った、今ならそんなに遅くはならない。

妻の様子を窺うと、特にためらった様子もなくテント張りを手伝っている。
こんな時は女の方が度胸がすわるようだ。

気を取り直して覚悟を決めた。


(テントを張る)

キャンプは陣幕を張っただけのものと小さなテントだけである。


(手前のテントで妻が休み、私は陣幕のところでアハマッドさんと寝た)

キャンプ造営が終わるとアハマッドさんが夕食を準備してくれる。


(慣れた手つきのアハマッドさん)

20:00ごろであろうか、日も暮れてきて砂漠に沈む太陽が美しい。


(砂漠に沈む太陽)

火を手早く上手におこす。


(チキンを焼いてくれた)


(スープができた)


(キャンプとはいえかなり豪華な夕食だ)

どこからかキツネに似たフェネックがやってくる。

こんな砂漠のなかに動物がいるのは驚きだ。


(大きな耳が可愛い)


(仲間とともに近づいてくる)

22:00 就寝。

妻はテントの中で、私はアハマッドさんと陣幕の横で夜空を眺めながら眠りにつく。

満天の星空が砂漠を覆っているようだ。

夜中、手元のペット・ボトルがガリガリ鳴っていた。
どうもフェネックがいたずらしていたようだ。

妻の方にもフェネックがテントをガリガリといたずらにきていたそうだ。
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