風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

ヨルダン最後の買い物 ペルシャ絨毯

2010-03-22 | ヨルダン事情・暮らし・気質
我々の帰国があと数日に迫った3月20日、かねてから狙っていたカーペットを買いに行った。

これまでシリアやエジプト、ヨルダン国内でもいくつかのカーペット店を廻ったが
結局値段と物との関係かよくわからず、また品質も我々の眼では判断しにくいこともあって
イラン製品に特化しアンマンでも高級品を多く扱ってそうなこの店で買うことにした。


(看板にイラン製カーペットと書いてある)

買うものは決まっている、オールシルクの織の細かい玄関用の最高級品である。
日本ではペルシャ絨毯としても知られている代物だ。

ペルシャ絨毯には3ランク有り、1cmの幅に何回織り込むか(ステッチ)でランクが分かれるらしい。
ステッチは8、10,13の3種に分かれる。
やはりステッチ数が多くなるほどシルクの光沢が現れ美しい。

もちろん今回我々が求めているのは13ステッチの最高級品である。

これまで何回か妻と、あるいは単独で値段交渉に出かけている。

しかしここの主人はなかなかしぶとく、JD700からなかなか譲らない。
この親父はヨルダン人だが奥さんがイラン人でイランとは関係が深く、
その関係でペルシャ絨毯を専門として商売しているようだ。


(タフ・ネゴシエーターの親父)


(大小取り混ぜて置いてある)




我々の希望価格はJD600である。

なんとか「Best Price」と言い続けJD650にまで下げさせたが、
それ以上は何回行っても下げてくれない。

今日は最後の交渉のつもりだ、スーツの内ポケットにJD600を忍ばせておく。

店でJD600と言うがいつものごとく譲らない。
最後の手段でJD600を内ポケットから差し出して迫ったが譲らない。

埒があかないので、ズボンのポケットにあったJD10を差し出す、
ようやく親父はJD640に下げた。

親父曰く「これは最高級品で大阪に行けばJD1500で売っている」と強気である。
また「これは直ぐに売れてしまう人気品だ、今まで残っていたのはラッキーだ」とまで言う。

このあたりが潮時と思い、妻にJD20を出させJD630を提示。
なんとか交渉成立、お互いの健闘を讃えあった。
日本円でおよそ8万円の買い物であった。

高いのか安いのかはよく分からない。
高かったとしたらそれはお世話になったヨルダン国へのささやかな寄付と考えている。


(戦い終えて満足気な親父の顔)

買ったカーペットは細かい花柄で、シルク独特の光沢が有り光の加減で色が変わる
なかなかのものである、自分としては満足している。


(光線によって光沢、色が変わり美しい)

最高級の品物にはそれぞれ産地と織り手の名前が織り込まれている。


(カーペットの端に織り込まれたサイン)

それによると我々が購入したものには「イラン コム シラジー」と織られており
イランのコム市でシラジーという人によって織られたそうだ。


(コム市は首都テヘランの南約290kmに位置している)

イランには絨毯を織ってる町が多数あるそうだ。
しかし親父によるとコム市はシルクだけに特化した町で
最高級品だけを出荷してる町として有名だそうだ。

最後の買い物を終えた我々は23日の16:30の飛行機で日本に向かう。
ドバイ、関空と乗り継ぎ羽田着は24日の19:55の予定である。

横浜の自宅に着くのは22:00頃(ヨルダン時間の15:00)であろうか。
おおかたまる一日の長旅だ。

今は引越し荷物の準備でバタバタのなか、ちょっと寂しい気持でPCに向かっている。
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ヨルダンの奨学生

2009-10-05 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はエジプト旅行を一旦離れて、先日訪れたヨルダン人家族について触れたい。

どこの国でも学費に苦慮している若者は多い。
そんな彼らにとって奨学金制度は非常にありがたいものだ。

ヨルダンにも奨学金はいくつかあるようである。

その一つに青年海外協力隊員を中心として、また在ヨルダンの日本人達の協力を得て
運営されているオルドン奨学基金団がある。

奨学金としては年間最大で800JD(約112,000円)が提供される。

私も前任者からの依頼を受けて、現在、私立大学で経営学を専攻している
19歳の女性の後見人を務めている。

彼女の場合、年間の授業料は2,400JDほどなので、奨学金により
カバーされるのは年間授業料の1/3となる。

後見人の役割は、団体に応募者の推薦をし、奨学金を受ける資格を得た場合は
相談相手、受領者と団体との連絡係りといった役回りである。

私が後見人となっている彼女の家族はベドウィン出身であり、
今から8年前の2001年にアンマンの南およそ320kmの
サウジアラビアの国境に近い砂漠地帯であるワディ・ラム近くの村から
アンマン郊外に引っ越してきたそうだ。

しかし1年後、彼女が12歳の時に父は亡くなっている。
彼女の家族構成は現在60歳の母と2人の姉、6人の兄、そして1人の妹と彼女を含めて11名の大家族であり、うち彼女を含めて6名が学生である。
高校生の妹を除いて皆が大学に入学したようだ。

概してヨルダン人は教育熱心と聞く。

また最近一人が失職したこともあり職を得ているのは3名だけである。

ヨルダンでは気に入った仕事がない場合は何がなんでも働くという意識は薄いようで
家族全体で助け合うということが、ごく普通のようである。

そんな家族をラマダン(断食月)明けの祝日休暇を利用して22日に訪ねてみた。


(郊外の彼女の家 壁の赤い箱は新聞受け)

家に着くと家具の整った応接間に案内され、早速アラビア・コーヒのもてなしを
受けた。
そのあと、さらにお茶のサービスを受ける。

ちょうどお昼過ぎのランチ時だったこともあり、マグルーバをご馳走になる。
マグルーバとはひっくり返すとの意味で、鍋をひっくり返して大皿に盛ることから
この名がきたらしい。


(マグルーバ とり肉、カリフラワー、ジャガイモが入っている)

デザートとしてトウモロコシの粉を焼いてシロップに浸けたものと
トルキッシュ・コーヒーをいただく。

食事後、家族の写真を撮らせてもらう。

休暇を利用してワディ・ラムに嫁いだお姉さんの子供たちも来ており、
末の4歳の子は正装して写真を撮らせてくれた。

ラマダン明けの休暇はアラブの人にとっては、日本のお正月のようなものらしい。


(左端と真ん中は姉の息子達13歳、4歳)


(正装した4歳の子)

彼女は将来において生まれ故郷であるワディ・ラム近くの村に
帰りたいと思っている。 
そこはベドウィンとしての習慣・文化が強く残っているところであり女性たちの地位も低いようだ。

その地で彼女は女性の自立を助けるべく主婦や広く女性が収入を得られるような仕事を見つけ、
開発し、それをサポートする組織なり仕組みを作りたいと考えている。

この夢の実現はいつのことかわからないが、まさに今は第一歩であり
彼女の夢が実現することを望んでいる。
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ヨルダン技能競技大会

2009-06-29 | ヨルダン事情・暮らし・気質
5月10日よりの4日間「ヨルダン技能競技大会」が開催された。

大会は毎年1回開かれており今回で3回目である。
参加者はヨルダン各地にある40以上の職業訓練所より選ばれた訓練生たちで
今回は150名(内女性22名)であった。
訓練所は労働省の管轄下である。


(競技会を知らせるポスター)

大会は3つの訓練所に分かれて行われた。
わたしも関係している訓練所の生徒が5名参加するというので
主会場Ain Al-Basha訓練所に視察がてら行ってみた。

Ain Al-Basha訓練所はアンマン市の北西15kmくらいのところで
バスで30分のところに位置している。

入口のところには横断幕が張られていた。


(会場を示す横断幕)

ここは訓練所の中で最も大きく訓練生はおよそ1,000名と聞く。


(校舎)

開会式には労働大臣も参加するという話で、訓練生が大臣を迎える練習をしていた。
ヨルダンでは大臣が来るときは特別のプロトコルがあるようで、
拍手をしたり声をあげたり、挙手をしたりなど特別なものであった。


(全員たすきをかけて大臣を迎える練習)


(後援の組織を示す立看板)

訓練公社総裁、工業会議所、JICAなどの関係者がそろったところで開会式が始まる。
どうやら大臣は不参加のようである。
大臣を迎える練習をしていた訓練生たちにはちょっと気の毒。


(開会式 右は国王の肖像カーペット)

開会式のあといよいよ競技開始。

主会場では理容、アルミニウム加工、屋内配線、溶接、木工、機械加工、
自動車板金塗装、配管の8種目が行われた。
他の美容、縫製は女子の訓練所で、また菓子製造は別会場で行われた。


(アルミ加工競技場)

板金の競技会場では「板金」の漢字もみられた。
以前訓練所を訪れたとき漢字でどう書くのかと聞かれたが、このためだったらしい。


(漢字で示された自動車板金塗装競技場)


(自動車板金塗装競技場)


(機械加工競技場)


(溶接競技場)


(屋内配線競技場)


(木工競技場)


(理容競技場)

競技の結果、わたしが関係している訓練所からは機械加工で金、木工で銅と
2人のメダリストを出しまずまずの成績だった。

5月14日には場所を変えてアンマン工業会議所で閉会式が行われた。


(閉会式)

メダリストには金が30,000円、銀が22,500円、銅が15,000円の
小切手が手渡された。
また金メダリストを育てたインストラクターにも15,000円の小切手が授与された。


(表彰式)

もちろんわたしが関係している訓練所の金メダリスト、ムハンマド君も表彰式に参加し、
さらにお父さんも息子の晴れ姿を見にやってきて誇らしげであった。


(金メダリスト ムハンマド君と父親)

後日、写真をプレゼントすると非常に嬉しそうであった。

今後このような競技会などを通してヨルダン国の技術水準が向上し、
将来的に「世界技能オリンピック大会」に参加できるようになれる時期が
早く来ることを願っている。

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アンマンの100円ショップ

2009-04-20 | ヨルダン事情・暮らし・気質
我々が一時帰国中に日本企業の進出による100円ショップが
開店したというので早速行ってみた。

場所は我家からタクシーで20分ほどのところにある
イスタクル・モールの中である。


(タクシーからモールに向かう途中の建設中のビルを望む)

ほどなくモールに到着。

外壁にはショップの名がアラビア語、英語で示されており
「日本の最も価値のある店」と宣伝されていた。


(イスタクラル・モール)

最近アンマンにはヨーロッパ系のスーパーが入ったシティ・モールなどができ、
このモールはさほど繁盛してる感じではない。

モール内にも大きく垂れ幕などで宣伝している。


(垂れ幕)

店に入ると中はかなりの広さである。


(店内)

商品の品揃えも豊富で日本のそれと遜色はないようだ。


(キッチン用品)

妻は一時帰国中、ヨルダンで使うべく何かと品物を買ったようだが
かなりの品物がここで売られており歯軋りすることしきりだった。


(雑貨用品)

しかし値段は日本のように100円とはいかず、基本的には2JD(300円)と
ちょっと高めである。
これも輸入してくる関係でいたしかたないのかと思ったりもする。

しかし現地の同僚に言わせると、もともとこれらの品は中国などで
作られてるものが多いからもっと安くてもいいはずだとの声もある。


(文房具品)


(ねずみ捕りなど)

ヨルダンにおいて一般的に店員は、とくに女性の場合は無愛想なのだが
ここでは日本からの店員教育のせいであろうか親切で愛想よさが目立った。


(写真の依頼に応じる愛想のよい店員)

また商品を整理整頓したり補充する姿も頻繁にみられた。


(商品補充、点検の店員)

店員によるとこの店はすでに以前から中東進出はしており
ドバイに7店、サウジアラビアに3店、レバノンに3店もあるそうだ。
確実に中東の人々に受け入れられている証拠であろう。

さらに5月には我家からタクシーで10分のところにあるメッカ・モール内にも
ヨルダンでの2号店を開店するそうだ。

この100円ショップの進出によって我々日本人の生活の利便性は大いに向上したようだ。

今後も数多くの日本企業が進出して、サービス法や技術の移転と同時に
ヨルダン人や我々日本人の利便性にも貢献してくれたらと願っている。




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書籍・マガジン事情

2009-01-11 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はヨルダンの書籍・マガジン事情について記したい。

アンマンには独立した本屋さんもいくつかあるが、我々がよく行くのは
モールに併設された書店だったりマガジン売場である。

Cozmoにあるマガジン売場に行ってみた。

売場には外人客にフォーカスを当てているCozmoの性質か輸入雑誌も多く見られる。


(輸入雑誌1 Cozmoにて))

雑誌の表紙には女性モデルで飾られている物も多く、ポーズも大胆だ。


(輸入雑誌2 Cozmoにて)

しかし輸入雑誌ばかりでなく、アラビア語の雑誌も多く置かれている。
しかもそれらの表紙は女性モデルでカバーされてるばかりでなく、
それぞれのモデルはヒジャブ(頭を覆うムスリム独特のスカーフ)を着けることなく
肌の露出も多くポーズも輸入雑誌同様大胆であり、
ここがイスラム国であることを忘れさせてしまうほどだ。


(女性が表紙を飾るアラビア語雑誌)

新聞のスタンドもあり英字紙、アラビア語紙の両方あるが、さすがに英字紙は少ない。


(新聞のスタンド)

アラビア語の新聞にも風刺漫画が載っており、先日、職場の同僚が
メールしてきてくれたのが興味深かった。

彼に言わせればアラブ人の全てがアメリカ嫌いというほどであるが、
確かにアラブ人のアメリカ嫌いは根強いようだ。

そのせいかアメリカを揶揄したものが喝采を受けるようだ。

送ってきてくれた1つはNYの貿易センタービルを2機の旅客機が襲った911を模したもので、
名付けて1214 Attack、2つの靴がブッシュ大統領を襲うものだった。


(1214 Attack)

もう一つは引きずり倒されたイラクのフセイン元大統領の銅像に代わって
ブッシュ大統領像を描いたものだ。


(Bush銅像 右は引き倒されたフセイン像)

書籍売場の方へいくとそこはほとんど英書ばかりであった。
やはり外人に焦点をあててるようだ。


(新刊コーナー インディー・ジョーンズ、ヒラリー、ガンジーの関連本が見える)

ここではほとんどヨルダン人は見かけなかった。


(ビジネス書)

キッズ・コーナーではクッションも置かれゆったりできるようだ。


(子供本コーナー)

ほかの店はどうかと思いバラカ・モールにも行ってみた。
ここも輸入雑誌が多いようだ。


(輸入雑誌 バラカ・モールにて)

しかしCozmoと違ってアラビア語の本も置かれていた。


(アラビア語本 伝記ものだろうか)

英語版のアラビア語訳と思える本もあった。


(キッシンジャー本のアラビア語訳)

絵本はやはり輸入物だった。


(絵本)

バラカ・モールの書店で驚いたのは日本のマンガ本の英訳版が置かれていたことだ。
種類はアクション物や少女向けなどかなりの数があった。


(マンガ 上はドラゴンボール 下は少女マンガ)

店員もマンガという単語を使っており、ここでも認知された言葉のようだ。

同僚達に聞いてみると、ヨルダンでもじゃんけんがあるらしい。
これはTVの影響で、日本のアニメを観てのことらしくここ10年くらいの現象だそうだ。

さらに日本語学習の動機として「マンガを日本語で読みたいから」というのもあると聞く。

日本のアニメの普及は我々が想像する以上である。

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