風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

スペイン・ポルトガル旅行 2日目 その1(メリダ観光)

2010-03-30 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月3日(木)
6:30 起床


(朝 ホテル部屋からの風景)


(ホテル部屋から反対側を望む)

朝食をとりにレストランへ


(モダンなレストラン)


(サービス・テーブル)


(朝食)

朝食を終えて、今日の最初の訪問地メルダへ向かう。

メリダはカセレスからおよそ70kmほど南下したところに位置している。

メリダは紀元前25年にローマ帝国の属州ルシタニアの州都として建設された。
そのためローマ時代の遺跡が数多く残り「小ローマ」と呼ばれているそうだ。

街にはいると始めに水道橋が見えてきた。


(水道橋)


(ローマ橋 紀元前25年頃に作られ全長792m)

ローマ橋の防御を目的として9世紀に築かれた要塞が今も残っている。


(要塞)

ローマ橋は現在も歩行者専用橋として使われている。


(ローマ橋からの風景1)


(ローマ橋からの風景2)

車を駐車場に停め街の散策をしながらローマ劇場のほうに歩を進める。


(街並み)

途中、氷室跡があった。


(氷室を説明する標識)

氷室の中に氷や雪を貯えて冷をとっていたようだ。


(氷室跡)

円形劇場、ローマ劇場に到着。

円形劇場は紀元前8年に建設され、収容人数1万4000人という
壮大なものであったようだ。


(円形劇場)


(入口のアーチ)

隣にあるローマ劇場は紀元前24年にアウグストゥス帝の
娘婿アグリッパによって築かれた。


(ローマ劇場)

舞台の後方には32本の大理石の柱が神殿風に配置されていた。


(舞台 後方に神殿風の大理石の柱)

柱をよくみると、その多くは最近造られた新しいものに置き換えられたようだ。


(置き換えられた柱)


(昔の柱)


(柱頭)


(通路に置かれた柱頭)

バシリカま築かれていた。


(バシリカ跡を示す標識)


(バシリカ内の床のモザイク)


(バシリカ内の色彩の残る壁)

散策を終え駐車場へと戻る。

途中で中国人が経営してるらしい雑貨屋さんを発見。


(中国雑貨屋)


(店内)

こんな小さな町のメリダにまで中国系雑貨屋が進出してることに
正直驚いた。

中国パワー恐るべしである。

お昼ごろ 次の目的地に向けて車を出す。
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自宅に戻りました

2010-03-24 | ヨルダン出国 日本帰国
3月24日 23:00 無事自宅に戻りました。

昨年の一時帰国以来1年と20日ぶりの我が家である。

羽田に到着して摂氏4度にはふるえてしまった。

最寄駅まで息子が迎えに来てくれた、久しぶりに熱燗で刺身が食べたくなり
近くのスーパーに寄ったあと帰宅となった。

暫らく子供たちと話したあと休みます、疲れました。
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ドバイ到着

2010-03-24 | ヨルダン出国 日本帰国
定時の16:30(日本時間23:30)に飛行機はアンマンを離陸した。


(機内はほぼ満席である)

そして予定通り21:15(日本時間26:15)にドバイに到着した。

待ち時間が6時間以上のため航空会社よりホテル・ルームが提供された。





ホテルは航空会社と同系列のものでなかなか快適であり果物のサービスなどがあり行き届いていた。

あまり時間がないので寝るのも不安で、PCを開き使えることを確認後
免税店が並ぶ商店街に出かけた。



免税の商店街は長く続いており、うっかりすると迷子になりかねない広さである。



商店街は真夜中にもかかわらず、かなりの人である。
しかし去年の一時帰国時よりは減ってるような感じであった。

妻はもっとお店を見たいというので、自分だけホテルに戻り当稿を記している。
ドバイではゴールドが安いので、それを狙っているらしい。

次のフライトは24日の3:30(日本時間8:30)発で関空着は17:20の予定である。
約9時間の長丁場である。
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ヨルダンを出国します

2010-03-23 | ヨルダン出国 日本帰国
2010年3月23日 12:30(日本時間19:30)
ついにその時がきた。

これから45分後迎えの車でアンマン空港に向かいます。

今まで2年間慣れ親しんだ書斎ともお別れです。
PCも片付けます。

さよならアンマン!
もう私の人生において訪れることはないであろうヨルダン。

ドバイで6時間待ちで乗り換え、日本到着は24日17:20 関空着
また乗り換えて19:55 羽田着の予定です。
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ヨルダン最後の買い物 ペルシャ絨毯

2010-03-22 | ヨルダン事情・暮らし・気質
我々の帰国があと数日に迫った3月20日、かねてから狙っていたカーペットを買いに行った。

これまでシリアやエジプト、ヨルダン国内でもいくつかのカーペット店を廻ったが
結局値段と物との関係かよくわからず、また品質も我々の眼では判断しにくいこともあって
イラン製品に特化しアンマンでも高級品を多く扱ってそうなこの店で買うことにした。


(看板にイラン製カーペットと書いてある)

買うものは決まっている、オールシルクの織の細かい玄関用の最高級品である。
日本ではペルシャ絨毯としても知られている代物だ。

ペルシャ絨毯には3ランク有り、1cmの幅に何回織り込むか(ステッチ)でランクが分かれるらしい。
ステッチは8、10,13の3種に分かれる。
やはりステッチ数が多くなるほどシルクの光沢が現れ美しい。

もちろん今回我々が求めているのは13ステッチの最高級品である。

これまで何回か妻と、あるいは単独で値段交渉に出かけている。

しかしここの主人はなかなかしぶとく、JD700からなかなか譲らない。
この親父はヨルダン人だが奥さんがイラン人でイランとは関係が深く、
その関係でペルシャ絨毯を専門として商売しているようだ。


(タフ・ネゴシエーターの親父)


(大小取り混ぜて置いてある)




我々の希望価格はJD600である。

なんとか「Best Price」と言い続けJD650にまで下げさせたが、
それ以上は何回行っても下げてくれない。

今日は最後の交渉のつもりだ、スーツの内ポケットにJD600を忍ばせておく。

店でJD600と言うがいつものごとく譲らない。
最後の手段でJD600を内ポケットから差し出して迫ったが譲らない。

埒があかないので、ズボンのポケットにあったJD10を差し出す、
ようやく親父はJD640に下げた。

親父曰く「これは最高級品で大阪に行けばJD1500で売っている」と強気である。
また「これは直ぐに売れてしまう人気品だ、今まで残っていたのはラッキーだ」とまで言う。

このあたりが潮時と思い、妻にJD20を出させJD630を提示。
なんとか交渉成立、お互いの健闘を讃えあった。
日本円でおよそ8万円の買い物であった。

高いのか安いのかはよく分からない。
高かったとしたらそれはお世話になったヨルダン国へのささやかな寄付と考えている。


(戦い終えて満足気な親父の顔)

買ったカーペットは細かい花柄で、シルク独特の光沢が有り光の加減で色が変わる
なかなかのものである、自分としては満足している。


(光線によって光沢、色が変わり美しい)

最高級の品物にはそれぞれ産地と織り手の名前が織り込まれている。


(カーペットの端に織り込まれたサイン)

それによると我々が購入したものには「イラン コム シラジー」と織られており
イランのコム市でシラジーという人によって織られたそうだ。


(コム市は首都テヘランの南約290kmに位置している)

イランには絨毯を織ってる町が多数あるそうだ。
しかし親父によるとコム市はシルクだけに特化した町で
最高級品だけを出荷してる町として有名だそうだ。

最後の買い物を終えた我々は23日の16:30の飛行機で日本に向かう。
ドバイ、関空と乗り継ぎ羽田着は24日の19:55の予定である。

横浜の自宅に着くのは22:00頃(ヨルダン時間の15:00)であろうか。
おおかたまる一日の長旅だ。

今は引越し荷物の準備でバタバタのなか、ちょっと寂しい気持でPCに向かっている。
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