昨年、2008年のことになるが晩秋の11月21日(金)より3泊4日で
4つの世界遺産を巡るべくシリアに旅行に行ってきた。
正式国名はシリア・アラブ共和国、国土面積は日本の約半分(18.5万平方km)、
人口は1、836万人(2006年推定)である。
ヨルダン国の北に位置しアンマンから国境までは約100kmだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ea/6777be96aae0a895d37628ec666675ba.png)
(シリア・アラブ共和国)
シリア国旗は我々に一般的には馴染みがないが、赤は剣と革命、白は善と平和、
黒は過去の戦いの歴史、2つの緑の星は豊かな台地とアラブ諸国の団結を意味している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/58/57cb8d6a1ff8e4ffd3449ab73b31ef1f.jpg)
(シリア国旗)
シリアは共和制、大統領制をとっており、現在のアサド大統領は前の大統領の息子である。
現行憲法は1973年に制定されたもので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、
基本的には社会主義的計画経済を維持しながらも、民間資本の導入と規制緩和を中心とした
現実的な経済政策を採用しているらしい。
アンマンの北約350kmに位置するシリアで3番目に大きな町であるホムスに知人がいる。
今回はその知人を訪ねての旅である。
初日にヨルダンと国境沿いの世界遺産、古代都市ボスラを観たあとダマスカスで知人に会い、
そのままホムスに向かい宿泊。
2日目は知人の案内でホムス近郊の世界遺産である天空の城クラック・デ・シュバリエほか
ハマ、アパメアの名所・旧跡を観光後、地中海沿岸の町タルトゥースまで足を延ばし
地中海を望んだ後ホムス泊。
3日目は世界遺産で古代都市のパルミラ観光後ダマスカスに向かい宿泊。
4日目にはこれまた世界遺産のダマスカス市内観光後アンマンに戻る。
以上のような予定であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/7a/a259cceccb4d8264e8fd82c31f24c462.png)
(上よりアパメア、ハマ、タルトゥース、クラック・デ・シュバリエ、
ホムス、パルミラ、ボスラの順 赤印は宿泊した場所である)
4日間で4つの世界遺産を巡るという慌ただしい旅であったが次回以降順次紹介していきたい。
4つの世界遺産を巡るべくシリアに旅行に行ってきた。
正式国名はシリア・アラブ共和国、国土面積は日本の約半分(18.5万平方km)、
人口は1、836万人(2006年推定)である。
ヨルダン国の北に位置しアンマンから国境までは約100kmだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ea/6777be96aae0a895d37628ec666675ba.png)
(シリア・アラブ共和国)
シリア国旗は我々に一般的には馴染みがないが、赤は剣と革命、白は善と平和、
黒は過去の戦いの歴史、2つの緑の星は豊かな台地とアラブ諸国の団結を意味している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/58/57cb8d6a1ff8e4ffd3449ab73b31ef1f.jpg)
(シリア国旗)
シリアは共和制、大統領制をとっており、現在のアサド大統領は前の大統領の息子である。
現行憲法は1973年に制定されたもので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、
基本的には社会主義的計画経済を維持しながらも、民間資本の導入と規制緩和を中心とした
現実的な経済政策を採用しているらしい。
アンマンの北約350kmに位置するシリアで3番目に大きな町であるホムスに知人がいる。
今回はその知人を訪ねての旅である。
初日にヨルダンと国境沿いの世界遺産、古代都市ボスラを観たあとダマスカスで知人に会い、
そのままホムスに向かい宿泊。
2日目は知人の案内でホムス近郊の世界遺産である天空の城クラック・デ・シュバリエほか
ハマ、アパメアの名所・旧跡を観光後、地中海沿岸の町タルトゥースまで足を延ばし
地中海を望んだ後ホムス泊。
3日目は世界遺産で古代都市のパルミラ観光後ダマスカスに向かい宿泊。
4日目にはこれまた世界遺産のダマスカス市内観光後アンマンに戻る。
以上のような予定であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/7a/a259cceccb4d8264e8fd82c31f24c462.png)
(上よりアパメア、ハマ、タルトゥース、クラック・デ・シュバリエ、
ホムス、パルミラ、ボスラの順 赤印は宿泊した場所である)
4日間で4つの世界遺産を巡るという慌ただしい旅であったが次回以降順次紹介していきたい。