風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア・アラブ共和国、および旅の概要

2009-01-26 | シリア旅行記(2008年版)
昨年、2008年のことになるが晩秋の11月21日(金)より3泊4日で
4つの世界遺産を巡るべくシリアに旅行に行ってきた。

正式国名はシリア・アラブ共和国、国土面積は日本の約半分(18.5万平方km)、
人口は1、836万人(2006年推定)である。
ヨルダン国の北に位置しアンマンから国境までは約100kmだ。


(シリア・アラブ共和国)

シリア国旗は我々に一般的には馴染みがないが、赤は剣と革命、白は善と平和、
黒は過去の戦いの歴史、2つの緑の星は豊かな台地とアラブ諸国の団結を意味している。


(シリア国旗)

シリアは共和制、大統領制をとっており、現在のアサド大統領は前の大統領の息子である。
現行憲法は1973年に制定されたもので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、
基本的には社会主義的計画経済を維持しながらも、民間資本の導入と規制緩和を中心とした
現実的な経済政策を採用しているらしい。

アンマンの北約350kmに位置するシリアで3番目に大きな町であるホムスに知人がいる。
今回はその知人を訪ねての旅である。

初日にヨルダンと国境沿いの世界遺産、古代都市ボスラを観たあとダマスカスで知人に会い、
そのままホムスに向かい宿泊。

2日目は知人の案内でホムス近郊の世界遺産である天空の城クラック・デ・シュバリエほか
ハマ、アパメアの名所・旧跡を観光後、地中海沿岸の町タルトゥースまで足を延ばし
地中海を望んだ後ホムス泊。

3日目は世界遺産で古代都市のパルミラ観光後ダマスカスに向かい宿泊。

4日目にはこれまた世界遺産のダマスカス市内観光後アンマンに戻る。

以上のような予定であった。


(上よりアパメア、ハマ、タルトゥース、クラック・デ・シュバリエ、
ホムス、パルミラ、ボスラの順 赤印は宿泊した場所である)

4日間で4つの世界遺産を巡るという慌ただしい旅であったが次回以降順次紹介していきたい。
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エジプト旅行企画

2009-01-19 | エジプト個人旅行記
現在エジプト旅行を企画している。

アンマンからエジプトのカイロまでは約500km、
飛行機で1時間20分ほどの近さである。
ヨルダンに住んでいて行かない手はない。

時期は何でも高くなる12月~3月のハイシーズンを避けたいのと、
ヨルダンでの就労ビザの更新時期を配慮して5月を考えている。

一旦ビザの更新でパスポートをヨルダン国の関係部署に渡すと1ヶ月くらいは
戻ってこないこともあるらしい。
我々の更新時期は4月である。

中欧旅行と同じく個人旅行であるが今回は先の中欧旅行とは
違ってレンタカーの利用は止めとした。

話によるとエジプトの交通事情・運転事情はここアンマン以上に悪いらしい。
アンマンでの運転さえびびって控えてる身、エジプトでの運転なんてとんでもないといったところだ。

調べてみると日本の旅行社で海外在住者向けであろうか、エジプト国内で十数種の
オプショナル・ツアーを用意していて、それを選択しながら自由に自分の旅行を
組み立てられるサービスを提供している会社がいくつかネット上にあるようだ。

早速ネット経由で自分の訪問したい希望の地を入力する。
今後二度とエジプトは訪れる機会がないと思い、有名どころはおおかた網羅した。

数日後、旅行日程とホテル代やエジプト国内の飛行機代を含む旅行代金明細が送られてきた。

それは4泊5日の豪華船によるナイル河クルーズ(ツイン使用で二人で約11万円)や
2泊3日での砂漠でのキャンプを含む11日間の予定であったが、
料金が一人当たり25万円余りといささか高額である。
もちろん、この中にはアンマンーカイロの往復航空機代は含まれてない。

そのため以下の変更を依頼した。

1.ナイル河クルーズを3泊4日の中級(ツイン使用で二人で約7万円)に変更

2.砂漠でのキャンプを止めて日帰り砂漠ツアーに変更

砂漠でのキャンプは満天の星が見られるのと、砂漠でのバーベキューが売りだが
キャンプの性質上、トイレ設備がない。
「まわり全てがあなたのトイレだ」と旅行社は言うが妻には不自由だろう。

また砂漠でのバーベキューもヨルダンでアラビア料理に数多く接してるため
それほどの魅力を感じない。

また同様のキャンプがヨルダンの南部ワディ・ラムでも経験でき、
そこでは設備の整ったホテルもあることからそちらに譲ることとした。

変更の結果、見積もりは21万円ほどに下がった。


(カイローバハレイヤ・オアシス(砂漠)ーカイローアスワンーアブシンベル
ーアスワンー(クルーズ)ールクソールーカイローアレキサンドリアーカイロと廻る)

旅程は以下を予定している。

1日目  アンマンーカイロ移動(飛行機) カイロ泊

2日目  ギザのピラミッド、カイロ市内など観光  カイロ泊

3日目  カイローバハレイヤ・オアシス移動(バス) 
      黄金のミイラ、26王朝の墓など見学  バハレイヤ・オアシス泊

4日目  黒砂漠、白砂漠オフ ロード・ドライブ
      バハレイヤ・オアシスーカイロ(バス) カイロ泊

5日目  カイローアスワンーアブシンベル移動(飛行機)
      アブシンベル神殿、音と光のショー見学  アブシンベル泊

6日目  アブシンベルーアスワン移動(飛行機)
      ファルーカでナイル河遊覧  クルーズ乗船  キャビン泊

7日目  クルーズ船で移動
      未完のオベリスク、ハイダム、コムオンボ神殿など見学 キャビン泊

8日目  クルーズ船で移動
      ルクソール神殿など見学  キャビン泊

9日目  クルーズ船で移動 メムノンの巨像、王家の谷など観光 
      クルーズ下船 ルクソールーカイロ移動(飛行機)  カイロ泊

10日目 カイローアレキサンドリア移動(バス)
      古代からの国際都市アレキサンドリア観光  
      アレキサンドリアーカイロ移動(バス)  カイロ泊

11日目 カイローアンマン移動(飛行機)

日程は10泊11日であるが、日本発の旅行でいえばカイロまでに要する
往復の時間を考えると13日、14日間くらいに相当するであろうか。

満足できる内容ではあるが、それでも一人21万円は私にとっては高い。
さらにアンマンーカイロ間の飛行機代約3万5千円が追加で必要であり総額24万5千円となる。

目標としてはアンマンーカイロ間の飛行機代も含めて総額20万円に限りなく近づきたいと考えている。

そのためとして以下を考える。

1.カイロ空港でのエジプト入国査証手続きサービス(約2,000円)は自分でやる

2.空港ーホテル間の移動サービス(1回平均1,500円)は自分でタクシーなどをアレンジする

3.カイローバハレイヤ・オアシス(砂漠)パッケージ1泊2日コース(42,900円)は割高のため、
コースをやめ自分でホテルを予約し、移動は一般バスを利用(片道4.5時間)、
また砂漠観光は一般のツアーを予約する

4.エジプト国内の航空券の購入をアンマンーカイロ間の購入と同時にやることを検討
(国際航空券を購入するとエジプト国内の航空機代は半額との話もあるが、反面国内航空券は
旅行会社に抑えられていて一般客では手に入りにくいともいう、真偽は定かでない)

これらのことを検討してしていくらかでも安く旅行できればと思っている。

全ての手配などが完了するのは4月に入ってのことであろうか。
決定次第、報告したい。
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書籍・マガジン事情

2009-01-11 | ヨルダン事情・暮らし・気質
今回はヨルダンの書籍・マガジン事情について記したい。

アンマンには独立した本屋さんもいくつかあるが、我々がよく行くのは
モールに併設された書店だったりマガジン売場である。

Cozmoにあるマガジン売場に行ってみた。

売場には外人客にフォーカスを当てているCozmoの性質か輸入雑誌も多く見られる。


(輸入雑誌1 Cozmoにて))

雑誌の表紙には女性モデルで飾られている物も多く、ポーズも大胆だ。


(輸入雑誌2 Cozmoにて)

しかし輸入雑誌ばかりでなく、アラビア語の雑誌も多く置かれている。
しかもそれらの表紙は女性モデルでカバーされてるばかりでなく、
それぞれのモデルはヒジャブ(頭を覆うムスリム独特のスカーフ)を着けることなく
肌の露出も多くポーズも輸入雑誌同様大胆であり、
ここがイスラム国であることを忘れさせてしまうほどだ。


(女性が表紙を飾るアラビア語雑誌)

新聞のスタンドもあり英字紙、アラビア語紙の両方あるが、さすがに英字紙は少ない。


(新聞のスタンド)

アラビア語の新聞にも風刺漫画が載っており、先日、職場の同僚が
メールしてきてくれたのが興味深かった。

彼に言わせればアラブ人の全てがアメリカ嫌いというほどであるが、
確かにアラブ人のアメリカ嫌いは根強いようだ。

そのせいかアメリカを揶揄したものが喝采を受けるようだ。

送ってきてくれた1つはNYの貿易センタービルを2機の旅客機が襲った911を模したもので、
名付けて1214 Attack、2つの靴がブッシュ大統領を襲うものだった。


(1214 Attack)

もう一つは引きずり倒されたイラクのフセイン元大統領の銅像に代わって
ブッシュ大統領像を描いたものだ。


(Bush銅像 右は引き倒されたフセイン像)

書籍売場の方へいくとそこはほとんど英書ばかりであった。
やはり外人に焦点をあててるようだ。


(新刊コーナー インディー・ジョーンズ、ヒラリー、ガンジーの関連本が見える)

ここではほとんどヨルダン人は見かけなかった。


(ビジネス書)

キッズ・コーナーではクッションも置かれゆったりできるようだ。


(子供本コーナー)

ほかの店はどうかと思いバラカ・モールにも行ってみた。
ここも輸入雑誌が多いようだ。


(輸入雑誌 バラカ・モールにて)

しかしCozmoと違ってアラビア語の本も置かれていた。


(アラビア語本 伝記ものだろうか)

英語版のアラビア語訳と思える本もあった。


(キッシンジャー本のアラビア語訳)

絵本はやはり輸入物だった。


(絵本)

バラカ・モールの書店で驚いたのは日本のマンガ本の英訳版が置かれていたことだ。
種類はアクション物や少女向けなどかなりの数があった。


(マンガ 上はドラゴンボール 下は少女マンガ)

店員もマンガという単語を使っており、ここでも認知された言葉のようだ。

同僚達に聞いてみると、ヨルダンでもじゃんけんがあるらしい。
これはTVの影響で、日本のアニメを観てのことらしくここ10年くらいの現象だそうだ。

さらに日本語学習の動機として「マンガを日本語で読みたいから」というのもあると聞く。

日本のアニメの普及は我々が想像する以上である。

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ジャパン・フェスティバル

2009-01-06 | ヨルダンでの日本文化紹介
12月23日、24日の2日間にわたってジャパン・フェスティバルが
ヨルダン大学、日本大使館、国際協力機構(JICA)の協力のもとヨルダン大学で行われた。

今回で3回目だそうだ。

23日は日本アニメ映画の放映 和菓子の紹介
24日は日本文化の紹介である。

我々夫婦も2日目の日本文化紹介のお手伝いで参加させてもらった。


(ジャパン・フェスティバルの開催を伝えるポスター)

初日は「火垂の墓」などのアニメ映画が3本放映され、
休憩時にはせんべい、羊羹、緑茶などがふるまわれた。
ムスリムにとってお酒は禁忌であるため、せんべいの選択には
みりんのついてないものを慎重に選んだとのこと。


(アニメ放映を知らせるポスター)

2日目の24日、我々は生憎の雨の中を会場があるヨルダン大学に向かった。

ヨルダン大学については前々回の稿「ヨルダン大学」(カテゴリー:ヨルダン事情・風物詩・暮らし・気質)
で触れたためそちらをご覧いただきたい。

時計台を右に折れ並木道を通り抜けるとモダンな建物があり、
そこがジャパン・フェスティバルの会場だった。


(会場)

会場内の受付にはJICAのニュース・レターがアラビア語訳されて置かれていた。
会場前には開場前から人だかりができ、ほとんどが女子学生だった。


(アラビア語訳されたニュース・レター)

2日目は塩口ヨルダン大使のスピーチで始まる。
余談だが大使の奥様は元プロ・テニスプレーヤーの佐藤直子さんである。


(大使スピーチ 右より日の丸、ヨルダン国旗、ヨルダン大学校旗))

スピーチのあと、居合い抜き、空手道の実演があったが気迫溢れるものだった。


(空手道実演)

簡易畳みを敷いて茶道の実演も行われた。
茶道の作法には学生達の関心も高いようである。


(茶道実演)

その他、福笑い、剣玉、お手玉などを紹介する日本伝承遊び、
折り紙、着物の着付けのコーナーが設けられた。

着物は特に女子学生の興味が強いようである。


(着付けをしてもらった学生達)

我々は書道コーナーを手伝った。


(書道コーナー)

名前を聞き、その名をカタカナで書いてあげ、それを本人にも書いてもらうと言う
単純なものであったが多くの人が集まってくれた。

中には恋人同士であろうか、手をつないで二人の名前を書いてくれとゆうカップルまであらわれた。
そんなカップルには「愛」と書いてあげ意味を説明すると
はにかみながらも非常に嬉しそうだった。

ここアンマンでは、特に大学生においてはかなり自由な空気が感じられる。
夏などはとてもムスリムとは思えないほど大胆に露出した女子学生も多いらしい。


(書道コーナーに集まった多くの人)

それぞれのコーナーは2時間ほどで終了したが、書道コーナーでは500枚の用紙を
全て使い尽くすほどの盛況だった。

明けて翌日のヨルダン・タイムズにはジャパン・フェスティバルの模様が大きく
報道されており、また同紙のネットでも取り上げられていた。
そのほかにもアラビア紙や関連ネットでも記事になったようで大成功であった。


(ヨルダン・タイムズ)


(アラビア語のネットより)

以上のような企画を通して大いにヨルダン人とまた学生達と
コミュニケーションできた一日だった。
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ヨルダンのお正月

2009-01-01 | ヨルダン風物詩
2009年 元日

明けましておめでとうございます。

ここアンマンから約200km離れたパレスチナ自治区ガザで戦闘が続く中
我々はヨルダンで初めてのお正月を日本から7時間遅れで迎えた。

ヨルダンでは人口の7割をパレスチナ人が占めるといわれ、イスラエルに対する
抗議のデモなどが行われてるようだが現在のところ平穏である。

(パレスチナの詳細については以前に記した
「パレスチナ」2008-08-30  カテゴリー: ヨルダン事情・・・を参照いただきたい)

我家でも日本にならってここヨルダンでもお雑煮で新年を祝った。
いくらかでも雰囲気をだそうとあるものでおせち風にもしてみた。

お椀などの器は過去のヨルダン在住の日本人から今、我が家に受け継がれた物である。
先達の器にかけた想い、伝統の重さを深く感じる。


(我が家のおせち お雑煮は味噌味である)

イスラム暦では先月末の29日が新年だったようだが、ここアンマンでは
アザーン(モスクから流れるお祈り)がいつも以上に力強いかなってくらいで
目立って祝っている風ではなかった。
お祝いという意味では、先のラマダン明けや犠牲祭のほうが盛大なようだ。

こちらでは新年とクリスマスとは一緒くたのようである。
クリスマスのサンタなどの飾り付けもクリスマス後もそのまま新年まで
置いてある。

玄関のドアーにクリスマスと新年用のメッセージ記したものもある。


(Merry ChristmasとHappy New Yearの文字が見える)

それはお店のディスプレイでも同様である。


(ショーウィンドウにて)

また我が家の向かいの家ではクリスマス終了後の26日から玄関に飾りを付けたが、
それはどう見てもクリスマス用だった。


(我が家の向かいの玄関)

街を歩いていると、日本で新年にしめ飾りを玄関に付けるように
クリスマス用の飾り付けを玄関につけているのをよく見かける。


(玄関ドアにしめ飾り よく見るとサンタである)

今年2009年は干支によれば己丑(つちのとうし)だそうである。

ものの本によると「己」の字は、草木が繁茂し、形が整然としている状態を表しており、
また「丑」の字は「紐・からむ」意味で、芽が種子の内部でまだ伸びることができない
状態を表しているそうだ。

過去の丑年を振り返っててみると73年にはオイル・ショックに端を発したトイレット・ペーパー騒動、
85年には山一證券や北海道拓殖銀行の破綻などの金融ショック、
さらに97年には日航ジャンボ機の墜落などのような出来事が起こっている。

己丑なる漢字の字源・由来、あるいは過去の出来事などを根拠に、
あるいは類推・発展させて今年の運勢、行く末を論じてる向きもあるようだが
私自身はなんとか子供たちも含め家族ともども無難に健康で
この一年マイペースで過ごせたらと願っている。

今年もよろしくお付き合いのほどお願い致します。
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