風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

スペイン・ポルトガル旅行 5日目 その1(カスカイス、シントラ)

2010-05-27 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月6日(日)

6:50 起床

8:15 昨日と同じレストランで朝食を済ませホテルを出発。

今日はリスボンから西に大西洋沿岸のリゾート地カスカイスに向かって走り、
カスカイスを観光後海岸沿いに北上してユーラシア大陸の最西端ロカ岬経由で世界遺産であり
森に抱かれた「エデンの園」シントラに向かい、最終的には「谷間の真珠」と呼ばれる
小さな町オビドスに宿泊の予定である。


(わかりにくいが左下の青線を行く)

およその走行距離は180kmくらいであろうか。


(カスカイスに向けて走る)

カスカイスは古くからの漁師町で19世紀に王室一家の避暑地となってから
急激な変化を遂げ、今では有名なリゾート地となったようだ。


(カスカイス近くの高級住宅街 別荘?)


(海に面したカスカイスの街並み)


(海辺にあるシタデル)


(リゾート地らしい街並み)

カスカイスを離れて海岸沿いをロカ岬へ向かう。


(向こうにユーラシア大陸の最西端 ロカ岬)

ロカ岬は高さ140mの断崖である。

そこにはポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節を刻んだ石碑が建っていた。


(カモンイスの詩を刻んだ石碑)


(石碑に刻まれた文字)

石碑には「ここに地果て、海始まる」とポルトガル語で刻まれているそうで
眼前に広がる大西洋からの風をうけて岬の突端に立つとまさに”地の果て”を感じる。


(地の果てからの風景)


(140m下を望む)


(岬に生きる群生植物)


(別角度より)

ロカ岬の観光を終え世界遺産であるシントラに向かう。


(途中の地元の野菜を扱う市場)

車は緑の木々にしっとりと覆われたシントラ山系を行く。

かってイギリスの詩人バイロンはシントラを「この世のエデン」と称えたそうである。

ところどころで森に抱かれて見え隠れしていたベーナ宮殿に到着。


(顔を出したベーナ宮殿)

ベーナ宮殿建築の命を下したのはフェルディナント2世でドイツから建築家を呼び寄せ
1850年に完成した。


(各様式の寄せ集めが魅力的)

この宮殿ははイスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなど各様式の寄せ集めであるが、
それがまた魅力的である。



ところで建築を命じたフェルディナント2世は、ドイツのフュッセンにあるかの有名な
ノイシュバンシュタイン城を築かせたルートヴィヒ2世とはいとこ同士だそうである。


(ベーナ宮殿からの風景)

宮殿をあとにして王宮のあるシントラの街の中心部に向かう。

王宮は14世紀にジョアン1世によって建てられかっての王家の夏の離宮だったそうだ。


(王宮)


(高さ33mの巨大な煙突)


(内部には大きなアズレージョも)




(天井)


(大きな鍋がいくつも置かれたキッチン)


(王宮からの風景)


(王宮から別角度を望む)

シントラを離れて今日の最終目的地オビドスに向かう。

シントラには観光馬車も多く暫らくは馬車の後ろをゆっくり走った。


(馬車のうしろをゆっくり)


(風力発電もあるようだ)

オビドス近くの出口から高速道路を降りると眼前にオビドスの城壁が見えてきた。


(向こうに見えるのがオビドスを囲む城壁)

まずは予約したホテルを探しチェック・インすることにする。

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スペイン・ポルトガル旅行 4日目 その2(リスボン)

2010-05-20 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
万博会場跡地には欧州最大級の海洋水族館がある。

設計は大阪にある「海遊館」と同じく建築家ピーター・シャーメイフだ。


(海洋水族館)

ここには200のスペースに約450種、およそ1万5000匹の海洋動植物が見られる。




(仰向けで気持良さそうなラッコ)


(色鮮やかなイソギンチャク)


(廻りの海洋植物と同化したサカナ?)


(タツノオトシゴの一種だろうか?)




(電気クラゲ)


(電気クラゲ)

水族館を出て、またバスに乗りリスボンの中心街へと戻る。


(万博会場近くのガラスの駅)

中心街に戻りデパートの所でバスを降り、今日の夕食を仕込むことにした。

日本の食材もかなりあるようである。


(お寿司もある)


(イベリコ豚を削って売っている)


(日本の調味料)


(お茶もあった)


(さしみ醤油まである)


(イベリコ豚)

我々は惣菜の肉料理やお酒のつまみにイベリコ豚などを買って地下鉄でホテルに戻った。

軽くシャワーを浴びたあと、ルーム・サービスでビールを頼む。


(今日の夕食)

19:00 夕食を終え再び地下鉄駅へ。

レスタウラドーレス広場近くから出ているケーブル・カーに乗り夜景を見るためである。


(レスタウラドーレス広場のオベリスク)


(ケーブル・カー)


(運転席)

ケーブル・カーで登りきったところはサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台である。


(展望台よりサン・ジョルジェ城を望む)


(城の左には月が出ていた)


(再びケーブル・カーで下りる)

ケーブル・カーを降りてレスタウラドーレス広場近くの繁華街を歩く。


(人が絶えない夜の街)

喉も渇いていたのでビールを飲むことにした。


(ビール)

22:00 地下鉄でホテルに戻る。

23:00 就寝。
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スペイン・ポルトガル旅行 4日目 その1(リスボン)

2010-05-13 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月5日(土)

8:00 起床 今日は車での移動もないためちょっと遅めに起きた。

朝食をとるため1階のレストランに下りる。


(サービス・テ-ブル)


(今日の朝食)

9:45 観光のため地下鉄の駅に向かう。


(地下鉄は土曜日のせいか空いていた)

ポンバル侯爵広場に出るためマルケス・デ・ポンパル駅で下車。

ポンバル侯爵はジョゼ1世の宰相を務めたポルトガルを代表する政治家である。
1755年の大地震のあと行われたリスボン再建計画をはじめ、政治、経済、教育など
多くの分野で改革を行い、近代ポルトガルの礎を築いたと言われている。


(ライオンを従えた侯爵の像が街を見下ろしていた)

公園の向こうに赤いバスが見えた、観光バスらしい。

手っ取り早くリスボンを把握するためバスに乗ることにした。
バスは観光コースに応じて何種類かあり、どのコースに乗ってもよく、
また好きな所で自由に乗り降りできるようだ。


(観光用の2階建ての赤いバス)

とりあえず待ってるバスに乗った。

ドライバーがイヤフォーンをくれる、観光案内があるらしい。

座席に着くと日本語の案内もあった。


(6番が日本語による観光案内)

最初に乗ったバスはポンバル侯爵広場を起点としてテージョ川沿いに
リスボンの町を西に行くらしい。

以下はバスからの風景。


(なぜか街の中心部に刑務所)


(ビジネス街?)


(昨日も見たエストレーラ聖堂)


(4月25日橋 1966年に完成した全長2278m
のつり橋、上段は車、下段は鉄道専用である)


(発見のモニュメント 1960年にエンリケ航海王子の500回忌
を記念して帆船をモチーフとして造られ高さは52mある)


(ベレンの塔 16世紀始めマヌエル1世の命により
船の出入りを監視する要塞として建てられた)

壮麗な建物が見えてくる、マヌエル様式を代表するジェロニモス修道院である。


(ジェロニモス修道院 大航海時代の栄光を伝える)

ジェロニモス修道院はエンリケ航海王子の偉業を称え、またヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を
記念してエンリケ王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル1世が1502年に着工したそうだ。

この修道院は海外からもたらされた富によって建てられており、まさに大航海時代の栄華を反映している。


(市役所)

バスはポンバル侯爵広場に戻ってきた、乗ってた時間は1時間半くらいだろうか。

待っていた別のバスに乗り換える、今度はリスボンの町をテージョ川に沿って東側に向かって走るらしい。

最初に見えてくるのがレスタウラドーレス広場である。

ポルトガルは16世紀末から60年間スペインに支配されており、民族の自立を願う
愛国者達は1640年ついに蜂起しポルトガルの再独立を勝ち取ったそうだ。
レスタウラドーレスとは「復興者たち」という意味だ。


(レスタウラドーレス広場 勝利と独立の精神を表す
高さ30mのオベリスクが建っている)


(くちばしの家 鳥のくちばしのようなとがった石で
覆われている一風変わった建物)


(遠くに見えるのはヴァスコダ・ガマ橋)

バスは1998年に「大洋、未来への遺産」をテーマに開催されたリスボン万博会場にやってきた。


(万博会場のモニュメント)


(タワー)


(ケーブル・カー)

我々は万博会場でバスを降り休憩することにした。

またここには欧州最大級といわれる海洋水族館もあるそうだ。
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スペイン・ポルトガル旅行 3日目 その2(リスボン)

2010-05-06 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
14:30 ホテルを出て地下鉄への駅へと急ぐ。

駅近くにイスラム教のモスクかと思うような建物がある。
聞いてみると闘牛場らしい、1892年に落成したそうだ。


(イスラム風の闘牛場)

歩いて3,4分で地下鉄のカンポ・ペケーノ駅に着く。

券売機があるがポルトガル語で案内されておりチンプンカンプン。
どうやら切符の種類が片道、往復、回数券、1日券、5日券などとやたら多く
さらに行き先はゾーンで分けられているらしい。

たまたま居合わせた人に教えを乞うて、なんとか切符をゲット。


(苦労して切符を買った券売機)


(改札は日本のそれと同様であった)


(地下鉄のホーム)


(車内は時間帯のせいか空いていた)

旅行書によりリスボンでは町の全体像を掴むため市電に乗るのが効率的と
聞いていたのでラト駅で下車してエストレーラ聖堂近くの市電停留所へ行く。


(エストレーラ庭園を横切る)

エストレーラ聖堂はドナ・マリア1世が息子の誕生を神に感謝して
1779年に建設を開始したそうだ。


(ネオ・クラシック様式の白亜のエストレーラ聖堂)

聖堂横の停留所より市電に乗る。
市民の足となっており、また観光客も多いようでかなりの混雑であった。


(おもちゃのように小さな市電)

市電は狭い路を走っており、おまけに脇には車が停車している。


(車に接触するのではと思うほどの狭い路)

まずアルファマ地区のポルタス・ド・ソル広場に行く。
この広場からはテージョ川とアルファマの街並みが見渡せるらしい。


(ポルタス・ド・ソル広場からアルファマの街並みを望む)


(街並みの向こうにテージョ川を望む)

広場から市電で少し戻って途中にあったカテドラルを見学するためカテドラル前で下車。

カテドラルは1147年にイスラム礼拝堂跡に、アフォンソ・エンリケスの命で建てられた。


(カテドラル標識)

イスラム教徒からリスボンを奪回した直後だけに砦の役目もあったらしく、
堅固な造りで1755年の大地震にも耐えたそうだ。


(砦でもあったカテドラルのファサード)

正面入口の上には有名なバラ窓があり、薄暗い聖堂内部に美しい光を与えている。


(カテドラルを彩るステンドグラスのバラ窓)


(バロック様式の内陣)

このあと旅行書を見て、さらに奥に展望台があることを発見、市電に乗る。

グラサ展望台からはサン・ジョルジェ城が見える。


(グラサ展望台からサン・ジョルジェ城を望む)

サン・ジョウルジェ城はユリウス・カエサルの時代にローマ人によって要塞として造られ
その後、西ゴート族、イスラム教徒、キリスト教徒の王など、数百年の間に城の居住者は
次々と替わってきたそうだ。


(別方向よりリスボン市街を望む)

展望台からの帰り停留所近くのスーパーを覘いてみた。

この地域では干しだらが産物らしくたくさん並んでいた。


(干しだら)

見慣れない物があるので、よく見るとそれはウサギらしい。
こちらの人はウサギを日常的に食べるのであろうか。


(ウサギ ちょっとグロテスクである)

こちらのワインは安いものも多く2ユーロ(約250円)もしないものが多かった。


(ワイン 非常に安い)

再び夕食をとるため市電に乗車。

リスボンで最もにぎやかな繁華街があるバイシャ地区へ行く。

コルメシオ広場近くで下車。


(アウグスタ通り 奥に見えるのは勝利のアーチ)

アウグスタ通りをロシオ広場に向かって歩く。


(ロシオ広場 りスボンでにぎやかな広場の一つ)

ロシオ広場の東側にフィゲイラ広場があり、そこからもサン・ジョルジェ城が見え、
広場中央にはドン・ジョアン1世の騎馬像が建っている。


(サン・ジョルジェ城とドン・ジョアン1世の騎馬像)

我々は広場から少し離れたレストランで夕食をとった。


(今晩の夕食)

夕食後、まだ陽があるため近くの頂上が展望台になっている
サンタ・ジュスタのエレべータに乗る。


(サンタ・ジュスタのエレベータ)

巨大な鉄塔の内部をクラシックなエレベータが展望台へと通っている。


(展望台からの眺望)


(奥に見えるのはサン・ジョルジェ城)


(展望台から)

21:00 展望台から下りて地下鉄のロシオ駅からホテルに戻る。

21:30 ホテル着

23:30 入浴後、就寝

本日のエヴォラからリスボンへの走行距離は137kmであった。

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